帝都は揺れに揺れている。その原因は帝国騎士団員の大量処刑。死罪となった者だけで五百名を超えている。これだけ一度に死罪とされたのは過去に遡っても例がない。現皇帝とルイミラ妃の残忍性の証。事情を知らない者たちはこう受け取った。
内通の事実を知り、それを信じている者たちも動揺しないではいられない。帝都の、それも帝国騎士団に五百名を超える反帝国勢力が存在していた。処刑になっただけで五百名だ。それ以外に死罪を決めた名簿には名はなくても、西南部方面軍に所属していた者たちは追放された。有罪の証拠はないが無罪の証もない。帝国上層部で議論が重ねられた結果、このまま帝国騎士団に所属させておくわけにはいかないという結論になったのだ。疑わしい者は排除。近い将来、戦争が始まるという状況で内部に不穏分子を抱えておくわけにはいかない。この意見を否定しきれる者はいなかった。
元々人員不足を問題視されていた帝国騎士団で、さらに千に近い戦力減。これだけでも衝撃であるのに、それだけの数の反帝国勢力が浸透していたという事実。これが明らかにならないまま内戦に突入していたら。他にも反帝国勢力に通じる者がいる可能性も否定出来ない。帝国の先行きに暗い影を見るのは当然のことだ。
そして、他とは異なる理由で動揺している者たちがいる。もっとも動揺が激しい者たちかもしれない。なんといっても彼らは一度に五百人以上の味方を失ったのだ。反帝国勢力ではなく、反皇帝勢力、フォルナシス皇太子派と称しても構わない者たちだ。
歓楽街の一角。もっとも栄えている場所から外れたその場所で、その男は辺りを見渡し、警戒した様子で路地に入っていった。尾行している者がいれば、それこそ後ろめたいことがある証と笑うことだろう。仕方がない。この男は尾行に気付く訓練などしたことがなく、それを巻く術など当然知らないのだ。
「……殿下」
「その呼び方は止めろ。どこで誰が聞き耳を立てているか分からない」
それでいてこういうことには気が回る。これは常に気を付けているから。城内では、実際に誰が聞き耳を立てているか分からない。ただの侍女であっても油断は出来ないのだ。
「申し訳ございません。それとこのような場所に足を運ばせてしまったこともお詫びいたします:」
呼び方だけの問題ではない。こんな言葉遣いをしていれば、相手がかなり身分が高いことは誰でも分かる。これも仕方がない。皇太子の側近など皆、良家の人間。政治的な諮り事には頭が回っても、変装などには慣れていないのだ。
「仕方がない。城内では思うように話が出来ない。誰かの屋敷でも同じだ」
フォルナシス皇太子たちが警戒するのは皇帝直属の諜報組織。その実態は皇帝と組織の長以外、誰も知らない。貴族家に潜り込んでいる可能性も否定出来ない。否定どころか貴族の監視という目的で当たり前にいると考えるべきなのだ。
「警戒し過ぎということはありませんか」
まして今、彼らは追い詰められている。何人か関係者が公安部によって摘発されたことでも危機感を抱いていたところに、今回の一斉処刑だ。そのダメージは壊滅的と表現しても過言ではない。
「それで状況は?」
「それが……送り込んだ者たちは戻ってきておりません」
彼らが今、全力で取り組んでいるのはこのダメージを与えるきっかけを作った者たちを殺すこと。フェンたちの抹殺だ。
「たった八人。それを討てないのか?」
「申し訳ございません。ですが、その者たちは災厄の神の落とし子たちだという情報もあります。子供でありながら貴族屋敷の人間を、護衛騎士を含めて全滅させた者たちですので……」
この側近は詳細を知らされていない。討とうとしている相手が何者か分かっていないまま、ただフォルナシス皇太子の命で動いているだけなのだ。忠実な臣下としては、これで良いのかもしれない。、
「次の襲撃は?」
「それは……潜伏先をまだ突き止められておらず」
フェンたちも狙われていることは分かっている。襲撃が一度では終わらないことを知っている。潜伏先は次々と変えている、というより、戦い易い場所を選んで移動している。襲撃者を返り討ちにすることも計画の内なのだ。
「帝都内壁の外だ。それは分かっている」
「はい。それは伺っております。ですが捜索範囲が広すぎて、闇雲に探す人数もおらず」
それこそ粛清された五百人がいれば、潜伏先を発見出来たかもしれない。だが今、自由に動ける人数はわずか。帝都外壁内を全て調べるには何日かかるか分からない。
「……別の者にもあたってみる。分かったことがあれば知らせるので、次は失敗のないように備えておけ」
「承知しました」
そうは言っても使える手駒は限られている。公安部にいくつかの協力組織を潰されたことが大きいが、それだけではない。災厄の神の落とし子たちが相手と聞くと依頼を拒否する私設騎士団ばかり。繋がりが強い騎士団でないと応じてもらえないのだ。
「外のほうはどうだ?」
「使者は送りましたが、まだ戻っておりません」
