
寮の敷地内になる共有棟。全寮生が自由に使えるスペースとして、キッチンと食事スペース。休憩スペースがあることは知っていた。そこを利用するのは平民出身者だけ。勝手にそう思っていた。貴族家の従者がキッチンで料理をし、それを主人が食べている姿など、想像出来なかったのだ。そもそも実際に訪れたことがない。自炊なんてする気はない。その暇もない。これで結構忙しいのだ。
中に入って驚いた。想像していたのとは真逆だった。平民の学生なんて一人もいない。ダイニングスペースは貴族家の従者たちに占拠されていた。まるで彼らの為の休憩所だ。
考えてみれば、こうなるのは当然だ。上階には上級貴族たちがいる。そんな建物に平民の学生が足を踏み入れるはずがない。使われないスペースを従者たちが使っているだけだ。彼らも主の側に一日中いては疲れるだろう。といっても上階から呼び出されるのかもしれないが。
階段を昇る。二階から上は全て、どうやら貴族家が普段使う部屋とは別に借りている部屋。恐らくは階数と爵位の並びは同じだ。最上階に王子様、公爵家と侯爵家がいるというのは、そういうことだ。
足が重い。出来ることなら引き返したい。でもそういうわけにはいかない。せめて望むのは王子様や侯爵家のお坊ちゃまに出会わないこと。さらに気持ちが重くなってしまう。
部屋は階段を昇って、一番手前。間違いようがないのだが、念のために扉の紋章を確認する。この為にわざわざ事前に調べてきた。間違いはない。アッシュビー公爵家の紋章だ。
扉をノックする。すぐに開いて中から護衛騎士だろう男が顔を出した。
「カイトと申します。クリスティーナ様とお約束があって参りました」
「……どうぞ」
一度、中に顔を向けてから騎士は扉を大きく開いた。通して良いか確認したのだろうことは、分かる。
部屋の奥。正面に男がいる。そのすぐ横にクリスティーナ。男が兄であろうことが推測出来る。他にも人がいる。学生だ。これは予想外。従者がいるのは分かっていたが、三人で話をするものと思っていたのだ。
ゆっくりと前に進む。どこまで近づくことが許されるのか分からない。と思っていたら、従者だろう男性が椅子を運んできてくれた。それに座れば良いのだと分かった。ありがとうございます。心の中で御礼を告げた。
「カイトと申します」
椅子に座る前に名乗る。これくらいの礼儀はわきまえている。仕事をしていると貴族と接触することが意外と多い。派遣先の責任者は領主、貴族なのだからそうなるのだ。最低限の礼儀は自然と覚えた。間違えると嫌な顔をされたので。
「パトリオット=アッシュビーだ。訪れてくれたこと、嬉しく思う」
「……いえ、お招きいただいたことに感謝しております」
「うむ。座ってくれ」
パトリオットは満足そう。自分は応えを間違えなかったようだ。椅子に腰かける。ここから先、どうすれば良いか分からない。自分から口を開くべきなのか。恐らくは違うと思った。
「さて、早速だが返事を聞かせ貰いたい」
いきなり本題。それも答えを求めてきた。貴族たるもの、もっと遠まわしに、回りくどく、話を進めるべきではないのか。
普段は喜ぶところなのだが、心の準備が出来ていない今は困ってしまう。といっても長居するのも御免だ。
「まずは見習いからということでいかがでしょうか?」
「見習い? その必要はないと思うが?」
「いえ、私にはパトリオット様が求めるお役目を果たす自信がありません。恥をかかせてしまうかもしれないとも思っております」
引き受けても良いかと思った。だが。やはり抵抗がある。そもそもここで騎士になると約束してもそれは嘘になる。卒業すれば自分は元の立場に戻るのだ。アッシュビー公爵家に仕えることは出来ない。
「うむ……」
「私が失敗しても見習いだからで済みます。責任逃れをしようというのではありません。パトリオット様がそれを言い。私を首にしていただければ良いかと」
ろくに仕事が出来ない騎士を抱えるのは、抱えた側の恥になる。これは見習いにしてもらう為の口実ではなく、本当にこう思っている。もちろん、逃げ出したくなれば、わざと失敗することになる。
「……クリスティーナはどう思う?」
「私はカイト殿であれば兄上の期待に応えられると思います。ですが、カイト殿が望まれるのであれば、それも仕方がないことだと思いますわ」
見習いであれば、この話はなし、とはならなかった。彼女としては、とにかく数を揃えたいというところなどだろうと、勝手に推測した。この部屋にいる他の人たち。制服を着ている学生たちもアッシュビー公爵家、次男のパトリオットの騎士たち、今の段階ではあくまでも騎士候補かもしれないが、だろう。
≪スキル<鑑定>がレベル4からレベル5になりました≫
≪条件を満たしました。スキル<解析>はステータス解析が可能になりました≫
正直、自分のことは棚に上げてだが、優秀な人がいそうもない。これで全てではないのかもしれないが、公爵家の騎士としては質が悪すぎる。
クリスティーナは人柄だけで選んでいるのかもしれないが。騎士団は強くなければならないはず。弱小騎士団なんて抱えては、結局、恥をかくだけだ。
……そうだと思っていたけど、神様の声って他の人には聞こえないのだな。ここにいる人を片端から鑑定したらレベルが上がった。今だけではなく、何度も鑑定を繰り返した成果でもあるだろうけど。
<解析>は<鑑定>の上位互換ではなかったようだ。<鑑定>がレベルアップしたら<解析>でステータス解析が可能になった。<解析>を強化するのに必要なスキルだったということだ。これで<鑑定>は用済み、にするかは要検討。今の<鑑定>は制約になっていた術式を消した部分に、<隠蔽>から術式を一部引用し、展開している状態が周囲から見えなくなっている。結果、こうして相手に気付かれずにステータスを調べることが出来る。名前と加護、ランクしか見られないのはそのままなので、意味あるかは微妙だが。
<解析>でのステータス解析が楽しみだ。ここで使えば、バレるので使わないが。
「……おい、聞いているのか?」
「あっ、はい」
「……ニヤニヤして。気持ち悪い奴だな」
スキルを考えることに没頭してしまっていた。ニヤニヤしていたのか。自分はこういうことを考えているのが好きなんだな。
「失礼しました。パトリオット様にお仕えできると思うと、喜びが抑えられず」
「おっ、おう。そうか」
「本日はこれで失礼させていただこうと思うのですが、今後はどうすれば?」
「時間がある時は可能な限り、ここに来るように。今はまだそれくらいだ」
意外と楽。言葉通りに受け取れば、ほとんど拘束されることはないということだ。ただ「今はまだ」という言葉は気になる。先々は何かあることを示している。
初年度のこの時期から人を集めようとしているのだ。それが必要な何かがあるのだろう。
「承知しました。では、失礼いたします。クリスティーナ様も……失礼します」
クリスティーナの視線に厳しさが加わっている。何か失敗したのか。心当たりはひとつだけだ。クリスティーナにも<鑑定>を行った。それに気付かれたのかもしれない。
能力の高い人であれば、自分に魔法がかけられたことに気付いてもおかしくない。きっとそうだ。気を付けよう。クリスティーナに対しては手遅れだが。