ミラの自宅は、アークのそれとは違い、勇者ギルドから離れた場所にある。グレンオードの町では裕福とされる人たちが住む、いわゆる高級住宅地の一角だ。そこに立つ、そのエリアの中では比較的小さいとされる一軒家。彼女はそこで暮らしている。
「ただいま戻りました」
一人暮らしではない。家族が同居している。家族といっても祖母一人だけだが。
「遅かったじゃないか? 何かあったのかい?」
つややかな黒髪。透き通るような白い肌。祖母と教えられても最初は誰も信じないだろう。母親でも微妙だ。
「……ちょっと想定外の事態があって」
「それじゃあ分からない。何があったか正直に話しなさい」
想定外の事態は今回が初めてではない。過去にも、少なくとも、二度あった。そのことでミラが苦しむことになったことを彼女の祖母は知っている。
「……マーダーウルフが……二百頭くらいいて」
「なるほど。それでまた人が死んだ? だから言っているじゃないか。もう辞めろって」
他人の死に対して、ミラの祖母は鈍感だ。彼女が気にするのはミラのこと。想定外の事態が起きた二度とも、ミラが所属していたパーティは、彼女を除いて全滅した。最初の時もミラの悲しみは深かったが、二度目はもっと酷かった。彼女はずっと自分を責めていた。同じ思いを祖母はして欲しくなかった。
「……死んでいない」
「何?」
「死んでいない。マーダーウルフは全て倒した。遅くなったのは死骸の処理に時間がかかったから」
「そうかい……良いパーティーを見つけたね?」
今回は誰も死んでいない。孫娘は傷ついていない。ほっと一安心だは。この時点では彼女は誤解している。孫娘は実力のあるパーティーメンバーの一人に加われたのだと考えていた。
「そう。アークは、褒めるのは癪だけど、凄いの。私の魔法をすごく活かしてくれるの」
「アークというのは……高ランク勇者候補のパーティーに入れたのかい?」
聞いた覚えのない名前。勇者ギルドの高ランク勇者候補についてはほぼ全員知っているつもりだった祖母だが、アークの名は初めて聞いた。
「ううん。私と同じCランク。でも今回の任務達成であがるみたい。私もランクアップ!」
「……そう。それは良かったね?」
想定外の危険な任務を終えた後も、孫娘がこんな風に明るくいてくれるのはありがたい。本人の強い希望を受け入れて勇者ギルドで働くことを認めたが、辛いばかりで良いことなんて一つもない。辞めて欲しいと祖母は思っていたのだ。
「それに……温かい魔法だって言ってくれた」
「温かい……? まさか……魔法を使った? それで、そのアークとやらは無事でいるのかい?」
「……そう」
ミラは浮かれすぎて、うっかり口を滑らせてしまった。祖母の表情を見て、彼女はそう思った。バーサーカーの魔法を使えることは他人に知られてはいけない。祖母にはきつく言われていたのだ。
「それで? そのアークは分かっているのかい?」
「……多分……で、でも、『ありがとう』って! 『助けてくれてありがとう』って言ってくれた!」
アークは知ってはいけない事実を知った。そのことで祖母に何かされることは防がなければならない。ミラはなんとかアークを認めてもらおうとしている。伝えていることは事実だ。ミラ自身はアークを信頼できる人だと思っている。
「どんな魔法か分かっていて、礼を言った? 本当かい?」
普通は、結果として命が助かったとしても、怒る。バーサーカーは死ぬまで戦わせる魔法。実際はそういう魔法ではないのだが、そう思われている魔法だ。かけられた相手はかけた魔法士が自分を殺そうとしたと思うのが普通だ。
「本当。それに自分がもっと強くなれば良いとも言った。自分が強くなれば、私が魔法を使う必要はなくなるからって」
「ふむ……」
普通とは違う反応。好ましい反応ではある。だがミラの話を鵜呑みにして良いのか。相手は本心を隠すために嘘をついているのではないか。こんな疑念も生まれている。
