
問題がひとつ解決した。<鑑定>で見られる名前。そこから元の世界の名前が消えた。ただのカイトになった。
これもリーコ先輩のおかげ、かどうかは良く分からない。先輩に教わった<隠蔽>は何故か取得出来なかった。魔道術式の解析は出来た。だが再構築が上手くいかない。難しいスキルではないはずなのに、何故か上手く行かないのだ。
その時は、再調査ということで諦め。後日、リーコ先輩にも手伝ってもらって原因を調べるつもりだったのが、その前に名前が変わっていた。
説明がつかないのだが、考えても仕方がない。今はもっと優先すべきことがある。時間に余裕が出来た時に調べてみることにした。
とにかく名前を変えられたのだ。それで充分だ……ったのだけど。
「カイト殿ですね? 先日はご挨拶もせず、失礼いたしました。私はクリスティーナ=アッシュビーと申します」
関わりたくない人が、また向こうのほうから近づいてきた。しかも爵位は遥かに上なのに。そう思わせない丁重な挨拶までしてくる。嫌な予感しかしない。場合によっては新たな問題の発生。それも大問題だ。
「いえ、こちらこそ、助けていただいたのに御礼もせず、失礼いたしました」
「御礼など。私は何の助けにもなっていませんわ」
見方によっては冷淡できつい印象を与えるのかもしれない。だが、子供っぽい寝顔を見ているせいか、自分には可愛らしく思える。彼女がクリスティーナ=アッシュビーでなければ、迷うことなく友達になろうとするところだ。
だが、残念ながら彼女はクリスティーナ=アッシュビー。自分の中では悪役令嬢の最有力候補なのだ。
「今日は何か?」
まずは彼女の目的を確かめなければならない。そうでなければ、対応を考えられない。
「実はカイト殿に折り入ってお願いがあります」
「何でしょう?」
「兄の騎士になっていただけないでしょうか?」
「……はい?」
意表をついたお願いに戸惑ってしまう。どうしてクリスティーナの兄の騎士に自分がならなければならないのか。そもそも兄って何者だ。いや、何者かは分かっているアッシュビー公爵の息子だ
だがその兄とは一度も面識はない。自分を知っているはずがない。
「……状況はお分かりでしょうか?」
「いえ、まったく」
「そうでしたか……ではお話いたします」
説明はいらない。深く知れば知るほど、抜け出せなくなる気がする。そうであっても必要ありませんと言えないところが辛いところ。それは何故か。彼女が可愛いからだ。女子生徒に話しかけられるなど、馬鹿にしたり、侮辱したり、虐めたりする目的以外では、小学生以来なのだ。
違う。一人だけいたか……
「各家は自家の騎士団を充実させようとしていることはご存じですか?」
「なんとなく」
興味はないが、知っている。王国全体での動きだ。知ろうとしなくても耳には入ってくる。
「当家も同じです。公爵家として騎士団を強化する責務があります」
「それは分かりますが、私ではお役に立てません。私のランクをご存じないのでしょう?」
彼女の目的は分かった。王立騎士養成学校で優秀な学生の奪い合いが行われていることも事前情報として、ほぼ聞き流していたが、知っている。彼女の言う通り、侯爵家であるアッシュビー家も参戦しなければならないのだろう。だが人選を間違っている。自分はどこの家であろうと騎士にはなれない。そうであることに関係なく、他に誘うべき学生がいるはずだ。
「ランクは関係ありませんわ。そんなものはこれからの努力次第で変わるものです」
「そうですけど……」
そうであって欲しいとは思っている。仕事の都合とはいえ、王立騎士養成学校に通えるのだ。自分の成長に役立てたい。だが、そうだとしても、自分ではない。最低でもCランク。Bランクに上がる可能性ある学生を選ぶべきだ。
「カイト殿は強い心をお持ちですわ」
買いかぶりです。自分は虐めに怯える小心者。強い心を持っていれば、あんな目に遭っていないでしょう。
「私は正しいことは正しいと、間違っていることは間違っている言える人に、兄を支えて欲しいと思っています」
「……買いかぶりです」
本当に真っすぐな人だ。彼女こそ強い心の持ち主。自分とは違う。こういう真っすぐな、眩しい人の側にいると自分が惨めになる。心が痛くなる。きっと耐えられなくなる。
「今この場でお答えいただく必要はございませんわ。兄にも会っていただきたいと思っております」
「……えっと」
今この場で断りたい。ただ、それほど多くはないが、周囲に人がいる。それなりに注目を集めている。それはそうだ。アッシュビー公爵のお嬢様が落ちこぼれ学生を勧誘しているのだから。
ここで断れば彼女に恥をかかせることになる。こう思って、答えを躊躇った。
「また参りますわ」
「いえ、今度はこちらからお伺いします」
また人がいる食堂に来られては、断りづらい状況は変わらない。出来れば他に人のいない場所で話をしたい。
「そうですか……分かりました。では寮の共有棟に部屋を借りておりますので、そこで」
「共有棟に部屋を借りている?」
そんな話は初めて聞いた。共有棟は知っている。ここ、食堂棟と同じで誰もが利用できる場所。図書館に比べると寂しい数だが、本も置いてある。キッチンもある。大規模なシェアハウスのダイニング、という例えは違うかもしれないが、そんな感じの場所だ。
「ええ。兄もいるでしょうからお話しするには良いですね。ではお待ちしております」
「えっと……共有棟のどこに?」
「最上階ですわ。最上階の一番階段に近い部屋がそうです。扉にアッシュビー公爵家の紋章がありますので、お分かりになると思います」
「分かりました。では明日にでもお伺いします」
長引かせる必要はない。明日行って、断って終わり。それでこの一件は解決だ。
「はい。お待ちしております」
にこやかな、というほどではないが、笑みを浮かべる彼女。良い返事を期待されているのだとすれば、胸が痛くなる。
「あっ、そうでした。同じ階に王子殿下、それとアントンも部屋を借りております」
「……はっ?」
「当家の部屋は一番手前ですから大丈夫だと思いますけど、間違えないように気を付けてください」
「……分かりました」
何かがおかしい。避けようとしている相手と接点が生まれる機会がどうして生まれるのか。まさかこれがゲームストーリーの強制力というものか。だとすれば、自分はどんな役を与えられているのか。仮に、彼女が悪役令嬢だとすると自分の役は、結末はどういうものなのか……全力回避。これを誓った。