勇者ギルド。かつては傭兵ギルドと称していたこの組織は、およそ二百年前の人魔大戦以降、今のように名乗るようになった。世界を混乱に陥れ、人々に恐怖を与えた存在、魔王を倒した勇者が傭兵ギルドの一員だったことからだ。
組織の名称は勇者ギルドであるが、所属している者たちは、正式には、勇者ではなく勇者候補。勇者として認められるには多くの実績をあげなければならない。
勇者候補のランクは大きく分けると四つ。SABCの序列がある。さらに一ランク内も三段階あり、加入したばかりの最低ランクはCマイナスランク、その上がCランク、さらに上がCプラスランクとなり、もう一ランクあがるとBマイナスランクということになる。これは傭兵ギルドの時代とまったく同じ仕組み。つまり、勇者と認められるにはSプラスランクになるだけでは足りないということだが、この事実を理解している者はほとんどいない。
ランクがあがる仕組みも傭兵ギルドの時と、ほぼ変わらない。ギルドに寄せられる様々な依頼を達成することでポイントが得られる。簡単な依頼は得られるポイントは少なく、難しい依頼は多くのポイントを得られる。ただし失敗した場合は減点。しかも減点ポイントはかなり大きいので、一か八かで達成できない依頼を受けることは得策ではない。依頼人の信用を損ねない為と無理な依頼を引き受けて勇者候補が大怪我、もっと酷い、命を失うような結果にさせない為だ。
さらに依頼にもランクがあり、引き受けるにはランク条件を満たさなければならない。単独で引き受ける場合は勇者候補ランクが依頼ランクと同等か一ランク下であること。Cランク依頼を受けられるのはCとCプラスランクの勇者候補となる。複数人数、パーティーで引き受ける場合は平均ランクの上下一ランク以内。但し一番低いランクの勇者候補が平均よりも三ランク以上離れている場合は、その最低ランクが基準になる。実力もないのに上位ランクのパーティに加わることでポイント稼ぎをすることを防ぐ為だ。
この依頼ランクとパーティー平均ランクの制限があることで、パーティメンバーは流動化することになる。言葉を選ばなければ、落ちこぼれは排除されてしまうのだ。
「えっ? どういうこと?」
「カテリナの説明は聞こえていただろ? お前にはパーティーを抜けてもらう」
今日も落ちこぼれ勇者候補に悲しい現実が突きつけられることになる。
「パーティーを抜けてって……このパーティーは僕とカテリナで作ったものだ。二人で頑張ってきた。そうだよね?」
外される側は当然、納得いかない。この彼もそうだ。「はい、分かりました」なんて、すぐには答えられない。黒髪の、まだ男の子と表現するほうが合っている若い勇者候補は、青い瞳をまっすぐに正面の女性、こちらもまだ若い、に向けた。
「アーク。ごめんなさい」
だが彼女の口からは求める言葉は出てこなかった。伏し目がちに彼を見ながら、謝罪の言葉だけを口にした。
「ごめんなさいって……」
信じられない言葉。このパーティーは、謝罪を口にしたカテリナと二人で立ち上げた。組もうと誘って来たのも彼女だ。そんな彼女の為に、アークはこれまで尽くしてきたつもりだった。
「アーク。私は貴方のことを大切に思っているの。だからこそ、これ以上、一緒に戦うことは出来ないの。貴方が傷つくことが耐えられないの」
一転、顔をあげて自分の想いを口にするカテリナ。長いまつ毛の切れ長の青い瞳がまっすぐに彼を見つめている。普段であれば、ときめくところだが、今がそうはならない。
「僕が傷つくって……どういうこと?」
彼女の「パーティーを抜けて欲しい」という言葉がなによりもアークを傷つけている。彼女の説明は彼には理解出来ない。
「足手まといという意味だ」
問いに答えたのはカテリナではなかった。同じパーティの一員、フェザントだ。彼よりも後から加わったフェザントだが、後輩だからという遠慮はない。年上であるフェザントのほうが、いつもアークに対して上から目線で接してきている。
