帝国騎士団との演習が終わった後は、三年生は卒業を待つだけになる。演習はかなり激しい内容になることが分かっている。参加した三年生のほぼ全員が程度の差はあれ、怪我を負うことになる。その怪我を癒す期間として授業のない自習期間が設けられているのだ。その自習期間の過ごし方は人それぞれ。怪我が重い者は本来の目的通り、治療期間として過ごす。それほどでもない者も新しい生活が始まる前のリフレッシュ期間として、のんびり過ごす三年生もいれば。これまでと変わらぬ厳しさで鍛錬に勤しむ者もいる。
リルは鍛錬を休まない側だが、その中でも少し様子が違っている。
「はあ、はあ、はあ」
「どうした? もう疲れたのか?」
「いえ、少し息を整えているだけです……行きます」
三年間の騎士養成学校の授業で、これほど厳しいものはなかった。なんといっても相手をしているのは帝国騎士団でワイズマン騎士団長に次ぐ立場の軍団長。それも三人全員を相手にしているのだ。
「怠けるな! 奇策は実戦、それも決戦の手段だ!」
全力のリルの動きは変則的だ。それに惑わされる者は多い。だがファルコンはその戦い方を認めない。まったく認めていないわけではなく、正統な動きでの強さも身につけろと言っているのだ。
「……分かりました」
それを間違いだとリルも思わない。そうすべきだろうともまで思っている。ただファルコンが、他の二人もそうだが、求めるのは正統的な戦い方で彼ら三人と互角に戦えというもの。一朝一夕で身につくものではない。
リルなりに全力で挑んでも十回やって十回負けてしまう。
「しかし、どこでこんな剣を学んだのだ?」
「それは……死んだ父親に聞かなければ分かりません。まあ、元は田舎の農民ですから、独学だと思います」
「独学でもここまで極まればたいしたものだ。惜しいな。会って話したかった」
ファルコンたち三人はリルの父親が何者かを知っている。すでにワイズマン帝国騎士団長から、あくまでも推測だと前置きされた上で、話を聞いている。当然、リルがメルガ伯爵襲撃事件を起こした災厄の神の落し子たちの一人であることも。
彼らの考えはワイズマンと同じだ。平民が貴族を殺したという点で大罪だが、動機は復讐。卑怯な手段で父親を殺された子供たちが敵討ちをしただけだ。その罪に拘るよりも、その力を帝国の為に役立てるほうが大事。こう思っている。
「ファルコン様の剣は何か流派があるのですか?」
正統な剣を身につけるには、その型を学ぶ必要がある。リルはこう思った。
「流派……帝国騎士団の正統剣術だが、なんといったかな? お前のほうが知っているだろ? 習ったばかりなのだから」
「……えっ? 騎士養成学校で習った剣術ですか?」
「それはそうだ。養成学校は帝国騎士団の騎士を育てる学校だ」
「それはそうですね……ですが、御三方の剣術が同じものとは思えませんでした。勉強が足りなかったのですね?」
ファルコン、スナイプ、そして今日は立ち会っていないが、イーグレットの剣はそれぞれ特徴がある。同じ流派とはリルは思っていなかった。
「それはファルコン殿の言葉足らずだな」
「俺の何が言葉足らずだ?」
スナイプの指摘に不満げなファルコン。不満に思うことが、リルが惑う原因が分かっているスナイプとイーグレットにしてみれば。説明が足りない証だ。
「騎士養成学校で学ぶ剣術は、要は平均点の剣術だ」
「平均点ですか?」
「誰にでも身につけられるが、誰にとっても最適ではない。基本の基本と言ったほうが分かりやすいか」
力に優れた者、動きが速い者、攻撃が得手、防御が得手。人にはそれぞれ特徴がある。騎士養成学校で学ぶ剣術は、特徴の違いを無視した基本的なものなのだ。
「御三方の剣術はその基本から自分に合った応用がされているということですか?」
「その通り。ファルコン殿は力。私は動きの速さが人よりも優れているつもりだ。イーグレット殿は守りが得意。ちなみに団長は圧倒的な攻撃力が特徴だ。まあ団長の場合は全ての面で優れていて、その中でも攻撃が得意ということだが」
「イーグレット様が得意なのは守りですか……」
そう思っていなかった。速く重い剣。スナイプの説明に当てはめればファルコンとスナイプを足した特徴だと考えていた。
「私が参加して良かったかもしれない。一太刀でも入れられていたら、大問題になっていただろうね?」
軍団長が騎士候補生の剣を避けられなかった。あってはならない事態だ。ワイズマンは喜ぶかもしれないが、周囲が黙っていないだろう。帝国の体面ばかり考える重臣は今、大勢いるのだ。
「許していないだろ?」
今日の立ち合いでリルは一太刀もファルコンとスナイプに入れられていない。イーグレットの仮説はファルコンには納得出来ないものだった。
「それは当然。でも彼の動きを事前に見ていなかったらどうだったかな?」
