
彼には「もう会わない方が良い」と伝えたつもりだったのに、理解してもらえなかったみたいだ。自分に会いに来たと決まったわけではないけど、目的が何であれ、無謀なことを考えるものだと思う。
ここは悪魔と見られている彼にとって、敵本拠地のど真ん中。ここに近づくことは自殺行為に等しい。それとも、よほど姿を隠すことに自信があるのだろうか。そうだとすれば思い上がりも甚だしい。こうして彼は見つかっているのだから。
ただ不思議なのは、どうして追いかけているのが奴らなのか。王国騎士団の出番であるはず。もしくは俺の出番。王立騎士養成学校の学生であり、有力家のお坊ちゃまである彼らに関わる理由はない。ただひとつ、普通はあり得ない理由を除いて。
(あの女までいるってことは、そういうことなのだろうな)
追っ手にはエミリーもいる。アントン、イーサン、エミリーの三人、そして恐らくはウォーリック侯爵家の騎士たち。これで王立騎士養成学校に近づいた悪魔を追いかけている。
侵入者から王立騎士養成学校を守る為、とは自分には思えない。奴らはきっと証人を手に入れようとしているのだ。野外授業での襲撃にクリスティーナが関わっていたという証拠を。
(しかし、学校が動く前にどうやって……これは後回しか)
王立騎士養成学校にもそれなりの備えはある。戦闘において一流と言える教授たちもいる。だが今、悪魔を追っているのは彼ら。どうしてそれが出来たのか、気になるところだが、今が考えている場合ではない。
スキル<隠密>を発動させながら先回りする。市街地の移動であれば、自分に分がある。義母とブラザーたちの教えで身につけたスキル<立体軌道>がそれだ。壁を蹴り、屋根に昇り、また壁を使って、立体的に、それでいて目標には直進的に進んでいく。道なりに進むしかない彼らとは速さが違う。
ちなみにスキルには常時発動スキルというものがある。自分のスキル<立体軌道>もそれ。魔法ではなく身体能力として身についたものだ。
目標を視界に捉えた。追っ手もそう遠くない場所にいる。鬼人族は身体能力に優れていると聞いているけど、足の速さはそれほどでもないようだ。追いかけている奴らが異常なのか、魔法での強化の可能性もある。
振り切るのは難しそう。そうであれば。
「おい。こっちだ」
「なっ!?」
「だから、こっち」
「……久住か?」
気付かれていた。まあ、そうであれば話が早くて助かる。少しは安心するだろう
。
「……どうでも良いけど、急いでくれるか? 追いつかれる」
「分かった」
二人で路地を駆ける。
「屋根、跳べるか?」
「えっ……?」
「嘘だろ? お前、これまで何をしていた? もう、良い!?」
こいつはこの世界に来てから何をしていたのか。空を飛べと言っているのではない。ただ屋根に跳びあがるくらいであれば、鬼人族の身体能力があれば、余裕で出来るはずだ。出来るのにやったことがない。こういうことだと理解した。
相手の体を抱えて、壁を蹴り、さらに上に跳びあがる。屋根にあがるだけで追っ手を振り切れるとは思っていない。目についた煙突に飛び込み、足を広げて落ちないように踏みとどまる。
「……お前もやれよ」
「あ、ああ」
なんだろう。これで良く悪魔なんてやれていたものだ。色々と未熟過ぎる。
魔道術式を展開。結界を張る。たいした結果ではない。気配を周囲に漏らさないようにするだけだ。
「しばらく黙っていろよ」
「ああ」
さすがに今の状況は理解しているようで、無駄口を叩かず、息をひそめている。
追っ手も屋根に登ってきたのが分かった。向こうは声を潜める必要はない。「いない、いない」と騒いでいる。ひとつひとつ煙突を覗くなんてことはしないはず。万一それをされても下まで落ちて逃げるだけだ。火がないことは煙が昇ってこないことで分かっている。別に火があっても落ちるけど。
追っ手の声が聞こえなくなっても、すぐには動かない。まだあちこち探しているはずだ。また別の屋根でも、上に昇ってこられたら、追いかけっこが始まってしまう。
「念の為に聞くけど、二、三時間はこのままでも大丈夫だよな?」
「……正直、分からない。こういう経験は初めてだから」
