
ミネラウヴァ王国は人族の国としては唯一、魔族の国、カンバリア魔王国と国境を接している国だ。カンバリア魔王国の侵略から人族の国々を守る盾。他国もミネラウヴァ王国をそう認識し、様々な支援を行ってきた。ミネラウヴァ王国が国力を超える軍事力を保有していられたのは、その他国からの援助があったおかげだ。
だが先の大戦から二百年の時が過ぎ、カンバリア魔王国の脅威も、人々の意識の上では、薄れている。各国は援助がミネラウヴァ王国の影響力を強めることだけに利用されていると考えるようになり、様々な理由を作って、援助を縮小していった。
そうなるとミネラウヴァ王国は軍事力を維持出来なくなる。援助ありきで政策を進めてきたことも問題だった。各国から援助を得られなくなったことは軍事力の維持だけでなく、内政にも影響を与えた。ミネラウヴァ王国は実際に目的外に援助金を使っていたのだ、
国の財政状況の悪化は、各国が思っていた以上にミネラウヴァ王国の軍事力を弱体化させてしまった。最強国であったミネラウヴァ王国は一気に最弱の王国に成り下がっていくことになった。
その状況になんとか歯止めをかけようと動いたのはミネラウヴァ王国の貴族家。各家は、それが出来る一部の家ではあるが、自家の軍事力増強に力を入れた。貴族家の騎士団が力を持つようになったのだ。
その状況をミネラウヴァ王家は良しとしなかった。王家よりも貴族家が力を持つような状況になれば国は乱れる。こう考えた。
その結果、出来上がったのが王立騎士養成学校。家柄に関係なく、実力があれば誰でも入学できる学校だ。実力を認められた卒業生は、ミネラウヴァ王国騎士団への入団資格を得られる。
給金は決して高くはない。それでも平民出身者にとっては、実家で農業をしているよりは稼げる、憧れの職業だ。
王国は高給を得ていた貴族家出身の騎士や世襲騎士家の騎士の数を減らし、平民出身者を増やすことで騎士団の運営費を低くしようとしたのだ。
だが当然、貴族家や世襲騎士家はそれに反発する。その結果、貴族家が選んだ手段は、自家の騎士団に王国騎士団を追い出された世襲騎士を取り込むだけでなく、王立騎士養成学校の卒業生を引き抜くこと。平民出身者を侮蔑しているだけでは事は貴族側に優位にならない。産まれながらに持つスキル、称号。これは貴族家の血筋により現れるとなっているが、実際は平民にも稀有な称号、スキルを持っている者はいる。そういう存在を全て王家に持って行かれては、相対的に貴族家の騎士団は弱体化することになる。
王国の弱体化を自分たちでなんとかしようと動いたくらいだ。身分差に拘って、そんな事態を招くほどミネラウヴァ王国の貴族たちは愚かではなかった。
結果、王立騎士養成学校は王家と有力貴族家による優秀な生徒争奪戦の場となってしまった。
そして今年も新たな参戦者を迎える時期となった。春の入学月だ。
「……馬車を止めて」
「えっ?」
「馬車を止めろと私は言っています」
「かしこまりました! 馬車を止めてください!」
黒髪の女の子の指示を受けて、大人たちが慌てて動き出す。彼女には大人たちに命令する権限がある。
「お嬢様。どちらに?」
馬車を降りようとする女の子。それを止める力は声を掛けた女性にはない。だが女の子が危険な行動に出ようとしているのであれば、話は別だ。それは彼女たちの公式の主。女の子の父親の命令を優先することになるので、咎められることにはならない。
「すぐそこよ」
馬車を降りて歩き出す女の子。すぐ後ろに護衛の騎士が、周囲を警戒しながら、続いている。
実際に目的地はすぐそこだった。道路の脇にしゃがみ込む女の子。
「お嬢様。何かありましたか?」
「この猫、怪我をしているわ」
「猫、ですか……」
女の子は走る馬車から怪我をした猫を見つけていた。黒猫だ。それに驚くよりも「たかが猫で」という思いのほうが騎士の心の中では強かった。
「待たせたわね。行きましょう」
「連れていかれるのですか?」
女の子は猫を抱いたまま、馬車に戻ろうとしている。
「怪我が治るまでよ。それに飼い猫を連れて来てはいけないとは寮の規則には書かれていなかったわ」
「承知しました」
「連れて行っては駄目」とは言えない。それを納得してもらう理由がない。「たかが猫」だ。護衛騎士にとってはどうでも良いことでもある。
女の子を乗せて走り去る馬車。その馬車を目で追っている者がいた。
(……せっかく追い詰めたと思ったのに……仕方ない。追うか)
大きなため息をついてから走り出す男。馬車に乗っていた貴族令嬢を女の子と表現するなら、この男も男の子と表現すべき外見だ。実際に若い。
二人とも今年、王立騎士養成学校に入学する新入生なのだ。