「……強がっても仕方ないか。そうだな。さらに油断していたら、万一もあり得たな」
リルが独特な動きをすることを二人は事前に知っていた。さらにリルは今日、双剣を使っていない。イーグレットが対峙した時に比べれば、戦いやすいはずなのだ。それはファルコンも認めざるを得ない。
「この先もずっとつきっきりで指導というわけにはいかない。どうだろう? それぞれ自分がどのように応用したかを彼に教えるというのは。彼であれば、それを基にb自分を鍛え上げるのではないかな?」
「ふむ……そうだな。私は賛成だ」
「私も同意」
こうして三人でリルの相手をすることは、これが最後かもしれない。少し我が儘を押し通して、リルを指導する時間を設けたが、いつまでも続けるわけにはいかない。三人にはやるべきことが山ほどあるのだ。
「……あの、お気持ちは大変うれしいのですが、どうしてここまで?」
帝都に来て初めて、それどころか生まれて初めてといっても良い手応えのある鍛錬。その機会を得られたことにはリルは心から感謝している。だが、三人がどうしてここまでするのかが分からない。三人は帝国騎士団においてワイズマン帝国騎士団長に次ぐ地位。本来、リルどころか正規団員の従士の相手をすることも滅多にないはずなのだ。
「簡単な話だ。死にたくないから:
「えっ?」
「死にたくない。負けたくない。その為には帝国騎士団を少しでも強くしなければならない。お前を鍛えることはそれに繋がる。我々はそう信じている」
リルは即戦力。だがその考えさえ過小評価であったことを三人は、卒業演習で知った。リルには、最低でも大隊を率いる千人将になれる力がある。万を率いるとなれば、三人の右腕、左腕という立場だ。帝国騎士団の戦力増強に与える影響は他の誰を鍛えるよりも大きい。そう考えているのだ。
「……光栄です」
だがリルはその期待に応えられない。帝国騎士団で働き続けるつもりはない。その気があっても出来ない。リルは帝国を、帝国の次の皇帝であるフォルナシス皇太子を敵にしようとしているのだ。
「では私からだ、何度も言わないからな、よく聞いて全て覚えろ」
「はい。分かりました:
彼らの好意を裏切ることjになる。それが分かっていても今この場で拒絶は出来ない。拒絶する理由が、話せる理由がない。そうであるなら、せめて彼らの教えを無駄にしないようにしよう。リルはそう心に誓った。
◆◆◆
ヴァイオレットは机の上に山と積まれた書類と向き合っている。珍しいことではない。メルガ伯爵屋敷襲撃に関わる情報は、どんなに些細なものでも調べた。ありとあらゆる書類を調べ、事実を知るかもしれない人物に手紙を送り、もらえた返事から分かることはないかと何度も何度も、ないと分かった後も、読み返した。
そういった活動に虚しさは感じなかった。彼女にとっては、それだけが生きがい。リルの、フェンの情報を、所在をなんとしても突き止める。それだけが生きる理由だったのだ。
そのリルには念願叶って会えた。無理強いとはいえ、愛し合うことも出来ている。それが体だけの関係であってもヴァイオレットにはこの上ない喜びなのだ。
それで調査は終わり、とはしなかった。今度はフェンの為に事実を明らかにしたかった。もう関わるなと言われたが、従うことが出来なかった。なんといっても事件にはフォルナシス皇太子が絡んでいる。こんなまさかの情報を知った以上は、それを基にさらなる調査を行おうと考えたのだ。
(……計算違いでなければ、これが正解……もう一度、計算してみよう)
机の上に広がっている地図。ヴァイオレットはまたその地図で距離を測り、移動にかかる日数の計算を始める。すでに二度繰り返している計算だ。
(……同じ結果。往復にかかる日数と空白期間も一致している。イアールンヴィズ騎士団の拠点、鉄の森を攻めたのは西南部方面軍の可能性が高いわ)
ヴァイオレットが調べているのはイアールンヴィズ騎士団の本拠地を攻めた軍勢、フェンたちの家族を殺した騎士団はどこの騎士団か。フォルナシス皇太子が事件に絡んでいることを知って、方面軍の可能性を考えたのだ。
方面軍の出動は記録されている。その記録を入手し、イアールンヴィズ騎士団が壊滅させられた日に出動している方面軍を洗い出す。これは簡単だ。鉄の森の位置から南部方面軍と西南部方面軍、それと西部方面軍の中のいずれかしか可能性はない。
結果、西南部方面軍に可能性があることが分かった。あとは実際に襲撃が可能なのかを調べる。西南部方面軍の拠点から鉄の森までの往復にかかる日数を計算し、出動記録と合わせる。合致はしなかったが、逆に何の記録もない期間がそれにぴったりだった。
(方面軍を動かした。皇太子であれば出来るかもしれない。でも……皇帝の命もないのに実際に方面軍が動くのかしら?)
