皇帝に謁見を申し込んだワイズマン帝国騎士団長。それはすぐに許され、その日のうちに実現することになった。定例会議を待たずにワイズマンが自ら謁見を求める。それは余程のことだと皇帝も分かっているのだ。ワイズマンの職務に対する誠実さを皇帝は高く評価している。それだけではない。そんなワイズマンとの距離を縮め、味方として取り込みたい。こんな思いもあっての対応だ。
「帝国騎士団長内に多くの裏切り者が……さすがはワイズマンだな」
「さすがというお言葉は……己の無能を恥じるばかりです」
「普通であれば隠したいと思う事柄。それを正直に報告してくることがさすがだと申しているのだ。だが、それだけではないのだろう?」
ワイズマンは帝国騎士団長という地位にいるが爵位はない。定例会議以外の場で、皇帝とこのように話が出来る身分では、本来ないのだ。今回の件もまずは書面での報告。その結果、皇帝に求められて直接報告をするというのが正式な手順。だが今回、ワイズマンはいきなり謁見を求めてきている。
「はっ。恐れながら陛下に調査のご協力をお願いにまいりました」
「帝国騎士団では調べられないか?」
「我々が出来る方法で調べようとすれば動きが大きくなります。それでは相手に気付かれてしまい、備えを許すことになります」
調査に動けば必ず内通者に知られる。組織内にいるのだ。気付かないはずがない。それでは捕らえることが出来ない。捕らえられても内通者だという証拠を見つけられなくなるかもしれない。
「ふむ……出来るか?」
皇帝が問いを向けたのは皇帝直属の諜報組織の長。常に皇帝の側にいる男だ。
「ご命令であれば。ですが、今の話を聞いておりますと彼に聞くのが早いのではないですか?」
「彼というのは……リルか? リルは何者が内通者だと分かっているとお主は思うのか?」
「あたりはつけているものと思います。そうでなければ罠は張れません。騎士団長殿を動かそうとするからには、罠に嵌める自信があったものと思います」
リルは可能性だけでワイズマンを動かしたのではないと男は思っている。それどころか確実に罠に嵌めるつもりで動いていた。こうすれば敵は動く。ここまで与曽基して動いた可能性まで考えている。リルのことを高く評価しているのだ。
「……しかし、リルは私に内通者が存在することしか伝えておりません」
「それは恐らく、教えても帝国騎士団長殿は信じないと思っているのではないでしょうか? たとえば帝国騎士団長殿が信頼している人物とか」
「……馬鹿な。さすがにそれは」
頭に浮かんだのはマグノリアとヴォイド。自分が信頼していて、情報を持っている人物は二人しかいないのだ。
「その反応。それを予想していたのでしょう」
「……証拠を得ていると?」
「いえ。証拠はない。証拠があれば、帝国騎士団長殿が信じるに足る証拠があるのであれば、話しているはずです……そうでした。帝国騎士団は証拠がなければ動けませんな」
この男は証拠を必要としない。可能性であっても排除すべき対象は排除する。それが間違いであっても、間違いでなかった場合に顕在化する危険を避けることを考えて、排除を選択する。リルも、それほど良く知っているはずがないのに、似たようなものだと男は考えている。そんな匂いを感じ取っているのだ。
「……そうです」
「分かりました。証拠集めを手伝えばよろしいのですな? 陛下のご命令があり次第、動きます」
あくまでも皇帝の命令があってのこと。自らの判断で何かを行うことは原則、男にはないのだ。
「ひとつ聞かせてもらえますか?」
「お答え出来ることには限りがあると思いますが、それでもよろしければ」
「貴方はリルのことを良く知っているのですね?」
ワイズマンは男と、主である皇帝とリルとの関係を詳しく知らない。接点があることは知っている。だがその接点は、自分のそれよりも張るかに近いことは知らない。ワイズマンにはあらかじめ報告すべき事柄以外について皇帝と話すことなど、まずないのだ。
「……それほどでもありません。ですが、帝国騎士団長殿には見えないものが見えているとは思っております」
「そうですか……」
