依頼で町の外に向かう場合、その移動は勇者ギルドが支援してくれる。これは歩く以外に移動手段を持たない低位ランク勇者候補にとってはありがたい。移動だけで丸一日、もしくはそれ以上かけているようでは稼ぎが少なってしまうのだ。
勇者ギルドにとっても依頼達成に時間がかかるのは望ましくない。移動手段の提供は勇者候補支援だけでなく、依頼達成期間を短縮することで顧客満足度を向上させる目的もあるのだ。
今回二人は馬車を利用した。普通の馬車ではない。魔獣に近い種の馬が引く特別な馬車だ。魔獣にはこういう用途もある。飼い慣らせることが前提だが、普通の動物よりも速く、体力もある魔獣は人の暮らしに様々な形で関わっている。大怪我させることなく魔獣を捕らえ、飼い慣らすことで稼いでいる勇者候補もいるくらいだ。それはもう勇者候補ではなく魔獣飼育の専門職だが。
「……到着、なのか?」
「とりあえず降りてみようよ」
馬車が止まった。だが窓から見える景色はこれまでと変わりはない。目的地である村があるように見えない。御者も何も言ってこない。想定外のことが起きた可能性もあるので、二人はとりあえず馬車を降りて確かめることにした。
「……何かありましたか?」
御者は御者台から降りて、先のほうを見つめている。馬車を進ませない何か理由があるということだ。
「……前に進もうとしません」
「えっ? あっ、馬が?」
「はい。目的地は先に見える村なのですが……」
御者が指さす先には確かに村がある。依頼人がいるはずの村だ。今回の依頼はマーダーウルフの群れが畑を荒らして困っているので、討伐して欲しいという内容なのだ。
「あそこまでなら歩いていきます」
「大丈夫ですか? 馬が怯えるような何かが起きている可能性もあります。無理をしないほうが」
「……大丈夫です。本当に危なさそうなら逃げますから」
御者の話を聞いて、わずかに躊躇いの気持ちが浮かんだが、アークは村に向かうことにした。本当に何が起きているのであれば、それは何かを確かめなければならない。何も分からないまま引き返しては、ただの依頼放棄になってしまう。達成出来ないと分かっていて依頼を受ける等、顧客の信頼を失うような行為は勇者ギルドからペナルティを課せられることになるのだ。
「どうする?」
「もちろん、行くわよ」
ミラも引き返すつもりはない。二人並んで、村に向かって歩き出した。
「……煙はあがっている」
村の中の建物から煙があがっている。火事ではなく、煙突からの煙だ。人が暮らしている証だとアークは考えた。
「……ねえ、貴方の属性は何?」
「属性なんてない。俺は魔法使えないから」
魔法には属性がある。風火水木の四属性だ。光と闇の二属性もあると言われているが、風火水木の四属性が一般的だ。
「魔法が使えない?」
「知らなかったのか? 割と有名だと思っていた」
勇者ギルドでは多くの人が知っていること。魔法を使えない彼をパーティに誘う人はいなかった。カテリナ以外は。
「そうは見えないけど……剣だけで戦うの?」
「そうだ……それを聞く、お前は何だ?」
「私……私は四属性全部」
「はっ!? 多属性使いなのか!? やっぱり凄い……あれ? それで使えるのが支援魔法だけ?」
複数属性の使い手は滅多にいない。彼が知る限り、今、勇者ギルドには一人もいないはずだった。それほど貴重な存在だ。貴重な存在なのだが、使えるのが支援魔法だけというのは微妙だとアークは思った。
「……悪かったわね?」
「別に良い。最初からそう聞いていた。それに支援魔法は俺にとってはありがたい」
接近戦を得意とする戦士系の勇者候補でも、単純な例だが、火属性と水属性魔法が使えれば攻撃力、風属性は速さ、土属性は防御力を強化して戦う。それが出来るから一般の人よりも、例外は存在するが、強く、勇者を目指そうと思う、そこまでの志はなくても勇者ギルドで働こうと思うのだ。
だが魔法を使えないアークは自らを強化する術を持たない。支援魔法はその弱点を補ってくれるものなのだ。
「でも属性が分からないと」
