ヴァイオレットの葬儀は雨の中で行われた。帝国では葬儀において雨は避けるべき天候ではない。故人の死を天も悲しんでいる。こう捉えられ、葬儀の日に雨が降ることは正しいことだとされているのだ。
喪主はローレルが務めることになった。メルガ家の人々は誰も姿を見せていない。それは問題にはならない。亡くなってから一週間。帝都を訪れる意思があっても、領地からではたどり着くことは出来ない日数だ。一旦、帝都で埋葬。メルガ家にその意思があれば、遺体を領地に運び、改めて葬儀が行われることになる。実際にそうされるのかは、葬儀に参列した人々には分からないことだ。
メルガ準伯爵家の守護神は、家の人たちが誰もおらず、かつ使用人も帝都で雇い入れた新参者なので不明。ヴァイオレットは、彼女が特別そうだということではなく、多くの人がそうであるように、信心深くなかったのだ。仕方なく喪主であるローレルの実家、イザール侯爵家の守護神である南風の神ノトスを祭る神官が葬儀を司った。それに文句を言う人もいない。彼女の死を心底悲しんでいる人々にとって、どの神を祭る神官が葬送を行おうとどうでも良いことだ。本当の意味で彼女を送り出すのは、その人々なのだから。
「……リル殿にもお世話になりました。亡くなったご当主様に代わり、御礼申し上げます」
葬儀が終わり、ヴァイオレットの使用人だった男がリルに御礼を伝えてきた。
「いえ、俺は何も出来ませんでした。ヴァイオレットさんの望みをひとつも叶えてあげられませんでした」
「そんなことは……いえ、私の立場でお話出来ることではありませんか。所詮は一時雇いの身です」
使用人はリルとヴァイオレットの関係を知っている。同じ屋敷にいれば、気が付いてもおかしくない。夜中に、婚約者であるローレルでjはなく、リルが一人でヴァイオレットの部屋を訪れていたのだ。
「これからどうされるのですか?」
「まだ何も決まっておりません。また新しい雇い主を見つけ、そこで働くことになるとは思いますが」
「そうですか……では、こうして話をするのもこれが最後になりますね?」
使用人は、またどこかの貴族家で働く予定だ。そうなればリルとの関りは絶たれる。もともと深い関係ではないので、今日別れれば二度と会うことはないだろう。
「そうなると思います」
「では、最後に教えてください。ヴァイオレットさんを殺したのは、どこの誰ですか?」
こうして使用人と話をしているのは、これを聞きたかったから。そうでなければ葬儀が終わった時点で、さよならだ。別れを惜しむ関係では、まったくないのだから。
「……何のお話でしょう? ご当主様は自らお命を絶たれたのであって、殺害されたわけではございません」
「いえ、自殺ではなく、誰かに殺害されたのです。そして貴方はその殺害に関わっている」
リルは使用人がヴァイオレット殺害に関わっていると考えている。
「とんでもない。リル様は何か誤解されております。ご当主様は自殺をされたのであって、仮に、万が一ですが、殺害されたのだとしても私には関りがないことです」
「誰かが手引きをしないと屋敷には入れないでしょう? その誰かが誰かとなると貴方しかいない」
公安部の調べでは、侵入の形跡はなかった。壊された窓はない。玄関とそれ以外の出入口も同じ。さらに全て鍵がかかっていた。中から誰かが開けないと入れないはずだ。公安部はそのことから自殺だと断定したが、自殺ではないと確信を持っていると、こういう考えになる。
「私は……ご当主様の伝言をもって、リル様のもとに行っております。仮に何者かが侵入したとしても、それに関わることは出来ません」
「出来ますよ。侵入を手引きしてから貴方は屋敷を出た。侵入者たちが目的を果たす時間を十分にとって、我々を呼びに来ただけです」
「……何の証拠があって? そもそもご当主様が殺されたということも根拠のない勝手な想像ではありませんか?」
リルは確たる証拠を持っていない。そんなものがあれば公安部は自殺だと結論づけていない。使用人はこう考えている。正解だ。ただ、彼はリルのことは分かっていない。
「だから証拠を手に入れようとしているのです。貴方から」
「ですから! なっ?」