「確実に動かせ。このままでは何もすることなく、味方が全滅してしまう」
帝都内に自勢力が存在しなくなれば、フォルナシス皇太子は何も出来なくなる。外部の協力者、元宰相のヴィシャスの立場が強くなってしまう。フォルナシス皇太子としてはそれは避けたい。現皇帝を廃し、自らがその座についても実権をヴィシャスに握られては意味がないのだ。
本来の計画ではヴィシャスは帝国騎士団を釣り出す囮役。帝都が手薄になったところで、自らに味方する戦力を使って現皇帝に禅譲を迫るという計画だったのだ。
「新たな味方を増やさなければなりません」
「分かっている。それについては考えている」
計画を実行する上での戦力、元西南部方面軍が壊滅した。フォルナシス皇太子としては新たな戦力を手に入れなくてはならない。それが必要なことは分かっている。だがその前にフェンを、自分の腹違いの弟を殺しておかなければならない。
フェンの才能をフォルナシス皇太子は知った。帝都の民がフェンの武勇を称えているのを目の当たりにした。フェンを弑する力を失った状態で、彼が皇帝の実子であることが明らかになれば。自らの立場が危うくなることをフォルナシス皇太子は知っている。
「悪い情報ばかりではありません。今回の処刑については、かなり疑問の声があがっております。皇帝に対する不審は強まり、味方はさらに増えることが確実です」
そうなるように皇太子派が持って行ったのだ。死刑になった者たちの罪状は反逆罪。死刑になって当然の罪だ。それを五百名以上という数の異常さを強調することで、死刑の判断に疑問を持たせるように世論工作を図ったのだ。
「確かにそれは朗報だな。ただ、アネモイ四家は?」
「さすがにそこは……下手に突けば藪蛇になる可能性がございます」
アネモイ四家を皇太子派に引き込む。これが出来ると情勢がかなり好転する。他家への影響力だけでなく、帝都周辺でもっとも大きな軍事力を持っているのがアネモイ四家なのだ。かつてほどではないとしても、皇帝位を奪うには必要な力だ。
だがそのアネモイ四家に対する工作は簡単ではない。皇帝に、ルイミラ妃に不満を持っているのは間違いない。だが反旗を翻すまでかとなるとそれはない。皇帝あってのアネモイ四家。伝統的な意識は現当主たちにも強く引き継がれているのだ。
「つけ入る隙はないか……」
「いえ、まったくないわけではございません。当主が駄目であれば跡継ぎを攻めます。たとえば……イザール侯爵家などは崩しやすいかと」
「イザール侯爵家にはローレルがいる」
アネモイ四家の中で、もっとも皇帝とルイミラ妃に近い存在。それがイザール侯爵家。これがフォルナシス皇太子の認識だ。彼だけではない。多くがそう考えている。
「だからこそです。イザール侯爵家の後継者はローレルではありません。今のところは」
「……なるほど。それが隙か」
ローレルに対する皇帝の信認が厚ければ厚いほど不安を感じる者がいる。次期当主のラークだ。アネモイ四家に後継争いが生じれば、皇帝が仲裁に入る。完全な分裂を避ける為。それによってアネモイ四家が力を失うことを避ける為だ。イザール侯爵家に後継争いは存在していないが、今の皇帝であれば何事もなくても介入してくる。周りはそう思っている。そこに隙がある。
「都合の良いことにローレルは家中で孤立しております。後継者のラークとその母を引き込めれば、それで家中は染まるものと考えております」
「分かった。任せる」
悪い情報ばかりではない。それにフォルナシス皇太子はホッとした。ヴィシャスが動いている南部の支持とアネモイ四家の、全ては無理でも半数の支持を得られれば。政治的には皇帝より優位に立てる。北部と西部は帝国の影響力が及ばなくなっている。この状況では、南部とアネモイ四家の半分で帝国全体の半数の支持を集めたも同様なのだ。
その支持を完全に固めれば、腹違いの弟の脅威も薄れることになる。今回大きく躓かされたがまだ挽回は可能。こう思えただけで城外に忍んで来た甲斐があったというものだ。
ただ残された時間はそれほど多くない。北部と西部がどうにも出来ない脅威となる前に帝国を自分の下でまとめなければならない。必ずやり遂げる。フォルナシス皇太子は決意を新たにした。
◆◆◆
帝国騎士養成学校を卒業したローレルは、帝国騎士団に正式入団した。配属は公安部特務強行班だ。ヴァイオレットとフェンを失った特務強行班だが、マグノリア副部長直属の組織として存続が決まった。ワイズマン帝国騎士団長の判断だ。組織を発足させるきっかけとなった皇帝の命令は撤回されていない。帝都治安維持活動、その為の私設騎士団との協力関係の構築は続けなければならない。それに適任なのはローレル。フェンには及ばなくても公安部でもっとも私設騎士団との繋がりを持っているのはローレルなのだ。
そしてもうひとつ、存続を決めた理由がある。新たな入団者の登場。それも公安部希望者がいたからだ。