「フェザント、それは……」
「はっきりと言ってやらないと、こいつは分からない。良いか? 俺たちはもっと上を目指す。その為にはもっと高ランクの依頼を引き受けなければならない。お前がいるとそれが出来ないんだよ」
アークのランクは低い。あとから加わったフェザントよりも。フェザントはカテリナの才能を知り、より早くランクアップが見込めると考えて、元いたパーティーを抜けて、仲間に加わった。最初からアークよりも上位ランクだったのだ。
「……僕がもっと頑張ってランクを上げれば。そうしたらまだ一緒にいられるよね?」
「ごめんなさい。もう遅いの」
「遅いって、どういうこと?」
「それは君が抜けた後に私が加わることが決まっているからだよ。Aランク勇者候補の私がね」
割り込んできたのはアークが知らない男。自分の知らないところで話が進んでいたことを彼は知った。
「セーヴィント! どうしたの? 今日は来られないと聞いていたのに」
アークが何かを言う前にカテリナのほうが現れた男、セーヴィントに話しかけた。ただ話しかけただけではない。椅子から立ち上がって、寄り添うような姿勢で話している。現れたセーヴィントのほうもそんな彼女の腰にさりげなく手を回している。
アークの嫉妬心をあおる二人の様子。だが彼の内心になど、二人はまったく興味がないようだ。
「心配になってね。話はうまくまとまっていないようだね?」
「そんなことないわ。きちんと分かってくれた。そうでしょ、アーク?」
「えっ……?」
納得した覚えはまったくない。現れた男の言う通り、まだ揉めているところだ。
「離れても貴方のことは忘れないわ。これまでありがとう」
だがカテリナはこれで話を終わらせてしまう。話を終わらせただけではない。セーヴィントを連れて、別のテーブルに向かってしまった。その様子を呆然と見つめるアーク。彼の知らない、実際は見て見ぬふりをしてきた、彼女の本性がそこにはあった。
「……まあ、あれだ。俺も、あれはどうかとは思っている。本当に」
アークに向かって「足手まとい」だと厳しい言葉を投げつけたフェザントだが、カテリナの今の態度に対しては申し訳ないという思いがあるようだ。アークには優しい自分を演じて見せながら、別の場所では裏切っている。そんなカテリナを知っているということも、フェザントがアークに同情する理由だ。
「あの人は?」
「カテリナが連れてきたので詳しいことは俺も知らない。王国の世襲騎士家の人間だと聞いている、あとランクも」
「カテリナが勧誘……そんな……」
パーティーの定員は最大五人。数に物を言わせてポイント稼ぎを行うということをさせないために人数の制限が設けられている。このパーティーはすでに満員だ。新しい人を勧誘するということは誰かを辞めさせることを決めていたということ。自分を追い出したいのは彼女だったということだ。それがアークには信じられない。
「上昇志向が強いからな」
「でもカテリナは魔法が使えない僕に、一緒にやろうと言ってくれた」
アークは魔法が使えない。勇者ギルドに加入しようなんて考えられるのは普通の人よりも戦う才能に優れているから。最終目標は勇者なのだ。それは当然のことだ。魔法が使えない彼は、その事実だけで「足手まとい」と見られるのだ。
そんな彼をパーティーに加えようなんて勇者候補はいなかった。唯一、カテリナだけが例外だった。誰にも相手にされない自分を彼女は救ってくれた。彼女の為に尽くそうとアークは、その時、誓ったのだ。
「それだって……いや、まあ、諦めろ。一緒にいると危険な目に遭うのは事実だ。お前はお前のランクにあった仕事に戻ったほうが良い。じゃあな」
これ以上は何を話してもアークを傷つけるだけ。厳しい言葉を伝えたのも、そのほうが彼の為になると考えたからだ。フェザントは性格が悪いわけではないのだ。
