ハイランド王国には軍閥貴族という存在がいる。将爵という他国にはない特別な爵位を与えられている貴族家だ。元は人魔大戦時に生まれた私的軍事勢力が、その軍事力を背景に政治的影響力を持つに至った軍閥。その軍閥の影響力を恐れたハイランド王国が王国内部に取り込むことで抑え込もうと考え、貴族の地位を与えたのだ。
他国と比べて特別広大な領土を有しているわけではないハイランド王国において、軍閥貴族の領地はかなりの割合を占める。影響力を抑え込めているとは言えないのだが。その軍閥貴族のおかげでハイランド王国は守られているという事情もある。軍事力という点だけでいえば、ハイランド王国は他国を凌駕しているのだ。
その軍閥貴族の中でも特別な存在がいる。ウィザム将爵家がそれだ。ウィザム将爵家の初代はウィザム。初代の名が家名になったのだ。家名を持たない平民だったウィザムが何故、将爵の爵位を得ることが出来たのか。それは彼が人魔大戦において最大の戦功をあげたから。魔王を討った勇者だからだ。
ウィザムは私設軍隊を持たなかったが、人魔大戦後、彼の武勲に憧れた多くの傭兵、騎士が弟子入りや仕えることの許しを求めた。ウィザム将爵家は、軍閥貴族の中で唯一、大戦後に私的軍事勢力となった家だ。そして軍閥貴族の中で最大戦力を有する家でもある。
「ご当主様。お客様がお見えです」
現当主は八代目のベクルックス。領政は長男に任せて王都で暮らしている。ウィザム将爵家が他の軍閥貴族と異なる点がもうひとつある。王国騎士団の一翼を担っている点。ベクルックスは将爵であり、王国騎士団の大将軍でもあるのだ。
「来客の予定はない。誰だ?」
「それが……ウィザム家のご友人と名乗っております」
「な、なんだと?」
ウィザム家の友人。これを名乗ることが許される人物の数は片手で足りる。ベクルックスも実際の人数は把握していない。滅多に訪れることはなく、連絡をとることjもない。誰が生きていて、誰が亡くなったのかも把握出来ていないのだ。
「いかがいたしますか?」
使用人はウィザム家の友人を名乗る人物が何者かを知らない。そう名乗る人物が現れた時は、何があっても必ず取り次ぐように、この職に就く時に教えられているだけだ。
「お通ししろ」
「承知しました」
会わないという選択肢はベクルックスにはない。彼もまた先代当主から「ウィザム家の友人」を名乗る者が現れた時は、決して無礼な応対がないようにときつく教えられているのだ。
実際に会うのは、これが初めてだ。何が起きたのか。これを考えると不安な気持ちが膨れ上がっていく。
「お連れいたしました」
使用人が客を連れて戻ってきた。現れた来客は女性。長く伸びた美しい黒髪、切れ長の瞳に赤い、紅をつけてもこれほど鮮やかな赤になるのかと女性であれば思うほど、赤い唇が印象的。一言で表現すると美人だ。
「ようこそお越しになられました。当主のベクルックスでございます」
「ベクルックス将爵殿。そのような言葉遣いは無用です。私は無位無官の身で、貴殿は王国の軍事を預かる大将軍であり、将爵。立場はそちらのほうが比べものにならないくらい上です」
「そうであっても貴女は当家の友人。無礼はないように先代からきつく言われております」
ベクルックスは相手が何者か分かっていない。まったく分かっていないわけではないが、何人かいるはずの中の誰かが分からないのだ。当たり前だが、相手の性格もまったく知らない。礼儀は無用と言われても、素直に従えない。
「そうですか……ではお好きに。私はカミーユと申します」
「カミーユ殿……本日はどのようなご用件で?」
まったく心当たりがない。ベクルックスが知る限り、ハイランド王国で大事は起きていない。彼女がここを訪れる理由はないはずなのだ。
「お聞きしたいことがありまして。貴殿の御子。三男についてです」
「……どうして、そのようなことをお聞きになりたいのですか?」
相手の用件はあり得ないものだった。息子について知りたいと思う理由などベクルックスはまったく思いつかない。接点があることさえ驚きだ。
「貴方の御子が私の孫娘にちょっかいを出しているようですので」
「……はっ?」
「ですから、そちらの三男が孫娘にまとわりつているようですので、どういう人物か知りたいのです」
用件は「まさか」の内容。こんな用件を思いつけるはずがない。そもそも、これが事実だとしても、このようなことで自家を訪れる相手ではないはずなのだ。
「それはアークのことを言っているのですか?」
