二人が所属する勇者ギルドは、勇者ギルドの組織全体で見ると、ハイランド王国支店ということになる。この大陸には都市国家も含めると二十を超える国があり、それぞれに勇者ギルドの支店があるのだ。
ハイランド王国は、領土の広さでは小国に分類されるが、国力となると上位に位置する国。特に軍事力では、先の人魔大戦を勝利に導いた勇者の血筋がいるということで、高く評価されている。
「……さて、どうしたものかな?」
勇者ギルド、ハイランド王国支店の支店長はモードラック。その彼は机の上に広げられている書類を見ながら悩んでいる。中身はある討伐依頼について。その結果について記されている書類だ。
「たった二人で二百頭のマーダーウルフ退治。しかもCランク勇者候補。普通ではあり得ない」
モードラックが悩んでいるのはアークとミラの依頼結果について。あり得ない結果をどう評価すべきかを悩んでいるのだ。
「だが現実に二百頭分の部位が存在する。何か隠しているのでなければ、事実ということか」
「討伐したのは事実だよ」
「……カミーユ殿。無断で執務室に入られては困るのですけど?」
声を掛けてきた女性は勝手に執務室に入ってきた。それなりに警戒されている執務室に。それが出来る女性なのだ。
「私が勇者ギルドに出入りしているところを見られても困るだろ? 気を使ってやったのだよ」
「それはどうも。それで何の御用ですか?」
「支店長が今悩んでいるのと同じ件。私が知りたいのは孫娘と一緒に戦った子が何者かだけどね?」
女性はミラの祖母。アークが何者かを調べる為に、情報を持っているモードラックに会いに来たのだ。事前に約束を取り付けることなく。
「守秘義務があるのですけど?」
「可愛い孫娘に変な虫がついたのではないかと心配しているのだよ。少しくらい良いじゃないか」
「いや、それ、完全に個人的な事情ですから」
よほど特別な事情、国家的な問題に絡んでいるとかではなければ、勇者候補の個人情報は勇者ギルド外に公開出来ない。規則でそうなっている。
「じゃあ、支店長が何を悩んでいるのかを教えな」
「……ランクについてです。依頼達成ポイントでランクがあがることになりますが、本当にあげて良いのかを悩んでいました」
「依頼を達成したのは事実だ。私の孫娘はいんちきなんてしないよ」
「不正を疑っているわけではありません。単純に加算すれば二人はBマイナスランクになります。CランクとBランクの依頼の違いは説明しなくても分かりますよね?」
Cランクの依頼とBランクのそれはその難易度が別物。二人は高報酬ではあるが、危険な依頼を引き受けることが出来るようになる。それを許して良いのか。二人はその依頼を達成出来る実力があるのか。二人ともが無事で達成出来るのかを支店長は心配しているのだ。
「……では、こちらから先に情報を提供してやるよ。その子、ミラの魔法に耐えてみせたらしい。耐えたどころか『温かい魔法』とまで言ったそうだ」
「なるほど……その結果がこれですか」
ミラの魔法についてはモードラックも知っている。この支店では支店長である彼だけが知っているのだ。今はアークも加えて二人になったが。
「……その反応。やっぱり、何かあるのだね?」
モードラックは、もっと驚いて良いはず。ミラの魔法に、死ぬことなく耐えきったということは、とても重要で、特別なことなのだ。
「そうですね……考えてみれば、これは私が扱うより、貴女に任せたほうが良いものでした。相手の子が何者か。ここに書かれている通りです」
モードラックは重なっていた書類の下のほうから一枚の紙を取り出した。アークについて書かれている書類だ。モードラックはアークの素性について知ってはいたが、もう一度、詳細を確認しようと思ったのだ。
「……どうして、この子は勇者ギルドにいる?」
本来は勇者ギルドで働いているはずのない素性。そうであることをカミーユは知っている。
「ADU(Anti Demon union)。反魔人連合絡みです」
「……何があった?」
カミーユにとっても因縁のある組織。その組織の名が出てきたことで表情が曇った。
「彼の姉がADUに殺されています。聞いた話では、彼は姉の死を認めず、今も捕らわれていると信じているそうです。それで家を出て、ここに」
「姉を助ける為か……とはいえ、それで家出を許すかい?」
「その辺の事情は私には。直接、実家に聞かれたらいかがですか? 貴女にはそれが出来るはずです」
アークの実家ともカミーユは因縁がある。そういう相手と彼女の孫娘であるミラは出会い、パーティを組んだ。この事実にもモードラックは因縁を感じてしまう。運命と言い換えても良い。
「……なるほどね」
「Bランクにあげても大丈夫だと思いますか? それとも実家の意向も確かめるべきでしょうか?」
「それも私に聞けと? どうでも良いけど、勇者ギルドが規則に従わないで良いのかい?」
「あくまでもギルドの規則に従うべき。それは分かっています」