皇太子という立場では、逆に私設騎士団に伝手などないはずだ。だから何人もに命令を経由させて、伝手のある人物にそれをさせた。当初はこう考えた。フェンも同じ考えだ。だがヴィオレットにはフェンにはない疑問があった。
今時の貴族は功績をあげるよりも失敗を恐れる。何かを行って失敗するよりも、何もしないことを選ぶ。他家との交流は少ないとはいえ、貴族の一員であるヴァイオレットはそれを知っている。そんな貴族たちが口伝だけの命令に従うのか。誰が命じたかの証明もない命令を、リスクを犯してまで実行する可能性は低い。だが、方面軍であれば違う。フォルナシス皇太子が直接命令を伝えられる軍事力だ。
それでも疑問は残る。帝国騎士団の統帥権は皇帝にある。皇帝の命なく帝国騎士団は動けない。勝手に動けば重い罰が与えられる。そうであるのに西南部方面軍は動いた。リスクを負っても動く理由があったのだ。
(そもそもフォルナシス皇太子がイアールンヴィズ騎士団を滅ぼそうとした理由……地方の私設騎士団がどんな理由で怒りを買ったのか……)
皇太子と地方の私設騎士団を結びつけるもの。思いつくものはない。存在さえ知らないというのが普通だ。そうであれば、イアールンヴィズ騎士団が理由ではない。他の理由があるのだ。それは何か。
(……フェン……貴方は……もしかして、そういうことなの?)
ただの地方の私設騎士団だったイアールンヴィズ騎士団。その中で特別な存在がいる。フェンがそうだ。ヴァイオレットにとって特別な存在ということではない。彼は常人とは違う。なんといっても守護神獣の力を有している。それをヴァイオレットは知っている。暗殺未遂者を、キースを殺したのはその力であることを。
(……だから私は……メルガ家を継いだ。父親を殺されたことへの同情でも、醜い火傷を負ったことへの同情でもない。私の口を封じる為に恩を売られたのだ)
ひとつの可能性が浮かぶと、これまで疑問に思っていたことも辻褄があってくる。何故、自分はメルガ家を継いだのか。何故、伯爵家とはいえ、地方貴族の家督相続に皇帝が、ルイミラ妃が干渉してきたのか。彼らが救いたかったのは自分ではない。加害者の側にいた、罪を問われる立場のフェン。
フェンは皇帝とルイミラの子。何故、イアールンヴィズ騎士団で育ったのかは分からない。だがそうであればフォルナシス皇太子が暗殺を試みる動機はある。寵妃であるルイミラの子を皇帝が跡継ぎにすることを恐れてだ。
(……私は……どうすれば……)
フェンは皇帝家の人間。それを喜ぶ気持ちはヴァイオレットにはない。自分の仮説が間違いであって欲しいと心から願っている。ヴィオレットは自分が妃になれないことを分かっている。フェンが皇帝家の人間となれば、近づくことも出来なくなる。
彼女の望みは全てを捨てて、二人を知る者が誰もいない土地で暮らすこと。二人だけの世界を生きることなのだ。
(…………)
このまま隠し通すことが出来るのか。皇帝とルイミラ妃はまだ気付いていないのか。そうではないだろうとヴァイオレットは思う。話に聞いている二人のフェンへの接近は自分たちの子だと気付いているからに違いない。そうでなければ平民の一騎士候補生に興味を向けることなどないはずだ。
自分はどうすれば良いのか。答えは浮かばない。
「……はい?」
巡る思考を止めたのは扉をノックする音。
「ご当主様、お仕事のお邪魔をして申し訳ございません。ただ、かなり夜も更けてまいりました」
使用人が就寝を促しに来たのだ。いつものことだ。
「……そうね。もう休むわ」
これ以上、考えてもただ時が過ぎるだけ。調べものも区切りがついたところだ。ヴァイオレットは眠ることにした。すぐに眠れるとは思えない。彼女にとっての幸せの時間が揺らごうとしている。まさかの事実によって。やはり自分の考えは間違いであって欲しい。こう思いながらヴァイオレットは椅子から立ち上がった。