
アークとミラの二人はモードラック支店長から自宅待機を命じられた。詳細な理由は聞かされていない。とにかく、ほとぼりが冷めるまで勇者ギルドに近づくなということだ。依頼を引き受けるな、はまだ百歩譲って受け入れられる。だが勇者ギルドに近づくなということになると、鍛錬も思うように出来なくなる。本当にまったく無駄で、退屈な日々を過ごすことになった。
その自宅待機が解除されたのは、森での依頼を終えてから一週間後のこと。二人は知らないが、勇者ギルド本部から監察官が来て帰った翌日だ。ただ、すぐに依頼を引き受けることは出来なかった。まずホープから話を聞くということで、食堂に集合になった。食事時から外れた時間に端っこのテーブルに。
「まずはこれだ。この間の依頼の報酬。二人で分けろ」
「現金? それにどうしてホープさんが?」
依頼達成報酬はギルドカードに記録される。現金化したい時は支店や駐在所に行って、引き出すことになる。いちいち手続きを行わなければならないのは面倒だが、勇者候補からの不満はない。何日も移動する時なども、最低限の現金を持ち歩けば良くて済む。紛失や盗難のリスクを最小限に出来る利点を理解しているのだ。
「実はあの依頼の手柄は俺一人のものになっている」
「えっ……?」「どうして?」
「そうしなければならない理由があってのことだ。ただ依頼報酬まで俺の物にするわけにはいかない。というか俺はいらないからお前たち二人で分けろ」
勇者ギルドの記録上は、観察部への説明も、そうなっている。依頼達成ポイントは仕組み上、譲ることは出来ないので、せめて報酬は二人にということで現金化してきたのだ。
「理由を教えてもらえますか? 俺たちには知る権利があるはずです」
「もちろんだ」
隠すつもりはない。最初から詳しい事情を話すつもりで待ち合わせ場所として人が少ない、この時間、この場所を選んだのだ。
「昨日、本部から監察官が来ていた。この間の件を調べる為だ。まだ調べはこれからなので、また来るかもしれない」
「監察官ですか……」
観察部の存在は知っている。勇者ギルドに登録した時に説明を受けている。だが自分には関りがないと思っている組織のことなど、きちんと聞いていない。調べてもいない。監察官が来たと言われても、アークにとっては「それが何?」という感じだ。
「監察官に目を付けられると色々と面倒だ。すでにADUに狙われたというだけで――」
「今、なんて!?」
「……監察官に目を付けられると……いや、ADUのことか?」
アークの反応はホープの想定外。大声で、しかも目の色を変えて問い詰めてくるからには何かある。監察官への最初の反応の鈍さから、ADUに対してだとホープは考えた。
「多くの妖魔が現れたのはADUの仕業なのですか?」
「……恐らくはそうだ」
考えた通り、アークが反応したのはADU。だがその理由がホープは分からない。
「犯人は? 犯人は誰か分からないのですか?」
「犯人はもう捕まった」
「どこにいるのです!?」
ADUの人間が見つかった。それはアークが求めていたこと、勇者ギルドで働いている理由だ。思いがけず、目的は果たされた。アークはその事実に興奮を抑えきれないでいる。
「どうした? ADUと何か因縁があるのか?」
「……姉がADUに誘拐されています。俺は姉を助けたいのです」
「姉が誘拐って……」
アークの姉ということはウィザム将爵家の令嬢。そんな女性がADUに誘拐されたなんてことになれば、もっと大騒ぎになっているはず。ホープはこう思った。
「犯人に姉について聞きたいです。会わせてください」
「それは……無理だ。捕まった二人は本部に送られた。それにその二人は自称ADUだ。成功すれば組織に加わることを許すと言われて、反抗に及んだと聞いている」
下っ端どころか組織の人間でもない。それではアークが求める情報を持っているはずがない。変に期待を持たせるべきではないとホープは考えた。
「つまり、その二人に接触したADUの人間がいたということです。それが誰か分かっていないのですか?」
