勇者ギルドの支店があるグレンオードの近くには広大な洞窟がある。この洞窟があるから勇者ギルドの支店が置かれたのだ。洞窟は人魔大戦時代に魔王軍のアジトとされていた場所とされている。真偽のほどは定かではない。だが洞窟内には多くの魔獣、そして妖魔が住み着いている。一般の人が絶対に近づいてはいけない危険な場所だ。
その洞窟は勇者ギルドの常時依頼の場所となっている。Cランク依頼である魔獣討伐にBランク依頼の妖魔討伐。さらにはAランク依頼のダンジョン探索までの幅広いランクの常時依頼の場となっているのだ。
近頃、アークとミラはこの洞窟で依頼をこなしている。本格的にBランク依頼を引き受ける前の腕試しといったところだ。
「おい。君たち。この先は妖魔が出るぞ」
こうして洞窟に設けられた詰所に常駐しているギルド職員に呼び止められるのも何度目か。初めて会うギルド職員には、ほぼ確実に止められるのだ。
「引き受け手続きは終わっています」
妖魔討伐依頼を引き受けた証である書面をギルド職員に見せる。この洞窟では通行許可証の意味も持つことになる。様々なランクの勇者候補が出入りする洞窟なので、低ランク勇者候補が誤って深入りしないように検問所の役目を果たす詰所が設けられているのだ。
「……確かに。しかし……二人で?」
二人が必ず止められるのは若く見えるからではなく、パーティーの人数が原因。Bランクとなればパーティーは定員の五人揃っていて当たり前。たった二人で妖魔討伐を行おうなんてパーティーは、少なくとも今現在は、アークたちしかいないのだ。
「初めてではありません。それに洞窟の奥深くまで行くつもりもありません」
洞窟の奥に行けば行くほど妖魔の数は増え、さらにより強い妖魔が現れる、とされている。実際にどうかは奥に進んだことのないアークたちには分からない。勇者ギルドも洞窟の全容は把握していない。そうであるから洞窟探索依頼が存在しているのだ。
「そうか……でも気を付けて」
「はい。ありがとうございます」
お約束になったやり取りを終えて、先に進むアークとミラ。百メートルほど進むと洞窟はいくつにも分岐している。そこから先がいつ妖魔と遭遇してもおかしくないエリアになる。
洞窟の先のほうからは戦いの喧噪が聞こえてくる。他のパーティーも依頼をこなしているのだ。邪魔をしないように耳を澄ませて音のしない方向を探り、ひとつを選んで、さらに先に進む。
「前から思っていたのだけど、詰所が襲われることはないのかな?」
詰所にいるギルド職員は支店窓口で働いている人たちと違って戦う力がある。それは知っているが、妖魔の大群に襲われたら抗えるとは思えない。討伐しても討伐しても絶滅することのない妖魔。とてつもない数が洞窟に住み着いているはずなのだ。
「君は何も知らないのね?」
「何かあるのか?」
「結界が張られているのよ。妖魔が近づくのを嫌がるような結界が。だから大丈夫」
いつ、どれだけの大群に襲われるか分からない場所に詰所など設けない。設けるとしても、大群の襲撃に耐えうるだけの堅牢なもので、遥かに多くの職員を駐在させる。そうしなくて良い理由があったのだ。
「なるほどな……あれ? でもそうなら洞窟の外に出る魔獣も妖魔もいないのでは?」
この地域で暴れる魔獣や妖魔は基本、この洞窟にいる。洞窟から出た群れや集団が周辺の村を襲うのだ。アークはそう聞いていた。
「この場所には結界が張られているということ。外に通じる場所は他にもあって、その全てが把握されていないの。だから洞窟探索の仕事があるの」
外に通じる場所の全てを勇者ギルドは把握できていない。把握出来なければ全ての出口を結界で塞ぐことなど出来ない。もう何十年も洞窟探索は続いている。それでも全容を把握出来ない。それほど、この洞窟は広大なのだ。
さらに洞窟探索は苦労が多い割には得る報酬が少ないという理由もある。凄いお宝が眠っている、もしくは深部に行けば高報酬を得られる妖魔がいるなんて情報があれば別だが、この洞窟ではそういった噂もない。そもそもやり遂げようと考えるパーティーがいないのだ。
「こういう場所が王都からそう遠くないところに……」
洞窟の深部にとんでもない妖魔が、妖魔どころか魔人が潜んでいる可能性も無ではない。王都から五日ていどの距離に、そんな洞窟があるのを放置しておいて良いのか。勇者ギルドではなく、王国が動いてなんとかしなけれないけないのではないか。こんな考えがアークの頭に浮かんだ。
「王都に危険が及ばないように私たちが働いているのでしょ?」
洞窟に住み着いている魔獣や妖魔の数が増えないように。洞窟から外に出た魔獣や妖魔を速やかに討伐する為に勇者ギルドの支店はある。他国の支店も多くが同じだ。魔獣や妖魔の住処となっている場所の近くに置かれている。
「この辺りかな?」
