
サークル王国は翼竜を使ってもハイランド王国から一か月以上かかる。当然、その間の稼ぎはなし。先を急ぐ旅では鍛錬の時間も多くは取れない。しかも、そこまでの遠出はアークたちにとっては初めてのことで、空路なんて全然知らない。地図も、各国で重要機密扱いなので、詳細なものは与えられない。町や村を見つけては、そこで道や方向を聞いて、次の町や村を目指すという効率の悪い移動方法を使うしかなかった。
そこへの赴任を命じられたことは、アークたちにとっては、迷惑でしかなかった。しかも。
「……どうしてここに来る必要があった?」
「さあ?」
ようやくサークル王国の勇者ギルドに到着してみれば、明らかに魔族である勇者候補がいる。それも一人、二人ではない。ハイランド王国支店とは比べものにならない割合だ。
人族よりも戦闘能力に秀でている魔族の勇者候補がこれだけいて、どうして自分たちが派遣されなければならなかったのか。二人はこう思った。
「ブレイブハートの御二人ですか?」
「はい。そうですけど?」
さらに出迎えもハイランド王国の勇者ギルドとは違う。ギルド職員にしては派手過ぎる服、というかドレスを着た女性。さらに勇者候補というより騎士にしか見えない人たちが並んでいた。
「ようこそ、サークル王国へ。私はこの国の王女、アプリコットと申します」
「王女、殿下……ですか?」
出迎えの女性はギルド職員ではなく、サークル王国の王女。どうして王女がこの場所にいるのか。理由が分からず、アークはミラに視線を向ける。ミラのほうも当たり前だが理由など分からない。二人で首をかしげることになった。
「驚かせてしまいましたか?」
「……少し」
「今回、無理を言って、この国までお越しいただきましたので、きちんと御礼を伝えたいと思いました」
華やかな笑みを浮かべながら、この場にいる理由を説明するアプリコット王女。ただこの説明ではアークたちには何のことか分からない。今回の指名依頼が評議会で決められたものであることなど、教えられていないのだ。
「……我々はまだ何もしておりません」
ただ到着しただけ。依頼を達成していないのに御礼されるのはおかしい。こんな風に思うだけだった。
「ここまで来るだけでも大変でしたでしょう?」
「それは、まあ」
大変というより、ただ移動するだけに一日のほとんどの時間を費やした毎日を無駄なものと感じているだけだ。
「その御礼です。お茶の席を用意しております。お付き合い願えますか?」
「……大変申し訳ないのですが、まず依頼の詳細について知りたいのですけど?」
お茶の時間も、アークにとっては、無駄なもの。出来るだけ早く依頼を達成し、ハイランド王国に戻りたい。アークはこう考えているのだ。
「依頼内容については私から説明致しますわ」
「……ご依頼主ということですか?」
そうであっても異例なことだ。まずは勇者ギルドの職員から説明を受けるのが普通。アークたちはこれまで、ずっとそうだった。依頼主と事前に話をすることなど、ハイランド王国支店の支店長も依頼主といえば依頼主なので、それを除けば、なかったのだ。
「そうですね。そうなります」
アークたちがサークル王国に来ることになったのは、アプリコット王女が評議会の席で要求した結果。依頼主と言えなくもない。契約上は彼女の名が出てくることはないとしても。
「そうですか……分かりました」
依頼主を無下には出来ない。依頼内容についても依頼主自ら説明してくれるというのだ。拒否する理由は、面倒くさいという思い以外は、ない。
一国の王女相手に畏まることがない。これはアークの悪いところ。幼い頃の経験のせいだ。
「では、行きましょう。席を用意したと言ってもギルドの中ですから」
城に行くわけではない。この場で話をするだけだ。アプリコット王女も面倒な手続きや準備が必要となる場を用意することは避けたのだ。
騎士の先導で歩き出す一行。アークは周囲からの視線を煩わしく思うが、仕方がないことだとも考えている。この国の王女がいるのだ。注目されないはずがない。
向かったのは、勇者候補が自由に出入り出来ない区域にある部屋。勇者ギルドが、主に支店長が客を迎える時に使う応接室だ。
「お待たせしました」
先に部屋にいた人たちに声をかけるアプリコット王女。同席者がいるのだ。
「ブレイブハートの御二人をお連れしましたわ」
「ありがとうございます。私は、このサークル王国支店の支店長を務めているグラシアールだ。よろしく頼む」
「アークです。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ミラです。よろしくお願いします」
先にいたのは勇者ギルドの支店長。アークとミラも、簡単ではあるが、挨拶を返す。ただ部屋にいたのはグラシアール支店長だけではない。他にも、勇者候補であろう人がいる。勇者候補で、明らかに人族ではない人だ。
「紹介しよう。今回、君たちと一緒に行動することになるパーティー。アウローラのリーダー、シンシアだ」
