
寮の共有棟にあるアッシュビー公爵家の部屋に行く機会が増えた。理由は明確。他の騎士候補がいなくなったからだ。野外授業で副官気取りの奴はクリスティーナを残して逃げ出した。主であるパトリオットを守る為という言い訳も通用しない。奴はパトリオットの前を走っていたらしい。それを「先導していた」と言い張るのも苦しい。悪魔は後方にいたのだ。大勢で守っているならまだしも、護衛役はそいつともう一人の二人だけ。後ろを守らないでどうするというのだ。
その責任を問われていなくなった、というわけではないのが、あの男のクズなところ。奴はウォーリック侯爵家の騎士候補になった。アントンに仕えるというのだ。しかも他の騎士候補も誘って。
無能であるのが明らかな奴らを雇ったアントンの思惑も分かりやすい。嫌がらせだ。パトリオット、そしてクリスティーナに恥をかかせようと考えてのことだ。
金の力は恐ろしい。きちんと聞いたことはないけど、アッシュビー公爵家に同じことは出来ないだろう。アントンの騎士候補はこれで何人になったのか。大所帯だ。それはそれで恥ずかしいと自分は思うのだけど、本人はそう思わないのだろう。
とにかくパトリオットの騎士候補は自分以外、誰もいなくなった。話し相手がいないのは寂しい、となって自分が毎日、通わなければならなくなったということだ。
「剣術対抗戦ですか? ちなみにそれは何人で?」
毎日話をしていると言葉遣いが雑になる。そうしてもパトリオットは何も言わないので、そうなってしまう。クリスティーナも何も言わないが、自然とパトリオットよりも丁寧になってしまうのは何故だろう。
「五人」
「また五人ですか……」
「学校のイベントはほとんど五名での参加なのだ。王国騎士団の小隊の数に合わせているという話も聞くが、本当のところは私も知らない」
こういう話を聞きたかったわけではない。五人という数そのものを問題にしたつもりだ。まあ、これは少し興味を引く内容ではある。小隊の数に合わせているというのは、納得出来る説明だ。
「何であっても人が足りません」
言いたかったことはこちら。今この場には三人しかいない。そして、これが今のアッシュビー公爵家陣営の全て。学校行事が常に五人単位での参加を求めるのであれば、定員割れという状況だ。
「そこでカイトに命令だ。仲間を集めろ」
「……私はまだ見習いですので……やはり見習いも務まらな」
「ああ、嘘! 命令ではなくお願い! お願いだから仲間を集めてきてくれ」
この反応が割と好きだ。鷹揚に振舞おうとするが、それは素とはほど遠い。すぐに剝がれてしまう虚飾なのだ。自分は、そういう態度は飾ったことにならないと思うので、素のままでいたほうが良いと思っているけど。
「この時期に残っている人ですか?」
未だにどこにも所属していない。それは能力が低いから。もしくはリーコ先輩のように騎士を目指していないから。そういう人は、仮に集められても、剣術対抗戦では役に立たないだろう。
「分かっている。とりあえずの数合わせだ。剣術対抗戦は勝ち抜き戦だから、一人強ければ、それで良い」
「そういうことですか……」
そうであっても結果はそう変わらない気がする。それともクリスティーナがとんでもなく強いのだろうか。可能性はある。なんといっても彼女はランクAだ。悪魔に名を与え、従魔にしたことで魔法系と思っていたけど、実際にそうだと思うけど、剣術もいけるのかもしれない。
「二人。二人揃えば、とりあえず参加は出来る」
「無理に参加して惨敗するよりは、不参加のほうが良いとかありませんか?」
「それは……いや、やはり、逃げるほうが恥だ。立ち向かわなければ、勝つ可能性も得られない」
自分を飾るばかりのお坊ちゃまだと思っていたけど、意外と言うことはまとも。話す機会が増えて、知った事実だ。クリスティーナの兄なのだから、そうあってもおかしくはないのだけど、コルテス君に聞かされたアッシュビー公爵家の悪評が偏見を持たせていたようだ。
