ヴァイオレットの敵討ちは。ローレルの立場から言うと、順調に進んでいる様子だ。ヌーベル騎士団の次に復讐の対象となったのは帝国騎士団の千人将。元西南方面軍の軍将だ。自分が襲われる可能性はまったく考えていなかったようで、歓楽街で遊んだ帰りに、同行していた騎士たちと共に殺された。表向きは犯人は不明。酔っぱらった結果の揉め事の可能性があるということにされているが、分かっている人は分かっている。この件でヴァイオレットが殺されたのは方面軍について調べていたせいというのが、はっきりした。では何故、西南方面軍の軍将だった騎士はヴァイオレットを殺さなければならなかったのか。
「メルガ伯爵屋敷襲撃事件に西南方面軍が関わっていた。この可能性が浮かび上がってきます」
「そんな馬鹿な。方面軍がどうして、その事件に関わる必要があるのですか? 目的が分かりません」
マグノリアの説明をヴォイドは否定する。彼の言う通りだ。方面軍が動く理由はない。メルガ伯爵屋敷襲撃事件に関しては。
「では言い方を変えるわ。メルガ伯爵屋敷襲撃事件のきっかけとなったイアールンヴィズ騎士団襲撃事件に関わっていた」
「……方面軍が私設騎士団の討伐に動いたというのですか?」
「ええ、そうよ。可能性はあるでしょう? 西南部方面軍であれば、近いとは言えないけど、イアールンヴィズ騎士団の本拠地に行くことは出来る。何か大きな問題を起こしていたのであれば討伐も行うわ。それが仕事だから」
方面軍の役割は地方の治安維持。貴族家の反乱鎮圧、貴族家同士の争いの調停などが主な仕事とされているが、様々な問題を引き起こしている私設騎士団であれば、討伐対象にもなる。
「ですが、それなら団長もご存じのはずではないですか?」
「……そうね」
帝国騎士団長であるワイズマンにも討伐の情報は届くはず。仮に事後になるとしても報告書が届けられるはずだ。ワイズマンは知っていた。この可能性をマグノリアも考えていた。
「ご存じなのですか?」
「いや、記憶にない」
「団長に情報が……それはつまり、団長を飛ばして命令が発せられたということですね?」
ワイズマンが知らないという状況が生まれる理由。ひとつだけある。それをヴォイドは示唆した。ワイズマンを通さなくても直接命令出来る存在。そういう存在がいる。皇帝だ。
「…………」
皇帝がそれをする理由。ワイズマンはそれを考えた。だが思いつくことはない。皇帝が地方の私設騎士団の討滅を命じる理由など、あるとは思えない。
「そもそも命令が出されていない可能性もある」
マグノリアはヴォイドの考えを否定した。正面から否定するのではなく、別の可能性を示しただけだ。
「そんなことはあり得ません。許可を得ることなく軍を動かすのは重罪です」
「罪を犯すことをなんとも思っていない可能性だってあるわ。方面軍は地方にずっといる。中央の目が届かないのを良いことに、好き勝手していたのかもしれない」
実際に過去に不正を行っていた方面軍は存在した。地方において最大の軍事力を有する方面軍は、貴族にとっても脅威。さらに証拠をでっち上げられて反乱の罪に問われた例もあった。討伐という名目で、殺害してしまえば死人に口なし。方面軍内で口裏を合わせていれば、どうにでも誤魔化せる。
そういう事件の反省から監察係が派遣されるようになったが、その制度も近頃は機能していない。人手不足の中、真っ先に縮小された組織なのだ。
「それはさすがに言い過ぎではありませんか? 帝国騎士団はそのような組織ではありません」
そういう過去を知らないのか、知っていて知らない振りをしているのか、ヴォイドはまたマグノリアの考えを否定してきた。
「反帝国勢力の内通者が方面軍である可能性は、貴方が指摘したのよ?」
「それは……」
帝国騎士団内に内通者がいる。それが元方面軍の者たちである可能性を話したのはヴォイドだ。ただヴォイドの個人的な考えではない。反帝国勢力に転じることを恐れて、帝国は方面軍を引き上げさせたのだ。
「マグノリアは、ヴァイオレットはその証拠を掴んだことで殺されたと考えているのか?」
「あくまでも可能性のひとつとして考えています。ただ、ヴァイオレットが調べたと思われる資料が見つかっていません」
「それはどういう意味だ?」
