卒業式を除けば、帝国騎士養成学校の年間行事の最後となる演習訓練。帝国騎士団に卒業間近の三年生が挑む演習だ。ただ結果は毎年同じ。帝国騎士団が圧倒的な力を見せつけて終わる。結果が決まりきった演習は観ても面白くない。一般的には体育祭に比べると人気のない行事だった。
だが今年は例年とは異なり、観客席がかなり埋まっている。貴族家の騎士団、私設騎士団の関係者だけでなく、一般の観客が集っているのだ。
「いつになく盛況のようだな? 何かあるのか?」
観客の多さは一目見れば分かるほど。皇帝は近くに座るワイズマン帝国騎士団長に理由を尋ねてきた。聞くまでもなく分かっているはずだ。皇帝家の臨席も例年とは違っている。皇帝だけでなくフォルナシス皇太子、トゥレイス第二皇子と全員が臨席している。同じ理由でだ。
「今年の三年生は、一年生の時から体育祭で活躍している世代であります。この演習においても例年とは異なる善戦を期待しているものと考えます」
「なるほど。だからといって、帝国騎士団としてはそれを許すわけにはいかんな?」
「はっ。演習に臨むにあたり、決して油断することのないよう伝えております」
例年とは演習に参加する騎士、従士のレベルを上げている。ということまでは皇帝に説明しない。皇帝がどう反応するか分からないことを、あえて話す必要はない。
「ただ、朕としては同じ期待を三年生にも向けなければならん。勝利とまでは言わんが、善戦は期待したいところだ」
皇帝の視線はアネモイ四家の当主たちに向いている。例年は観戦しない彼らも子供たちが参加する演習とあって、出席しているのだ。
「陛下のご期待に沿えることを願っておりますが、さすがに帝国騎士団相手では……」
、四家を代表してムフリド侯が皇帝に応えた。家の序列ではなく、参加する中でグラキエスだけが次期当主と決まっているからだ。グラキエスは守護四神家としての責任をすでに背負っている立場。皇帝に期待を向けられる身だ。
「守護神獣の力を使うわけにはいかんからな?」
「仰せの通り」
「さて、そろそろかな?」
皇帝のこの何気ない言葉が開始の指示になる。ワイズマン帝国騎士団長は軽く手を挙げることで部下に合図を送った。それを受けた部下がまた合図を送る。それが伝わり、演習場にいる騎士が大きな旗を振ることで、演習は始まった。
最初は両方とも鈍い動き。どちらかといえば帝国騎士団側が警戒している様子だ。昨年の演習についての情報は参加する騎士たちに伝えられている。三年生がどういう動きを見せるか見極めようというところだ。
「……陽動はなしか?」
黙り込んだ皇帝の代わり、というわけではないが、トゥレイス第二皇子がワイズマンに問いかけてきた。彼は昨年の演習を観ている。その時の三年生の動きはリルの助言を受けてのものであることも知っている。今年はそのリルが参加している。同じように陽動目的で、陣形を次々と変化させるものと考えていたのだ。
「……昨年と同じことはしないようです。ただ、陽動はなしかとなるとそれも違うと思います」
「あれか?」
三年生の中で唯一、動きを見せている小部隊がいる。左翼にいたその集団は中央に移動していくと、いきなり方向を転じて、帝国騎士団の陣に突撃をかけた。
「無茶だ」
「承知の上でしょう」
「捨て石ということか?」
小部隊だけで突撃を仕掛けても殲滅させられるだけ。それが分かっての行動となると、その小部隊を犠牲にして、何かを得ようという作戦になる。
「そうでしょうが……なるほど、確かに無茶ですな」
三年生の戦術は一点突破。最初の小部隊の突撃で、わずかに陣形が歪んだ場所に向けて、さらに部隊が突撃を仕掛けていく。だが動きが鈍れば各個に包囲殲滅されるだけ。かなり強引な、勝ち目の薄い戦術だとワイズマンも見た。
「どうして、あんな戦い方をするのだ?」
「これは勝手な想像ですが、勝とうとしたのでしょう。可能性は限りなく低くても勝利を得られる戦術。そういう選択ではないかと」
「……勝てるはずのない戦いに勝とうとすれば、玉砕戦法しかないということか」
