
薄暗い洞窟の中。でも、元居たダンジョンではないことはすぐに分かった。私の他にはカイト殿しかいない。他の人たちは消えてしまった。そうではない。消えたのは私。私が彼らの前から消えたのだ。恐らくは転移魔法によって。
ここが元居た洞窟ではないことは、他のことでも分かる。私の前に立つカイト殿と向かい合っている魔獣。かなり危険な魔獣であることは、発する気配で分かる。気配ではなく、魔力か。漏れ出すほどの魔力を体に宿す魔獣。そんな魔獣がいつ現れたのか。魔獣がいた場所に私たちが転移してきたということ。
倒すことが出来るのか。考えることに意味はない。倒せなければ死ぬ。勝ち目がなくても戦うしかない。
「……カイト殿」
「ちょっと待ってください。もう少し」
「……もう少し?」
何が「もう少し」なのか。何を待てば良いのか。時々、カイト殿は意味の分からないことを口にする。今のこれも、そう。まったく意味が分からない。
でも、待つ意味はあった。まさかの意味。魔獣は私たちから視線を逸らし、先の暗闇に向かって歩いて行った。
「ああ、良かった。いやあ、助かりましたね?」
「あ、あの……何が?」
「見逃してくれたのではないですか?」
魔獣が見逃す。そんなことがあるのか。魔獣と戦った経験はそれほど多くはない。だからカイト度の言葉を否定は出来ない。でも、そんなことがあるのか。
「さて……ここはどこでしょう?」
「私にも分かりませんわ」
「そうですよね? 出口は左側、といっても上のほうか……どれだけの深さか分からないから、とりあえず出口に向かうことか」
何故それが分かるのか。それが出来るスキルをカイト殿は持っているのか。彼であれば持っていそうな気もする。実際にどうかは別に、彼からは緊張が感じられない。なんだか安心する。
「深いなら深いで、水場が見つかるでしょう。まずはそこを目指そうと思います」
「分かりましたわ」
少なくとも彼は洞窟、普通の洞窟ではなくダンジョンかもしれないが、について詳しいみたい。何も分からない私は、彼に任せよう。
斜め前を歩くカイト殿。時々、魔力の波長を感じる。周囲を探っているのだと、勝手に判断した。
「いないはずがないですね? 魔獣です」
「はい」
魔獣が現れた。分かっていたこと。最初に見た魔獣は、訳の分からないまま、去っていた。でも、あれがいるということは他にもいるということ。同じくらい危険な魔獣が。
気持ちを引き締めて、戦闘モードに入る。
「クリスティーナ様は自分の身を守ることに専念してください」
「私も戦えますわ」
「分かっています。俺が、私が誰かと連携して戦うことに慣れていないからです。広いとは言えない、この場所だと連携ミスで怪我をさせてしまうかもしれません」
「でも……」
カイト殿の説明は少し納得できる。でも、やはり、一人で戦わせることはしたくない。彼だけを危険な目に遭わせるなんて、出来ない。こう思ったのだけど。
「えっ……?」
いきなり黒い影が前方に伸びた。現れた魔獣に絡みつく黒い影。こんな風に思ったけど、そうではなかった。黒い影は炎。魔獣は黒い炎に巻かれているのだ。
黒い炎の魔法、詠唱は聞こえなかったけど、これは魔法。以前にも見た悪魔を倒した魔法だ。でも、私は黒い炎の魔法を知らない。火魔法にはレベルがある。火魔法がいわゆる初級。火炎魔法が中級。そして最上級は、青炎魔法。火は火力があがると青くなる。魔法でも同じ。高魔力の火系魔法は青い。そこから青炎魔法となったと習った。では、黒い炎は。この答えを私は持っていない。
「数が多いな……」
何頭か倒したけど、まだまだ残った魔獣の数は多い。犬か狼。魔犬種か魔狼種か分からないけど、群れをなす魔獣なのでしょう。どうするか。私も攻撃に出るべきか。カイト殿の邪魔にならない参戦方法を考えた。でも、無駄だった。
「……速い」
やはり、カイト殿は速い。それもこれまで見た中で最速。壁を蹴る、どころか洞窟の天井まで足場にして動き回っている。人というより、魔獣。戦っている魔獣よりも速い動きかもしれない。
