
王立騎士養成学校がある王都フォイアシルドは、当たり前だが、ミネラウヴァ王国の中心都市。王城はもちろん、様々な施設がある。神殿もそのひとつだ。この世界は多神教で、ミネラウヴァ王国には国教というものがない。人には様々な神から加護が与えられる。どれかひとつの神だけを信仰するなんてことは考えられない。選ばれなかった神が怒って、加護を取り上げてしまうことを恐れているのだ。
だから神殿には多くの神が祭られている。その数は、数える気にもならない。
人々は、多くの場合、加護を与えてくれたとされる神をそれぞれ信仰している。ただ自分が与えられている加護が分からない人も多くいる。ステータスの鑑定は、個人で行うとなるとかなり高額。その費用が出せる貴族は加護が確定するとされている六歳か七歳くらいに子供に鑑定を受けさせているが、庶民はそうではない。
そもそも農民の子供が、加護が商人に適したものであるからといって、商人になれるわけではない。よほど成功が約束されている上位の加護でなければ、親が許さない。職業選択の自由なんてものは、この世界にはないのだ。
(うん。コルテス君は王立騎士養成学校の教授になれば良いと思う。もしくは私学を作って教えるか)
結局、大多数の人々は自分の仕事の成功を助けてくれるような神様を信仰することになる。
加護とは何なのだろう。これを考えて、自分なりに思ったことがある。平民が王、もっと凄い世界の支配者になれるような加護を与えられていたらどうなるのか。おそらく殺される。いわゆる既得権益者とされる人たちは、そんな存在は許さないだろう。
そういうことなのだ。庶民は加護を知る必要がない。王立騎士養成学校も判定の時、ランクしか伝えなかった。自分は受けていないが、平民には入学試験がある。その時も合否しか教えてもらえないそうだ。加護の情報は国が独占している。今の体制を守る為に。
(しまった……<鑑定>とか<解析>のスキルを持っていることは知られてはいけないことだ)
二つのスキルを使えるということは加護の情報を得られるということ。国が守ろうとしている秘密を知ることが出来るということ。もしかするとすでに自由を奪われているのに、さらに国にまで束縛されるかもしれない。最悪は殺されるか。
(……リーコ先輩、黙っていてくれるかな……口止めが必要か……ああ……クリスティーナにもバレてる)
すでに二人、自分がスキルを使えることを知っている。これは問題だ。この二人から情報が広がることを防がなければならない。お願いするだけで黙っていてもらえるか。分からない。
ただ、考えるのは後だ。
(……さて……どうしようかな?)
神殿に来てはみたもののどの神様にお参りするか。ノープランだ。加護を与えられていない自分には信仰すべき神様がいない。加護を与えてもらいたい神様もいない。そもそもそういうことをお願いしようと思って、ここに来たわけではない。
「神殿は初めてですか?」
「えっ……あっ、はい」
話しかけてきたのは神官の女性。服装でそれが分かる。同じ白いローブをまとった人たちが、あちこちにいる。親切そうな女性。どこに行くか迷っている自分に声を掛けてきてくれたのだから、実際に親切なのだろう。ただ、なんとなく警戒感が湧いてきてしまう。これは自分が無宗教の日本人だからなのか。個人の偏見なのか。
「信仰されている神は?」
「ああ……そういうのはなくて……」
「そうでしたか……王立騎士養成学校の方ですね? それでは戦神や武神、それとも魔法の加護を与えていただける神がよろしいですか?」
「そうですね。時間があるので歩きながら考えてみます。ありがとうございます」
「いえ。貴方に神のご加護があらんことを」
これは、ありがたい言葉だ。誰でも良いから自分に加護を与えて欲しい。加護なしは寂しい、というか肩身が狭い。調べたわけではないけど、王立騎士養成学校に入学出来たということは皆、加護持ちのはずだ。
広い神殿にはいくつもの神像が立っている。誰がこの神様がこういう姿だと決めたのか……神殿内で不謹慎なことを考えるのは止めよう。
しばらく歩いたところで、気になる神像があった。何が気になるのかというと、似ているのだ。ある人に。
(……いや、気のせいか……でも、似ている気が……慈愛の神ミレーって……)
神像の前にはどの神様の像かが記されている。慈愛の神ミレーの像だ。ミレーという神の名前。これを知って、探していた神が決まった。
持ってきた花束を神像の前に置く。両手を合わせ、祈りを捧げる。「南阿弥陀津」というわけにはいかないので、普通に言葉で祈った。感謝と謝罪、そして彼女の安らかな眠りを。
忘れていたわけではない。ただ思い出したくなかった。光が眩しければ眩しいほど、それが消えた後の闇は暗く感じられるのだ。
(……また来ます……いつかは約束できないけど……)
今日は、この世界の暦でだが、彼女の命日だ。命日は慈愛の神ミレーに祈ることにしようと今決めた。だが自分には自由がない。今の仕事が終われば、こうして自分の都合を優先出来ることは、きっとまたなくなる。命日には必ずお参りをするとは、約束出来ない。
「……あっ」
立ち去ろうとした自分の行く手に女性が立っていた。
「カイト殿……偶然ですわね?」
「はい……どうして、ここに?」
クリスティーナだ。なんとなく気まずい。前回、<鑑定>を使ったのがバレて、機嫌を損ねたままなのだ。
「私は慈愛の神ミレー様のご加護を頂いておりますので、お祈りを捧げに。カイト殿もそうだったのですか?」
そうだった。クリスティーナの加護は≪慈愛の神の加護≫。悪役令嬢が慈愛って……なんて思ったのを忘れていた。
「いえ、私は……違うのですが……」
「でも先ほど、お祈りを捧げていましたわ」
「……実は……今日は知り合いの命日で……祈りを捧げる神は違うのかもしれませんが……少し神像の御顔が……似ている気がして……」
上手い嘘が思いつかなかった。ただ真実を伝えても、なんとなく気恥ずかしい思いはあるが、困ることはない。馬鹿なことをしていると思われるくらいだろう。
「……女性の方なのですね?」
「はい。あっ、恋人とかそういうことではなくて……なんて、どうでも良いですか」
「もしかして、ご家族の方ですか?」
「いいえ……友人です。俺……私が勝手に友人だと思っていただけですけど……優しい人で……虚無の中にいた俺にとって、唯一の光で……」
地獄の日々がいつからか虚無の日々に変わった。すべてを諦めた瞬間だ。生きることでなく、死ぬことさえ諦めた。ただ存在するだけ。感情を殺すことだけを考えていた。そうしないと自分ではなく、周りを消してしまうと思った。
そんな俺に彼女は手を差し伸べてくれた。彼女にはそんなつもりはなかっただろう。そういう人だった。同情を感じさせず、普通に、それが当たり前として俺に接してくれた。彼女と接する時間だけ、俺は物ではなく、人でいられた。
その彼女が亡くなった時、俺は希望を抱く虚しさを知った。
「…………」
「……失礼します」
つまらない話をしてしまった。自分にとってはとても大切なことでも、クリスティーナには訳が分からないだろう。
彼女の死を思うと、自分を失いそうになる。今の自分は本当の自分ではない。作られた自分だ。人が生きる世界で存在出来るように作られた自分。
どうせ転生させるなら魔王に転生させてくれれば良かった。そうしてくれたら壊すのに。自分が生きる世界を全て、虚無に変えてやるのに。