知りたいことの答えにはなっていない。だがこれ以上の話は男からは出てこない。最初にそう言われているのだ。
「同じく彼も帝国騎士団長殿が見えないものを見、知らないことを知っている……これはさすがに無礼でしたか。お詫びします」
「いえ、謝罪は無用です。それは私も感じていること。自分が生きる世界が狭いことを近頃、思い知っております」
リルの視野は自分よりも遥かに広い。実際に知らないことを知っている。思いつかないことを思いついている。年齢に関係なく、そんな差が生まれる経験がリルにはあるのだとワイズマンは考えている。
「謙虚であることは良いことです。ですが帝国騎士団長のお立場では、そのままでは良くないことはご理解されているものと思います」
この先、反帝国勢力との戦いが始まる。それは避けることが出来ない。戦いを指揮する帝国騎士団長は、敵の思惑を上回ることが求められる。おそらくは手段を選ばない相手には正攻法だけでは勝てないのだ。
「ご期待に沿えるよう日々努めます……陛下。恐れながらもう一つお願いさせていただけますでしょうか?」
「言いたいことがあれば、全て申せ」
さらに珍しい行動をワイズマンはとってきた。重ねてのお願いなど、彼らしくない。だが悪いことではない。そういう甘えのような、ワイズマンにそんな気はまったくなくても、。行動は距離を縮めることになると皇帝は考えているのだ。
「この場でのお答えは求めません。ですが心に御留め置きいただけますと幸いです」
「……分かった」
心に留めておくだけであれば、中身を聞かなくても了承を返せる。ただこんな前置きが必要な頼むがどのようなものかは気になる。
「……過去に罪を犯した者であっても、時代が求める人物、いえ、帝国の危機に役立つ人物には恩赦をお考えになるべきだと思います」
「……そうか。ワイズマンはそう思うか」
これが誰のことかとなれば、リルしか頭に浮かばない。ワイズマンはリルが、メルガ伯爵屋敷襲撃事件の犯人であることを知っている。知っていてそれを公にしていない。証拠がないからではない。リルを必要としているからだ。それが、はっきりと分かった。
{私の未熟故、このようなお願いをしてしまうことは深くお詫びいたします」
「良い。約束だ。心に留めておく」
「はっ。ありがとうございます」
皇帝が実際に望む通りに動いてくれるかは分からない。だが、少しは望みがある。ワイズマン一人でリルの、他のイアールンヴィズ騎士団関係者の免罪に動くのに比べれば、遥かにマシだ。
「……まだ何かあるか?」
「いえ、私からはもう何も」
「そうか。では、下がれ」
「はっ」
最後に皇帝に向かって深く頭を下げてから、ワイズマンは部屋を出ていった。皇帝速記の男は同行しない。ワイズマンには別の案内役がついている。廊下で待っているはずなのだ。
「……ワイズマンが、あのようなことを願い出てくるとはな」
生真面目な人物という評価だった。そのワイズマンが罪人を許してほしいと願い出てきたのだ。皇帝は、内心では、かなり驚いていた。
「彼なりに帝国の現状を愁い、焦りがあるのではありませんか?」
「焦りか……しかし、高く評価されておるのだな?」
「勝手な考えですが、自分には出来ないことが出来ると考えているのではないでしょうか? 今回の件も、従来の帝国騎士団であれば採りえない策だと思われます」
裏社会の人間と、押収品の横流しを材料に取引を行う。不正行為を行うことでその事実を知る人間を限定し、内通を疑う対象を絞り込む、は男の想像だが。こういう発想は正規の帝国騎士団には出来ない。思いついても実行出来ない。まず許可が出ない。
だが反帝国勢力は法など気にしない。不正な手段であろうと躊躇うことなく実行する。そういう相手と帝国騎士団は戦わなければならないのだ。
「どのように育てられたら、そうなるのであろうな?」
「持って生まれた才能か、私設騎士団とはどこもそういうものなのか、それとも両方でしょうか?」
「両方であるとすれば、運命が……いや、これを言ってはルイミラが怒るか」
