無駄な足掻きであることは分かっていた。それでも同級生たちは勝利を望んだ。勝つ為の戦術を求めた。惨敗という結果になっても構わない。その前提で、そんな結果にするつもりはないが、戦い方を考えた。
それでもやはり、結果は順当。勝てないまでも本陣に迫るくらいは実現したいと思っていたが。それも叶いそうにない。まだ戦えるとは思っている。だが自分一人がそう思っていても戦況は変えられない。皆が同じ思いでいなければ。そう思っていても確実に戦力は減っていく。諦めの想いがその人の体を動かなくさせるのだ。
地面にしゃがみ込む味方の姿を見て、リルの心にも諦めが湧いた。終戦までどう対応するか。これを考え始めていた。
『うおぉおおおおっ!!』
演習場に響き渡った雄たけび。それが誰のものか、リルにはすぐに分かった。
『まだだ! 僕たちはまだ戦える! 皆、諦めるな! 立つんだ! 戦えっ!!』
続く叫びを聞いたリルの顔に笑みが浮かぶ。主は「諦めるな」と叫んでいる。「戦え」と命じている。であれば、自分がやることは決まっている。戦うのだ。
ローレルのいる場所に駆け寄り、群がる敵を払いのける。ローレルは希望なのだ。味方の戦意を高める象徴なのだ。倒させるわけにはいかない。
「……立てますか?」
「ああ、なんとか。立っているだけだが」
「そうではなく、剣の支えがなくても立っていられますか?」
まだ諦めることは許されない。戦い続けるのではなく、勝つ為に戦うのだ。
「……平気だ」
「では、その剣を貸してください。私がローレル様の分も戦います。勝利の為に」
「……頼む」
支えにしていた剣をリルに渡す。思っていたよりもローレルは自分の足がしっかりとしていることが分かった。つい先ほどまでフラフラでただ立っているだけで精一杯であったはずなのに。理由は分かっている。リルは「勝利の為に」と口にした。まだ自分たちは戦えるのだ。勝利の為に。
剣を両手に持ち、軽く振り回しているリル。無表情なその顔。鈍感なはずのローレルでも、彼の体から放たれる気を感じた。
「……来る」
「えっ? 何が? プリム、何が来るの?」
プリムローズの呟きに反応したのはシムーン。だが彼は何も分かっていない。感じ取れていない。昔からの仲間たちはリルの変化に気付いている。そしてもう一人。
(……なんだ?)
ワイズマンの体の奥底にある何かが強い反応を示している。それと同時に背筋に走る怖気のような感覚。守護神獣の力と武人としての感覚が同時に反応しているのだ。
「……なるほど。あれが彼の本気か」
双剣を振り回しているリル。その力は圧倒的だ。帝国騎士団が部隊で周囲を取り囲んでも、彼の動きを止めることが出来ない。個としてのずば抜けた実力。それが帝国騎士団の小隊を圧倒している。
『油断するな! 陣形を整えろ!』
乱戦状態になれば、どのような隙が生まれるか分からない。リルが何をしでかすか分からない。帝国騎士団は再度、陣形を整え始める。油断のない万全な備えだ。
「まさか、一人で突破するつもりか? 確かに強いが……」
遠目では良く分からないが、一対多の状況をものともしない動き。個の力で状況を打破しようと考えているのだとファルコンは考えた。さすがにそれは無理だと。
「奴の役目はローレルが灯した火を大きく燃え上がらせること。それと……舞台を整えることだ」
「何?」
火に関しては分かった。他の味方の戦意をもう一度高めること。帝国騎士団相手でも圧倒的な力を見せつけることでリルはそれを行おうとしているのだと。だがハティの言う「舞台を整えること」が分からない。舞台を部隊とまでファルコンは思っている。
『シュライク! 仲間を率いて左に展開しろ!』
『おう! 任せろ!』
リルの指示で三年生が動き出した。まずが左翼。ガンマ組の騎士候補生たちが動く。
『トゥインクル様!』
『様はいらない!』
『……トゥインクル! 自分と同じくらいに動ける人を連れて右翼を!』
『……分かったわ!』
