
ハイランド王国の特別自治区での事件を受けて、勇者ギルド上層部の動きが慌ただしくなった。特別自治区が襲われたことそのものは、勇者ギルドにとっては、大きな問題ではない。これまで何度もあったことなのだ。上層部を慌てさせたのは自治区の責任者、ソニード自治区長からの報告内容だ。彼は勇者ギルドに「合格を伝えてきた。先の大戦終結から二百年。その後、各地に魔族の為の特別自治区が造られてから初めてのことだ。
いつかはこの報告が届くことを期待していた。そのはずだった。だが、いざそれが現実になると人々の反応は思っていたものとは異なってくる。
「何をもって合格と判断したのか。それが分からなければ、先には進めない」
評議会の席でイルミネ王国の国王ラサラス三世は、合格判定に疑義を唱えてきた。主張はもっともではある。現場から「合格」と言われただけで、決断出来ることではないのだ。
「では今回の件は保留ということで」
「そうは言っていない。判断した理由を尋ねているのだ」
あっさりと保留という結論を出そうとするスカーランド王国のテネブラエ二世王。だがラサラス三世王はそれを否定する。彼は現場の判断だけでは決められないと言っているのだ。なんといっても事は勇者認定に関わること。簡単には、否定もまた、決められることではない。
「報告内容以上の事実はないと思いますが?」
「それでは判断材料としては少なすぎる。他に確かに勇者だと思えるような事実はないのか?」
「それを言うのでしたら、そもそも勇者の定義はどのようなものなのです?」
「勇者の定義だと?」
そのようなことを考えたことは、ラサラス三世王にはない。漠然と、人族を救う力がある人物だとは思っていた。だが、改めて「定義」を尋ねられると答えを持っていない。ラサラス三世王に問題があるわけではない。評議会の誰も「勇者の定義」、「勇者であることの証」と言い換えても良いが、を知らないのだ。
反魔王の立場にある魔族でも、すべての情報を勇者ギルドに伝えているわけではない。ソニード自治区長の判断の基となった剣の存在もそうだ。存在を知られれば人族はそれを奪おうとする。自分たちだけに都合の良い勇者を選定することに利用するかもしれない。
反魔王の魔族は勇者ギルドを、人族を信じきれていないのだ。先の大戦で魔王討伐に貢献した魔族をいなかったものとした人族の施政者たちを、無条件に信じられるはずがない。
「私も知りません。これこそが勇者である証というものがなければ、認めるのは難しいのではないですか?」
「その理屈だと勇者の認定はそもそも不可能ということになる」
「ええ、そうなります。戦いが始まっていないのに、何の実績もない内に勇者と認めようとすることが間違いなのです」
「……しかし、それでは」
先の大戦で得た教訓を無にすることになる。先の大戦では各国の足並みが揃わず、その間に魔王は、魔王軍は一気に支配地域を広げた。大戦初期で各国は大きな被害を出した。さらにその支配された地域を取り戻すのに、どれだけの犠牲が必要だったのか。
勇者は各国をまとめる為の旗印。魔王との戦いが始まってから、さらに戦功をあげてから認定となると、開戦からしばらくは旗印がない状態で各国は戦うことになる。
「では今もし、我が国の自治区にいる魔族が、この人物こそ勇者と別の者を推挙してきたらどうなさいます?」
「それは……」
どちらが本物かなど判断出来ない。判断する材料がない。だから今も、ハイランド王国の魔族が認めた人物を、勇者と認定出来ないでいるのだ。
ただこの理屈は、魔族が嘘をつくという前提。自分たちの命運がかかっている勇者選定であっても、魔族は嘘をつくと考えての理屈だ。
「ではその方を我が国にも派遣していただけませんか?」
「何?」「何だと?」
割り込んできたのはサークル王国のアプリコット王女。今回も彼女は、体調の悪い父王の代理として、評議会に参加している。
「我が国には多くの魔族が暮らしています。皆にその方を評価してもらえると思います」
サークル王国はもっとも魔族との融和が進んでいる国。人族にまったく偏見がないとは言えないが、それでも魔族にとって、もっとも暮らしやすい国であることは間違いない。
サークル王国は、魔族の力を活かすことで国力を充実させようとしている。もともと貧しく、軍事的にも弱小国だったからこそ、可能であった決断だ。
「しかし、それで貴国の魔族が認めなかったらどうするつもりですか?」
「先ほど、スカーランド王ご自身がおっしゃられた通り、保留でよろしいのではありませんか?」