あまり深入りするつもりはない。今回も腕試し。魔獣よりも強い妖魔とどの程度戦えるかを確かめることが目的だ。彼らは二人だけのパーティー。通常の五人パーティーよりも、同じランクの依頼に取り組むにしても、困難さは増し、危険は高まる。焦ることなく、慎重に進もうと決めている。
「……もう来た。ゴブリンだ」
たいして待つことなく妖魔が姿を現した。魔獣よりは、あくまでも原則としてだが、知性があるとされている妖魔だが攻撃性の高さは魔獣以上。人がいるとなれば、すぐに襲ってくる。
支援魔法を唱えるミラ。いつものように速度を高める身体強化魔法から。つむじ風のような魔法に体を包まれたアークは、一気に前に飛び出して行った。
「……また速くなった?」
アークの動きがこれまでよりも少し速くなっているようにミラには見える。特別何かがあったわけではない。アークは、何故か、数をこなす中で支援魔法の効果が高くなっていく。どういう理屈なのかミラは調べているのだが、まだ答えは見つかっていないのだ。
「驚いている場合じゃなかった」
魔法を一度唱えたらそれでお役御免とはならない。ミラはミラで課題を持っている。アークの戦いの先を読み、適切なタイミングで支援魔法を繰り出すという課題だ。これがかなり難しい。近接戦闘をきちんと学んでいないミラには、アークの動きを見切ることなど出来ない。学んでいても容易ではないことだ。
「違うだろ? 最後だからこそ、不意打ちに備えて、速度向上にしておかないと」
「最後はズバっと決めたいとかと思って」
「そういうのないから……といってもな。何体出てきてもゴブリンはゴブリンか」
ゴブリンは群れで襲ってくる。今も五体のゴブリンが襲ってきた。だが、数がいても同じゴブリン。戦い方を変える必要はほとんどない。動きの速さで大きく差をつければ、それだけで戦えるとアークは感じている。
「それは君が……」
深く剣術を学んでいないミラでも、アークの技が普通の人よりも優れていることは分かる。さらに支援魔法の効果も、他の人をあまり知らないので感覚だが、かなり高いと思っている。五体程度のゴブリン相手では、普通に戦っていれば苦戦しないレベルにあるのだ。
「五が十でもいけるかもしれない。でも……判断が難しいな」
少数のゴブリン相手であれば十分に戦える。この自信は持てている。だが、十体どころか、さらに多くの数を相手ではどうなのか。ゴブリンよりも強い妖魔が出てきたらどうなのか。この判断は難しい。アーク自身は自分の成長を感じていないので、もう一段上に進むと決める理由がないのだ。
「属性は感じられるようになったの?」
これはアークの課題。魔力を負数の属性に染めることが出来れば、支援魔法で速く強くなれる。対魔法防御力を高めながら、接近戦に必要な身体強化も得られる。このミラが考えた仮説を実現することだ。
「……風はなんとなく? 体の動きが滑らかになっている気はする」
「微妙……じゃあ、今度は火属性魔法ばかり使う?」
「それに意味はあるのか?」
「分からないけど、君が風属性の速度強化魔法に慣れたような言い方するから」
仮説は立てられても、どうすればそれが実現するかまでは分かっていない。分からないのであれば、色々なことを試してみるしかない。
「慣れか……数が多くなければ大丈夫だと思うから、次はそうしてみるか」
アークは「慣れ」という言葉に否定的な印象を持った。単純に、速く動けることに慣れてしまうと、そうでないと戦えなくなってしまうかもしれないとも思ったのだ。
「君ならオーク相手でも素で勝ちそうだけどね?」
ゴブリンよりも格上のオークが相手でも、アークは素の状態で勝てるのではないか。ミラはこんな風にも思った。アークと同じで、ずっと低ランクだったミラはオークと戦ったことなどないので、勝手な想像だ。勝手な想像ではあるが、間違っていないという根拠のない自信がある。
「煽てても奢らないからな」
アークにはただの冗談と受け取られてしまったが。
「ケチ」
「ケチで当然だろ? 装備も強化しないとならないからな。お金はいくらあっても足りない」
強くなるには装備を強化するという方法もある。より攻撃力の高い武器、防御力の高い防具。さらに魔道が施されていれば、特別な効果も得られる。ただ、そういった武具はとんでもなく高いので、アークたちが簡単に手に入れられるものではない。言葉通り、「お金がいくらあっても足りない」のだ。
「まだ誰も到達していない場所まで行けば、何かあるかもよ?」
今いる洞窟はまだ全てが明らかになっていない。そうであるからには、どこかにお宝が眠っているかもしれない。もし噂通り、かつては魔王軍の拠点であったのだとすれば、その可能性は高い。魔王軍は優れた魔道具の製造能力に有していたとされているのだ。
「そこまでたどり着くのにも、もっと良い武具が必要だろ? まだ誰も到達していないということは、Aランクの人でもたどり着けていないということだ。もっともっと強くならないと無理」