「消えてなくなった可能性があるという意味です。ヴァイオレットの屋敷も調べましたが、見つかりませんでした」
資料庫にそれらしき資料はなかった、ヴァイオレットが、本来は許されないのだが、持ち帰った可能性も考え、彼女の屋敷を調べたが、やはりそれらしき資料はなかった。そのないことが逆に証。ヴァイオレットが調べた資料には殺されてしまうほどの情報が記されていたということだとマグノリアは考えている。。
「……ヴァイオレットを殺害した理由がその資料であるなら」
「ヌーベル騎士団の拠点にもありませんでした。そうなると可能性は、すでに廃棄されているか、依頼者の一味が持っているか……リルの手にあるか」
「どれだと思う?」
これをマグノリアに問うワイズマンは、フェンだと思っている。フェンはヴァイオレットが調べていた資料を手に入れ、それを分析した結果、西南部方面軍の元軍将が殺害の依頼者だと特定した。こういうことだと考えた。
「……リルだと思います」
「残念ですが、それは間違いです」
「何者だ!?」
いきなり現れた男。不審者と見て、ヴォイドは反応したがそれは間違いだ。不審な人物であることに間違いはないが。
「貴方は……」
ワイズマンは男を知っている。皇帝の側近、皇帝直属の諜報組織の長だ。
「無断で訪れたことはお詫びします。ただ公に動くとそれはそれで面倒なので」
「……どのようなご用件ですか?」
皇帝からの指示。それを伝えに来たのだとワイズマンは考えている。そういうことでなければ男が動くはずがないのだ。
「約束の証拠を持ってきました」
ただ今回、彼の用件はそうではない。ワイズマンの要請を受け入れて皇帝が命じた件を報告に来たのだ。
「約束の……内通の証拠?」
「はい、そうです。遅くなりました。これが内通者の一覧。全員が元西南部方面軍の者たちです」
「西南部方面軍……失礼だが、これはどのようにして?」
今まで可能性として話をしてきた西南部方面軍が内通者。この証拠をこのタイミングで男は持ってきた。情報の出所を疑わないわけにはいかない。
「ある人物の情報を基に裏付けをとりました。それまでは苦労していましたが、情報を得てからは簡単でした。何やら焦っているようで動きが大きくなっていたので」
「……そのある人物というのは誰だ?」
「情報源は明かせません。信頼を失えば、貴重な情報が得られなくなりますので」
男はワイズマンの問いに答えを返さない。言っていることは嘘ではない。諜報組織は情報源を徹底的に秘匿する。一度で使い捨ての情報源でない限りは。今回の情報源に関しては、信頼を失うわけにはいかない。信頼されているとは限らない。ただ利用されているだけの可能性は高いが、それでも良いと考えているのだ。
「それでこの情報を信じろと? こちらが頼んだことで、こんなことを言うのは失礼だと分かっているが」
「これについては陛下にお伝えし、許可を得て、こちらに提供しています。我らが陛下に虚偽の情報を伝えることは絶対にありません」
皇帝に対してはそうだ。だがそれ以外の相手には、男は平気で嘘をつく。今も、嘘ではないが。誤魔化している。皇帝に伝えた情報と、ワイズマンたちに話している内容が同じだと男は言っていないのだ。
「……そうか」
「この者たちは反帝国勢力に与する者たち。反逆はもっとも重い罪でありますが、処分は帝国騎士団に任せるという陛下のお言葉です」
「……承知仕ったと陛下にお伝えください」
皇帝の命とあれば逆らうわけにはいかない。処分は任されたといっても死罪以外の処罰を選ぶことは許されない。名を記されている者は全員、殺すことになる。罪は罪。仕方がないことだと分かっているが、ワイズマンの心は揺れている。真実はどこにあるのか。分かったようで分かっていない。どこか騙されているような気がしてしまう。そんな心境で帝国騎士団の仲間を死なせなくてはならない。心にわだかまりが残ってしまう。
◆◆◆
諜報組織の男がワイズマンの執務室を訪れている頃、ローレルはルイミラ妃との謁見に臨んでいた。男がいないタイミングを見計らったわけではない。そんなことは出来るはずがない。たまたま、そういうタイミングだっただけだ。