「そうだ。おばあ様に聞きたいことがあったの。アークは魔法を使えないと言うの。でも私には彼の魔力が感じられるの」
魔力がないわけではない。それなのにアークは魔法を使えないと思っている。彼女には不思議だった。
「一流の魔法士になりたければ実践だけでなく、机の上での勉強も大切だよ?」
「理由があるの?」
「その彼に当てはまるかは分からない。魔力と魔法の違いは?」
「……魔力に作用を付与するのが魔法?」
魔法は魔力に属性を付与し、その結果生まれる作用。無属性の魔力は何の作用もない、というわけではなく、身体能力を向上させる作用はある。だがそれは属性を持った魔力、属性を与えられた時の作用に比べれば僅かなのだ。
「お前の魔法は効いたのだから魔力そのものに問題はないはず。その彼は恐らく、自らの魔力に属性を付与させることが出来ないのだね」
「それって……?」
「簡単に言うと、魔法が使えない」
「そのまんまじゃない!?」
祖母の答えは自分が言った、本人であるアークも言った「魔法が使えない」そのまま。これまでの説明は何だったのかとミラは思ってしまう。
「きちんと理屈を分かっていることが大切なのだよ。理屈が分かっていれば問題を解決出来る。たとえば、魔道具を使うことで、その子は魔法を使えるのと同じ結果を得られる」
魔道具には魔道具そのものが魔法効果を発するもの、たとえば爆発する魔道具など、もあれば、持っている人の魔力に作用を働きかける魔道具もある。履くだけで動きが速くなるブーツなどがそれだ。実際には「履くだけ」でなく、魔道具のブーツが履いている者の魔力に速度向上の効果が出るように働きかけている。だから多くの魔道具の効果は補助的なものになる。常時、最大効果を発揮させていては魔力の消耗が激しくなるからだ。
「……私の魔法があれば高価な魔道具はいらないわ」
「おや?」
「……何?」
「いや、そうだね。支援魔法使いのお前と魔力があるのにそれを活かせないその子。良い組み合わせだね?」
魔道具があれば自分は不要。そう思われるのが嫌なのだ。仲間になってくれる人がいなくなったミラであれば、そう思うのも当然。だが本当にそれだけなのか。仲間になってくれる人ではなく、その彼をミラは求めているのではないか。そんな疑いが心に浮かんだ。
もしそうだとすれば。とりあえず、その不埒者が何者かを確かめなければならない。ミラの祖母はそう思った。
◆◆◆
今日は勇者ギルドから命じられた休養日。そうであるのに彼は勇者ギルドを訪れている。ギルドには訓練場がある。指導官もいる。体を休めることを命じられた今日は指導を受けることは出来なかったが、体を温める程度の運動は許された。午前中の運動を終えた後は食事だ。勇者ギルド内の食堂は外で食べるよりも安い。アークは依頼を引き受けられなかった日も食事は勇者ギルドでとっていた。今日もそうしている。
「あれ?」
アークが食事をしているとミラが現れた。
「えっ? どうして居るの?」
彼女のほうも彼がいたことに驚いている。約束があったわけではないのだ。
「家にいても退屈だから。軽く運動をして、昼飯にしているところ」
「そう。私は少し調べものがあって」
ミラは勇者ギルドの図書室に用があって来ていた。勇者ギルドには勇者候補として必要な知識を得る為の書物が置いてある。訓練場も図書室も勇者候補を勇者に育てる組織として必要な施設なのだ。
「調べもの? 何の?」
「君が魔法を使えない理由を調べに」
彼女の調べものは昨日、祖母から教わったことの続き。教わるだけでなく、自分でもきちんと調べてみようと考えたのだ。祖母に机上の勉強も大事だと言われたからでもある。
「えっ? 理由が分かったのか?」
「魔法が使えないから」
「水、頭から被りたいのか?」
飲むための水が入ったグラスを手に持って、彼女に突き出すアーク。馬鹿にされたと思ったのだ。
