ローレルの成人式が行われた。ほぼ身内だけでの成人式だ。次男のラークがすでに成人式を終えている状況では、三男のローレルの成人式は政治的な意味を持たない。守護神の加護を得る儀式としての成人式ではなく、普通に成人を祝い会であっても良かった。そうであるのに儀式的な成人式の形を選んだのは、他家の不安を和らげるため。イザール家の守護神、南風の神ノトスの加護を得る資格のないローレルが成人式を執り行っても死ななかったという実績を作る為だ。
その点では注目度は高いのだが、生きて終える保証があるわけではない。人の死を目の当たりにしたいと思う人は少ないので、他家からの出席者はほぼいなかったのだ。
「……無事に済んだから良かったですけど、わざわざリスクを負う必要はなかったのではありませんか?」
ヴィオレットは数少ない他家からの出席者の一人。他家といっても、婚約者という立場であるので、身内に近い。ローレルの意向を確認することなく、イザール侯爵家が招待していたのだ。
「リスクとは思っていません。僕は守護神の怒りを買うような真似はしていませんから」
主賓であるにも関わらず祝宴に参加することなく、ローレルは帰途についている。父親との確執ではなく、先に成人式を終えて、すっかり当主気取りな次男のラークと一緒にいたくなかったのだ。
結果、ヴァイオレットと二人で馬車に乗って移動することになった。リルと、今回はローレルを心配して参加したプリムローズは、それぞれレイヴンとルミナスに乗っての移動だ。
「守護神の怒りですか……」
「あっ、いや、箸にも棒にも掛からない僕を守護神は気にしないという意味です」
長兄のアイビスは何をして守護神の怒りを買ったのか。こういう話になってしまうことに気が付いて、慌ててローレルは誤魔化した。アイビスの罪は公にされていない。実家に反感を抱いているローレルだが、それを暴く気にはなれない。プリムローズの力が明らかになれば、彼女は望む生き方が出来なくなる。イザール侯爵家に縛り付けられることなど、絶対に望むはずがないのだ。
「継承の正統性とは何なのでしょうか?」
「どういうことですか?」
「私はメルガ家の当主となりました。成人式を行うことなく、家族や家臣にも認められることなく。私は何故、メルガ準伯爵なのでしょう?」
ヴァイオレットは成人式を行っていない。守護神の加護を得る儀式としての成人式だけでなく、普通の祝いも。家族も家臣も彼女が当主となることを受け入れていないので、誰も動かなかったのだ。
それでも彼女はメルガ家当主で、メルガ準伯爵だ。身内以外はそう扱っている。
「……陛下がお認めになられたからです。爵位は陛下から与えられるものです。アネモイ四家の成人式はアネモイ四家の当主に相応しいことを証明する為のもの。意味合いが違うのです」
「そうですね」
全ての貴族家で儀式としての成人式が行われているわけではない。守護神の加護を、守護神獣の力を得たことが一度もない貴族家の多くはそれを行う必要性を感じていない。皇帝が認めていれば、その地位を守れるのだから。
かつては、守護神獣の力を得られることを期待して、ほとんどの貴族家で行われていた。だが戦いが遠ざかり、守護神獣の力を持っているだけでは出世に繋がらなくなったことで、行われなくなったのだ。
「それにもう、守護神の加護と貴族の血に関連がないことは明らかになっています」
ワイズマン帝国騎士団長は平民出身だ。だが守護神獣の力が使える。他にも平民出で使える者は何人もいる。私設騎士団の団長はその力でその地位を得、組織を大きくしている。反帝国勢力のひとつ、シムラクルム騎士団団長ヘルクレスが代表的な人物だ。
「……もしかして…………いえ、何でもありません」
「何ですか? そういう言い方をされると気になるのですけど?」
「それは……もしかして期待されていたのかと思いました。守護神の加護を」
守護神の加護と貴族の血は関係ない。そうであれば、ローレルも加護を得られるかもしれない。イザール侯爵家の守護神、南風の神ノトスではない別の神の加護を。
儀式としての成人式をあえて行ったのは、その為ではないかとヴァイオレットは考えたのだ。
「……まったく考えていませんでした。確かにそういう理屈になりますね?」
「そうでしたか」
ローレルはまったく期待していなかった。そもそも自分にそういう特別な力があるという考えがないのだ。
「……ああ、だからか。リルがまったく反対しなかったのは」