フェザントもテーブルを離れ、残ったのは彼とここまでずっと黙って話を聞いていたメンバーの一人だけになった。
「……陰から支えるなんて今時流行らないことをしているから」
「うるさい。余計なお世話だ」
残った一人、ピジョンに対しては口調が変わるアーク。先ほどまでの気弱な雰囲気もまったくない。
「あと、大人しめの性格の男も魅力的ではないかと」
「意外性は女性の気を引くには有効だと聞いた」
おどおどした雰囲気は演技。彼女の気を引く為に彼はずっと素の自分を隠してきた。といっても、もともとは別の事情があってのことで、カテリナとパーティーを組むことになってからも、素に戻る機会を見つけられなかったのだ。
「それは意外性を見せてこそ意味があること。ずっとおどおどしていては意味がないと思いますけど?」
「……これから見せるはずだった」
「手遅れです。でも、まあこれで良かったと思いますけど? 踏み台扱いは気に入らないでしょうけど、目が覚めたでしょ」
「カテリナはそんな女性じゃない、彼女は魔法を使えない俺を誘ってくれた。とても優しい人だ」
カテリナに裏切られた。頭では分かっていてもアークはそれを認めようとしない。アークの心の中のカテリナは優しくて美しい理想の女性なのだ。
「フェザントが言いかけていましたけど、それは自分が中心になりたいから。女性の彼女を中心にパーティーを組もうなんて相手が他にいなかったから誘われただけです」
パーティには中心になる人物がいる。その中心人物、パーティー主が勇者になれるのだ。他の人たちは勇者誰々のパーティーの一員と見られる。実際にどう見られるかは実例がないので分かっていないが、世間ではこう思われている。
だから皆、自分のパーティを作ろうとする。だが一番の実力者と認められなければ加わってくれるメンバーはいない。アークとパーティを結成したばかりのカテリナはそうだった。だから誰にも相手にされないアークを誘ったのだと、ピジョンは思っている。
「そんなことはない」
「人を、いや、女性を見る目をもっと養ったほうが良いのでは? 彼女は成り上がる為であれば、なんでも利用する女です」
女性であることも。新しいメンバー、それもAランク勇者候補を加えることが出来たのは、彼女の美貌があってこそ。色仕掛けが成功したのだとピジョンは思っている。
「失礼なことを言うな!」
アーク以外のメンバーは彼女のことをそう見ている。違うのは彼だけだ。恋は盲目という言葉があるが、彼は正にその言葉通り、彼女の本性がまったく見えなくなっているのだ。
「……とにかく、もう戻れません。とりあえず二人で始めますか?」
「誰がお前なんかと。加入を認めたのはカテリナの為になると思ったからだ。彼女のいないパーティーでお前と戦うつもりはない」
「では、また一人で?」
「そうする。じゃあな」
今度はアークが席を立って。この場から離れる番だ。怒りの感情が残っているのは、その歩き方で分かる。それを見て軽く首を竦めるピジョン。拒絶された身だが、そうされることは予想出来ていた。彼が自分を疎ましく思っていることをピジョンは知っているのだ。
この先、どうするか。これは自分で決めることではない。指示がくるまで、しばらくは様子見。ピジョンは、そういう立場なのだ。
◆◆◆
勇者ギルドがある場所は、ハイランド王国の王都から馬で五日ほど移動した町グレンオード。彼が活動している勇者ギルドは、ということであって他にも拠点はある。この場所はもっともハイランド王国の王都に近く、それでいて高ランク依頼が舞い込む拠点。つまりこの辺りは比較的危険な地域ということだ。
アークはこの町で部屋を借りて住んでいる。一部屋だけの狭い部屋。駆け出し勇者候補が借りる安アパートだ。
(……明日はどうするかな?)