今回の指名依頼も他パーティーと協力して行うことになる。アークたちも分かっていたことだ。ブレイブハート単独でダンジョン探索など出来ない。やろうとすれば多くの物資調達が必要で採算が合わない。
指名依頼は通常依頼よりも報酬は高いが、それでもダンジョン探索に必要となる物資、特に回復魔法の代わりとなるポーションなどの費用を考えると割に合わない仕事になってしまうのだ。
「シンシアだ。よろしく」
「「よろしくお願いします」」
シンシアとも挨拶を交わし、グラシアール支店長に促されて、用意された席につくアークとミラ。こうなると、どうしてアプリコット王女が同席するのか二人は分からなくなる。グラシアール支店長とシンシアがいれば、事は済むと思ってしまうのだ。
「まずは改めて、サークル王国に来てくれてありがとうございます」
「いえ、仕事ですので」
「……あの……もしかして、怒っていらっしゃいます?」
アークの態度は最初からずっと素っ気ないもの。アプリコット王女はその態度に、これまでは表に出さないようにしていたが、戸惑っていたのだ。
「えっ? そんなことありませんけど?」
「そうですか……」
テーブルの下でミラがアークを突いている。対面にいるアプリコット王女にはその様子ははっきりとは見えないが、何かしているのは分かる。二人の表情からミラがアークを注意しているだろうことも。
「失礼をお詫びします。ただ、こういう人なのです。お気になさらず」
「いえ、問題ありませんわ」
謝罪を伝えてきたミラ。実際の思いは、長い前髪と分厚く大きな眼鏡で、ほぼ顔半分が隠れていて、アプリコット王女には読み取れない。読み取る必要もない。ミラは普通に謝っているだけだ。
ただアプリコット王女は必要以上に二人の考えを深読みしようとしてしまう。サークル王国に呼んだのはダンジョン開放を助けてもらう為ではなく、勇者となるアーク、その彼とパーティーを組んでいるミラのことを知る為なのだ。
「それで依頼についてのご説明は……」
ミラも依頼を達成することしか考えていない。アプリコット王女の思惑など知らないのだから、当然だ。
「私から説明しよう。依頼は最近、発見されたダンジョンの調査。すでに同じような依頼を経験していると聞いているので、具体的に何をするかの説明は必要ないと思うが?」
「確認されている魔獣や魔物についての情報を教えてください」
「現在、存在が確認されているのは魔狼種と魔熊種、それと魔馬種だ」
「魔馬種は初めてなのですけど、どういう……いえ、ギルドに資料はありますか?」
魔馬種と戦うのは初めて。遭遇したこともない。詳細について聞こうと思ったミラだが、資料があるのであれば、それで調べたほうが早いと考えた。ここで話を聞いても、結局、資料があれば、それを調べることになるのだ。
「ああ、ある。用意させよう」
「現在は何層まで調査が進んでいるのですか? そこまでの地図はありますか? トラップの存在は確認されていますか?」
開放前のダンジョン探索は、特別自治区の仕事が割り込んで中途で終わったものも含めて、これで四度目。事前に確認しておくべきことも分かってきている。次々とグラシアール支店長に質問をしていくミラ。
同行するアウローラのメンバー編成については聞き終えたところで。
「最後の質問です。どうして私たちに依頼を?」
「それは……」
「こちらの人たちで対応できる依頼だと思います。わざわざ離れた支店の私たちを呼ぶ必要はなかったのではないですか?」
一番気になっていたことをミラは尋ねた。詳しく聞くまでもなく、この支店の勇者候補たちは強い。平均値ではハイランド王国支店を遥かに凌ぐはずだ。仮にアウローラ単独では無理でも、他のパーティーを投入すれば良いだけだ。
アークは強いとミラは考えている。だが、ダンジョン探索において他の人には代わりが出来ない特別な能力を持っているわけではないのだ。
「それについては私からお話しますわ」
「……はい」
アプリコット王女が自分で説明すると言ってきた。特別な事情があることは、これで明らかだ。あとはアプリコット王女が真実を話しているのか。自分たちに害を為すような目的でないかを見極めること。ミラはこう考えている。
「アーク殿のことを良く知りたいと思っています。それと同時に我が国のことを、この国の勇者候補たちのことを良く知ってもらいたいと思っています」
「それは何故ですか?」
「アーク殿が勇者になる御方だからです」
「王女殿下!?」
グラシアール支店長は思わず声をあげてしまう。アークが勇者の最有力候補であることを彼は知らない。仮に知っていたとしても似た反応を見せたはずだ。公式に認められていないのに、アプリコット王女はアーク本人に「貴方が勇者だ」と告げてしまったのだ。
「アーク殿が勇者として立ち上がる時、我が国は全力で支えます。私たちの国は、私たちの国の魔族の人たちはアーク殿の助けになるはずです」