さらにトゥインクルもリルの指示で右翼を形成する。それを見て、帝国騎士団も動きを変える。リルだけに備えている場合ではない。そう考えた結果だ。
「燃え尽きる前の炎か……それでどこまで出来るものか……」
騎士候補生たちの動きは消える寸前のロウソクの炎のようなもの。最後の燃え上がりだとファルコンは見ている。その勢いは強いが、維持できる時間は短い。それで戦況を変えることが出来るのか。
「こちらに隙はありません。両翼を広げて、中央を手薄にさせようという策でしょうがそんなものは簡単に読めます」
「ヴォイド……それは」
『今だ! グラキエス! デルビィオ! 行けぇええええっ!!』
ローレルの号令が響き渡る。それと同時に帝国騎士団の中央に突撃をかけるグラキエスとディルビオ率いる集団。
「予想通りだ。帝国騎士団はすでに中央を厚くしている。突破は不可能だ」
帝国騎士団はそれを予想していた。両翼の抑えを最小限にし、中央に人を集めていたのだ。
「帝国騎士団もたいしたことねえな」
「なんだと?」
「まんまと奴の舞台に昇らされた。まあ、ずっと気付けていねえってだけか」
「無礼ではないか!? それに騎士候補生の策は敗れたのだ!」
ハティの言葉は帝国騎士団に対する侮辱。そう考えたヴォイドは熱くなっている。当然の反応ではある。ただ。この反応は彼の上司を失望させるものになる。
「ヴォイド。お前も騎士であれば、団長の側近で満足することなく、一軍の将を目指せ」
「ファルコン様?」
「良く見ろ。騎士候補生の中央部隊は陽動だ。彼らが動く前から騎士団は策に嵌まっているのだ」
ヴォイドはファルコンが、ハティたちが見えているものが見えていない。この場にいる中で、もっとも将としての資質に劣るということだ。もちろん、プリムローズとシムーンを除く中で、だが。
「……そうか……左翼が騎士候補生の主力……それは分かっていたはずなのに……」
騎士候補生の左翼はガンマ組。最精鋭部隊だ。それは演習前から分かっていた。そうであるのに帝国騎士団は、ヴォイドは中央に気を取られた。
「結局、個人の名、いや家名で判断しているってことだ。シュライクのような無名な平民は帝国騎士団では眼中にねえってことだろ?」
リルが左翼を率いているのであれば、ローレルでも違ったかもしれない。だが帝国騎士団ではシュライクは無名。それだけで、もっとも警戒していたガンマ組を軽視してしまった。中央を警戒したのも同じ理由だ。グラキエスとディルビオというアネモイ四家の子息はまだ動いていない。それが切り札だと考えてしまったのだ。
「……リルは!?」
個としての最強戦力であるリルはどこにいるのか。その存在から気を逸らしていたことにヴォイドは気が付いた。
「左翼にいるに決まってるだろ? 突破するぞ」
リルはグラキエスとディルビオと入れ替わりで後退。そこから左翼に移動した。ガンマ組と共に敵右翼の突破を図る為だ。ここで初めて、局所においてだが、三年生と帝国騎士団の戦力が逆転したのだ。
帝国騎士団右翼を突破したのはリル一人。だが、そのリルを追おうと陣形を崩したことで、さらなる隙が生まれる。騎士候補生側もリルを追わせまいと必死なのだ。
帝国騎士団本陣を守る部隊に向かうリル。仲間が付いて来ているかどうかは気にしない。時間は帝国騎士団に味方する。立て直しの時間を与えては勝機は完全に失ってしまうのだ。本陣に単騎、突撃をかけるリル。その体が大きく後ろに跳んだ。
「……まさか、ここまで届くとは。期待以上ですね?」
「それはどうも……」
明らかに他の騎士とは気配が違う。ワイズマン帝国騎士団長の放つ覇気には劣るにしても、かなりの強者であることは明らかだ。それはそうだ。相手は帝国騎士団の軍団長、イーグレット。個人の武だけが全てではないが、ワイズマン帝国騎士団長に次ぐ地位にいるのだ。
「指揮官を買ってでた甲斐があったものです!」
「くっ」