勇者ギルドは公正中立。定められた規則に従い意思決定し、行動する。特定の王国、組織、個人の意向でそれを曲げることは許されない。モードラックも当然分かっている。分かっているが、一支店長が背負うことではないと思うこともある。今回もそう思っているのだ。
「……孫娘には無理をしないように言っておく。この子には孫娘の魔法に頼る気はないようだ。自分がもっと強くなれば、使う必要がなくなるとまで言ったらしい」
「それはそれは……もしかして私は未来に対する重要な選択をすることになっていませんか?」
「大げさな。孫娘の未来も、この子の未来もまだ何も決まっていないよ。体に流れる血で全てが決まってしまうなんて考えは可哀そう過ぎる」
出来ることなら、孫娘のミラには自分とは違う平穏な人生を送って欲しい。自分の好きなように生きて欲しい。カミーユはそう思っている。歴史に名を刻むこと、一時の名誉など幸せになる為の何の役にも立たない。彼女はそれを知っているのだ。
◆◆◆
勇者ギルドの討伐依頼は大きく分けると三つ。魔獣と呼ばれる普通の獣より遥かに強力で獰猛な獣の討伐が一つ。どういった魔獣か、数によっても依頼ランクは変わるが他の二つに比べれば全体として低ランクになる。
あとの二つは妖魔討伐と魔人討伐。妖魔と魔人の違いは曖昧なところがあるが、一般的には知性の差とされている。本能的に人を襲うのは妖魔。代表的なのはゴブリンやオーク。半魚人、半獣人とされている存在も妖魔に分類される。
一方で魔人は人族と同等の知性を有している。魔人の中でもいくつか種族はあるが、魔力に優れ、人族よりも長命。数百年を生きる種族もいる。妖魔を従わせる存在でもある。
二百年前の人魔大戦は魔人族と人族の戦い、となっている。ほとんどの人族は誤認しているが、正確には、魔王を名乗る魔人との戦いなのだ。余談だ。
アークとミラはBマイナスランクにあがった。Bランクになると妖魔討伐の中でも低ランクな依頼は受けられるようになる。報酬と討伐ポイントは段違いだが、それに比例して危険も大きい。CとBでは大きく違う。勇者ギルドの勇者候補として、本当の意味で認められたということなのだ。ただ、あくまでも候補だ。
「げっ!? こんなに!?」
いきなりスローモーションになったような感覚。その変化にアークは戸惑っている。ただ戸惑っていても、攻撃は止まらない。振り下ろした剣は目の前に迫っていたマーダーウルフを真二つに切り裂いた。
「……いやあ、びっくりした」
「普通に反応出来る君に、私がびっくりだよ」
速度向上の魔法効果を得ていた状態から、一瞬で力向上に魔法効果は切り替わった。それに反応出来たアークにミラは驚いている。他者と戦った経験が少ないミラだが、アークの動きが、支援魔法効果も同じだが、常人とは異なるのは分かる。
「上手く行かないな」
ただアークにそれを喜ぶ気持ちはない。気付いていないのだが、知っても同じだろう。目指すのはもっと高みなのだ。二人はミラが考えた仮説を試している。アークの無属性の魔力を複数の属性に変換させることが出来れば、異なる魔法効果が同時に得られるという仮説だ。
「やっぱり、訓練場で出来るようになってからにしたら?」
検証は依頼の中で行っている。常時依頼での魔獣討伐だCプラスランク依頼なので格下依頼だが、実戦であるからには。ひとつ間違えば大怪我することになるかもしれない。リスクがある中で試すのは止めた方が良いとミラは思った。
「緊張感がある中でないと感覚は掴めないかと思って」
「それで? 掴めたの?」
「まったく。属性が付与される感覚ってどういうものだ?」
いきなり同時に二つは無理でも。属性が変わる感覚を掴みたい。それが出来ないと属性が付与される魔力を制限することなど出来るはずがないかアークは考えている。
「……さあ?」
「ええ? 魔法が使えるのに分からないの?」
「そんなの意識したことないもの」
属性が付与される感覚などミラは意識したことがない。魔法を使う時にそんなことは考えない。
「じゃあ、意識してみろ」
「私がやってどうするのよ?」
「分かった感覚を俺に教えろ。多分だけど、魔法が使えない俺より、お前のほうが魔力の感覚が優れているはずだ」
アークは魔法を使えない。魔力を感じることがない。それに比べてミラは魔法士だ。魔力の変化に敏感なはずだとアークは考えた。
「なるほど。悔しいけど納得」
アークの考えは正しい。そう思ったミラはすぐに確かめ始めた。呟かれる詠唱。巻き起こった風は、アークではなく、彼女の体を包み込んだ。
「……どうだ?」
「う~ん。どうだろう? 感覚としては風に包まれた感じ?」
「お前、馬鹿だろ?」
「なんですって!?」
アークに馬鹿呼ばわりして起こるミラ。だが、これに関しては、アークに文句を言われても仕方がない。
「お前が風に包まれたのは、俺もこの目で見た。そのままじゃないか?」