どう足掻いても三年生の側に勝ち目はない。その状況で勝ちを得ようと思えば、無謀な作戦を選ぶしかない。そうしたのだとトゥレイス第二皇子は考えた。
「勝てる場所で戦おうとしているようです」
「そのようだ。最大戦力を最も弱い敵に当てる。騎士団がそれを許してしまったのは、慎重すぎたからかな?」
少し離れた場所に座っている二人。軍団長のファルコンとスナイプは、トゥレイス第二皇子と違った見方をしている。一か八かの作戦という考えは同じだが、玉砕というほど悲観的な作戦ではないと考えているのだ。
「……どういう意味だ?」
「最初に突撃した部隊はまだ玉砕していないということです。あれが部隊としては騎士候補生側では最強なのでしょう」
「最も弱いの意味は?」
三年生の精鋭部隊が突撃をしかけている。それは分かった。だが帝国騎士団側で最も弱い部隊はどういうものか。どうしてそれが分かるのかトゥレイス第二皇子は疑問に思った。
「最初の配置です。騎士候補生側の左翼はガンマ組。最精鋭部隊と考え、騎士団側も精鋭を集中させているはずです。一方で中央は……比較的、弱いと思われているクラスです」
それがどのクラスかとなると、近くにいるアネモイ四家の当主を気にしてワイズマンは名指ししなかったが、トゥインクルのクラスになる。帝国騎士団の戦力評価はリルがいるガンマ組が最強、次がグラキエスのクラス、ディルビオ、トゥインクルの順。トゥインクルのクラスの正面には帝国騎士団で一番弱い部隊が置かれていた。弱いといっても想定比較において。三年生の最精鋭でも太刀打ちできるはずがなかったのだが。
「……ワイズマン。先に剣術対抗戦の成績上位者は、帝国騎士団においてもその強さは上位に位置づけられるということか?」
三年生の最精鋭部隊にはリルがいる。リルの力で最初に突撃した部隊が善戦しているとすれば、その力はどれほどのものなのかということになる。
「今のところは、それも演習に参加している騎士の中では、ということになりますが、そのようです」
「まさか、突破するなんて結果は?」
「それはありません。すでに対応に動いております」
帝国騎士団側が大きく動いた。両翼が大きく前進。三年生全体を包囲しようと動いている。三年生が苛烈な突撃をしかけている中央も、中央の余力を後方に回して厚みを持たせ、突破を許さないように陣形を変えた。
「ここまでか……善戦とまでは言えないな」
「はい。ここで終われば。ですがまだ三年生にも動きがあります。もしかすると、こちらが本命でしょうか?」
「本命……? あれが?」
三年生の動きは帝国騎士団よりも更に大きい。全体が左に偏っていく。
「四分の三近くの戦力を全て左翼に集中させ、数的有利を作ろうというのでしょう。ただし、帝国騎士団左翼が三年生の中央を先に殲滅してしまえば、やはり包囲されてしまいます」
「最初の突撃の意味は?」
「……帝国騎士団中央を動けなくすることでしょうか? 中央は右翼との間に突撃をかけられております。右翼への移動はしづらい。後方に回した人数も、突破される可能性がある間は動かせないでしょう」
結果、動くのは帝国騎士団左翼となる。三年生が攻める右翼から一番遠い位置にいる左翼だ。
「……結局、どうなる?」
「突撃した騎士候補生の部隊、もしくは中央の部隊を帝国騎士団が殲滅するのが早いか、騎士候補生側が右翼を突破するのが先か。この争いです。あくまでも形としてそうなったというだけですが」
「形としては、というのは?」
「騎士候補生が先に突破してもそれで勝利が決まるわけではありません。本陣を占拠することが勝利条件でありますから」
この状況まで持ち込んでも三年生の勝利は難しいとワイズマンは考えている。戦力は帝国騎士団が何段階も上。目をくらまし、突撃部隊が奮戦し、今の形を作り上げたが、それだけでは勝利は掴めない。もっと戦力が必要だ。帝国騎士団の右翼を突破するには、中央に突撃を仕掛けたリルがいる精鋭部隊と同程度の部隊がいくつも必要になる。
「ここまでか……まあ、善戦と言えなくもないな」