今日は依頼を引き受けないで帰ってきた。そんな気になれなかっただけでなく、この時間ではアークが単独で引き受けられる依頼はまずない。加入したばかりの駆け出し勇者候補たちが早朝から待って、全て引き受けてしまっている。彼も最初はそうしていたので分かる。
(あっ、そうか。まずは手続きをしないと。パーティーに所属したまま……)
パーティーを抜ける手続きが必要、と思ったが、それは不要だった。勇者ギルドの登録カードがそうであることを示していた。所属パーティ欄が空欄になっていたのだ。登録カードは魔道具で、勇者ギルドの拠点に近いこのアパートではリアルタイムで情報を参照出来る。WI-FIが繋がっているからではない。
恐らくはカテリナがギルドで手続きを行った。パーティーは彼女のパーティーとして登録されている。彼女が全ての手続きが出来るようになっているのだ。
(…………)
速やかな手続き。彼にとってはショックなことだ。彼女と二人で創設したパーティーのつもりだった。二人で大きくしたつもりだった。だが、彼女にとって自分はただの踏み台。用済みになって捨てられた。今もまだ信じたくはない。
(俺には他にやることがある。それをやるだけだ)
彼が勇者ギルドに加入したのは目的があるから。勇者になるのとは違った目的があるからだ。彼女に出会う前、彼はその為に頑張っていた。強くならなければならない。勇者になることには興味はないが、ランクをあげて引き受けられる依頼を増やさなければならなかった。
だがそれは思うようにはいかなかった。目的を達成することなど夢のまた夢。現実を知った彼は勇者ギルドで働く意味を見失いかけていた。
(……また一人で)
彼女の前にもパーティに誘ってくれる人はいた、だが魔法が使えないことを正直に伝えると、その場で話はなくなった。やがて彼が魔法を使えないことは知れ渡るようになり、誘ってくれる人はいなくなった。魔法が使えない=戦力にならない。そんな彼を自分たちのパーティーに加えたいと思う人がいるはずがない。
だから彼女から誘われた時は驚いた。魔法が使えなくても良いと言ってくれた時は嬉しかった。本来の目的を忘れることはないが、彼女の為に尽くそうと思った。
(俺はたどり着けるのだろうか?)
彼に戦う力がないわけではない。普通の人と比べれば、戦闘力は遥かに高い。ただ魔法が使えるというだけの駆け出し勇者候補との比較であれば彼のほうがずっと実力は上だろう。彼にはそれだけの戦闘技術がある。
だがそれでは駄目なのだ。もっと強くならなければならない。魔法が使える上位勇者候補と戦っても勝てるくらいに。そうなれる為に自分を鍛えてきた。鍛えてきたが強くなれた実感はない。目指す先は遥か遠い。
(……ちくしょう。俺は……馬鹿だ)
涙が零れそうになるのを両腕で覆って防いだ。実際は隠しただけ。誰も見ている人はいないのに。
女性にうつつを抜かし、やるべきことを怠ってきた。相手の女性に捨てられたことで、その時間はまったく無意味なものとなった。後悔の思いが彼の心に広がっていた。
(姉上……すまない)
想う女性を間違えていた。彼が想いを向けていなければならなかった女性は彼の姉。恋愛感情ではない。行方不明になった姉を救うことが、彼が勇者ギルドに入った目的なのだ。強くなるだけでなく、姉の行方に繋がる情報を得られる立場にならなければならない。勇者ギルドのネットワークは全国に広がっている。そこから得られる情報にアクセス出来る立場になるには最上位ランク、Sランク勇者候補になるしか道はない。誰もが鼻で笑って諦めろと言う目的を果たす為に、彼は勇者ギルドにいるのだ。
(やるしかない。また始めるしかない)
諦めるわけにはいかない。どれほど不可能に思えても止めるわけにはいかない。彼がやらなければ誰もやらない。彼の姉は救われない。彼がやるしかないのだ。