「どういうことですか?」
「成人式を執り行うことについては結構、周りから反対されていました。でもリルだけは何も言わなかった。何の危険もないと思っているからだと思っていましたけど、この理由もあったのかもしれません」
トゥインクル、グラキエス、ディルビオは大反対。他の同級生も必要のないことをするべきではないという意見だった。プリムローズさえ。たった一人、リルだけが成人式を執り行うことに反対しなかった。プリムローズに加護を与えている守護神が自分に危害を加えるはずがない。リルも同じ考えだからだと思っていたのだが、別の理由もあったのかもしれないとローレルは思った。
「……リル殿が」
「僕の勘違いかもしれません、でも……リルは何故か僕に期待してくれるので。僕自身が出来るはずないと思っていることを、出来ると信じてくれるので」
出会ったばかりの頃は馬鹿にされているのだと思った。だが違った。すぐには出来なくても時間をかければ、ひとつひとつ積み上げていけば、出来るようになる。本気でそう思っていることが分かった。その期待に応えてみようと頑張ると、出来ることが増えた。少しずつ、幼い頃から抱き続けた劣等感が薄れていった。
その劣等感さえ、リルは認めてくれた。それがあるから努力を続けられる。自分もそうだと言ってくれた。
「……信頼し合っているのですね?」
「それはどうでしょう? 頼られているかというとそれはなさそうです」
ローレルの顔に苦笑いが浮かぶ。リルに頼ってもらえている自覚はローレルにはない。期待はされてもそれに自分は応えられていない。劣等感はリルのおかげで薄れたが、自分はまだまだ。それが情けない。
「そんなことは……」
「本音を言えば、守護神の加護を得られるものなら得たいと思っています。方法があるのであれば、それを知りたい。リルに頼られる力が欲しいです」
「ローレル殿……」
ローレルが感じている無力感。ヴァイオレットも、少し違うが、理解できる。リルを無理やり縛り付けている。そうするしかリルを自分の側に置いておくことが出来ない。自分にはリルの隣で生きる資格がない。それを思い知らされてしまうのだ。
「でも……無理なのです。僕は特別な人間ではない。僕は……違う」
ローレルには妹のプリムローズのような特別な力はない。ハティのように人並み外れた戦闘力があるわけでもない。リルの本当の仲間になれる才能がない。こう思ってしまうのだ。
「特別な人間でなければ駄目ですか? 特別でないと求めるものは何も手に入れられませんか?」
「ヴィオレットさん……?」
「私は諦めません。一番大切なものは、他の全てを投げ捨ててでも手に入れたいと思います」
すでに多くを失っている。だからこそ、諦められない。ヴァイオレットにとってこの世で唯一、手に入れたい存在。それを諦めてしまっては、これまで生きてきたことに意味がなくなる。この先を生きる理由がなくなってしまう。たとえ誰に恨まれても、罵倒されても、諦めるわけにはいかないのだ。
◆◆◆
夜空には満月が浮かんでいる。それを眺めるのはリルの習慣、というほどでもない。月を見上げていることは割と多いが、そのためにわざわざ夜に外に出ていることは多くない。時間がない時に寝る時間を削って鍛錬を行う時。考え事がまとまらず、静かな環境に身を置きたい時など、別の理由があってのことだ。それは今日も同じ。今日については、リルの事情ではないが。
「それ……私に聞く必要ありますか?」
「内通者の疑いが強い人物であれば、絞られている。ただ当たり前過ぎて、決めつけて良いものか悩んでいるのだ」
リルを外に呼び出したのは皇帝の側近。皇帝直属の諜報組織を率いる男だ。男は皇帝の命令で、元はワイズマン帝国騎士団長の要請で、内通者の調査を行っている。リルからも情報を得ようと考えたのだ。
「絞られた人物は三人ですか?」
「帝国騎士団長も疑っているのか?」
「帝国騎士団長が内通者だと、もう終わっていませんか?」
可能性は完全には否定しない。だが、ワイズマン帝国騎士団長が反帝国勢力と繋がっているとなれば、内通程度の問題ではなくなってしまう。
「なるほど。来て正解だったな。マグノリア、ヴォイドの他に誰がいる?」
他の可能性を男は否定しているわけではない。だが、もっとも疑いの強い人物をあげれば、この二人になる。もっとも詳しい情報を持っている、ワイズマン帝国騎士団長を除く、二人だ。