支援魔法の効果は相手の属性によって変わる。火属性の人には火属性の支援魔法が高い効果を与えられる。逆に水属性の支援魔法は効果が薄くなってしまうのだ。
「ああ、なんでも平気。少なくとも火属性と土属性の支援魔法は効果があった」
「それは、効果はあるだろうけど……」
その効果がどれほどのものかが問題なのだ。
「……とりあえず速度強化で頼む。あれを倒すのは速さが必要だ」
「えっ……嘘?」
話をしながら歩いているうちに村の入口にたどり着いていた。村では依頼人の村人、ではなく魔獣が出迎えてくれた。ざっと十頭はいるマーダーウルフの群れが。想定外の数の多さに焦るミラ。
「急げ!」
アークのほうはすぐに行動を起こした。ミラの魔法を待つことなく、前に駆け出していくアーク。魔獣も二人に気が付いて走ってきている。近接戦闘力が高くないだろうミラに、魔獣を近づけない為だ。
「まったく……私が凡人だったら支援魔法なして戦うところだから」
ミラの周囲に砂が舞い上がる。風によって地面から吹き上げられた砂だ。
「疾く風、熱き風、かの者の身に寄り添いたまえ。パズズ」
旋風が空に駆けあがる。これが支援魔法か、と魔法を知る者であれば思うだろう。彼女が放ったのは攻撃魔法にしか見えない。アークを攻撃する為に宙を走っているように見えてしまう。
「おっ!? って、速っ!」
周囲に風が舞い上がった。そう見えた瞬間、アークは自分の動きが加速したことを感じた。声に出して驚いてしまうほどの加速感だ。一瞬で魔獣が目の前に近づいてきた。実際は彼が魔獣に近づいたのだ。それに驚くことなく剣を一閃。魔獣の首を切り落とす。
「……加速系の魔法って良いな。攻撃力もあがる」
剣を振る速度があがったことで、素の状態よりも攻撃力もあがっている。以前経験した火属性の攻撃力をあげる支援魔法より使えるとアークは思った。
なんてことをゆっくりと考えている場合ではない。すぐに次の魔獣が、そのすぐ後ろには別の魔獣が来ている。
「……すごい。風属性っていうこと?」
そのアークの動きに支援魔法を使ったミラも驚いている。ここまでの動きが出来る勇者候補を彼女は初めて見た。それほど多く知っているわけではない。それでも彼は特別だと思う。
「ふう……思ったよりも余裕だった。いや、あいつのおかげか」
十頭のマーダーウルフ。少し厳しい戦いになると予想していたのだが、苦戦することなく倒すことが出来た。自分本来の実力ではない。そう錯覚するほど彼は愚かではない。
「おい! 魔法ありがとう!」
「…………」
「……ありがとう! 御礼を言っている!」
御礼を言っているのに彼女は無反応。こちらの声が聞こえなかったのかと思って、彼はもう一度、礼を告げた。
「……後ろ! まだいる!」
「何!?」
全て倒したと思ったマーダーウルフだが、まだ残っていた。建物の陰、建物の中から次々と姿を現した。
「……嘘だろ?」
その数は十頭、二十頭、それで終わらず、さらに数が増えていく。
「マーダーウルフが……こんな群れを……?」
これほど巨大な群れが存在するなんて、アークは聞いたことがない。通常は五頭くらい。最初の十頭でも異常なのだ。
「どうしよう?」
「馬鹿か、お前は!? どうして近づいて……」
すぐ隣に来てしまったミラ。接近戦を戦う力のない彼女が前に来てもマーダーウルフの餌食になるだけ。彼女の軽率な行動に文句を言おうとしたアークだが。
「……囲まれた」
ミラは来たくて近くに来たのではなかった。彼女がいた村の入口近くにもマーダーウルフが現れたのだ。何十頭というマーダーウルフが。
「……後ろの建物に入れ」
「それじゃあ、完全に囲まれる」
「もう囲まれている。だったらどこから襲われるか分からないこの場所より、建物の中のほうがマシだ」
「……分かった」
周囲はすでに完全に囲まれている、百頭を優に超えるマーダーウルフに完全に包囲されている。そうであれば建物の中のほうが戦いやすい。襲われる方向を限定出来る。彼の言う通りだとミラも思った。
扉を開けて、中に魔獣がいないか確かめながら中に入る。
「……えっ?」
扉が閉まる音。アークは建物の中に入ってこなかった。