「ああ……悪魔は殺る側だからな。殺されないように逃げる側じゃない」
逃げて、息をひそめて隠れるなんて経験はこれまでなかったのだろう。これについては納得だ。自分とは違う。とんでもなく強い悪魔を殺す仕事を与えられ、惨めに逃げ回った想い出が頭に浮かんで、情けなくなった。
「……お前だって同じだろ?」
「はあ? 俺は何度も逃げ回ったことがある。おかげで身につけたスキルもある。今のこれは違うけどな」
<結界>は教わった。家族が側にいない時の為にと師匠が教えてくれた。<悪魔の迷宮>には家族でも敵わない恐ろしい魔獣がいる。そういう強敵に出会った時の為でもある。実際に出会った。死と隣り合わせの実践。それでスキルのレベルが上がることもあることを知った。
「……どうして俺を助けてくれた?」
「お前が捕まると困る。捕まるだけなら良いけど、嘘の証言をされると知り合いが罪に落とされるからな。俺も巻き込まれるかもしれない」
「……久住だよな?」
またこれを聞くのか。まあ、気持ちは分からなくはない。俺も、ずっと二度と会いたいくないと思っていたけど、実際に同じ世界から転生した者がいると知ると、なんともいえない思いが沸いた。懐かしさなのか、なんなのか。分からないけど、悪感情だけではないのは確かだ。
「違う。俺はカイトだ」
「だから、久住海斗だろ?」
「そいつは死んだ。俺はこの世界で生まれたカイト。そいつのことなんて思い出したくもない。この理由は分かるだろ? お前だって久住(ヒサズミ)なんて呼んでいなかった。クズの身と呼んでいた」
元の世界で久住海斗であったことなど思い出したくないどころか、消し去りたい。全否定したくなる人生だ。だからといって今の人生が良いものであるわけではないけど、無用な過去であることは変わらない。
「……すまない。でも、この世界のカイト……お前はそう言えるのか」
「お前は違うのか?」
「俺は……この世界では名前もない。何のために存在しているのか分からない」
「……そうか……でも名前はあるだろ? 誰かに名付けてもらう必要なんてない。お前は名前を持っている。お前がそれを望むのであれば、だけどな」
「俺が望めば?」
こいつもこいつなりに、この世界に転生してから苦労してきたのかもしれない。「何のために存在しているのか」は元の世界で自分がよく自分自身に問いかけていた言葉だ。
「お前がお前でありたいならな。俺はこの世界でカイトでいることを望んだ。誰にもらった名前でもない。自分で自分をそう決めた」
そう。カイトという名は自分で決めた。まったく違う名にしようと最初は思った。でも師匠は「どれだけ消し去りたい過去でも消えることはない。今は無理でも、いつか受け入れなければならない」と教えてくれた。
正直、受け入れることなんて絶対に出来ないと思った。だから名くらいは元の世界のものを残そうと思ったのだ。
「……こ、声が?」
「はい?」
「声が聞こえる。お前は聞こえないのか?」
「……まさか……嘘だろ? お前、これまで神様の声を聞いたことがないのか?」
本当に「嘘だろ?」だ。こいつは今まで神様の声を聞いてこなかった。それで良く生きて、戦ってこられたものだ。鬼人族であるというだけで、これまで生き伸びてこられたということだろう。俺も魔人族に転生したほうが良かったかもしれない。
今聞こえたと言っている。自分だけが特別なのではなく、転生者には聞こえる声ということだ。
「≪鬼神の怒り≫……これって……」
しかもこいつ、加護を得やがった。自分は与えてもらえなかったのに。不公平だ。そう。結局、この世界でも不公平はなくならない。そういうことだ。
「……じゃあ、もう平気だな。あとは自力で何とかしろ」
「えっ。おい? 待ってくれ、久住!」
これは嫉妬だ。俺が与えられなかった加護を手に入れたこいつに俺は嫉妬している。別にかまわない。俺は人に嫉妬出来る。これは実は喜ぶべきことだ。人としての心を全て殺そうとして俺にも、まだこういう気持ちが残っていたということ。嫉妬するということは、諦めていなかったということだ。
それでも、今は気分が悪いので、さっさと寮に帰って寝る。もしくは忘れる為に勉強する。自分は忙しいのだ。