「そうだね……」
ではどうすれば。もっともっと強くなれるのか。それを色々と試しているが、まだ成功したというものはない。焦り過ぎなのかもしれないとミラは思う。だが、どうしても焦ってしまう。また別の強くなる方法。パーティーの人数を増やすという方法を選べないのは自分のせい。ミラはこう思っているのだ。アークに申し訳ないという気持ちがあるのだ。
◆◆◆
今日の仕事を終えたピジョンは、仲間たちと別れて、一人、勇者ギルドの食堂に残った。食事の為ではない。食事であれば仲間たちと別れる必要はなかった。カテリーナたちは、町の酒場に向かったのだ。依頼達成のお祝い、という口実で、ただ飲んで騒ぐ為に。
このところは、いつものことだ。勇者ギルドの食堂よりも、町の酒場のほうが料理が美味しいからという理由はあるが、それだけではない。自分たちの、パーティーの名を売る為。自分たちがどれだけ優れていて。実際にどういう依頼を達成しているかということを町の人たちにアピールしているのだ。結果、指名依頼が増えれば、ポイントも金も稼げる。なんといっても他のパーティーと依頼を取り合う必要がなくなるのが大きい。ランクを早く上げるのに有効なのだ。
ただピジョンは本来、勇者ギルドでのランクなど気にする必要のない身だ。
「死神と呼ばれる女性とパーティーを……分かった」
「それだけですか? その彼女のパーティーは二度も全滅しているのですよ?」
ピジョンの仕事はアークに関する情報を実家に伝えること。本来は護衛役なのだが、パーティーに加えてもらえないので勇者ギルドで得た情報を伝えることしか出来ないのだ。
「余計な手出しはするなとのご指示だ」
「危険が迫っていても何もする必要はないということですか?」
似たような言い方でも微妙に意味は違う。ピジョンは、ウィザム家はアークを見捨てているのだと考えた。二人の兄とは違って魔法を使えないアーク。いくら剣術では優れていても、勇者ギルドと同じで、武門の名家であるウィザム家の人間としては落ちこぼれなのだ。
「危険が迫った場合、お守りするのが貴様の役目だ」
「そうしたくても出来ません。パーティーに加えてもらえないのです」
アークの側にいたくてもそれはアークが許されない。側にいることを認めてもらえなくては護衛役の勤めを果たせるはずがない。
「それは信頼されていないからだ」
「そうかもしれませんが……」
では誰がアークから信頼されているのか。ウィザム家の関係者の中には一人もいないとピジョンは考えている。アークは実家が、実家に仕える人たちも含めて、大嫌いなのだ。それも、とっくに死んでいる姉を助けようとしないからという、ピジョンにはまったく理解出来ない理由で。
「アークトゥルス様のお側で仕えることが貴様の役目だ。大事な役目を忘れて、勇者候補の仕事にうつつを抜かしている場合ではない」
アークの本名を周囲に聞かれないように声を落として話す男。静かな声だが、言っていることはピジョンに向けての叱責だ。
「ですから……いえ、承知しました」
役目を果たせないようにしているのはアーク。そうであるのに自分が悪いように言われるのは、ピジョンとしては納得いかない。納得いかないが、途中で反論は止めた。文句を言っても状況は変わらない。相手の自分に対する印象を悪くするだけだ。
「……とにかく、自分の役目を忘れるな」
「分かっております」
「また来る」
特に実のある話は何もないまま、相手は席を立って食堂を出ていった。アークの側で様子を探るのがピジョンの役目であれば、男の仕事は聞いた話をウィザム家に伝えること。ただの伝言役だとピジョンは思っている。
(出来損ないの三男では、この程度の扱い…………その出来損ないの御守を命じられている私はそれ以下か)
重要な役割ではない。成果を認められることもない。若くして左遷されたようなもの。ピジョンは自分の境遇をそう考えている。ウィザム家におけるアークの評価はかなり低い。剣術の腕は認められても魔法を使う実戦では役に立たないと思われている。武門の家の人間としては完全な落ちこぼれだと。
さらに無断で家を飛び出したことで、評価は定まった。足手まといが自らいなくなってくれた、とまで考えている家臣もいる。ピジョンも同じだ。ウィザム家には無用な存在であるアークに仕えることを命じられたことは、自分もまた無用な存在だと思われているのだと受け取った。
(そちらがその気なら勝手にやらせてもらう。居場所は自分で作る)
ウィザム家には自分の居場所はない。そうであるなら他に居場所を造らなければならない。他者に認めてもらえる居場所を。すでにピジョンはその居場所を手に入れている。不満がないわけではないが、出世は約束されている。ランクアップという出世が。もしかすると勇者パーティーという栄光も手に入れられるかもしれない。ウィザム家の始祖、勇者ウィザムの仲間たちのような。