意見が割れたのであれば、その時は保留。この場で決断がなされないのであれば、その状態が続くだけ。アプリコット王女は問題になると考えていない。彼女は、他国の魔族がどう判断しようと自国の魔族が、自国民がそれを受け入れなくては意味がないと考えている。直に接し、自国民である魔族が判断した結果が全てなのだ。
「保留……」
アプリコット王女に視線を向けたまま、黙り込むテネブラエ二世王。アプリコット王女の考えを読もうとしているのだ。テネブラエ二世王はまだ若く、イルミネ王国のラサラス三世王より、アプリコット王女のほうが年齢は近い。それもあって大国イルミネ王国のラサラス三世王とは違う意味で、彼女を意識しているのだ。
「もともと、その方はダンジョン探索で各国を回る予定だったはず。我が国に派遣することは問題にはならないと思いますけど?」
「そういえば任務が途中であったはず」
「その任務は別の方が代わったと聞いています」
「ほう……そうでしたか」
アプリコット王女はこの場で共有される情報以上のことを、事前に調べてきている。それだけその人物に注目しているということだ。注目する理由は何なのか。何を考えているのか。これを考え続けるテネブラエ二世王だが、深読みし過ぎだ。
「その方が勇者であろうとなかろうと、共に戦うことになるのに変わりはありません。事前にお互いに理解し合いたいと思うのはおかしなことですか?」
この説明はアプリコット王女の本音だ。魔族の力で国を支えようとしているサークル王国。それにはリスクもある。ADUが頻繁に策謀の類を仕掛けてくることもそのひとつだが、それ以上に大きなリスクは、魔王に真っ先に狙われる可能性があること。人族についた魔族が多くいるサークル王国を、その国で暮らしている魔族を、魔王と魔王側の魔族は許さない。これはアプリコット王女も理解している。軍事面でも、当然だが、魔族に頼っているサークル王国は、偏見を持たない人族との共闘を求めているのだ。
「良いのではないか? 現時点で、勇者の最有力候補となった人物を各国で評価するのは正しいあり方だ」
ラサラス三世王がアプリコット王女の要求を受け入れた。判断材料の少なさに悩んでいるラサラス三世王としては、サークル王国でも評価されるのは望ましいこと。だからといって、真っ先に自国が評価するというのは避けたい。自国で否定された場合、事が面倒になるからだ。ハイランド王国と評価について争うつもりもない。
「では、他の方々はいかがですか? 認めていただけますでしょうか?」
ラサラス三世王の賛意を得たことで、アプリコット王女は一気に結論に持って行くことにした。結果は分かっている。明確な反対は、テネブラエ二世王も含めて、ない。ハイランド王国のエリダヌス三世王も、自国の臣下であり、自国の判断から話が始まっていること、反対はしない。他国のダンジョン探索への派遣を決めた時の態度で、これは分かっている。
結果、アプリコット王女の思惑通り、サークル王国への派遣が認められることになった。
◆◆◆
特別自治区の事件で動いているのは勇者ギルドの上層部だけではない。現場のハイランド王国支店でも事件に関わる動きがある。評議会とは違い、ソニード自治区長の判断ではなく、事件そのものに対する動きだ。
まずは事実確認。その為にモードラック支店長が呼び出したのはポラリスのメンバーだ。ハイランド王国支店としては、彼らの行動をきちんと把握し、必要な対応を行わなければならない。現場においては、勇者云々よりも大事なことだ。
「……アルファルド殿下?」
その事情聴取の場にハイランド王国の王子、アルファルドが現れた。事前に話を聞いていないモードラック支店長は驚きだ。
「特別自治区の話ですからね。父上は別の会議で王都を離れているので、代わりに私が参加させてもらう」
魔族が住む特別自治区で起きた事件。国王直轄地での事件であるので、王国が関与してくるのは当然のこと。だが国王や王子が事情聴取に立ち会うのは異常だ。
「……承知しました。では、始めさせていただきますが?」
「私のことは気にしないで。私は同席させてもらっているだけだ」
「……分かりました。では、話を聞かせてもらおう。まず、君たちは指名依頼の任務を途中で放棄した。この事実に間違いはないな?」
ポラリスは指名依頼を引き受けておいて、途中で放棄した。これは現場としては大問題だ。失敗ではなく放棄なのだ。通常依頼であっても問題視される行動だ。
「私たちは任務を達成しました。その上で帰還したのです。放棄とは違います」