最後まで反論することは許されなかった。その前にリルは使用人の首を掴んで、そのまま背後の木に押し付ける。
「ん? んん……むぐ……」
さらに口に布を詰め込まれ、声を出すことが出来なくなる。
「最初に謝っておきます。本当に何の関りもなく俺が求める答えを持たないのであれば、貴方は死にます」
「んん……? んんん……」
「そうでなければ早めに口を割るように。長引くとやはり死にますから」
「んんんっ!」
肩口に短剣を突き立てられて叫び声をあげる使用人。だがその声は口に詰められた布に遮られて、誰の耳にも届かない。
「ヴァイオレットさんの殺害に関わった? はい、いいえ、どちらですか?」
「…………」
痛みに顔をゆがめながら、リルを睨む使用人。リルは何の証拠もないのに自分を拷問しようとしている。そんな非道が許されるはずがない。こんな風に思っているのだ。
「どちらですか?」
「んんんんんっ!」
使用人の首を掴んだまま、反対側の肩にもリルは剣を突き刺した。非道な真似をしていることなど分かっている。だがヴァイオレットの理不尽な死に対する怒りは、そんな行為にも躊躇いを感じさせない。使用人は自分を信用していたヴァイオレットを裏切った。リルはそのことに確信を持っている。そんな相手に情けは無用なのだ。
「死にますよ?」
「んん。んんん……んん」
何を言っているか分からないが、男は何度も頭を縦に振り続けている。肯定の意思表示だ。
「では、布を外します。大声は出さないように。その瞬間に貴方は死ぬことになる」
「…………」
本当に殺される。もうそれを疑う気持ちはなくなった。リルという人物は平気で人を殺せる。それが男にも分かった。
「さて、貴方に協力を命じたのは誰です?」
「……メルガ家……ご当主様の御母上です」
「……なるほど。では実際に動いたのはどこの誰ですか?」
「……分かりません。どこかの騎士団だと思いますが……私には……分かりません。本当です。本当に私は何も知らない!」
使用人の男は、何も知らないも同然。リルが求める答えを持っていない。それがどういう結果に繋がるか、男も分かっている。
「そうですか……残念です」
「たっ……ん、んんんんん!」
また口をふさがれた男。この先に訪れる事態を考えて、なんとか逃れようと足掻いている。
「最後にもう一度聞きます。今話したこと以外で何か知っていることは?」
「……んんんん……んんんんっ!」
涙を流しながら必死に助けを乞う男。その声はリルには届かない。声にならないからではない。男に情けをかけるつもりなど、リルには微塵もないのだ。男を押さえつけている手から黒い炎が噴きあがる。
声にならない絶叫。それもすぐに止んだ。顔が焼け焦げ、誰か分からなくなった死体がひとつ、地面に転がることとなった。
「……お前、それ。大丈夫なのか?」
事が終わるのを待っていたハティが姿を現した。地面に倒れる焼死体を見ながら、リルに問いかけてくる。
「彼女の死以上に残酷で、凄惨な死なんてない」
「……そうか。それはあれだな」
ヴァイオレットの死がリルのトラウマを消し去った。トラウマの基となったヴァイオレット、彼女の死が。それについて語る言葉をハティは見つけられなかった。
「ユミル。どこまで分かっている?」
ハティだけではない。ユミルもこの場に来ていた。ヴァイオレットの死を悼む、というような関係ではないが、気にしていた存在だ。その死にあたってリルがどうするのかも気になっていた。
「……当日、動きがあった騎士団は三つだね。聞き込みを続ければ、特定は出来ると思う」
「そうか。その騎士団と帝国騎士団、それも元方面軍と関りがあるかも調べられたら調べてくれ」
「方面軍?」
「葬儀の時に公安部のマグノリア副部長に聞いた。死の直前にヴァイオレットさんは方面軍について調べていたそうだ。この男の話は真実とは限らない」
このタイミングでヴァイオレットが殺された理由。方面軍についての調査が関係している可能性をリルは考えている。特定しているわけではない。あらゆる可能性を検証しようとしているだけだ。
「なるほどね……難しそうだけど、やってみる」
「関わった奴らが分かるだけでも良い。まずは、そいつらから聞く」