イーグレットの剣は速く、そして重い。正面から受けてしまったリルは、そのまま押し込まれることから逃れる為に体をずらす。その彼にさらに振るわれる剣。今度は剣で受け流すことでそれを躱した。
躱すだけでなく逆の腕で剣を振るう。イーグレットのほうは力任せにその剣を弾き飛ばすが、リルはまた逆の腕で剣を振るった。
「独特の動きですね? どうすればそのような動きが身につくのですか?」
双剣による連続攻撃。そうだとしてもリルの動きは独特だ。攻撃と防御。右腕と左腕が同時に異なる動きを見せているようにイーグレットには感じられた。
「生まれつきなので分かりません」
「生まれつき……まさに戦いの申し子ですか」
「それ……褒められた気がしません!」
「最大の賛辞のつもりです!」
激しい攻防が続く。イーグレットの剣の重さをなんとか躱しながら、次々と攻撃を仕掛けるリル。イーグレットもそれにことごとく対応してみせる。他者の介入を許す間もないやりとり。イーグレットは、リルのほうも他者が割り込むことなど望んでいない。これほどの手強い相手との戦いは初めてなのだ。
「……なるほどな。ああいう強者が帝国騎士団にはいるのか。ちなみにあれは?」
「無礼な言い方をするな。あの方は帝国騎士団に三人しかいない軍団長の一人、イーグレット様だ」
「あとの二人は……ああ、こちらにいらっしゃるのか」
あとの二人、ファルコンとスナイプも気配だけで分かる強者。ハティは二人も軍団長だと判断した。ちょうど数が合うというだけの根拠だ。
「その通り。私がファルコン。彼はスナイプだ。しかし……ここまでやるか……私がやれば良かった」
「また別の機会がある。それにイーグレットの楽しみももう終わりだ」
「終わり? ああ……余計な真似を」
演習の終了を告げる合図の旗が振られている。時間切れではない。帝国騎士団が騎士候補生の本陣を制圧したのだ。勝利を得るという点では適格な判断。だが、騎士候補生を圧倒するという目的は果たせなかった。戦況としては帝国騎士団の勝利。まともに戦っているのはリルだけと言って良い状況であるとしても。
一部の人には不満が残る結末だが、演習は帝国騎士団の勝利だ。
「……あれが彼の全てか?」
「えっ……? あ、ああ……どうだろうな?」
「そうか……私は席に戻らねばならない。これで失礼する」
ワイズマンの問いに曖昧な答えを返したハティ。リルとの関係性を誤魔化す為とはワイズマンは思わない。ハティ以外の仲間の表情がそうではないことを示していた。「やはりそうか」という想いがワイズマンの頭に浮かんでいる。イーグレットと互角に戦った。それは驚くべきことだが、恐怖を感じるほどのものではない。ワイズマンの体の奥底にある力は、明らかにリルに恐怖を感じていた。そう感じさせる何かがリルにはあるのだ。
観客席からは大歓声があがっている。例年通り、帝国騎士団の勝利ではあるが、今年の三年生は見事に観客の期待に応えてみせた。リルは、と言い換えても良い。観客がリルの名を連呼していることがその証だ。
「……戻ったか、ワイズマン。いつになく盛り上がっておるな。帝国騎士団の苦戦を民は喜んでいるようにも朕には聞こえるが、これは成功か?」
「はい、陛下。大成功でございます。帝国騎士団は今も、将来も、最強であることを示しました。これ以上の成功はございません」
「ほう、ワイズマンがそのように言うか。では成功だな。ご苦労だった」
「はっ。労いのお言葉、ありがたく存じます」
会場の熱狂が止まらない。一度落ち着きかけたのだが、イーグレットが目の前にいたリルをいきなり抱きしめたかと思ったら、腕を持ち上げてその戦いようを称えたことで、また観客は大歓声をあげることになった。武人とは思えない、中々に政治的な演出だ。
イーグレットは未来の英雄の登場を人々に知らしめたのだ。帝都の人々の多くが期待していたことを、帝国騎士団軍団長である彼が保証してみせたのだ。若き英雄がいる帝国は大丈夫。帝国騎士団は今も、これからも最強であり続けるのだと。