
今日の勇者ギルドは誰も彼もが落ち着かない様子だ。その原因は明らか。午前中に勇者ギルドの前に舞い降りた三頭の翼竜。その翼竜に乗ってきた人たちのせいだ。
いきなり三頭もの翼竜が、本来の発着所ではない勇者ギルドの正面入り口に降りてくれば、それだけで何かあったことは分かる。さらに降り立った人たちの制服が、事情に詳しい勇者候補によって、勇者ギルド本部の監察部のものであることが知らされると、人々の動揺は激しくなった。監察部の人間が現れたとなれば、それは何らかの不祥事があった、もしくはその疑いがあるということ。その内容によってはハイランド王国支店に処分が下されることになるかもしれない。営業停止なんてことになれば、勇者候補たちは稼げなくなってしまうのだ。最悪の支店廃止なんてことに、まずないが、なれば新たな活動拠点を探さなければならなくなる。勇者候補たちも他人事ではいられないのだ。
監察部は何を調べに来たのか。それをなんとかギルド職員から聞き出そうとする勇者候補もいるが、それは成功しない。聞かれたギルド職員も何が起きているか知らないのだ。
「……もう少し早く本部に報告出来なかったものでしょうか?」
背筋が伸びた、きっちりとした姿勢で応接のソファに座っている銀髪の男。彼が本部から来た監察官、シーバスだ。
「申し訳ありません。確証がなかったものですから」
シーバス監察官の問いかけに支店長のモードラックは恐縮した様子だ。支店長という立場であっても観察部の人間には下手に出るしかない。怒らせて処分が重くなっては困るのだ。
「闇属性の魔道具。これは間違いないのですか?」
シーバス監察官も口調は丁寧だ。勇者ギルドで働く人たちにとっては絶大な権力を握る観察部。そうであるからこそ、不正、不公平を疑われるわけにはいかない。彼らの権限は彼ら自身が手に入れたものではない。勇者ギルドに職務上必要として与えられているもの。問題があると見られれば、すぐに取り上げられる権限なのだ。
「あくまでも我々の鑑定結果です。闇属性の魔道具など、これまで一度も鑑定したことがありませんので、本部での再鑑定をお願いします」
ホープが、ホープに任された人が見つけた魔道具は闇属性の魔道具。一般には呪われた魔道具とされるものだ。効果が、徐々に近くにいる人を弱らせるなど、悪質なものばかりなので「呪い」とされているだけで、闇属性はあくまでも属性のひとつ。ただ人族では、百年に一度現れるかどうかくらいの、滅多にいない魔力属性だ。
「それはもちろん。それで持ち主は?」
「すでに拘束しています……ギルドの職員が二人です」
「それは……問題ですね? しかし、何故、ギルド職員がそのような魔道具を持っていたのですか?」
これを聞くシーバス監察官はすでに答えを持っている。ただ今はまだ自分の意見を述べる状況ではない。関係者から全てを聞き出す段階だ。全てを聞き出した上で、後から矛盾がないかを検証するのだ。
「ADUです。自称と思われますが」
「そうですか。支店にADUの思想が入り込んでいるというのは大問題ですね?」
勇者ギルドの登録条件に種族の制限はない。魔人族であろうと、獣人億であろうと、限りなく妖魔に近い存在であろうと勇者候補に相応しい資質であれば登録は許される。ADUの魔人排斥の思想、もっと言えば人族至上主義思想はその勇者ギルドの規則に反するもの。守るべき勇者候補を害するもの。絶対に受け入れられるものではないのだ。
「分かっております。拘束した者だけで終わることなく、職員全員の調査を進めております」
これが済むまで観察部が訪れた理由は、ギルド職員にも明らかにされることはない。皆、不安な毎日を送ることになる。
「具体的な方法は?」
「闇属性。そうと思われる魔力を調べております。ただし、調査する側の人数が圧倒的に足りておりません。そこで本部にもう一つお願いがあります。闇属性を検知する魔道具をお貸しいただけないでしょうか?」
「そういった魔道具の存在を私は知りません。本部に存在するようであれば、貸出の手配を行います。存在しない場合は……製造してもらえるよう依頼しましょう」
事はハイランド王国支店だけの問題ではない。このことをシーバス監察官は分かっている。どこの支店も、誰もがADUの思想に侵されるリスクがある。魔人族は排斥すべきという考えは、一般庶民の間でも、特別なものではないのだ。だからこそ、ADUはその勢力を広げ、かつ、実態が把握出来ないのだ。
「ありがとうございます」
「魔道具は自称ADUが製造出来るものではないでしょう? 誰がそれを渡したのか。その調査は行われていますか?」
「ADUを名乗る男に貰ったと話しています。成功すれば正式に組織への加入を認めるとも言われたそうです。もちろん、嘘の供述をしている可能性も否定していません」
実際は自分で作ったのかもしれない。それを隠そうとしていうのかもしれない。犯人の供述をモードラックは鵜呑みにしていない。ただ個人で、それもギルドの一般職員では魔道具を製造することは難しいと思う。魔核などの材料はギルドから盗むことは出来る。だが闇属性の魔力などギルドでは入手出来ない。拘束した犯人の属性は闇属性ではなかった。
「……闇属性の魔力を捜索することを急ぐしかありませんか。魔道具については、ひとまず、分かりました。犯人の目的は何ですか?」
「勇者候補の殺害です。毎晩、罠を仕掛けやすい依頼がないかを調べ、選んでいたようです」
「……それが出来る立場にあった?」