アークが見た光景を、ミラはそのまま言葉にしただけ。それでは魔力に属性が付与される感覚のヒントには、まったくならない。
「だって……そうだもの」
「実際にそういう感覚ってこと? 風に……同じ魔法を俺にかけてみて」
「……分かった」
また魔法の詠唱を始めるミラ。短い詠唱が終わると小さな竜巻が生まれる。その竜巻がアークの体を包んだ。二人が頻繁に使う速度向上の魔法。何度も経験したこれが、一番感覚を掴みやすいのではないかと考えたのだ。
「…………ああ……風ね」
「掴めたの!?」
「いや、掴めたというほどじゃない。ただ動いている中で魔法をかけられるのに比べれば、何か来たなって感覚があるだけ」
魔獣との戦いの中で魔法を受けるのとは違い、まったく体を動かしていない状態。魔力の感覚を得やすいと考えたのだが、それは正解だった。正解だったが、あまりに微妙過ぎて、成功と言えるようなものではなかった。
「何か、か……属性ごとの違いを感じられないと……仮説は間違いだったかな?」
何かを感じるだけでは意味はない。属性の違いを感じ取り、さらにそれが付与される魔力量を制御しなければならないのだ。実現は無理。諦めの気持ちがミラの心に湧いてしまう。
「根気が足りないな。そんな簡単に出来るはずないだろ? 仮に考え直すとしても、それは訓練方法。普通とは違うことをしなければならないのかもしれない」
繰り返し、魔法をかけられるだけでは感覚は得られないかもしれない。得られるとしても何年も先の話になるかもしれない。ここまでまったく手応えはないのだ。
「……普通とは違うことよりも先に、普通に魔力を感じるようになることかも?」
「……それが出来るなら俺は魔法を使えている」
「だから、魔力と魔法は別だって言ったでしょ? 君が体内に魔力を宿していることは間違いない。確実に存在するものを当たり前に存在しているものと認識するの」
アークは魔力を有している。これは間違いない。そうでありながら本人は魔力の存在を認識出来ない。アークに説明しながらミラは。それがそもそもおかしいということに気が付いた。
「……どうして俺に魔力があることが分かる?」
誰もが魔力を有している。それはアークも知っている。だが多くの人の魔力は微量。魔法的効果を与えるものではないのだ。自分もそちら側。ずっとそうだと思ってきた。
「それは……分かるから」
分かるから。これが理由だ。別の言い方もあるが、そちらを選ぶつもりはミラにはない。
「全然、説明になっていないけど?」
だが当然。アークはその答えでは納得しない。彼にはまったく意味が分からない。
「……支援魔法の効果よ。君に支援魔法が与える効果はかなり強力。それは魔力が強い証だから」
アークが納得する説明をミラは思いついた。一般的な支援魔法は、魔法をかけられる側の魔力に属性を付与し、効果を生む。かけられる側の魔力と魔法効果は、属性の影響を除けば、比例するのだ。
「……そういうものか……でもな……」
魔力と魔法は別。アークはミラに教えられて、それを知った。彼女以外にそんなことを言う人はいなかったのだ。周囲からは、アークは魔力もかなり低いと見られていた。
「何? 私の話を信じないの?」
「だって、今まで魔力が強いなんて言われたことがなかった」
「……ああ、あれじゃない? 測定方法の問題」
「測定方法? 測定方法なんてひとつしかないだろ?」
魔力を測定する方法はある。アークも経験している。特別な測定方法ではなかった。一般的な、というより、その方法以外、聞いたことがない測定手段を使った結果、魔法の素質は皆無と判定されたのだ。
「だから、そのひとつが問題なの。通常行われている魔力測定は、属性の反応を見るもの。これだと無属性な君の魔力は反応しないはず」
魔力はどの属性により強く反応示すかで測る。属性判定と魔力を同時に調べる方法だ。だがこれでは無属性の魔力は反応しない。属性なしイコール魔力なしと判定されてしまうのだ。
「…………」
「……どうした?」
「いや……魔力があっても魔法を使えなければと思うけど……ないよりはあったほうが良いよな?」
自分には魔力がある。ミラが言うには強い魔力が。それが事実だとすれば、だからといって魔法を使えるわけではないとしても、やはりアークは嬉しく思う。常人では絶対に届かない高みに登れる可能性が、一パーセントくらいは生まれたかもしれない。
「何を当たり前のことを言っているの?」
「当たり前かもしれないけど。今までが当たり前が当たり前ではなかったからな」
「やっぱり、何を言っているの? 君は当たり前じゃない。特別なの」
「特別……まあ、そうか」
無属性の魔力を持ち、属性付与が出来ない。これは当たり前ではなく、特別なことだ。アークは特別な存在。本人はネガティブに考えているが、人とは異なる特別な存在であることは間違いない。
そして特別な存在は、特別な運命を背負っている。まだ二人はこれを知らない。本当の意味で自分たちが特別だとは考えていないのだ。