
会場に響いた音。それを聞いて、ずっとモヤモヤしていた気持ちが、少しだけ、晴れた気がした。私の婚約者は小気味良い。こんな風に思ったと知ったら、クリスティーナは怒るだろうか。
剣術対抗戦は観戦席で見ることになった。自分から参加を申し出ておいて、裏切った形だ。パトリオットとクリスティーナには本当に申し訳なく思う。
こういう時、王子という立場が煩わしく思う。勇者への期待も同じだ。婚約者の力になろうと思っても、それが許されない。私が一番上という立場でないと学校行事にも参加出来ない。そんなことで騎士養成学校に通う意味はあるのか。自分の騎士候補を集めることが出来ない私は、全ての行事に参加出来ないということにならないのか。参加を禁じられてから、こんなことを思い、鬱屈した日々を過ごしていた。
それが公衆の面前、どころか国王も臨席するこの場で、アントンの頬を叩くというクリスティーナの行動で、少し気持ちが軽くなった。
「なんというか……お前の婚約者殿は勇ましいな?」
父である国王が、苦笑いを浮かべながら、話しかけてきた。無視するのはおかしい。だが、すぐ近くにアントンの父親、ウォーリック侯爵がいる。言葉を選んだ結果がこれなのだろうと思った。
「間違ったことを間違っていると、真っすぐに言える人です」
「うむ……人としては正しいな」
父上はあえて、「人として」という言葉を使った。「だが、王家の一員としてはどうか?」という言葉を飲み込んでいることは分かった。正しいことを真っすぐに、周囲を気にすることなく、行う。政治の世界ではこれは通用しない。父上の考えは理解出来る。理解出来る自分が、私は嫌いだ。
「陛下、お見苦しいところをお見せいたしました。お詫び申し上げます」
ウォーリック侯爵が近づいてきて、父上に謝罪した。アントンの振る舞いは、結果として、ウォーリック侯爵家の恥となった。こう考えているのだろう。ウォーリック侯爵の本心は分からない。私の剣術対抗戦への参加を阻んだのは、何者かの進言。その進言者がウォーリック侯爵である可能性は否定出来ない。
「……場を考えるべきだったな」
父上は、アントンの行いを全面否定しない。これが臣下への配慮というもの。有力貴族であるウォーリック侯爵に対しては、国王であっても気を使わなければならない。そういうことだろう。
「武だけでは侯爵家は治められないと何度も伝えているつもりなのですが……」
この言葉はウォーリック侯爵の本音だろう。アントンの評判は悪い。表立ってどうこう言うのはクリスティーナくらいだが、陰で多くの者たちが、色々と文句を言っていることは、私の耳にも入ってくる。どうしてこうなってしまったのかと、不思議に思う。
「ウィリアム」
「はっ」
「近くにいるお前が正すべき点は正すべきだ。そうすれば。先ほどのようなことは起こるまい」
「申し訳ございません。以後、気を付けます」
私にも責任がある。これは間違いない。アントンのことは幼い頃から知っている。更に身分の上で私は彼の上位者だ。ウォーリック侯爵家の威勢を恐れ、他の人が出来ないのであれば、私がやるべき。クリスティーナを矢面に立たせるべきではない。
「さて、アッシュビー公爵の子供たちはどれほどのものか。良い戦いを見せてくれると良いな」
話題を剣術対抗戦に変えた父上。もう先ほどの件は終わり。こう宣言したつもりだろう。それは良い。それは良いのだが、アントンの嫌がらせはまだ続いている。
クリスティーナたちの対戦相手はアントンのところのセカンドチーム。格下のチームだ。しかも多くが元はパトリオットに仕えることを約束していた者たち。パトリオットにとって負けることが許されない相手だ。
そう周囲に思わせたところで、アントンの策略は準備段階を終えた。あとはクリスティーナたちを敗北させること。その準備も出来ている。アントンのセカンドチームの先鋒は私も知っている。アントンの騎士候補の中で、トップクラスの実力者。彼のファーストチームの副将を任されてもおかしくない騎士候補だ。
その彼を先鋒においた意図は明らか。パトリオットのチームに一勝もさせないつもりだろう。クリスティーナであれば、なんとか出来るのか。剣が得意だと聞いたことはない。パトリオットはどうか。加護はともかく、剣術は幼い頃から鍛えていたはずだ。
初戦が始まる。パトリオットのところの先鋒は彼、カイト。剣術はどうなのか。
「なっ!?」
瞬きする間に勝負がついた。パトリオットのチームの勝利という結果だ。この結果は喜ぶべき、喜ぶべきなのだが、今の動きは何なのか。この距離で見ていても目で追うのが、わずかに遅れた。すぐ目の前に対峙していて、追い切れるのか。
「……フェリクス……あの学生は、なかなかやるな?」
「はっ……ただ、彼には少し特別な事情がございまして……」
父上に問われた学長のフェリクスは戸惑っている。特別な事情というのは何なのか。それが気になる。
「……なるほど。分かった」
父上もそれで話を終わらせた。国王であるのだから、当然かもしれないが、事情を知っているのだろう。ただ国王にまで届いている事情。これはどうなのか。
第二戦も一瞬で終わった。それはそうだ。アントンのチームの次鋒は、先鋒の騎士候補には遠く及ばない実力。勝てるはずがない。このままカイト一人で全勝。これは間違いないと思った。
「次鋒が出てきたな。どうしてだ?」
「恐らくですが……先鋒の学生が棄権したのではないかと」
「棄権……何故、そのような真似をする?」
「これも推測ですが……他の者たちの出番を作る為かと」
学長の考えは正解だろう。アントンのチームの次鋒は、コルレオーネ子爵家の人間。対戦前の揉め事の原因になったコルテスだ。そのコルテスの出番をカイトは作った。そういうことだ。
確か、コルレオーネ子爵も観戦に来ていたはず。彼はこの状況をどう見ているのだろうか。こんなことを気にする私は、やはり、王家の人間なのだ。
「ふむ……コルレオーネ子爵家の者は騎士としても優秀なようだ」
父上のこの言葉もコルレオーネ子爵を意識してのものだろう。大勢の前で侮辱されたコルレオーネ子爵家。その名誉を、少しでも、回復させようという言葉だ。これを口にすることで、コルレオーネ子爵家を喜ばせようという意図もあるだろう。
「誠に……コルレオーネ子爵に謝罪する機会を持ちたいと思います」
ウォーリック侯爵もそつがない。アントンの侮辱の言葉は、ウォーリック侯爵家の意思ではない。こう周囲に思わせたいのだ。
「うむ。それは良いな。必要であれば、私が場を設けよう」
「ご配慮ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」
国王である父上が同席した上での謝罪。これでこの件は終わりだ。それ以後、コルレオーネ子爵家は、この件で何の文句も言えない。ウォーリック侯爵家も、表立ってはだが、非難されることはない。
コルテスは残り三戦を全勝で終えた。パトリオットのチームの全勝という結果だ。アントンの策略を見事に躱す結果になった。それを可能にしたのは。
「……父上、ひとつお聞きしたいことが」
「何だろう?」
「父上は『コクエン』と呼ばれる者を知っておられますか?」
「……それは知る必要があることか? とはいえ、隠す必要もないことか……良い、私ではなく、フェリクスに聞くが良い」
やはり、父上は知っていた。国王の耳に届くほどの名を持つ人物。それが彼であれば、彼は何者で、何のために王立騎士養成学校にいるのか。これも知ることが出来る。
真実はどうであれ、彼、カイトの実力が公の評価とは別物であることは今日、明らかになった。また騒がしくなるかもしれない。