
目が覚めた。生きている。地獄に堕ちたと思ったところから始まった新たな人生にも、少しは幸運があるようだ。考えてみれば、スライムとの死闘を勝ち抜いたのも幸運だ。神様のお助けがなければ、あれで自分は死んでいた。新しい人生が、あの時点で終わっていた。
ということで、今の状況はどうなっているのか。温度が上がっている気がする。気のせいか。いや、気のせいではない。間違いなく温かい。
(……ん?)
温度が上がっているのではなかった。自分は何か温かいものに挟まれている。温かく、少しくすぐったいものに。それが何かと、体を揺らして左右を見てみれば。
(子犬……何故?)
子犬に挟まれていた。状況が分からない。今度はさらに大きく体を揺らして寝返り。うつ伏せになって様子を見てみる。寝返りは出来るようだ。これはレベルアップのおかげだろうか。わずかな成長。スライム一匹でのレベルアップなのだから、こんなものかもしれない。
左右にいる子犬は三匹。どれも夢中になって母親のおっぱいを吸っている。こういう状況だった。
(……あれ……どうして俺はここに?)
自分はどうやってここに来たのか。思い出そうとするが、何も思い出せない。それはそうだろう。さっきまで気を失って(寝て)いたのだから。気絶し(寝)ている間に、何故かここに移動していたのだ。
(……いや、まずいだろ。この状況は助かったとは言えないのでは?)
「何故、子犬が?」ではない。こんな場所に普通の犬がいるはずがない。子犬に見えるだけで、実際は魔獣だ。子魔獣だ。恐らく自分は魔獣の巣にいる。「温かくて気持ち良い」なんて、眠ってしまいそうになっている場合じゃない。気付かれないうちに逃げなければ、と思ったけど。
(気付かれた……)
右隣の子犬、ではなく、子魔獣が自分を見ている。魔獣でも子供は可愛い。尻尾を振っているのが、また愛らしい。
(ん? 尻尾……好意だと思って良いのだろうか?)
子魔獣は尻尾を振って、自分を見ている。害意がないと考えて良いのか。それとも、これは甘い考えか。
(……えっと……もしかして……いやぁ)
頭の中で音が、かすかだけど、聞こえる。神様の声とは違うノイズのような音。不快というほどではない。それよりも今の状況だ。子魔獣は母親のおっぱいを譲ろうとしているのか。そんなはずがないと思う。でも、そんな風に感じる。この直感を信じるべきか、否か。
(……だとすれば……善意を無視するのは……そうだよな)
信じることにした。善意であるのに、それを無視して、子魔獣を怒らせては大変なことになる。ここは素直に甘えるべき。こう考えた。とはいえ。
(魔獣の乳……いや、狼に育てられた少年だか、少女が昔いたと聞いた。それと同じだ)
魔獣のおっぱいを咥えることに抵抗を覚えたけど、乳は乳だ。覚悟を決めて、口を近づけ、咥えた。
(ん? これは……)
意外といける。美味しいとは言わない。でもスライムに比べれば、比べものにならない上等品。美味しいとまで思えないのは、甘さがないせい。大人の口の感覚が残っているせいだと、勝手に、思った。
これは、もしかして、助かったのかもしれない。食料問題が解決したのかもしれない。
(ん? 子魔獣……じゃあ、母親は? 魔獣……)
当たり前のことに気が付いた。ここは魔獣の巣。自分が吸っているおっぱいの持ち主は大人の魔獣だ。そこに自分がいるのは、どういうことなのか。
(俺が食料か……)
自分が食料なのだ。魔獣は自分を食べる為にここに運んできたのだ。逃げなければならない。でも、どうやって。
(……ああ……駄目だ……)
顔をあげたところで母魔獣と目が合った。万事休す。そもそも目が合う合わないに関係なく、逃げられない。ハイハイもままならない自分が魔獣から逃げられるはずがない。
(……餌……私は餌なのですねえ?)
母魔獣の顔が近づいてきた。魔法で攻撃、はこの時、思いつかなかった。思考が停止するくらい気持ちが追い詰められていた。結果として、それで助かった。
(……い、いや、俺、美味しくないですから……美味しくないよね?)
自分の顔を舐めてきた母魔獣。ただ、ずっと舐めているだけ。ざらざらした舌が少し痛いといえば痛いけど、それだけ。いつまで経っても噛まれない。
(……えっと……これは……)
母魔獣に自分を食べる意思はない。こんな期待が心に沸いた。舐められているのは、子魔獣が尻尾を振るのと同じなのではないか。そうあって欲しいと願った。
(……まさか……愛……これは愛なのですね?)
自分の次に子魔獣にも同じことを始めた母魔獣。これで確信出来た。母魔獣は、義母は自分も子供のように扱おうとしている。自分も愛されている。
(……これは……そういうことですね、義母? 義母の愛に俺は包まれている! ブルースを……!)
なんて浮かれた気持ちは一瞬で真っ白になる。
(……すべった。おかしいな、ぼっちは慣れているはずなのに。転生しておかしくなったか?)
心は真っ白。顔は恥ずかしさで真っ赤だ。自分は、こういう性格ではなかった。浮かれる性格ではなく、何に対しても冷めきっていた。転生して性格が変わったのだろうか。生まれたばかりで、性格って形成されるものなのか。
(本当に……考えても仕方ないか。これで駄目なら死ぬだけ。ここから逃げても死ぬ。結果は同じだ)
本当にこの魔獣は自分を生かすつもりがあるのか。これを考える意味はない。ここから逃げられても、どうせ死ぬ。そうであれば、この状況に賭けるしかない。
(ん? さっきから何だ?)
またノイズが聞こえてきた。やはり不快ではない。でも、気になる。何かの病気の兆候なのかもしれない。それであっても、やはり死ぬだけだ。この先、自分はどうなるのか考えることに意味はない。今の自分は全てを成り行きに任せるしかない。抗う力はないのだから。
義母の母乳で少し腹が満たされたせいか、眠たくなってきた。こんな状況でも眠いのだ。もうそれで良いと思った。