「まずは、ね」
直接殺害に関わった者たちを殺して終わりではない。リルはヴァイオレット殺害に関わった全員を殺すつもりだ。それが分かったユミルの視線がハティに向く。視線を向けられたハティもそれは分かっている。
またリルは復讐を始める。もう彼一人にやらせるわけにはいかない。それが家族ではなく、ヴァイオレットの死に対する復讐であっても、リルに孤独な戦いをさせるつもりはハティにはない。
◆◆◆
建物の明かりが全て消え、辺りは夜の闇に包まれている。そろそろ日付が変わる時刻。エセリアル子爵屋敷の人々は、すでに寝静まっている時間だ。ローレル、そしてプリムローズも。
リルは誰にも気づかれないように静かに屋敷の外に出た。そのタイミングを見計らったかのように、雲に隠れていた月が姿を現し、月明りがわずかに周囲を照らした。
「……ハティ」
屋敷の外壁に寄りかかっていたハティの姿も。
「驚くことじゃねえだろ? お前一人にやらせるわけにはいかねえ。もう二度と」
「……分かっていた。でも……」
「えっ? 俺すか? い、いや、ここで仲間外れは止めてください。俺はハティの兄貴に一生付いていくと決めてます。リルさんにも」
ハティがいるのは予想内。だが彼の隣にはシムーンもいた。彼は今のイアールンヴィズ騎士団の団員であって、昔からも仲間ではないのだ。
「……フェン」
「えっ?」
「その偽名はもう使わない。必要ない」
イアールンヴィズ騎士団であることを、メルガ伯爵屋敷襲撃事件の犯人であることを、世間で呼ばれている「災厄の神の落し子たち」の一人であることを隠すつもりはもうない。リルの偽名は必要ない。
「分かりました。フェンの兄貴」
「兄貴……」
「好きにさせれば? 実際に付いてこられるかは分からない。次で死ぬかもしれない」
躊躇いを見せるフェンにライラプスが同行を許可するように言ってきた。シムーンの為、という気持ちははない。実力がなけれな死ぬだけ。邪魔であれば殺せば良い。こんな考えからだ。
「それは誰もが同じだ……本当に良いのか?」
この言葉はライラプスだけに向けたものではない。ラーグもファリニシュもいる。そして。
「俺は強くなりたいのだ。帝国騎士団にいるよりも、フェン。お前といるほうが強くなれる」
スコールもいた。これはフェンの想定外。スコールとは再会してからも接触はほとんどなかった。彼は帝国騎士団の騎士、将としての道を進む。フェンはこう考えていたのだ。
「……そうか」
「イアールンヴィズ騎士団の再結成にスコールがいないってわけにはいかねえだろ?」
「そうだけど……俺たち、イアールンヴィズ騎士団を名乗れるのか? その名は使われている。グラトニーさんに返せというのもあれだろ?」
イアールンヴィズ騎士団の再結成。だがイアールンヴィズ騎士団は別に存在している。再結成なんて言い出したハティはそこに所属している身だ。自分たちが本家と主張するのも、団長のグラトニーを始め団員は皆知り合いなので、却って遠慮してしまう。
「……ま、まあ団名はまた考えれば良い」
「そうそう。それに団旗は別のやつを考えてあるから。どうこれ? 良いでしょ?」
懐にしまっていた紙を取り出すユミル。それには彼が考えた図柄が描かれていた。かつてのイアールンヴィズ騎士団の紋章、本拠地の鉄の森を由来とする三本の木とはまったく異なる新しい紋章だ。
「お前、いつの間にこんなものを? やる気満々じゃねえか」
「用意周到と言って」
「そうだけど。それで……狼と……太陽? あっ、黒い炎か」
黒い太陽のような文様に狼。太陽ではなく炎だと分かったのはフェンの力を知っているからだ。
「それ、団の紋章じゃなくてフェンの紋章じゃない?」
狼に由来する名は、厳密には、ハティとスコールだけなのだが、フェンもフェンリルという神話の狼の名から来ていることになっている。作り話だが。ライラプスは子供の頃に聞いた、その作り話を信じている一人だ。
「それで良いでしょ? フェンあっての騎士団なのだから」
「出た。ユミルのフェン愛。拗ねていたと聞いていたのに、結局元通りかよ?」
「うるさいな。とにかく団の紋章はこれで決定だから」