「駄目だなぁ。きちんと理屈を分かっているかが大事なの」
祖母に言われたことを、そのままアークに向けるミラだった。
「理屈? どういう理屈?」
「属性が付与された魔力が及ぼす作用が魔法の効果。つまり、君の魔力は属性を持たず、自分では属性を付与することが出来ない。だから魔法にならない」
「……なんとなく分かったけど、それが分かることに何の意味がある?」
なんとなくミラの言っていることは分かる。魔法には属性がある。その基となる魔力にも属性があるとされている。得意な属性魔法と苦手、もしくはまったく使えない属性魔法があるのはそれが理由だ。
では属性のない魔力というものが存在したら。それは魔法にはならないだろうと彼も思った。
「私の支援魔法で君の魔力は属性を付与された。つまり無属性というのは、どの属性にもなれる魔力だという仮説が成り立つ」
「ああ、そうかも。あっ、どの属性魔法でも効果が変わらないということか?」
火属性の魔力を持つ人に水属性の支援魔法をかけても効果は低い、もしくはまったくない。だが彼の魔力にそれはない。理屈では、全ての属性支援魔法で同等の効果が得られるということになる。
「甘い。甘いな、君は。その程度で私が満足するはずないでしょ?」
「満足って、俺のことだろ?」
「いいえ。二人のこと。私の仮説は、君なら複数の支援魔法が同時に効果を及ぼすのではないかということ」
アークが魔法を使えない原因は祖母に聞いて分かった。彼女はさらにその先を調べていた。それを欠点ではなく、強みにする方法がないかを調べていたのだ。
「複数……あれ? 支援魔法ってひとつしか利かないのか?」
「君……実践ばかりじゃなくて、机上の勉強も大切なのだよ?」
これも祖母から言われた言葉だ。
「自分には魔法は関係ないと思っていた」
「そっか……理屈では同時に複数の効果を得られるはず。属性の違う魔道具をいくつか身に着けても効果があるみたいだから」
程度は別にして、効果そのものはある。相性の悪い属性の魔道具を選ぶのは非効率とされていて、あえてそれをする人は滅多にいないとしても。
「でも魔法では一つとされている。何が違う?」
「私の仮説では、影響力の違い。魔道具は影響力が弱く、必要な魔力量も少ない。一方で魔法は影響力が強く、全ての魔力を一色に染めてしまう」
「……なるほど。ひとつの属性に染める魔力量を制限することで、複数属性魔法の効果が得られるって考えか」
全ての魔力を一つの属性にするのではなく、一部に制限して無属性の魔力を残しておく。その無属性の魔力に別の属性を付与すれば、複数属性の魔法効果が同時に得られる。考えとしてはアークにも理解出来なくもない。
「多分、効果は弱まる。でも君の支援魔法の効果は他の人よりも遥かに強い。制限しても十分な効果になると思う」
使う魔力量を減らせば、魔法の効果も減る。だがアークが支援魔法をかけられた時の効果は並外れているとミラは考えている。魔力量を減らしても普通の人と同じ。それで二つの効果が得られるのだから、これが成功すれば大きな力になると考えたのだ。
「実現したら凄いな。頑張れよ」
「何を言っているの? 頑張るのは君だから」
「それこそ何を言っている? 支援魔法を使うのはお前だろ?」
魔法については自分の管轄外。ミラの説明を聞いても、この考えは変わらない。魔法に関して、自分が何か出来ることはないとアーは考えている。
「君の魔力でしょ? 君が自分の魔力が一色に染まるのを防ぐの」
「どうやって?」
「それをこれから学ぶの」
どうすればそれが出来るのかはミラも分からない。ひとつの仮説を思いついただけ。それが正しいと証明されたわけでもないのだ。
「魔法を使えない俺が魔力を?」
「だから魔法と魔力は別って教えたでしょ? なんとかなるわよ。とりあえず……属性の違いを感じるところから?」
「疑問形じゃないか!?」