
洞窟の中で野宿。こんなことをする日が来るなんて思っていなかった。きちんと考えてみれば、この先の王立騎士養成学校の授業でもあるのかもしれない。野外授業は少しずつ難易度が上がっていくと聞いている。そうであるなら、こういう課題もあるのかもしれない。そうだとしても、きっと、今のような状況ではないはずだけど。
男性と二人きりで野宿。実際は二人きりではなくて、アレクもいる。男性二人と私、と考えるべき。でもアレクはいつもの黒猫の姿。男性として意識することはない。
カイト殿とアレク、二人から話を聞いた時は驚いた。驚いたという単純な言葉では表せられないような心境だった。知らないうちに自分が悪魔を従えていた。こんなことを聞いても、何をどうすれば良いか分からない。とにかく、「大変なことをしてしまった」という思いしかない。
アレクは従魔。私の意に反することは絶対にしないと聞かされた。言葉だけでは信じられないと思った。でも言葉だけではなく、そういう契約なのだと言われた。精神体に近い悪魔、魔人族は契約においては信用出来る。人族よりも遥かに、というのはカイト殿の言葉。
そういうものかと思った。カイト殿は人族が嫌いなのだとも感じた。少し寂しかった。
でもそうなっても当然。アレクが私に縛られているようにカイト殿も縛られている。奴隷契約と同じ。契約主の命令には逆らえない。命を捨てても良いと思っても逆らえないのであれば、奴隷契約よりも酷い。そういう酷い待遇を人族はカイト殿に強いている。
そんな彼を助ける力は、私にはない。ウィリアム殿下にも、今は、ない。殿下が国王になったら変えられるのでしょうか。でも事は国防に関わること。国防が優先されてしまうのではないでしょうか。退魔兵団がいなくてもカンバリア魔王国から国を守れる。それが証明出来たら、彼らは解放されるのでしょうか。
いずれであっても、まだ先の話。実現できるかどうかも分からない話。
「……眠れないのですか?」
「あっ……ごめんなさい.起こしてしまったわ」
「俺は平気です。あっ……そうか。俺がそばで寝ているから。無神経でした。俺は別の場所で寝ます」
私ではなく、俺。無意識なのでしょう。彼は少し素を見せてくれた。ほんの少しだけだけど。貴族ではなく平民。それも身寄りのない身。元々はもっと違う言葉遣いに違いない。別にどうでも良いことだけど。
「気にしないでください。私は大丈夫ですから」
「クリスティーナ様こそ、気にしないでください。俺はどこでも寝られます。洞窟の中のほうが落ち着くくらいです」
「さすがにそれはないわ」
カイト殿は私が気にしないように嘘をついている。こういう心遣いが当たり前に出来る。
「本当です。俺は洞窟育ちですから」
「……えっ?」
洞窟育ち。耳に入ったその言葉の意味が、頭では理解出来なかった。
「何年かは分かっていませんけど、子供の頃からずっと洞窟で暮らしていました。ちなみに、俺は何歳に見えますか?」
「えっ……えっと……私と同じか、少し下かしら?」
いきなる何歳に見えるか聞いてきた、これまでの会話からどうしてこういう話になるのか、理解出来ない。いつものことですけど。
「そうなると、恐らく十年くらい。洞窟を出てから五年くらいですから」
この話が本当だとすると赤子の時から洞窟で暮らしていたことになる。そんなことはあり得ない。あり得ないけど、カイト殿であれば、本当なのかもしれないとも思う。実際、ここに来てからのカイト殿は生き生きしているように見える。気のせいかもしれないけど。
「……あの……退魔兵団で働き始めたのは?」
恐る恐る尋ねてみた。カイト殿にとっては聞かれたくないことかもしれない。でも、とても気になる。
「洞窟を出て、割とすぐ。だから十歳です」
「……その歳で悪魔と戦ったのですか?」
「まあ。でも失敗ばかりです。周りが皆、ちゃんと成果をあげているのに俺は失敗ばかり。兵団では落ちこぼれです」
カイト殿で落ちこぼれ。退魔兵団はどれほど強者が揃っているのか。と思ったけど、違うみたい。結界の外で見張りを務めているアレクが、私のほうを向いて、大きく首を振っている。猫の姿だとはっきりしないけど、きっと首を振っている。
「……これは聞いても良いのかしら? どうして王立騎士養成学校に入学したのですか?」
「ああ……正体がバレたのだから隠す意味はないですね? 他の奴らと同じ。悪魔からの護衛です。俺だけ正体を隠せと命令されましたけど」
「それほど王立騎士養成学校が狙われているということですか?」
「それは俺ではなく、あの猫に聞いたほうが知っていると思います。でも聞かなくても想像できますよね? 狙われる理由のある人が何人もいる」
カイト殿がいう「狙われる理由がある人」。それはウィリアム殿下、そしてエミリー殿でしょう。勇者と聖女。悪魔、魔人族にとって気になる存在。魔王国としては脅威になる前に消してしまいたい存在でしょう。
「でも今回はクリスティーナ様が狙われた」
「私、ですか?」
私が狙われる理由。そういうものはないはず。私自身では思いつかない。
「これは話すか迷っていたのですけど、今後もないとは限らないので。今回狙われたのはクリスティーナ様です。ウィリアム殿下もエミリーという女も無事通過出来た。あれは上を通ると発動するというものではありませんね」
「……私が上に来たタイミングを見計らって、誰かが発動させた?」
「考えたくない可能性ですよね? でも、そうです。誰かまでは特定出来ていませんけどね」
「どうして、私が……?」
どうして私が。この先の言葉がないわけではない。可能性として思いついたことがある。でも言葉に出来ない。その勇気がない。そうであって欲しくない。
涙を堪えられない。人前で涙を見せるべきではない。貴族は、上に立つ立場の者は、周囲に弱みを見せてはならない。こう教わってきた。でも、今は涙を堪えられない。
「ウィリアム殿下に怒られるので、抱きしめることはしません。でも背中くらいはお貸しします」
こう言ってカイト殿は後ろを向いた。私が泣くのを見ないように。
「……ありがとうございます」
少し躊躇ったけど、カイト殿の言葉に甘えた。彼の背中に体を預け、泣いた。涙どころか声を押し殺すのも出来なくなった。子供みたいに泣いた。こんな泣き方はいつ以来かと思うほど、思いきり泣いた
「王立騎士養成学校にいる間は俺も出来るだけのことはします。それにアレクもいます。俺たちが絶対に貴女を守ります」
私が泣き止むまで、ずっと黙ったままだったカイト殿が口を開いた。
「……ありがとう」
また涙が零れた。でも温かい涙だった。涙そのものの温度は変わらない。でも温かく感じた。きっと心が温まったおかげだ。カイト殿の、カイト殿とアレクのおかげだ。