
生まれ落ちてからこれまでで最悪の失態。私は何をやっていたのか。術式魔法が発動したことに気付いて、すぐに動いていれば、クリスティーナ様をこのような目に遭わせるにはならなかった。
救いは黒炎も一緒に飛ばされたこと。この男の反応は速かった。転移魔法だと分かっていたのか。黒炎であれば、あり得る話だ。とにかく黒炎の魔法、術式魔法は普通ではない。人族よりも遥かに優れた魔力を有する魔人族がこう思うほどだ。
さらに普通ではないことが分かった。転移先にいた魔獣。確か、ヘルブラックウルフ。魔狼種の中でも上位種。魔人族であっても、よほどの高位魔人族であれば別だが、一対一で戦えば、苦戦する。負ける可能性も否定出来ない。
そのヘルブラックウルフと、どうやら黒炎は会話している。言葉を発することなく、念話で。頭に流れる雑音が念話の使用を示している。指向性を持たない、初歩的な念話ということだ。
何を話しているのかは分からない。魔獣との念話は、魔人族が使うそれとはやはり違うのだろう。それとも言語が違うのか。そうだとすれば、黒炎は魔獣の言葉を理解出来るのか。
「……カイト殿」
「ちょっと待ってください。もう少し」
「……もう少し?」
何が「もう少し」なのか。何を待てば良いのか。クリスティーナ様に説明するべきだ。私も知りたい。だが、答えはすぐに得られた、魔獣は去って行った。
「ああ、良かった。いやあ、助かりましたね?」
「あ、あの……何が?」
「見逃してくれたのではないですか?」
見逃してくれるように黒炎が頼み、魔獣はそれを受け入れた。こういうことなのだろう。もしかして、この男には獣人族の血が混ざっているのか。パッと見はそれを示す外見ではない。裸になれば、尻尾くらいは生えているのかもしれない。何と言っても黒炎なのだ。
「さて……ここはどこでしょう?」
「私にも分かりませんわ」
「そうですよね? 出口は左側、といっても上のほうか……どれだけの深さか分からないから、とりあえず出口に向かうことか」
まさかと思うが道まで魔獣に聞いたのか。魔獣はそれを教えてくれたのか。そこまでの意思疎通が出来るのか。だとすれば、やはり獣人族の血が入っているということになる。
だがもしそうであれば、黒炎の魔法が説明できなくなる。獣人族は魔法を、魔力で自然と身体強化がされている以外は、使えないのだ。
「深いなら深いで、水場が見つかるでしょう。まずはそこを目指そうと思います」
「分かりましたわ」
洞窟に慣れている様子。この理由は分かる。退魔兵団の兵士は幼い時に<悪魔の迷宮>という洞窟に捨て置かれる。それで生き残った子供が兵士となる。魔人族の魔法に耐性を持つ体になって出てくるのだ。
これは人族が勝手に言っていることで、魔人族に関係なく、魔法への耐性が強くなっているだけだ。
「いないはずがないですね? 魔獣です」
「はい」
魔獣が現れた。ヘルブラックウルフに比べれば、雑魚。だが数は多い。
「クリスティーナ様は自分の身を守ることに専念してください」
「私も戦えますわ」
「分かっています。俺が、私が誰かと連携して戦うことに慣れていないからです。広いとは言えない、この場所だと連携ミスで怪我をさせてしまうかもしれません」
「でも……」
クリスティーナ様は戦うことを欲している。黒炎一人に戦わせることを申し訳なく思っている。それが不必要な気持ちだと、出来ることなら、知らせてあげたい。
「えっ……?」
いきなり黒い炎が前方に伸びた。黒炎が得意とする攻撃魔法だ。魔人族の魂さえ、燃やし尽くすと言われている魔法。実際に、限りなく精神体に近い体のサキュパス族がこの魔法でやられたという噂を聞いた。ただの炎魔法ではなく精神攻撃、というより精神崩壊させる力がある魔法だと言われている。
事実だとすれば悪魔、魔人族にとって天敵だ。すでにそう思われている。
「数が多いな……」
「……速い」
そして黒炎のもうひとつの武器はこの速さ。人族よりも身体能力に優れる魔人族でも捕捉が難しい、変則的で、しかも高速な動きだ。魔法攻撃は確実に相手に作用するようなものでなければ効果はない。当てられないのだ。
黒炎を屠るには。広範囲攻撃魔法を使うしかない。それは魔人族であっても何度も発動出来る魔法でなない。それで外してしまえば、魔力を消耗した魔人族のほうが逃げるしかなくなる。
「少し止まります」
かなり進んだところで黒炎は足を止めた。先の様子を探っている。何を探っているのかは、なんとなく分かった。水の匂いがかすかにする。
「……平気かな? 行きましょう」