そういえば、コルテス君はどこかに所属しているのだろうか。まず一人、誘う相手が決まった。あくまでも誘う相手で、期待はしていないけど。
「……猫は駄目ですか?」
「はっ?」
「冗談です。すみません。こんな冗談を口にしてしまうほど、困っているということですので許してください」
クリスティーナは会話に参加しないで、黒猫と遊んでいる。あの黒猫が参加すれば強力な戦力になるのに。こんなことを思って、それを口にしてしまった。
仮に参加を許されても本来の姿には戻れない。野外授業の件があったばかりだ。悪魔を従えているなんてことが知られたら、確実に犯人扱いされてしまう。奴らだけでなく、王国にも。
「それほど困っているのであれば、私の名を貸してやろうか?」
「はっ? 失礼ですけど、勝手に……」
誰かが勝手に部屋に入ってきた。ノックの音は聞こえなかったので、そういうことだ。相手が誰だか分からないけど、今は非礼を注意するパトリオットの部下は自分だけ。言葉遣いに気を付けて、非礼を咎めようと思ったのだけど。
「ウィリアム殿下!?」
パトリオットのほうが先に反応した。部屋に入ってきたのはこの国の第二王子ウィリアム。まだこの部屋を訪れるようになって短い自分はもちろん、パトリオットにとっても珍しいことなのは、その反応から分かる。
「邪魔をする……クリスティーナも良いか?」
「……もちろんですわ」
黒猫と遊ぶのを止めてクリスティーナも席についた。さて、自分はこの場にいて良いのだろうか。こういうイレギュラーな時、どうするのが正しいのかは、まったく分からない。
とりあえず、パトリオットが席を立ったので、自分も立つ。席を立っただけでなく、歩き出すパトリオット。王子様に上座を譲ろうとしていることは、すぐに分かった。そうなると自分の立ち位置は、パトリオットの後ろに立っていようと決めた。
「……剣術対抗戦だが、数が足りないのであれば私の名を使えば良い」
「……いえ、それは、さすがに」
「遠慮するな。私も今のままでは参加する資格がないのだ。逆にパトリオットの名を借りようとしている」
王子であるウィリアムは自分の騎士候補を集めていないということ。意外に思ったが、それはそうだ。卒業生は王国騎士団に進む資格を得られる。個別に勧誘する必要はない。そもそも王子の騎士となると近衛騎士。それは王立騎士養成学校の学生から選ぶものではないことくらい、自分でも分かる。
「……アントンは?」
「彼には彼の騎士候補がいる。その中から参加する者を選ぶべきだ」
「そうでしたか……しかし、殿下を私の騎士という立場にするのは……」
「それは気にすることではない。私は一人の剣士として剣術対抗戦に参加したいだけ。私の為に加わるのを許して欲しい」
意外と謙虚、なんて思えるほど王子様を知っているわけではない。どうやら偏見を抱いていたようだ。婚約者を言いがかりをつけて追い込み、破談を迫る悪い王子というイメージを、勝手に持っていたのかもしれない。
「それでもパトリオットが気にするなら……私はクリスティーナの騎士として振舞おう」
「えっ……?」「あっ……」「…………」
「これなら誰も何も言えない。愛する女性を守るのは、婚約者として当然のことだ」
なんとも、恥ずかしい言葉を平気で口に出来るものだ。百歩譲って本人に向かって言うのは分かる。王子様とクリスティーナは婚約している。二人がラブラブなのは良いことだ。でも、パトリオットはともかく、赤の他人の自分の前で言うかな。それとも自分は眼中にないということか。
そういえば貴族の女性は、男の使用人に裸を見られても何とも思わないという話を聞いたことがある。異性として、対等な人としても見ていないから恥ずかしいと思わないという話だ。
そこまででなくても、自分の存在はそんなものなのだろう。とりあえず、今のところ、クリスティーナの悪役令嬢ルートはない。悪いことではない。