男がいようといまいとローレルの緊張は変わらない。何度か話す機会があって最初の時よりは気持ちが落ち着くようになっていたのだが、今日はその最初の時以上に緊張で顔が強張っている。話す内容に問題があるからだ。
ローレルの手には一冊の本がある。ルイミラ妃が探していた。ローレルにも探せと命じた本に間違いないとローレルは思っている。ないと報告したそれをこれから届けに行くのだ。ルイミラ妃がどういう反応を見せるか、予想がつかない。
「……お忙しいところ、お時間を頂戴いたしまして申し訳ございません」
「忙しくはないわ。ただ、気持ちが落ち着かない。出来れば話は簡潔にしてもらえるかしら?」
フェンが姿を消した。それはすでにルイミラ妃の耳に届いている。奇跡の再会を果たしたと思っていた息子は、息子であると証明されないまま、母だと名乗ることが出来ないまま、また消えてしまったのだ。ルイミラ妃の落ち込みはかなり酷い。
「……し、承知しました」
よりにもよって機嫌が悪い時に来てしまった。真実を知らないローレルはルイミラ妃の言葉をこう受け取った。どう切り出せば良いのか。動揺して分からなくなってしまった。
「……用件は何? 早く話しなさい」
「はっ、はい。実は……その……これを見つけまして。もしかするとお探しの物かもしれないと思い、お持ちしました」
話を躊躇っていてもルイミラ妃を怒らせるだけ。ローレルは勇気を振り絞って、魔書らしき本を見つけたことを伝えた。
「…………」
ルイミラ妃の反応は無言。ローレルが前に突き出した魔書を見て、呆然としている。
「……あ、あの、妃殿下。これは私の勘違いでしたでしょうか?」
そうであって欲しい。願望を込めて、ローレルはルイミラ妃に尋ねた。
「……それです。それが探し求めていた魔書です。それは……それはどこに? リルが持っていたのですか?」
そうであるに決まっている。魔書がローレルの前に突然現れるはずがない。実際には魔書は突然現れた。いきなり見えるようになった。だがルイミラ妃が思うのは、そういう意味ではない。持ち主を選ぶという意味で、ローレルが選ばれるとは思っていないのだ。
「……そうですが、彼がこれを盗んだはずはありません。妃殿下のお話ではリルが幼い、まだ歩くことも出来ない幼い頃に失われたはずです」
「リルが盗んだとは私は思っていません。この魔書は……そうですか。リルの元にあったのですか……」
これが証。フェンは間違いなく皇帝の息子であり、自分の子供。今になってようやくそれが証明された。ただこの事実はルイミラ妃を喜ばせない。探し求めていた息子が、また自分の手の届かないところに行ってしまったかもしれない。その悲しみのほうが強いのだ。
「ではリルが罪に問われることは?」
「ありません。この魔書は盗めるようなものではないのです」
「……そう、ですか」
ルイミラ妃の話はローレルには理解出来ない。盗めるものではないのであれば、どうして皇帝家はこの本を探していたのか。実際に本はフェンが持っていた。皇帝家の元にはなかった。それは盗まれたからではないのか。本に意思があるなんて事実、ローレルでなくても想像できるはずがない。
「……見つけたことについては礼を言います。ありがとう」
出来ることなら、もっと早く見つけて欲しかった。ルイミラ妃はそう思ってしまう。これまで見つからなかったのは魔書の意思。ローレルにはどうしょうもないことだと分かっていても、そんな思いが胸に湧いてきてしまうのだ。
「……でjは、私はこれで」
目の前のテーブルに魔書を置いて、部屋を出ようとするローレル。何だか良く分からないが、フェンが罰せられることはなさそう。自分も。今は、怒りをぶつけられることはなかった。そうであれば、さっさと退散するべき。出来ることならここを訪れるのはこれで最後にしたいくらいだ。
深く頭を下げ。扉のほうに下がっていくローレル。そのローレルの足を止めたのは、すすり泣くような声。何故そんな声が聞こえるのか。躊躇いながらも興味に負けて、少し視線をあげたローレルの視界に入ったのは、本を、まるで赤子であるかのように抱きしめているルイミラ妃の姿だった。涙が頬を伝っているのも分かった。
自分は何か間違った。ローレルはそれを知った。間違いが何であるか分からないまま、部屋を出ることになった。