カテリナはモードラック支店長の主張を受け入れない。指名依頼を放棄したと判断されれば、大きなペナルティを課せられることになる。Sランク目前で、勝手にそう思っているだけだが、躓くことになる。
「指名依頼の内容を理解しているのか?」
「特別自治区に対する脅威を排除することです」
「指定された期間、特別自治区に駐在し、あらゆる脅威を排除することだ。君たちは指定された期間の前に特別自治区を離れた。これは放棄だ」
カテリナが省いた内容をモードラック支店長は付け加えて話す。当然、彼が話したものが依頼内容。指定された期間、特別自治区に駐在することが任務なのだ。
「ただ待っているだけでは非効率だと考えました。私たちは脅威となる者たちの拠点を発見し、それを排除したのですから、任務は達成しています」
それでもカテリナは非を認めない。この場には、想定外だが、ハイランド王国の王子までいる。依頼を放棄したなんて主張が絶対に受け入れられないのだ。
「君の言う排除は、より大きな脅威を呼び込むことか?」
「どういう意味ですか?」
「君たちが壊滅させたというアジトは何カ所だ?」
「それは、一カ所ですけど……」
モードラック支店長の聞き方は、アジトが一カ所ではなかったことを示している。この時点ですでにカテリナは自分たちの失敗を悟った。「脅威を排除した」とは言い切れない状況であったことを理解した。
「どうやら自分たちが去った後、何が起きたか知らないようだ。知っていれば、そんな態度ではいられないはずだからな」
「…………」
何も知らない。知ろうとしていない。現地を離れてすぐにカテリナたちは、別の指名依頼の現場に向かった。支店内での噂もまったく耳にしていないのだ。
「最後にこれを聞いておこう。君たちは現地の責任者が引き留めようとしたのを無視して、現場を離れた。これも事実だな?」
「それは……でも……!」
「分かった。これで終わりだ」
これ以上、言い訳を聞くことに時間を割くつもりはモードラック支店長にはない。自分勝手な判断で指名依頼を放棄し、特別自治区に危機をもたらした。これが事実だ。この事実でポラリスの処分を決めることになる。
「……私たちは……処分を受けるのですか?」
「それは決まってから伝えることになる。依頼主との相談も必要だからな。これ以上、今話すことはない」
つまり、「さっさと部屋を出て行け」ということだ。事情聴取にもならなかった。何らかの、まったく思いつかなかったが、特別な事情があって現場を離れざるを得なかったのではないか。そうであることを期待していたが、そういう事情はまったくなし。指名依頼を途中で放棄するなど、勇者候補としてあり得ない選択であるのに。
モードラック支店長は怒鳴らないでいられた自分は、ずいぶんと大人になったと思っている。
「情状酌量の余地なし、ですか?」
「その判断は殿下にお任せします。我々は我々として判断しますが、依頼主としての判断はハイランド王国にてなされることです」
特別自治区の護衛依頼はハイランド王国が依頼主になる。勇者としての資質の試しも兼ねている依頼であるが、勇者ギルドは、きちんと報酬を受け取っている。依頼を任せる全員が本当の意味での勇者候補というわけではない、勇者の資質を期待出来る勇者候補がそんなにいるはずがない。
「……アークはまだ戻らないのですか?」
「彼が気になりますか?」
「幼馴染ですから。それに妹がうるさくて。あっ、これを私が言っていたことは内密に。妹がうるさいので」
これは本当。幼馴染という部分だ。「妹がうるさい」もまったくの嘘ではないのだが、彼女は実際に騒ぐわけではない。アルファルド王子が、勝手に、心の中を推察しているだけだ。
「……後任が見つかりませんので、指定期間の最後までいてもらうことになります。まだ、半月以上あります」
「そうですか……今度、ハイランド王国支店の勇者候補を招待して宴を行おうと思います。どう思いますか?」
「……ありがたいことです」
そこにアークを参加させろ。こういう意味だとモードラック支店長は理解した。そうでなければ、いきなり宴の話になるはずがない。
「では、準備を進めさせてもらいます。先ほどの彼らは……賠償金を請求させてもらいましょう。計算出来たらお伝えします」
「承知しました」
金額にもよるが、軽い処分だ。賠償金の請求だけでなく、除名を要求されても文句は言えない罪。それは勇者ギルドの処分としてもそうだ。指名依頼の放棄など、勇者ギルドの信用低下に繋がる。そのような勇者候補を許すわけにはいかない。
ただ依頼主の要求する処分が軽すぎる。それを受けて勇者ギルドとして、どう対応するか。モードラック支店長としては、悩ましいところだ。