「まだ分かっていない。ここで調べた限りは、この町の者ではないということだ。そうなると……これは俺の勝手な考えだが、調査は本部が行うことになると思う」
「本部……ホープさんはその情報を手に入れらるのではないですか?」
本部の情報は簡単には入手できないだろうことはアークにも分かる。だが、Sランク勇者候補のホープであれば可能ではないかと考えた。勇者ギルドが保有する膨大な情報。その中にはADUに関するものもある。それを入手する為にアークは勇者ギルドで、不可能と思われるSランク勇者候補を目指してきたのだ。
「……お前、Sランクなら何でも出来ると思っているのか?」
その考えはホープにも分かった。姉を助けたいと思っているアークがどうしてハイランド王国でも有力家である実家を離れて勇者ギルドにいるのか。この答えを得られた。
「手に入れられないのですか?」
そうだとすればSランク勇者候補を目指す意味がなくなる。これまでの日々は無駄だったということになってしまう。
「無理だな。支店長にも閲覧が許されないような情報を勇者候補が見られるはずがない」
「そんな……Sランク勇者候補ならって聞いたのに……」
「誰に聞いたか知らないが、多分こういうことだろ? ADU絡みの依頼は全て指名依頼でSランクにしか来ない。ADUに接触しようと思えばSランクになるしかないってことだ」
ADUに関する機密情報を参照することは出来ないが、ADUに接触することは出来る。ほとんどの場合、敵として。ADUの主張を支持する人は多い。そういう人たちを刺激しないように指名依頼で、公にはならないように勇者ギルドは動いているのだ。
「……そういうことか」
まったく希望がなくなったわけではない。ADUそのものに接触出来る機会が得られる。それがどういうものかは分からないが、今のようにまったく手がかりがないよりはマシだ。アークはそう思えた。
「とりあえず、今回の件での情報収集は諦めろ。監察部の手に渡った以上、勇者候補には何も出来ない。手出しをすれば痛い目に遭うだけだ」
「……分かりました」
とは言ったが、完全に諦めたわけではない。何か機会があれば、それを生かすつもりだ。実家を出て、勇者ギルドに入って、初めての繋がり。たとえ、微かなものであっても無視は出来ない。次の機会がいつ来るか。そもそも来るのかも分からないのだ。
「ポイントを独り占めした俺が言うのは何だが、ランクを上げるだけならお前らはそう苦労はしない。だが、しつこいようだがランクと強さは違う」
「分かっているつもりです」
「この金で色々と揃えろ。それなりの金額が入っている」
結果として、前回の一件はAランクの指名依頼になっている。Bランクパーティーであるアークとミラでは、容易く手に入れられない金額が報酬だ。それなりの装備が揃えられるはず。二人にはそれが必要だとホープは考えている。
ホープは本気で二人はランク目的で依頼をこなせば、すぐにAランクに上がると思っている。さらに厳しい依頼を引き受けることになる。もしかすると、またあり得ない強敵に遭遇することになるかもしれない。それはAプラス、Sランクに匹敵する強敵かもしれない。
普通ではない二人には普通ではない運命が待っている。短い期間だが、アークとミラを見ていて、ホープはこう思うようになったのだ。
◆◆◆
ミラの家に来客が訪れている。ミラの客ではない。彼女の祖母の客だ。これを知れば彼女は驚いただろう。家に客が来ることなど、彼女の記憶では、これまで一度もなかった。人が訪れる家ではない。幼い頃からこう思っていたのだ。
「……数日前も町は騒がしかった。なんとも慌ただしいことですね?」
「事は貴女の孫娘が関わっていること。文句を言える立場ではないだろう?」
来客はミラの身に何が起こったか知っている。勇者ギルドの監察部が訪れたことも。それはそうだ。彼は勇者ギルドの関係者。評議会の一員なのだ。
「文句は言っていません。勇者ギルドの動きが慌ただしいと言っているだけ。当然でしょ? 勇者ギルドの重鎮であり、ハイランド国王である貴方が、わざわざ来ているのですから」