「ええ……それを私に言わせるのですか?」
「言いづらい人物? そうなると……なるほど、その可能性を否定しないか」
男には思い当たる人物がいた。公安部について、ワイズマン帝国騎士団長以外に、全ての情報を知ることが出来る立場にいる人物だ。
「そちらも否定しないのですね?」
「否定はしない。ただ、どうだろうな? あの御方は策略の類を好む性格ではない」
男が「あの御方」と呼ぶ人物。それはトゥレイス第二皇子だ。彼は公安部所属。マグノリアより、公安部長よりも上の立場ですべての情報を知り得る立場にある。リルも本人から直接聞いて、そういう立場であることを知っている。
「……これは思い上がりかもしれないのですけど、もしかして話を聞きに来たのではなく、聞かせる為に来ました?」
自分が考えていることは男も考えている。新たに得られる情報がないのに、わざわざ会いに来たのは逆に情報を与える為ではないかとリルは考えた。
「何の為に?」
「反帝国勢力、ではなく反皇帝勢力の存在を教える為に」
皇帝と帝国は同じ。これが正しい考え方だ。だが帝国組織の中に、時の皇帝に逆らう勢力がいることは過去にもあった。今もいる。いてもおかしくない。前宰相ヴィシャスとその仲間がそうだった。
「それも何の為に?」
「分かりません。ですが帝国内部に、反帝国勢力と見られている組織の手引きをする存在がいることを知ったのは意味があります」
「そうか……」
同じ質問だが、後のそれはリルの反応を探る為のものだった。だが即答で「分かりません」が返ってきた。意味のある問いだとリルは受けとらなかった。それはリルが、自分が何者であるか気付いていないということ。もしくは、本当に無関係な人物であるということだ。
「……でも、確かにあの方はないか……でも……当たり前の結果になるのかな……? 自分が疑われることくらい分かると思うけど」
リルがヴォイドとマグノリアよりもう一人、トゥレイス第二皇子を強く疑ったのは、他の二人は男の言う「当たり前」だから。自分が疑われることが分かっていて、襲撃させることはないだろうと考えたからだ。
「命令者が別であればあり得る」
「それは使い捨てにされたということですか?」
「そうなるとは限らない。これまでの話は全て想像。確たる証拠はないのだ」
疑いはあくまでも疑い。内通の証拠がない現状では裁くことは出来ない。男はその証拠集めを求められているのだ。
「証拠ですか……それだけの組織を帝国内に作れる人。だからあの方を考えたのですけど……ちなみに前宰相に従っていた人たちは全て排除されたのですか?」
反皇帝勢力は一人二人ではない。ヴォイドかマグノリア、もしくは二人ともが内通者であったとしても組織の一部。首謀者ではないことは間違いない。二人に、帝国内に自分の組織を作る力などあるはずがないのだ。それが出来るとすればトゥレイス第二皇子。こうリルは考えたのだが、どうやら間違いだった。男の、本音は分からないが、話は間違いであることを示している。
「完全とは言えないだろう。実際にどこまで広がっていたのか把握出来ていないはずだ」
「でも前宰相が反皇帝派であったことは間違いない?」
男の認識は皇帝と同じものであるはず。ヴィシャスが宰相であった時から反皇帝派であったのだとすれば、皇帝には繋がらない可能性が生まれる。イアールンヴィズ騎士団襲撃に関して。
リルにとっては重要な情報だ。
「……そうだとしたら?」
「貴方が『そうだ』と答えたら、何故殺さずに追放で済ませたのだろうかという疑問が生まれます」
本当に知りたいことを隠して、リルは問いに答えた。ただこれも気になることだ。
「……証拠がない」
「皇帝への反逆未遂に証拠が必要ですか?」
証拠がなくても反逆の意思を持つ者は排除すべきだったとリルは思う。実際に追放だけで終わらせた結果、ヴィシャスは反帝国勢力の最大勢力となっているのだ。
「……陛下はお優しいのだ」
「そうですか……そうかもしれませんね?」
分かりやすい誤魔化し。話すつもりはないという意思表示だとリルは受け取った。
「その言い方……まあ、良い。話に来た意味はあった」
リルは何をどこまで把握しているのか。おぼろげながら分かったように思えた。分かって欲しいことは分かっていない。それでは誰が敵で誰が味方か判別出来ないはずだ。だからといって真実を、男が真実だと思っているだけでこれも証拠はないが、伝えるわけにはいかない。今はまだその時ではない、はずなのだ。