前後左右上下、四方八方に動きまわり、魔獣を斬り倒していく。そうかと思えば、黒い炎の魔法。魔法陣が宙に浮かんだかと思ったら、魔法が発動した。無詠唱の術式魔法。そういうことだと理解した。
「…………」
戦うことなんてない。でも、もし万一、カイト殿と戦うことになれば、私は負ける。動きの速さと魔法発動の速さ、そして黒い炎の魔法の威力。これだけで私はカイト殿に圧倒される。
魔法士系の騎士であれば同じではないか。辺り一帯を消し飛ばすような神級魔法を使う以外に勝ち目はないのではないでしょうか。対悪魔戦に特化した兵士。この言葉の意味が分かった気がした。
その後もカイト殿は現れた魔獣、魔物を圧倒していく。彼にとってこの洞窟は何ら脅威ではない。甘すぎる考えかもしれないけど、そう感じる。
「少し止まります」
かなり進んだところで、カイト殿は足を止めた。また魔獣が現れたのかを思ったけど、そうではなさそう。曲がり角の先、分岐する右側の先を探っている様子だ。
「……平気かな? 行きましょう」
また歩を進める。すぐに開けた場所に出た。池と言うには大きい、湖と呼ぶには小さい水面が目の前に広がっている。カイト殿が言っていた水場。そうなのだろう。
「周囲の警戒は忘れずに。水が必要なのは人だけではありませんから」
「分かりましたわ」
洞窟に住む魔物や魔獣も水を求めて、この場所に来るということだ。
「う~ん……あそこに行きましょう」
周囲を見渡して、カイト殿はある場所を指さした。何故そこなのか私には分からない。でも、彼が決めたのであれば、その場所なのでしょう。私はすっかりカイト殿に頼りきっている。そんな自分が少し情けない。
「ここに座っていてください。結界で……あっ、そうか。忘れてた……けど、ここに座ってください」
「は、はい」
また意味の分からない言葉。言われた通り、地面に座る。周囲を光が包んだ。またどこかに飛ばされると思って、焦った。
「気配を遮断する結界です。よほど敏感な魔獣でなければ気付かれないはずです」
「結界魔法、ですか?」
「はい。念の為、少し静かにしていてください」
結界魔法を、これもまったく時間を使うことなく展開した。地面に術式が描かれているのが、分かる。わずかだけど光を放っている。いつに間に描いたのか。そんなはずはない。彼のことはずっと見ていた。では術式ではないのか。でも、彼は詠唱していない。
これが退魔兵団の兵士の力。これまで隠されていた彼の実力。
「……えっ? あっ、えっ、えええっ! いや、えっ、そんな!?」
間抜けな声をだしていると思う。焦っているのに、こういう思いが頭に浮かぶ。恥ずかしさで顔が火照る。きっと真っ赤な顔をしている。
「……えっと、上半身だけ。下を脱ぐつもりはありません」
カイト殿は私を見て、不思議そう。何を焦っているのかと疑問に思っているのが分かる。焦るのが普通なのです。男性の裸を見て、焦らない女性はいません。
「あれ? もしかして貴族の女性は上半身も駄目?」
「もしかしなくても、そうです!」
「あっ、じゃあ、後ろを向いていてください。魔獣の血を洗いたくて。それにこの水が普通の水かも確かめないといけないので」
「……そうですね。そうしますわ」
そう。後ろを向けば良かった。それなのに私はずっとカイト殿の裸を見続けていた。背中に、ホクロだろうか。夜空に浮かぶ星、七星のようなホクロがあった。
(……な、何を考えているのかしら? 私……馬鹿みたい……)
また顔が火照る。なんだろう、これでは私は普通の女の子だ。アッシュビー公爵家の令嬢として、領民の為、兄を領主にする為に頑張ってきた。ずっと気持ちが張りつめていた。こんな状況、どこかも分からない洞窟に飛ばされたという危険な状況なのに、私は素の女の子に戻っている。気持ちが緩んでいる。
どうしてだろう。彼がいる。彼がいてくれれば大丈夫。私は安心していられる……また顔が赤くなった。