訪れた客はハイランド王国の国王、エリダヌス三世王。勇者ギルドの評議会には各国の王が名を連ねている。勇者ギルドはそれほどの組織であり、国王から見て危険な存在でもある。勇者ギルドが暴走しないように評議会議員として監視しているのだ。
「そうしなければならないと思ったからだ。カミーユ殿は危機感を覚えていないのか?」
孫娘のミラが狙われたのだ。祖母のカミーユはもっと焦りを覚えているとエリダヌス三世王は思っていた。
「命を狙われたのはこれが初めてではありません。だからといって家に閉じ込めておくつもりもない。私はあの子に人生を楽しんでもらいたいのです」
「……気持ちは分からなくはない。不自由な暮らしは多くのものを奪っていくことは知っている」
国王であることも不自由だ。人生のほとんどを城の中で生きることになる。外に出ることがあっても多くの臣下に囲まれ、行動の自由などない。カミーユの孫娘を家に閉じ込めておきたくないという気持ちは分かる。
今も、お忍びではあるが、そうであるから尚更、自由のまったくない移動を強いられてここまで来た。帰りも同じ。寄り道など許されない。
「悩みはしました。ですが、孫娘の自由を奪うことは、世の中の悪意にひれ伏すということ。それは出来なかった」
「……娘夫婦のことがあっても?」
「あったからこそです。殺された二人も私と同じ気持ちだと信じてします」
カミーユの娘とその夫は、ミラの両親は殺された。おそらくはADUによって。ミラにも同じ危険が迫っている。それでもカミーユは自由にさせてあげたいと考えた。息を潜めて一生を過ごす。何百年の一生を。そんなことは耐えられない。
カミーユの考え方は、人族のそれと違うのだ。長命であるから命の価値が低い、ということではない。生きることは、ただ息をしていれば良いということではないのだ。
「なんとしても生き延びてもらいたいのだが?」
「何を期待されているのか分かりませんが、ADUごときに殺されてしまうような者は何かを為すことなど出来ません」
「そうかもしれないが……」
期待しないではいられない。ミラはカミーユの孫娘。勇者ウィザムと共に魔王と戦い、勝利したカミーユの血を引いているのだ。これはハイランド王として知っていること。エリダヌス三世王の口から勇者ギルドには話をしていない。カミーユが領土内で暮らしていることも秘密。そういう約束なのだ。
「それに……どうやら頼もしい護衛も出来たようです。まだ会ったことはないので、どの程度かは知りませんが」
今回もミラは生き延びた。ミラだけでなくアークも。魔法で味方を犠牲にすることなく、ミラは危機を逃れている。アークが、かつての味方とは違うことは明らかだ。
「ウィザム将爵家のアークか。私は会ったことがある。話に聞く限りは、努力を惜しまない男らしい」
「努力するしかなかったから?」
「……知っているのか。それはそうだな。パーティーを組む孫娘が知らないはずがない」
アークは魔法が使えない。エリダヌス三世王も知っている。知っているので、アークの真の実力を理解していない。勇者ギルドの評議会議員であっても、国王の身でわざわざ詳しい情報を手に入れることをしていないのだ。それを行うことで、他の評議会議員に関心を向けていると思われたくないという理由もある。
「それでも二人は生きている。素晴らしいことです」
エリダヌス三世王も、アークの能力を理解していない。それがカミーユには分かった。父親が分かっていないのだから当然ではある。
知らないことを教えてやるつもりはカミーユにはない。エリダヌス三世王が抱く期待はミラを不自由にするもの。そんな人生を送らせる為に勇者ギルドで働くことを許しているのではない。自由にさせたいから許しているのだ。
「特に何かする必要はないということか?」
「心配していただいているのは大変ありがたいことですが、お気持ちだけで充分です」
「……そうか。分かった」
明確な拒絶。それが分からないほどエリダヌス三世王は愚かではない。そうであれば何も出来ない。カミーユが自国内で暮らすことを許し、それを秘密にしているのは、いざという時に国を守る力として利用したいから。望まぬことをして、他国に行かれては困るのだ。