
転移させられたダンジョンは、最初に思っていたよりも遥かに大きく、危険な場所だった。殺すつもりで転移させたのであれば、こういう場所であるのは当然のこと。自分の認識が甘かっただけだ。
こうなると、認めたくないけど、アレクがいてくれたのは助かる。クリスティーナの王立騎士養成学校でのランクはA。トップクラスだけど、攻撃能力となると、それほどでもないようだ。彼女の加護<慈愛の神の加護>は人を傷つけるよりも、癒すことを大切にするものなのだろう。「だったら、クリスティーナが聖女で良いんじゃね?」と思った。
ただ彼女が役立たずということではない。治癒魔法はかなり助かっている。このダンジョンはとにかく敵の数が多い。個体毎の戦闘力はそれほどでもなくても、数が揃うと厄介だ。まとまって敵が現れることで自由に動ける空間が狭くなり、自分の動きが封じられるのも戦いを難しくしている要因だ。
魔力の消費を考え、魔法での攻撃を制限するとなると、少しくらい攻撃を受けるのは覚悟の上で戦わざるを得なくなる。だが軽傷でも、積み重なれば動きに支障が出る。スキルに関係なく、耐性はあるほうだと思っているけど、痛みの感覚は完全に消すことは出来ない。その感覚が気になり、動きが鈍くなってしまうのだ。
この点をカバーしてくれているのがクリスティーナの治癒魔法。極端に動きが鈍る前に治癒魔法で癒してもらうのだ。ただ、当たり前だけどクリスティーナも魔力を消費する。
≪規定値に達しました。スキル<立体軌道>がレベル9からレベル10になりました≫
≪条件を満たしました。スキル<立体軌道>がスキル<立体跳躍>に変化しました≫
(……スキルのレベルアップはありがたいけど……戦い方って、簡単に変えられないのだけど……)
<立体軌道>のスキルを使いまくっていたおかげか、レベルアップした。ただレベルアップしただけでなく、<立体跳躍>というスキルに変わった。何が違うのか。今までと全然違う動きになると、戦い方が変わってしまう。この状況で、それは厳しいように思う。
とはいえ、変化してしまったものはどうにもならない。問答無用で変えてしまうのではなく。こちらの意思を確認してくれれば良いのに。
「……クリスティーナ様、これを」
そろそろ限界。こうなると、手の内をいくつか見せないわけにはいかなくなる。
「……えっ?」
「いや、別に媚薬とか変な薬ではないですよ。これでクリスティーナ様を何とかしてやろうなんて考えていませんから」
「あ、当たり前です!」
「あっ……なんか調子が……えっと、これは魔力を回復する薬です」
なんか調子が狂っている。下ネタでからかって良い相手とそうでない相手の区別が出来ていない。自分も疲れているのかもしれない。それとも洞窟のせいか。化けの皮が剥がれてしまっているのかもしれない。このセクハラが自分の素だと、それはそれで悩むけど。
「……マナポーションということですか? でも、これはどこから?」
「魔法です。色々な物を良く分からないところに収納しておく魔法。そのまま<収納>という魔法です」
「そんな魔法を……でも、とても高価な物だと思うのですけど、良いのですか?」
「気にしないでください。こいつら、こういう高価な物を結構持っているのです。つまり、貰ったものです」
正しくは貰ったのではなく。奪った物。退魔兵団はほぼ無償で働かされている。渡される金は任務期間の生活費で消える程度のはした金。それでは将来、自由を得ても一文無しということになる。悪魔から奪った物を、兵団に提出しないで、隠し持っているのだ。これに<収納>の魔法はとても役に立つ。
「こいつら、と言うな。私はクリスティーナ様の忠実な僕。悪魔と一緒にされるのは心外だ」
「元は悪魔だろ? どうでも良いけど、お前も隠し持っている物を出せ」