思った通り、水場だ。かなり広い水場、普通の洞窟ではなくダンジョン、迷宮とも呼ぶ場所であることが、これだけで分かる。普通の洞窟ではあり得ない空間が存在する。それがダンジョンなのだ。
「周囲の警戒は忘れずに。水が必要なのは人だけではありませんから」
「分かりましたわ」
「う~ん……あそこに行きましょう」
周囲を見渡して、黒炎はある場所を指さした。地面がある場所では端のほう。そこにいては魔獣や魔物が現れた時、逃げ場がないのではないかと思った。
「ここに座っていてください。結界で……あっ、そうか。忘れてた……けど、ここに座ってください」
「は、はい」
私の気配に黒炎は気が付いた。つまり、今まで私の存在を忘れていたということだ。どこまで人を馬鹿にするのか。私は存在を忘れられるような小物ではない。
「気配を遮断する結界です。よほど敏感な魔獣でなければ気付かれないはずです」
「結界魔法、ですか?」
「はい。念の為、少し静かにしていてください」
結界魔法を黒炎は展開した。強度があるものには感じられない。言葉にした通り、気配を周囲に漏らさない効果だけの結界なのだろう。私であれば、もっと強い結果が張れる。
手を出したい。でも堪えた。
「……えっ? あっ、えっ、えええっ! いや、えっ、そんな!?」
クリスティーナ様がこれまで聞いたことのない声を出した。とても可愛らしい声。こんなクリスティーナ様も、素敵だ。頬が真っ赤だ。とても可愛らしい。ただ黒炎を見て、こうなったのは気に入らない。
「……えっと、上半身だけ、下を脱ぐつもりはありません」
非常識な男だ。レディーに対する礼儀というものを知らない。
「あれ? もしかして貴族の女性は上半身も駄目?」
「もしかしなくても、そうです!」
「あっ、じゃあ、後ろを向いていてください。魔獣の血を洗いたくて。それにこの水が普通の水かも確かめないといけないので」
「……そうですね。そうしますわ」
恥ずかしそうに、また頬を染めながら後ろを向くクリスティーナ様。黒炎に文句を言うチャンスが出来た。その黒炎はクリスティーナ様を動揺させたことを反省したのだろう、岩陰に隠れている。それもまた都合が良い。
「……お前がいたのだった。俺がついてくる必要なかったな」
私が近づくとすぐに黒炎は気配に気が付いた。
「今の私は何も出来ない」
黒猫の姿のままでも、普通に話せる。念話は必要ない。
「……そろそろ伝えたほうが良くないか? ここを抜けるのにお前の力も必要になるかもしれない」
「……だがな」
「誰かに気付かれる前に自分から伝えるべきだ。そのほうが彼女も、少しかもしれないけど、ショックが少ない。ちなみに、俺の仲間は気付いたからな」
「なんだと……?」
黒炎の仲間、退魔兵団だ。絶対に知られてはいけない相手。その相手に私は存在を気付かれていた。
「放っておいて良いとは言っておいた。何もしないだろう。でも、気付ける奴がいることは明らかになった」
「……そうか」
「召喚獣の振りでもしろ、彼女にもそう伝えて」
悪くない提案だ。私の存在は、召喚獣と似たようなもの。獣と一緒にされるのは気に入らないが、実際にそうなのだ。契約があり、主が望む時に力を行使する。これはまったく同じだ。
「……分かった。私もひとつ教えてやる。クリスティーナ様はお前が黒炎であることを知っている」
「えっ、嘘?」
「ウィリアム王子が話していた。退魔兵団についても」
「王子様にも……それはそうか。王子様だものな……」
王子という身分であれば、知っていて当然。こういうことではないのだと思う、ウィリアム王子の話し方はそういう感じではなかった。黒炎に興味を持って、それで調べたというところだ。
「ということで、経緯を一緒に説明してくれ」
「はっ?」
「お前のせいでもあるだろ? お前があれほど追い詰めなければ、私はクリスティーナ様に助けていただくことなく、逃げていた」
いきなり私が姿を現して説明しても、クリスティーナ様に拒絶される可能性が高い、説明は黒炎に任せるのが最善だ。
「いやいやいやいや。お前、俺のせいにするつもりだろ?」
「だから、実際にお前のせいでもあるだろ?」
「それは卑怯……げっ、クリスティーナ様!?」
この馬鹿。もっと早くクリスティーナ様の接近に気付け。私も気付けなかったが。
「……カイト殿……貴方は猫とも話せるのですか? えっ……違う。私にもアレクの声が聞こえましたけどぉ!?」
「……せ、説明します!」「します!」
ちなみにアレクはクリスティーナ様が私を呼ぶ時の愛称。頂いた名前はアレクサンダーだ。