
何か大きな力が働いている。こうとしか思えない。だが、大きな力とは何なのか。国王である父上を動かす力というのは、どういうものなのか。有力貴族家の意向。これはある。国王であっても臣下の意向をまったく無視することは出来ない。ミネラウヴァ王国における王権は、問答無用で臣下を従わせられるほど強くない。王国騎士団の弱体化もその原因のひとつで、それを何とかするために王立騎士養成学校は設立されたが、当初期待したような成果は出ていない。相変わらず、有事には貴族家の軍事力に頼らざるを得ないのだ。
「……すいぶんと対応が早いですね?」
「まだ決まったわけではない。万一の場合も考えておかなければならないと話しているだけだ」
万一の場合。クリスティーナがこのまま戻らなかった場合のことだ。今考えることではない。まだまともな捜索活動も行われていない。クリスティーナが無事である可能性は充分にある。我々は可能性ではなく、絶対だと思っている。
「それほど急がなければならないこととは思えません。私はまだ王立騎士養成学校の一学年。卒業まででも二年以上あります」
私の結婚はどれほど早くても、王立騎士養成学校を卒業した後。在学中に結婚することはない。そうであれば、次の婚約者のことを考えるなど、まだ早い。そもそもクリスティーナは生きている、考える必要もないのだ。
「恐れながら殿下、たった二年です。クリスティーナ様との婚約がまとまるまでも、それ相応の期間が必要だったことはご存じのはずではありませんか?」
クリスティーナとの婚約成立に時間が必要だったのは、反対する者がいたから。アッシュビー公爵家から妃を迎えることは王家の害になる。ここまで言って反対したのは、これを言う宰相だと聞いている。
「そういえば宰相はクリスティーナとの婚約に反対だったな」
「私がですか? とんでもございません。ですが、反対の声があることは私の耳にも入っております。殿下はまさか、その反対する者たちが今回の件を仕組んだとお考えですか?」
「……仮にそうだとしたら?」
宰相の考えが読めない。今回の事件が何者かの策略であることを示唆してきた。これをして疑われるのは反対派の宰相だ。実際に私は息子のイーサンの関与を疑っている。
「もし殿下のお考え通りだとすれば、大問題です。王国の臣下が分裂するような事態は、絶対に避けなければなりません」
「……なんだと?」
宰相は私とクリスティーナの婚約が、臣下の分裂を招いていると言い出した。その事態を解消しなければならない。つまり、婚約を解消しなければならないと。
策略の可能性を持ち出したのは、こういう話の展開に持ってきたかったのだ。
「それにクリスティーナ様がお可哀そうです。殺したいほど臣下に憎まれる妃などというお立場を望まれるでしょうか?」
「…………」
これは脅しなのだろうか。婚約を解消しなければ、またクリスティーナの命を狙うという脅し。宰相はここまでする気なのか。
「可能性で話を進めるな。クリスティーナが亡くなったのも可能性。この事件が何者かの策略であるというのも可能性だ」
「失礼いたしました。つい、結論を急いでしまうところがありますので」
「悪い性質だな。先ほど、申した通り、あくまでも備えの話だ。捜索活動を終えるとも言っていない。私も簡単に諦めるつもりはない」
心が黒く染まっていく。あらかじめ示し合わせたような話の流れに思えるのは気のせいか。気のせいであって欲しい。そうでなければ、父上も関与しているということになる。関与までしていなくても黙認している。クリスティーナの暗殺を。
「だが、王家の人間には責任がある。その責任を放棄することは許されん」
私に何の責任があるというのか。第二王子である、この私に。結婚相手が問題になるのは兄上。兄上の妻はこの国の王妃になる。兄上には申し訳ないが、好きな人との結婚など望めない。父上にいつ、誰と結婚しろと言われれば、それに従わなければならない。
だが私は、私にそこまでのことを強いる理由があるのだろうか。
「クリスティーナのことは諦めん。だが、万一の備えとして新しい婚約者候補の選定は進める。場合によってはお前に会わせることもある。きちんと応対するように」
「……お断りします」
「何だと……?」
「婚約者がいるのに、別の女性と婚約を前提に話をすることなど、私には出来ません。それはあまりに不誠実です」
父上の命であっても従えない。従う必要のない命令。クリスティーナは生きている。そうであるのに新しい婚約者候補を探すなんてあり得ない。新しい婚約者候補とされる人にも申し訳ない。王子の妃の座を喜ぶ女性もいるだろう。そういう人には期待を持たせておいて、裏切ることになってしまう。
「ウィリアム。私の話を聞いていなかったのか?」
「聞いておりました。父上のおっしゃっていることは、母上という妃がいらっしゃるのに別の女性を娶る算段をするということ」
「……まったく違う」
「それとも、その新しい婚約者候補の女性を側妃にしろというご命令でしょうか?」
国王という立場であれば妃が何人かいるのもおかしくない。跡継ぎを残す為に必要であれば、そうしなければならない。王太子となる兄上も同様だ。だが私は違う。兄上が国王になるとなれば、弟である私の跡継ぎなど求めない。居ないほうが良いくらいだ。将来の継承争いの可能性がそれで消える。
「そうは言っていない。何度も言わせるな。あくまでも備えだ」
こう言うしかない。母上の前で「そうだ」とは言いにくいだろう。兄と私、二人の継承候補がいることで、側妃を持つ理由はなくなっているのだ。
父上の命令を躱す為に使われた母上は、文句は言わない。母上は私に興味がない。愛された記憶がない。私を見ているようで見ていない。いつも、どこか遠くを見ているように感じた。
今もそう。我々の話にはまったく興味がなさそうだ。どうしてだろう。ずっと疑問だった。王妃というのはこういうものなのか。実は自分は母上の子供ではないのではないか、とも思った。
答えは得られていない。誰かに尋ねても同情の目を向けられるだけ。誰も何も教えてくれない。
(……ああ、そうか……あの時からだ)
昔のことを思い出した。クリスティーナが「どうして王妃様はウィリアム様を見てあげないのですか?」という問いを母上に投げかけた時があった。ハッとした表情の母上の顔を思い出した。
あの時からだ。私がクリスティーナに恋したのは。頬を膨らませて母上をにらみつけるクリスティーナに、私は心を奪われたのだ。