「私は何も隠していない」
「糸、出していないだろ? 糸。蜘蛛みたいにピューと出していただろ?」
アレクの武器。これはかなり厄介な攻撃だ。躱すだけでも大変で、間合いを詰めることが出来ない。魔法で攻撃するしかなくなる。その魔法は、距離があれば躱される。自分が悪魔からの魔法攻撃を躱すのと同じことだ。戦いが無駄に長引くのだ。
「い、糸……く、蜘蛛だと? 侮辱するな! 私は蜘蛛ではない!」
「いや、それは分かっている。でもそういう武器あるだろ?」
「……はあ。まったく……私の武器は鋼糸刃という。鋼を極限まで細くしたその上で、さらに加工し、小さな刃を作る。並の武具職人では絶対に作れない代物だ」
どうやらご自慢の品だったらしい。ただアレクの懐から伸びた糸のような鋼は、改めて見ると、本当に細い。刃とやらがどこにあるのかと、顔を近づけて見てようやく、わずかなギザギザが見えた。小さな小さなギザギザだが、痛そうだ。
実際に使う時はアレクはこれに魔力を流す。聞いていないが、戦えば分かる。自由自在に動かす為と強度を上げる為。自分も欲しい。
「……並の武具職人が駄目なら、誰が作れる?」
「これはドワーフに作ってもらった物だ」
この世界にはドワーフがいる。エルフもいるらしい。ドワーフは基本、森の奥や山の中で暮らしているそうだが、武具職人として町中で働いているドワーフもいる。鍛冶場で重いハンマーを振るっているイメージだったけど、こういう繊細な細工も出来るみたいだ。
ちなみにエルフと会える確率は限りなくゼロに近い。この世界のエルフは、完全な引きこもりだそうだ。
「俺も何か作ってもらいたいな……金がないか。いや、持っている物を売って……そこまでして欲しくはないか」
悪魔から奪った物はいつか売る。自由を得たあとの生活資金にする。新しい武器は欲しいけど、その為に今、出費する気にはなれなかった。
「言っておくが、出し惜しみしているわけではない。お前の動きが読めないから、使うのを躊躇っていただけだ」
「ああ……じゃあ、しばらくお前に任す」
「はあ?」
「いや、俺も魔力を消費していないわけじゃないから。今日はずっと戦い続けているから確実に減っている」
スキルには魔法の詠唱のように明確に使うという意思表示をしてはじめて発動するスキルと、常に効果を発揮しているスキルがある。常時スキルと呼ばれているようだ。授業でそう言っていた。
自分の<獣速>と<立体軌道>、今は<立体跳躍>になったけど、もどちらかに分類すると常時スキル。<神速>なんてスキルがあるようで、それが常時スキルだと教わったので、きっとそうだ。ただ個人的には、勝手に半常時スキルだと思っている。
意識しなくても普通に走ることが出来る。それも全力で。ただ、なんとなく意識として「本気出すぞ」みたいに思うと、二つのスキルは発動する。本気の走りから、さらに速く走れるようになるのだ。明確な意思表示ではないけど、なんとなくは考えている。だから半常時スキル。
どれであっても魔力は消費する。攻撃魔法や治癒魔法のように外部に向けるものは消費量が多く、自分の体内で留まっているのは少ない。こういうことらしい。この魔力をとどめる、魔力操作ともいう技術を高めれば高めるほど魔力消費量は少なくなる。魔力の自然回復量を下回れば、理屈では、ずっと使い続けることが出来るようになる。
これは義理の父である師匠に教わったことだ。<収納>の魔法といい、師匠が教えてくれたことは役に立つ。師匠は俺に生きる為に必要な、戦いに巻き込まれても生き抜ける、多くの技を教えてくれた。師匠、そして義母とブラザーたち家族との出会いがなければ自分はとっくに死んでいた。
こんな風に感傷的になるのは、久しぶりに長く洞窟で暮らしているからだろうか。きっとそうだろう。