イアールンヴィズ騎士団が再結成される。フェンを団長としての再結成だ。待ち焦がれていたその時を向けて、ユミルは少し浮かれている。ただそれはユミルだけではない。来るべき時が来た。この想いは皆が持っているものだ。
「じゃあ、行くか」
「ああ」「おう」「行こう」
たった八名の騎士団。私設騎士団の立ち上げなんてこんなものだ。だがこの新たな騎士団は、数えきれないほど存在するその他大勢の私設騎士団とは違う。そうであることを遠くない未来、証明することになる。
◆◆◆
襲撃でもあったのかと思うような大きな衝撃音。何度も続くその音でローレルは目を覚ました。その時はすでに人の声も聞こえてくる。エセリアル子爵家の騎士たちの声だ。何が起きているのかと部屋の窓を開けて、外の様子を確かめるローレル。すぐに部屋から駆け出すことになった。自分が行かなければ事は収まらない。それが分かったのだ。
表玄関から外に飛び出したローレル。
「門を開けてください! お願いします!」
すぐに大声で叫んだ。衝撃音はレイヴンが門に向かって、体当たりを繰り返していることによるもの。レイヴンがそうしている理由をローレルは分かっている。彼の指示に従い、エセリアル子爵家の騎士が門を開ける。彼らもこうしたかったのだ。だがレイヴンはイザール侯爵家の馬。自分たちの判断で逃がすことは出来なかったのだ。
開け放たれた門から外に駆け出していくレイヴン。
「……行ったか」
レイヴンではない。リル、フェンのことだ。寝ている間にフェンは屋敷を出た。それに気が付いたレイヴンは彼の後を追いかけたのだ。もう会えることはないかもしれない。フェンがヴァイオレットの想いを知れば、こういう結果になることは予想出来ていた。予想していた、望まない結果になったということだ。
「ローレル兄上……」
「プリム……起きたのか」
自分はまだ良い。だがプリムローズはこの結果を受け入れられるのか。フェンと共に生きることがプリムローズの望み。それは叶えられなくなったかもしれない。
「何があったの?」
「……レイヴンが出ていった」
「……そう……やっぱり」
プリムローズもこの事態を予想していた。「やっぱり」という言葉でローレルはそれを知った。
「プリムは……その本……それはどうした?」
プリムローズはどうしてこの事態を予想出来たのか。予想していたのに、フェンを行かせてしまったのか。それを尋ねようとしたローレルだが、そのことよりも気になるものが目に入った。表面に見事な文様が描かれた美しい本。ローレルが始めてみる本だが、それが何かすぐに分かったのだ。
「リルの本……部屋の前に置いてあったの」
プリムローズへの贈り物。フェンは二度と会えないかもしれない彼女に、何かを遺したかったのだ。
「……プリム……その本は……その本は僕に渡してもらえないか?」
「えっ……?」
ローレルの要求に驚くプリムローズ。本を持つ手に力がこもったのは、無意識の拒絶だ。
「僕の間違いであれば良い。でもそれは……皇帝家の宝である可能性がある。それをプリムが持っていると……問題になるかもしれない」
ローレルも本当はプリローズから本を奪うような真似はしたくない。だがこの本はルイミラ妃が探している本かもしれない。プリムローズが持っていることを。それをローレルが隠していたことが知られると、どんな災いが振りかかってくるか分からない。こう思っているのだ。
「…………」
「プリム……頼む。皇帝家の宝を隠し持っているとなると、大変なのだ」
「……分かった」
ローレルの話を聞いて、プリムローズもなんとなく状況を理解した。イアールンヴィズ騎士団が壊滅させられたのは何かを奪い返そうとしてのこと。これをプリムローズはフェンから聞いている。恐らくこの本がその奪い返そうとした宝。そういうことだと分かった。間違いではあるが。
渋々、持っていた本をローレルに手渡すプリムローズ。本はローレルの手に、消えることなく、渡った。宿っていた意思は、今は本の存在を気に留めていない。その意思、災厄の神の意思は今、フェンと共にある。魔書などどうでも良いのだ。これはローレルには、プリムローズにも分からないことだ。