「なんだかな……帝国騎士団というより、官僚の仕事みたいじゃない?」
一仕事を終えて、いきなり不満そうなトゥインクル。
「私設騎士団との交渉は大切な仕事だ」
二人が訪れていたのは私設騎士団の拠点。信頼できる私設騎士団だと判断された相手に、公安部特務強行班の仕事を説明し、協力を求めにきたのだ。
「それは分かっているわ。でも、もっと大事な仕事があると思わない?」
「大事な仕事?」
「帝都を騒がしている謎の騎士団を追うことよ」
「謎の騎士団って……」
ローレルにとっては謎ではない。トゥインクルもフェンたちの騎士団であることは分かっている。フェンを探さなくて良いのかということを、回りくどく言っているだけだ。
「未だに連絡なし?」
「ああ」
フェンからの連絡はない。どこで何をしているのかは、公安部に届く事件の情報でしか分からない。フェンたちによるものと思われる事件が、いくつかあるのだ。ただ確証はない。ヴァイオレット殺害事件の真相をローレルは、公安部は掴めていない。誰をフェンが復讐の対象としているか分からないのだ。
「居場所に心当たりはないの?」
「何だ? 副部長に命令されたのか?」
トゥインクルの問いは尋問のよう。マグノリアの命じられて、自分から聞き出そうとしているのかとローレルは思った。
「違うわよ。フェンに会いたいだけ」
「ああ……なるほどな」
「何が、なるほどな、なのよ?」
ローレルは何を納得しているのか。間違いなく勘違いしているとトゥインクルは思った。
「いや、良いから。僕は兄としてプリムを応援する立場だけど……まあ、トゥインクルも頑張れ」
「違うから!」
思った通りの勘違い。ローレルは、トゥインクルはフェンに恋愛感情を抱いていると考えている。誤解してしまうようなことは養成学校時代に確かにあった。だが、やはり勘違いなのだ。
「……正直に言うと居場所にまったく心当たりがないわけではない。でも……今、会いに行ってもな」
きっとフェンは会ってくれない。その場所に居ても、そこから消えることになる。そうなってしまうとローレルは再会の可能性を失ってしまうことになる。それは避けたいのだ。
「……フェンが彼女の為にここまでするなんて、未だに不思議だわ」
プリムローズを置いて、フェンは消えた。それがヴァイオレットの為だというのが、トゥインクルは驚きだ。納得出来ないでいる。
「罪悪感が強かったからな……それに……僕の勝手な想像だけど、全てがヴァイオレットさんの為ではないような気もする」
「どういうこと?」
「ヴァイオレットさんの仇討ちだけにしては動きが大きすぎる。内通者の処刑の件、情報源がフェンであることを副部長は疑っているけど、そうだとすれば、仇討ちの為だけで、あれだけの数を殺す必要があると思う?」
ヴァイオレットを殺されたことへの恨みが強くても、関りのない人間まで殺す必要はあるのかとローレルは思ってしまう。フェンはそんなことをしないという思いからだ。
「五百人全員が彼女の殺害に関わっているはずないものね。別の目的があるってこと?」
「単純に考えれば、本来の目的に戻ったってこと。家族の仇討ちだ。家族とヴァイオレットさんの仇が同じってこと」
ローレルにも全ての情報が伝えられているわけではない。彼は事件の関係者であるが、公安部員としては、ただの新人。権限はほとんどなく、触れられる情報にも制限がある。
「イアールンヴィズ騎士団を壊滅させたのは西南部方面軍だったという話ね?」
「ん? そうなのか?」
これはローレルに伝えられていない情報のひとつ。その中でも重要なものだ。確証のない状況で情報を知る者を増やすべきではないという理由で、制限させているのだ。
「そうなのかって、知らないの?」
だがトゥインクルはその情報を知っている。
「どうして知っている? トゥインクルだけが知らされるっておかしいだろ?」
トゥインクルも同じ新人部員。与えられている権限は同じであるはずだ。そうであるのに自分が知らなかった情報をトゥインクルは知っていた。ローレルはそれを不満に思った。
「実家で聞いたから」
「えっ?」
ただトゥインクルの情報源は公安部ではなく、実家のネッカル侯爵家。公安部員としての権限は関係ないのだ。
「重要な情報であっても、そうであればあるほどアネモイ四家には伝わるでしょ? ローレルも実家で情報収集すれば良いのに……ああ、まだ反抗期か。子供だから」
「こ、子供……誰が子供だ!?」
「ローレルに決まっているでしょ!? 子供、子供、子供!」
「なんだと!?」
トゥインクルと二人だと、頻繁にこういう展開になる。どちらが子供なのか、二人ともだろう。幼い頃からずっと二人はこんな感じだったのだ。ただ、意識してこうしている面もある。こういう昔からのくだらないやり取りが、ヴァイオレットを失った悲しみから一時でもローレルを解き放ってくれる。そうであることを二人とも分かっているのだ。