「申し訳ございません。翌日に張り出す依頼書は一カ所にまとめて保管されておりました。ただ、ギルド職員であれば誰でも見ようと思えば見られる位置にありまして……」
ギルド職員であれば誰でも見ることが出来た。翌日発出の依頼の締め切りは夕方。それから依頼書はギルド職人によって作成される。すでに勇者候補がギルド内にいられない時間だ。そうであるから警戒が緩かった。
「それは失態ですね? 本部からは依頼書の管理は厳しく言われているはずですが?」
シーバス監察官の厳しい視線が隣に座る男に向く。依頼書は厳重に管理することとされている。事前に勇者候補に教えてしまう、良い依頼書を回してしまうなどの不正を防ぐ為だ。
「申し訳ございません」
謝罪した彼は観察部所属であるが支店に配属されている。支店内の不正行為を監視する立場なのだが、本部の監察官と違って支店採用ということもあり、支店職員により仲間意識を感じている。つい甘くなってしまうのだ。ハイランド王国支店以外でもよくある話だ。
「……実際に襲われた勇者候補は?」
「こちらに資料を用意しております」
「……なるほど」
資料を手に取って読み、納得した様子のシーバス監察官。狙われた理由に納得したのだ。
「ただ……二人ですか? 資料ではBランクパーティーとなっていますが?」
二人だけのパーティーは珍しい。特にBランクとなれば、戦力の充実を図る時期。定員に満たない状況であれば、急いで仲間を増やそうとするはずなのだ。
「二人だけのパーティーです。以前は別のパーティーに所属していたのですが、そこを抜けることになり、二人で組んだようです」
監察官に嘘をついても意味はない。勇者候補の情報は監察部でも確認できる。嘘をついても、すぐにバレてしまうのだ。
「そうですか……この二人が資料に記載さている妖魔を倒したということですか?」
「いえ、それは同行していた勇者候補が対応しました。Sランクの勇者候補です」
嘘をつけるのはギルドの記録に残っていないこと。直近の依頼はホープが同行する指名依頼ということになっている。モードラックは妖魔を、上位の妖魔を倒したのはホープということにした。アークとミラの二人だけで倒したことを知られたら、別のことで面倒なことになる。こう考えたのだ。
「Sランクを投入していた……つまり、Bランクの勇者候補は囮に使ったということですか?」
「……そう考えていただいても結構です」
ここまで読まれることは予想外。監察官がこの点を気にするともモードラックは思っていなかった。油断のならない相手、監察官は大抵そうなので、この彼もそうだったということだ。
「…………」
「……何か?」
アークとミラの資料に視線を向けたまま、何か考えている様子のシーバス監察官。何を気にしているのか気になって、モードラックは問いかけた。
「いえ、特に何も」
今は特に何かあるわけではない。資料だけでは読み取れなかった。だがモードラックの反応は、二人について詮索されるのを嫌がっていることを示している。こう思うシーバス監察官は、やはりモードラックにとって厄介な相手だ。
「現場にいた勇者候補に話は聞けますか?」
「もちろん。待機させておりますので、すぐに呼びます」
モードラックの指示を待つことなく、同席していた側近のギルド職員が部屋を出ていった。隣の部屋で待機しているホープを呼びに行ったのだ。すぐにホープと一緒にギルド職員は戻ってきた。
「一人ですか?」
「はい。あとの二人は、しばらく休養が必要と考え、仕事はさせておりません。現場の状況はこのホープが全て把握しておりますので」
「そうですか。では、お願いします」
アークとミラの二人がいないことの説明に、あっさりと納得した様子のシーバス監察官。疑いは強まっているが、二人については調べようと思えば勝手に調べられる。逆に二人に拘っているとモードラックに思わせないように、あっさりと流したのだ。
現場の状況についてホープから話を聞くシーバス監察官。それが終わると引き上げを決めた。拘束した犯人は後日、ハイランド王国支店によって本部まで送られることになっている。ADU絡みということで、そうなったのだ。
「……何か分かったことは?」
他の監察官と合流し、いざ翼竜に乗り込もうというタイミングでシーバス監察官は同僚に問いを向けた。ハイランド王国支店にやってきた監察官は三人。モードラックたちから聞き取りを行っていたシーバス監察官以外は、資料を調べていた。その結果を聞くためだ。翼竜に乗ってしまえば会話はままならない。ここで情報を頭に入れておきたいと考えたのだ。
「狙われた内の一人の本名はアークトゥルス=ウィザム。ハイランド王国の軍閥貴族、ウィザム家の三男です」
他の勇者候補、ギルド職員でもごく一部にしか閲覧出来ない情報。それを閲覧できる権限が監察官にはある。
「勇者の血筋ですか。もう一人は?」
「それが、閲覧制限がかけられておりました」
「観察部にも参照出来ない機密ですか……狙われるにはそうされるだけの理由があるということですね。分かりました。出発しましょう」
監察官でも閲覧出来ない情報がある。それはトップレベルの機密情報で、そうであると決めるのは勇者ギルドの理事会、もしくはさらに上位の評議会。勇者ギルド内でも上位者たちが隠したいと思う秘密ということだ。監察官でもどうにか出来るものではない。
ADU絡みの件、それに関わる人物であれば、そういうことがあってもおかしくないシーバス監察官はこう思った。だからといってこれ以上は何も出来ない、なんてことは、まったく考えていない。より一層、調査に意欲が湧くことになった。