秋になり、帝国騎士養成学校では例年通り、体育祭が開催された。一年生の時から番狂わせを起こして、良くも悪くも大会を盛り上げた騎士候補生たちは、すでに卒表していない。それでも帝都の人々の体育祭への関心は、それほど薄れていなかった。また新たに大会を盛り上げてくれる騎士候補生がいるかもしれない。それに期待して、観戦に訪れている。
競技が進み、番狂わせと呼べる結果を観られないまま、騎馬戦を残すのみとなっても観客の期待は消えていない。最後の騎馬戦が番狂わせが起きるかもしれない競技であることを、皆知っているのだ。席を立つ観客はほぼいない。皇帝が臨席している場で、先に席を立ちづらいという理由もあるといえばあるのだが。
席を立つどころか、もう騎馬戦を残すのみになったところで現れた集団もいた。私設騎士団が多く集まる観客席を進む、その集団。
「……おい、あれ」
その集団を見て、気付く者もいた。集団の中に、私設騎士団の間では有名と言える人物がいるのだ。私設騎士団関係者ではない一般人であっても毎年、体育祭を観戦している観客であれば気付くかもしれない人物、フェンとシュバルツフルメ騎士団の面々だ。
二十人ほどの彼ら。まとまって空いている席がある場所で立ち止まったところで、周囲に動きが生まれた。その近くにいた私設騎士団の人たちが一斉に離れていったのだ。
「……空いた」
全員が座れるスペース。それが確保出来たところで、それぞれ席に座る。周囲の視線が気にならなくもないが、それは無視。気にして目を逸らしている場合ではない。彼らが観るべきものは二つあるのだ。
「……ちょっと良いか?」
だがそれを邪魔する者たちが現れた。前に立ち、完全に視界を遮ってしまう迷惑な相手だ。
「どなたですか?」
「エクリプス騎士団の団長と団員たち」
フェンの問いに答えたのはライラプス。エクリプス騎士団は彼が所属していた騎士団。当然、団長と団員たちの顔は知っている。
「ああ、お前がいた」
「知らない顔はレヴァナント騎士団かルクス騎士団、それか両方かな?」
「両方だな」
今度はワーグが答えた。自分がいたレヴァナント騎士団の人たちの顔は知っている。それ以外に多くの知らない顔があるので、ファリニシュがいたルクス騎士団もいると考えたのだ。
「……ということで?」
「そうだ」
「用があるのは三人に? それとも俺ですか?」
三人が所属していた騎士団の団長と団員が勢ぞろい三人に用があるのかと思ったが。ただ話をするには人数が多すぎる。三騎士団が揃って来る必要もない。
「……彼らはそれぞれ我々の騎士団に所属していた」
「知っています……きちんと退団を伝えてきたと聞いているのですが、そうではなかったのですか?」
三人は無断で騎士団を辞めたのではない。きちんと退団の意思を伝えている。フェンはそう聞いている。
「退団するということを聞いていた。だが……認めたつもりはない」
「俺の常識では、退団は自由。それが私設騎士団というものと教わったのですが?」
常識ではない。力のある団員に辞められては騎士団は困ってしまう。引き留めは当たり前にある。ただ本人の意思を無視しての強制的な引き留めは許されていないということだ。
「彼らに辞められて、我々は困っている。まだ子供だった彼らを雇ってやった恩もあるはずだ」
「それについては感謝しているが、団にいる間できちんと報いたつもりだ」
それだけの働きをしてきたという自負がワーグにはある。実力を確かめることなく見た目の若さだけで入団を拒否した騎士団が多くある中で、雇ってくれたことには本当に感謝している。だがその恩は返したつもりなのだ。
「そうです。剣術大会の後なんで依頼が沢山きて大変だった。あの時だけでかなり稼いだと思います」
ファリニシュも同じ考えだ。借りは返した。そう思っている。
「お前が辞めたせいで、一時の人気も失った。今じゃあ、依頼はそれほど多くない」
「それは僕のせいじゃない。誰か一人に頼るのではなく、団全体として、お客からの信頼をもっと得ないと」
「それはそうだが……現実に……」
信頼は得られていない。ファリニシュが辞めたと知って、依頼してこなくなった常連客もいる。頻繁にくる依頼の中身は、難易度が低いもので依頼料も安いが、客が減ったという事実に変わりはないのだ。