「この魔法、どれくらい保つ!?」
彼は外で戦うつもりなのだ。
「効果がきれたらまたかける! でも……でも、貴方の体が!」
魔法は、魔力がきれない限り、かけ続ければ良い。だがそれで永遠に戦えるわけではない。彼の体がもたない。魔法で強度をあげた体、だがその負荷は元々の体を傷つける。魔法が効果を発揮していても、体が壊れてしまえば動けなくなる。
「魔法を使わなければ倒せない! だったら行けるところまで行くだけだ!」
体が壊れるのを気にしても意味はない。素の状態で百を超えるマーダーウルフを倒す自信はアークにはないのだ。
「……まただ……また私のせいで……」
絶体絶命のピンチ。ミラが、こんな状況に陥るのはこれが初めてではない。その度に仲間が死んだ。相手は仲間なんて思っていないかもしれないが、彼女にとっては大切な仲間が。また仲間を死なせてしまうかもしれない。自分のせいで。
「あっ……」
ガラスが割れる音。視線の先には、マーダーウルフがいた。持っている杖を構える。一頭だけであれば、なんとか。その思いと、いっそ自分が先に死んでしまおうかという思いが交差する。
「えっ?」
「無事か!?」
だが彼女は傷一つつけられることはなかった、建物の中に飛び込んできたアークがマーダーウルフを倒してくれた。
「また入ってきたら教えろ!」
「……私も!」
「何?」
「私も一緒に戦う!」
アークだけを戦わせて自分は安全な建物の中。マーダーウルフが入ってきても彼に守られるだけ。そんなのは嫌だとミラは思った。
「……何を言っている? 戦っているだろ?」
「えっ……?」
「一緒に戦っている。お前の魔法がないと俺は戦えない。だからお前を守ることは俺自身を守ること。お前が無事でいることは俺を守っているってことだ」
「…………」
アークは自分の魔法を必要としてくれている。それを言葉にしてくれたのは彼が初めてだった。大切な仲間を失った。それ以降、ミラを必要とする人は誰もいない。話しかけてくる人もいなくなった。
彼にマントを踏まれた時、最初は嫌がらせだと思った。でも違った。彼は自分のことを知らない。だからだと分かっても普通に話してくれるのが嬉しかった。
「頼む」
扉の外に出ていくアーク。自分がどういう存在か知らないまま、彼は死んでしまう。一緒に行こうという言葉が嬉しくて、駄目だと分かっていたのに、応じてしまった。そんな自分をミラは許せなかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
頬を伝う涙。届かない謝罪の言葉。それでも止められない。止まらない。後悔は一生消えることはない。
「……なんなんだ、これ? こんなバカげたことが、あるのかよっ!!」
倒しても倒しても湧いてくるマーダーウルフ。こんなことがあるはずがない。これほどの数が、人が暮らす村の近くにいれば、もっと大問題になるはず。それこそSランク勇者候補の、いるのか彼は知らないが、出番だ。
「……ヤバい……さすがに限界か……」
魔法の効果とは関係なく、戦う力が失われていく。体が限界に近づいている。いよいよ、その時がやってきた。
「ここで……こんなところで……俺は死ぬわけにはいかない」
薄れていく意識を無理やりとどめて剣を振るう。魔獣の体を切り裂く感覚。確かな感覚が手に残った。
「……いける……いける? あれ?」
剣を握る手に力を込める。まだいける。確かな手ごたえを感じる。死に際の最後の灯。そういうものかと思ったが、そうではないことに気付いた。建物の中から聞こえてくる声。何を話しているか分からないが、ミラの声が聞こえてくる。
だが声は耳から聞こえてきているのではなかった。誰かの声がアークの心に届いている。「頑張れ、頑張れ」という声が。
「……これ……まさか……どうして彼女が?」
アークには心当たりがあった。自分の体に対する作用。諦めかけていた心が今は戦意に満ちている。そんな魔法があることを彼は知っていた。
「……温かい……想像していたのとは違うけど……何でも良いか。とにかく俺は、戦える!」