「そう。そのアーク殿。どのような人物ですか? そもそも彼は何故、勇者ギルドで働いているのです?」
アークの実家はハイランド王国でも名家といえるウィザム将爵家。三男とはいえ、勇者ギルドで勇者候補として働く立場ではない。勇者になりたいのであれば、自家の軍で働けば良い。なんといってもウィザム家は勇者の家系なのだ。
「……いくら貴女が当家の友人を名乗る方とはいえ、それを説明する義務は私にはないと思いますが?」
「面会を許してもらう為にその称号を使ったことは謝罪します。私は貴殿の御子と孫娘の関係が気になって尋ねているのです。貴方は当事者の親として応える義務があると思います」
「「あ、あの、アークは本当に貴方の孫娘……そもそも孫娘?」
目の前の女性は孫がいる年齢には見えない。仮にいたとしてもまだ幼子。三男のアークとは十歳以上は離れているはず。どうこうなるはずがない。
「お疑いでしたら勇者ギルドに確認を。二人は間違いなくパーティーを組んでます」
「勇者ギルドのパーティー? そういうことですか? それなら……い、いや……貴女の孫娘とパーティーを?」
勇者ギルドでパーティーを組んでいるくらいであれば。こう思ったベクルックスだったが、途中で思い直した。二人が組んだ意味。もし意味があるのであれば、放置しておくべきことではない。
「近頃、組みました。孫娘が言う通りであれば、最適な相手のようです。お互いに」
「……それはない。アークは本来、勇者ギルドで働くべき者ではない」
「それは魔法が使えないから?」
「そうです。戦闘技術だけなら、そこらの勇者候補に勝ることはあっても劣ることはありません。ですが技術だけではどうにもならないのが勇者ギルドです」
戦闘技術に関しては幼い頃から鍛え上げている。ウィザム将爵家の子として恥じない実力を、それどころか誇れる技量をアークは得ている。才能があると、贔屓目なしでも、言える。
だが勇者ギルドで働くとなれば別だ。低ランクであれば通用する。だが。ある線を超えることは決して出来ない。魔法が使えないと言うことはそういうことなのだ。
「落ちこぼれを見捨てたわけではない。では、どうして勇者ギルドで働くことを許しているのです?」
ベクルックスはアークの実力を認めている。勇者ギルドでは通用しないと考えているだけだ。そうであればどうして自家に残さず、勇者ギルドで働かせているのか。この疑問が強まる。
「……アークは私を恨んでいます。それが家を出た理由で、私が連れ戻せない理由でもあります」
「姉の件ですか?」
「ご存じでしたか……そうです。アークの姉、私の長女はADUに殺されました。ですが、アークは生きて捕らわれていると信じている。姉を助けようとしない私を恨んでいるのです」
「だから自分で助けようとしている……無謀というか、なんというか」
魔法を使えない以上、必ず壁にぶち当たる。乗り越えられない壁だ。そもそも、仮に魔法が使えてもADUから姉を救出することなど、まず出来ない。ADUはそんな組織ではない。
「どれだけ頑張っても、せいぜいBランクに上がる程度。それ以上は無理です。だからこそ、好きにさせているのです」
「貴方の息子はそのBランクにあがった。この先、さらにランクはあがるかもしれない。いえ、あがる可能性のほうが高いでしょう」
「それはあり得ない」
「それがあり得るのです。私の孫娘と組んでいれば。私の孫娘は彼の能力を最大限に引き出せる。その彼の最大限の能力がどれほどか、貴方は知っていますか? 私はそれを知りたくて今日ここに来ました」
BランクからAランク。さらに上に昇り詰める可能性は無ではない。絶対にあり得ないという考えは彼女にはない。あり得ないことを成し遂げた仲間を、彼女は知っている。側で見続けていたのだ。
「……幼い頃から鍛えていますので、戦闘技術に関しては同年代では優れているほうです。才能もある。あとは……人とは異なる変わった才能もあるといえばありますが……」
「その変わった才能というのは?」
「説明が難しいのですが……猫のようなバランス感覚というのが適切でしょうか? 宙に放り投げてもきちんと着地します」
「それが才能?」
猫のようなバランス感覚を有している。確かに特別だとは思う。だが、地面に正しく着地出来ると言われても、凄さを感じない。
「幼い頃からの訓練の結果かもしれません。娘が、長女はアークを特別可愛がっていて、赤子の頃から天井に向かって放り投げたり、二階から落としていたりしていました」