「皆さんにご迷惑をおかけしていることは、団長として申し訳なく思います」
「やっぱり、お前が団長なのか?」
文句を言いに来た団長たちの口調がきついものでないのは、フェンのことを知っているから。フェンに、彼らに関する噂に、怯えているのだ。
「はい。俺が団長です。彼らとは幼馴染で、子供の頃から一緒にやろうと決めていました。そういうことですので、彼らの退団について認めていただけるとありがたいのですが?」
「子供の頃から……そういうことか……」
噂は事実だった。彼らは「災厄の神の落とし子たち」。子供の頃から戦っていたことが、はっきりした。そうなると三人の退団を認めないという主張を続けるわけにはいかない。彼らが、再集結した彼らが何をしているかは分かっている。怒らせて自分たちも殺されるような事態は絶対に避けなければならない。
「な、何か協力出来ることがあれば言ってくれ。頭数が必要なこともあるだろう?」
「ああ、そう言ってもらえると助かります。今は思いつきませんが、そういう時が来たら、頼らせて頂きます。他のお二方も。同じてよろしいですか?」
「もちろんだ」「知らない仲ではないからな」
敵対ではなく協力。それを三騎士団の団長は選んだ。それぞれ辞めた団員がいることに気付き、一緒にいるのがフェン他、剣術競技会で勝ち残った者たちであることが分かった時点で、敵対は無理だと判断したのだ。噂の「災厄の神の落とし子たち」であれば尚更だ。
「ありがとうございます」
実際に彼らに何かを頼むつもりはフェンにはない。フォルナシス皇太子と、帝国と戦おうとしているのだ。彼らは味方出来ない。巻き込むつもりもない。それでも強力を拒絶して、関係を悪化させる必要もない。無駄に敵を増やすつもりはないのだ。
フェンに、にこやかな笑顔で礼を言われて、ホッとした様子で引き揚げて行く団長たちと団員たち。邪魔は消えたとフェンは思ったのだが。
「そろそろプリムローズ様の出番じゃないか?」
「安心しろ。まだ違う」
また邪魔が現れた。フェンが良く知っている人物、シュライクだ。騎士養成学校を卒業したシュライクは予定通り、父親が団長の騎士団、ガラクシアス騎士団に入j団している。ここにも騎士団の仲間たちと一緒に来たのだ。
「久しぶりだな?」
「ああ……元気そうで安心した。いや、元気過ぎるようで心配していた、だな」
「災厄の神の落とし子たち」が活動を始めた。どうやらその一人はフェンらしい。シュライクの耳にも、そういう情報が届いていた。彼個人ではなく。ガラクシアス騎士団に届いた情報だ。
「やるべきことが沢山あって」
「協力出来ることはあるか?」
「ない。俺よりもローレル様に協力してやってくれ」
「それはもうやっている。お前を追いかけることにならないか心配しているくらいだ。まあ、ローレルがそんな仕事を持ってくるはずないけどな」
ガラクシアス騎士団はローレルとの縁で公安部の仕事に協力している。正確には公安部特務強行班の仕事。ローレルが持ってきた仕事以外は受けないというスタンスだ。公安部に良いように使われたくないという思いと、フェンと敵対する立場に置かれたくないという理由からだ。
「おっ、呼び捨て?」
「もう貴族でないのだからと、うるさく言うから。トゥインクル様は今もトゥインクル様だ」
「トゥインクル様も『様はいらない』とか言うだろ?」
フェンは何度も言われた。実際に呼び捨てにしたのは数えるほどしかないが。
「……言われない。お前だからだろ?」
「あれ? おかしいな……とにかく、そっちも元気そうで良かった。また会える機会もあるかもな」
「……そうだな。じゃあ……また」
会話打ち切りの合図。シュライクは、フェンの言葉をそう理解した。まだ話足りないという思いはある。だが、素直に引き下がることにした。どこにいるか分からなかったフェンが、騎士養成学校の体育祭なんて目立つ場に現れたのだ、ただプリムローズの応援をしに来たわけではない。追い払われたことで、それが分かった。
「……動きが慌ただしい。気付かれたね?」
ライラプスの視線がずっと先。反対側の観客先に向いている。皇帝他、帝国の重臣たちがいる場所だ。
「後ろめたいところがある証拠だな。まあ、分かっていたことだけど」