ある意味、抜け駆けだ。正式にアークが勇者と認められる前にアプリコット王女は自国の戦力を近づけようとしている。勇者のパートナーの座を得ようとしている。他の評議会のメンバーから、こう見られてもおかしくない。
「どうしてそのような話になるのか、まったく理解出来ないのですが、私は勇者にはなりません」
「そんなことはありませんわ。アーク殿は勇者になる資格をお持ちです」
「資格……やっぱり分かりません。ただ、はっきりしているのは私は勇者にならないということです」
「ですから」
アプリコット王女は勘違いをしている。アークの言葉を謙遜だと受け取っているのだ。
「この言い方では伝わらないですか? では、こういう言い方は良くないと思いますが、私は勇者になるつもりはありません。なりたくありません」
「えっ……?」
アークは勇者になれないのではない。勇者になるつもりがないのだ。仮に勇者として認められる実力を身につけたとしても、アークの目的は別にある。
「私が勇者ギルドに入ったのは、勇者になる為ではありません。別の目的があってのことです」
「でも、貴方は……」
「ああ、もしかして私の素性を知っているのですか? 確かに私は勇者ウィザムの血筋です。ですが、それで勇者に選ばれるのであれば、勇者ギルドは何のために存在するのですか?」
今度はアークが勘違いしている。アプリコット王女は、自分がウィザム将爵家の人間だから勇者に選ばれるのだと考えているのだと。
「……目的というのは?」
「それを話す義務はないと思います」
「大切なことなのです。私は貴方は勇者になるべき人だと思っています。でも貴方はその気がないと言う。世界を救う以上に大切なことなどあるのですか?」
アプリコット王女にとって大きな誤算。彼女だけでなく、勇者ギルドの評議会にとってもそうだ。アークを勇者に認定するかどうかで意見の相違があった評議会だが、そもそも本人にはその気がない。勇者だと認定されることを望んでいないことを分かっていない。
「……家族を救えない者に世界を救うことなど出来ません。私の目的はADUに攫われた姉を助け出すことです」
「ADU、ですか……それは勇者と両立しないことでしょうか?」
ADUはサークル王国にとって厄介な存在だ。魔族との共存を国の方針としているサークル王国は、ADUに敵視されている。他国と比べて特別何かあったわけではないが、そうであることは分かっている。
「……姉を救う為であれば、俺は魔王とだって手を握りますよ」
「なっ!?」
「そんな者が勇者になれるはずがない。勇者にはその立場に相応しい人がなるべきです。それに王女殿下の御立場であれば、自国の勇者候補を応援するべきではないですか?」
勝手に勇者だと持ち上げられるのは、真っ平ごめん。そんな思いがアークにはある。勇者の血筋を引く者に対する期待。それは幼い頃からアークを苦しめてきた。期待が失望に変わり、蔑みになっていく結果を知っている。
「……この国の勇者候補は多くが魔族で」
アークの「魔王とだって手を握る」という言葉の衝撃からアプリコット王女は立ち直っていない。意味のない言い訳を口にしてしまう。
「魔族が勇者で何が悪いのですか? 魔族が勇者になってはいけないなんて規則があるのですか? そんな制約がもしあるのなら、すぐに撤廃したほうが良い」
「…………」
「……これ以上、勇者について話をしても意味はありません。仕事の準備に入らせてもらいます」
アプリコット王女の返事を待つことなく、席を立つアーク。勇者についての話は時間の無駄。アークにとって、まったく関係ないことなのだ。
「……ああ、資料は揃えさせる。そうだな……食堂で待っていてくれ」
「分かりました」
グラシアール支店長もこの場を終わらすことを選んだ。これ以上、アークに勇者ついて話をさせるべきではない。おかしな方向に話が進んでしまうことを避けたのだ。
部屋を出ていくアークとミラ。しばらく沈黙が続いた。
「……どうして彼をハイランド王国の魔族たちは勇者として認めたのでしょう?」
「そうなのですか?」
「そのようです……でも彼は……彼の考えは……」
魔王を受け入れるような考えを持つアークは勇者に相応しくない。危険思想の持ち主だとさえ、アプリコット王女は考えてしまう。
「……ああいう人物だからではないですか?」
「シンシア? それはどういう意味だ?」
「人族か魔族か、善か悪か、そんなことは彼には関係ないのでしょう。自分の目的から見て、敵か味方か。それだけなのだと思います」
「それが……そうか……」
魔王という強敵を倒す為には、それを実現する為にあらゆる手を尽くさなければならない。善に、正義に拘っていてはそれは実現しない。そういうことだとグラシアール支店長は理解した。
実際、アークの発言は問題ではあるが、すべてが否定すべきものではない。「魔族が勇者で何が悪いのか」なんて言える人族が、この世にどれだけいるのか。魔族との共存を謳うサークル王国でも偏見が存在することを、勇者ギルドの支店長であるグラシアールは知っているのだ。