「それは……可愛がるとは違うような……?」
「最初は私も虐めていると思って、気を病みました。ですがアークが喜んでいるので……やはり、才能です。最初から大きな怪我はしなかったのですから」
アークと長女の関係性は父親であるベクルックスも良く分かっていない。虐めていたのか可愛がっていたのか。実際のところは分かっていないのだ。ただ間違いないのはアークのほうはそんな姉を慕っているということ。姉の為に家を出て、無謀でしかない救出を試みようとしているのだから。
「……そうですか」
父親のベクルックスは息子の才能を完全には理解していない。それとも分かっていて惚けているのか。この判断は難しい。
「貴女のお孫さんはどのような方なのですか?」
アーク個人の能力では上位ランクには上がれないはず。彼女がBランクどころか、さらに上に行く可能性があるというのであれば。それは孫娘の能力が高いからだとベクルックスは考えた。
「……支援魔法を使えます」
「支援魔法……その他には?」
支援魔法は言葉通り、味方を支援する為の魔法。直接的に敵を倒す魔法ではない。それだけでは上位ランクに行けるとは思えない。
「それだけです。孫娘の支援魔法が貴方の息子の能力を最大限に引き上げます。貴方の息子は孫娘の魔法を最大限に活かしてくれる。そういう関係と私は理解しています」
「……他のメンバーは?」
彼女はアークを過大評価している。もしくは他に優秀なメンバーがいる。ベクルックスはこう考えた。
「いません。二人だけのパーティーと聞いています」
「……それでは上位ランクにはなれません。もちろん、この先、メンバーを増やそうとするのでしょうが」
勇者ギルドはそんなに甘いところではない。戦闘の才がある者たちが集まって競い合い、その中でもさらに特別な存在を選び出す組織なのだ。
「父親としての彼への評価はその程度ですか……」
「勘違いをなさらないで頂きたい。私は、長幼の序に拘らなければ、アークこそ跡継ぎに相応しいと考えています」
「魔法が使えなくても?」
「魔法が使えないからこそです。勇者の家系である我々ですが、初代の栄光に頼るだけでいたわけではありません。特別な存在が生まれなくても、ウィザム家はウィザム家であり続ける。そうあらねばならないのです」
勇者ウィザムという稀有な存在から始まったウィザム将爵家だが、常にそういう存在が生まれるわけではない。数代はそれを期待していた。だが叶わなかった。それでもウィザム家はウィザム家であり続けなくてはならない。凡人が当主、といっても厳しい鍛錬を幼い時から続け優秀な将に育て上げているが、であっても武門の誉を守り続けなければならないのだ。
「そうですか……私が心配しているのは二人が出会うべくして出会ってしまったことです」
ベクルックスのアークへの評価は言葉にしている通り。それは分かった。それが間違った評価であることを、わざわざ教えるつもりはない。
「どういう意味ですか?」
「私は孫娘が人生を全うしてくれることを願っています。その為に教えるべきことは全て教えてきました」
一般には禁呪とされている魔法も。周囲を殺しても孫娘のミラには生き続けて欲しい。この想いからだ。
「それは私も同じです」
「ですが、叶うことなら孫娘には平穏な人生を送って欲しいと思っています。貴方の息子との出会いがその邪魔をするものであれば、引き離さなければなりません」
「……それはアークの責任でしょうか?」
カミーユの言う「引き離す」の意味。その手段を考えるとベクルックスは不安になる。彼女は常識から外れた存在。あり得ない手段を選ぶ可能性も否定出来ない。
「そうは言っていません。出会うべくして出会う運命であれば、どちらがどうという話ではありませんから」
「運命という言葉を使うほどの出会いだと?」
「出会いが運命か、偶然か、何の意味もないものかなんて最初は分かりません。何か事を為した後に初めて分かることです。私とウィザムの出会いがそうであったように」
「そ、それは……そんな、馬鹿な?」
ウィザム家の友人という名乗りは、勇者であったウィザムと共に戦った仲間たちの血筋に許されているもの。未来永劫、戦友たちとの繋がりを忘れないというウィザムの誓いのようなものだ。栄光を独占することになったことへの償いの意味もある。
ベクルックスは彼女を初代の戦友の後裔だと思っていた。だが今の彼女の言葉はそうではないことを意味する。聞き間違えでも、言い間違えでも、嘘でもなければの話だが。