「そうですが……恐れ入りますが、少しこの場を離れます」
「なっ? おい?」
解説役を担っているワイズマンが、まだ演習が終わっていないのに皇帝の側を離れようとしている。まさかのことにトゥレイス第二皇子は戸惑いの声をあげたが、ワイズマンはそれに構わず、動き出していた。
本当にこれで終わりなのか。常識ではそうだ。だが、体の奥底にある何かが、わずかに騒めいている。何かに反応しているような気がするのだ。
◆◆◆
帝国騎士団右翼の突破は失敗。その前に三年生の中央にいた部隊が攻めてきた帝国騎士団左翼を抑えきれなくなった。戦力差があり過ぎたのだ。双方、陣形は乱れ、乱戦模様となっているがそれでも帝国騎士団側に隙はない。確実に三年生の戦力を削っていく。模擬戦であるので戦死するわけではない。打撲程度の怪我は当たり前にあるが、戦えなくなるというのは体力を奪われて動けなくなる、それ以前に戦意を完全に喪失してしまうことだ。
この状況になってから先は、三年生にとっては、嬲られているような苦しい時間が続くことになる。見ている観客にとっても、楽しい時間ではない。
「……まっ、こんなものだろうな?」
「まあ、戦力の差がね」
見学しているハティたちもこれで決着がついたと考えている。あと一歩、とまで言える状況には持ち込めていないが、もともと勝てるはずのない戦いだ。
「君たちは何が足りなかったと考えている?」
「また、あんた……いや、帝国騎士団長殿か」
ワイズマンがすぐ後ろに立っている。それ自体に驚きはない。彼の気配は意識を集中していなくても分かる。さらに近づいてきたのはワイズマンだけではない。ハティたちは知らないが、軍団長の二人も、「いきなり場を離れるなど何があるのか」と興味を持って、付いて来ていたのだ。
「君たちがいれば、右翼を突破出来たかもしれないな?」
「どうして僕たち?」
明らかに素性がばれている。分かっていてもライラプスは惚けてみせた。
「この場には剣術対抗戦で勝ち残った三人がいる」
「なるほどね……どうだろう? やってみないと分からないかな?」
これは本音だ。ライラプスは帝国騎士団の実力を過少評価していない。自分たちの実力に自惚れてもいない。
「やってみないと分からない? 帝国騎士団への評価はその程度なのか?」
だがライラプスの言葉は同行してきたファルコンには不遜に聞こえた。勝機はあると見ることが自惚れている。もしくは見る目がないと思うのだ。
「私設騎士団への評価はその程度なの?」
「なんだと?」
「ろくに実戦経験もない騎士候補生と一緒にしないでもらいたいね? 頑張ってはいるけど、彼ら相手であれば僕たちでも勝てる」
「それは……そうかもしれないが」
ライラプスの言う通りなのだ。今年の三年生は例年とは違う。とはいえ、見習い従士にもなっていない騎士候補生だ。私設騎士団とも実力差は離れている。その騎士候補生たちを圧倒したからといって、本来、自慢出来ることではないのだ。
『うおぉおおおおっ!!』
「えっ? 何?」
突然、演習場から聞こえてきた雄たけび。何が起きているのか視線を向けただけでは分からなかった。
『まだだ! 僕たちはまだ戦える! 皆、諦めるな! 立つんだ! 戦えっ!!』
「お坊ちゃま……いや、ローレルか。どうやらまだ終わりじゃないらしい」
ハティの顔に笑みが浮かんでいる。このまま終わるのはハティとしても悔しかった。三年生にはリル以外にも知った人間がいる。応援する気持ちは他の仲間たちよりも強く、もっと帝国騎士団を焦らせて欲しかったのだ。
「……たった一人、頑張っても」
「そのたった一人の頑張りを無にしねえ奴がいる。少しは本気になるんじゃねえか?」
「どういう意味だ?」
「見てれば分かるよ」
フラフラしながらも、なんとか立ち上がっているローレル。その彼に帝国騎士団はすぐに攻めかかった。このまま一気に勝負をつける為に、小さな反撃の芽もすばやく積む。そう考えての良い反応だ。
だがそれを許さない者がいた。襲い掛かった騎士たちの剣はひとつもローレルには届かない。リルがそれを許さなかった。