慌ただしく動き出したのはフォルナシス皇太子の周囲。護衛の近衛騎士たちが慌てている様子がフェンにも見える。それは自分たちが会場にいることを知ったから。襲撃を恐れてのことだと考えている。フォルナシス皇太子はフェンたちに襲撃される心当たりがあるのだ。
「このまま暗殺する?」
「遠すぎる」
「矢は届くと思うjけど?」
「持ち込めているのか?」
会場への武器の持ち込みは禁止されている。皇帝家がいる場だ。武器の持ち込みなど許されるはずがない。フェンたちも最小限の武器だけを持って会場まで来て、入口でそれも預けているのだ。
「じゃ~ん」
ライラプスが取り出したのは服の腕のところに忍ばせていた弓と矢。
「それで届くのか? いや、殺せるか?」
隠しておけるくらいなので、かなり小さい。小さい弓では強い矢は射れない。ライラプスであれば届かせることは出来るのかもしれないが、殺すことは難しいのではないかとフェンは思った。
「当たり所が良ければ」
「……止めておこう。手前に厄介な人がいる。叩き落されるだけだ」
フォルナシス皇太子が座る席の手前には、ワイズマン帝国騎士団長がいる。彼が飛んでくる矢に気付かないとは思えない。射るだけ無駄。そうした結果、プリムローズの観戦が出来なくなるのも困る。
「射る前に気付かれたみたいだしね?」
「……そうだな。残念。じたばたする皇太子を見るだけで終わりか」
近衛騎士団だけでなく、帝国騎士団にも動きが見える。他のことであれば良いが、自分たちの存在に気付いての動きであれば面倒だ。プリムローズの騎馬戦を観るのは諦めて、会場を去ることに決めた。
立ち上がって出口に向かって歩き出すフェンたち。周囲は一体、何をしに来たのだろうと思っている。そんな中で、立ち上がった騎士団が他にもあった。
「……お久しぶりです。出来れば話はまた今度で」
イアールンヴィズ騎士団の人たちだ。良く知る仲なので、フェンとしても話したいところだが、今は時間がない。帝国騎士団に絡まれる前に会場を出たいのだ。
「話は会場を出てから、いや、そちらの拠点に着いてからで良い」
話しかけてきたのがペンティスカ。プリムローズを誘拐したコープス騎士団の元団員で、事件後、イアールンヴィズ騎士団に入団した男だ。
「こちらが行きます」
「我々はお前たちに合流すると言っているのだ。イアールンヴィズ騎士団の名も返す」
イアールンヴィズ騎士団の人たちが立ち上がったのは、フェンたちに付いていく為。フェンの騎士団に合流するつもりなのだ。
「団名はすでに他のを名乗っています」
「ではその団名の騎士団に入れて欲しい」
「……本気ですか?」
「本気だ。我々は全員、お前の騎士団で働きたい。誰にも無理強いはしていない。グラトニー団長はもちろん、全員の意思を確認して決めたことだ」
グラトニー団長や他の団員が提案を受け入れなくてもペンティスカは同じ元コープス騎士団の団員だった仲間とフェンの下で働くつもりだった。元々、フェンとの接点を持ち続けたくてイアールンヴィズ騎士団に入団したのだ。
「俺たちが誰と戦っているか知らないから」
「誰だ?」
「帝国」
「……そうか。分かった」
敵が帝国だと聞かされてもペンティスカの気持ちは変わらない。他の人たちも同じだ。
「本気?」
「今はその答えを聞いて驚くようなご時世ではない。帝国に味方するか、敵に回るかを決断する時期はすでに来ている。我々はその決断をお前に委ねるだけだ」
帝国を敵として戦う。この選択肢は全ての私設騎士団にある。帝国は絶対的な強者ではない。反帝国勢力に負ける可能性もある。どちらかというとそう見られている状況なのだ。
「……とりあえず、会場を出ます。話はあとで」
こんな場所で帝国の敵か味方なんて話を長々していられない。帝国騎士団が近づいてきているのも分かっている。まずは絡まれる前に会場を出ること。彼らとの話はその後だとフェンは考えた。
会場を後にするシュバルツフルメ騎士団とイアールンヴィズ騎士団。それを見た周囲が何をどう考えるかなど気にしていない。帝国騎士養成学校で三年間学び。今は復讐に専念しているフェンは、帝国全土の情勢に少し疎くなっている。その上、帝都における自分たちの影響力を考えていないのだ。