リルが行方不明のルイミラとの子であるとすれば、そうなったのは運命。才能を育てる為に、彼は誘拐され、私設騎士団で育てられることになったのかもしれない。この思いはルイミラ妃には話せない。離れ離れになることは運命によって決まっていたなんでことを、彼女が受け入れるはずないのだ。
皇帝の顔に苦笑いが浮かんだ。ルイミラ妃の怒った顔が目に浮かんだのだ。
◆◆◆
帝国が反乱勢力と見ている中で、もっとも拡大しているのは前宰相ヴィシャスの勢力。自分と同様に皇帝によって追放された者たちをまとめあげ、一気に帝国南部で最大勢力に成り上がった。元々、小貴族が多い地域であったこともヴィシャスに有利に働いた。真正面から対抗出来る、帝国に変わらず忠誠を誓う貴族家がいなかったのだ。軍事力という点では、帝国西部のシムラクルム騎士団にも及ばなかったが、それも地域の私設騎士団を金の力で次々と支配下に収めたことで問題は解消。帝国打倒実現の最有力候補と見られることになった。
「……公安部とは、あの公安部のことか?」
「はい。ただ新しい組織が作られたようです。公安部特務強行班という下部組織で、そこが動いたようです」
「実態は帝国騎士団本隊か。公安部には任せておけないということではないか?」
ヴィシャスのところにも特務強行班の情報が届いた。ただ彼にとっては気にすることではない。
「それが……イアールンヴィズ騎士団関係者の疑いがある者が絡んでいるとのことです」
「イアールンヴィズ騎士団……私は知らないが有名な騎士団なのかな?」
「ご存じありませんか? メルガ伯爵屋敷襲撃事件の犯人とされている者たちです」
これを伝えに来た男も、それほど詳しい情報を持っていない。伝えろと命じられたこと以外は、ほぼ何も知らないのだ。
「……そういえば聞いたことがあるような気がする。だがそれがどうかしたのか?」
「どうかと言われましても……特に指示は受けておりません」
「そうか。相手が何であれ、物資を奪われ、協力者を大勢失ったのは痛いな。この先、どうするつもりなのかな?」
それは……引き続きご協力を」
対応を問われても困る。彼は対応をお願いに来たのだ。ヴィシャスに何とかしてもらいたいのだ。
「……今は決起の準備を整えているところ。物資は無駄にしたくないないのだがな……」
相手の要求に軽い嫌味を込めて返すヴィシャス。帝都での失敗は彼の失敗ではない。彼自身はそう思っている。帝都内で反乱勢力を拡大させることは今のヴィシャスにとっては優先すべきことではないのだ。
「物資だけでなく……出来れば人手もお借りしたいのですが?」
「もちろん、運搬はこちらで行う」
「そうではなく……」
男が、男に命令した者が求めているのはそれではない。ただ物資の提供にも難色を示されたことで、言い出しづらくなっていた。
「……まさかと思うが、公安部と、いや、帝国騎士団と戦う為の人手を求めているのかな? それは無理というものだ。この時点で開戦のきっかけを、それも帝都で作るつもりはない」
「……そうですか」
はっきりと拒絶されて、落ち込む男。彼自身も無理な願いであることは分かっていた。帝都で、帝国騎士団がいる帝都で戦いを始めるなど無謀。帝都に派遣された者たちは、開戦のきっかけ作りの為に死ぬことになる。そんなことをする理由がない。
「準備が整えば我々は立ち上がる。だが、帝都に攻め込むには、さらに支配下貴族を増やす必要がある。南部を完全制圧しながら帝都に進軍する計画なのだ」
南部にはまだ旗幟を鮮明にしていない貴族がいる。帝国への忠誠心だけが理由ではない。絶対にヴィシャスが勝利するという保証がないからだ。そういう者たちは決起後、武力で強引に従わせるしかない。絶対なんて保証は証明しようがないのだ。
「はい。知っております」
「帝国騎士団の動きは出来る限り、遅らせたい。少人数であろうと帝都で戦いを始めてしまえば、帝国騎士団も重い腰を上げざるを得なくなる。これくらい分かるはずだ」
少人数であろうと帝国騎士団と戦い、それがヴィシャスの配下であると分かれば、それで開戦だ。戦いを仕掛けられても反撃出来ないなんてことになれば、帝国の権威は完全に失墜する。帝国はそう考えるはずだ。帝国騎士団は動かざるを得ない。
「……分かります」
「ではこう伝えてもらおう。物資については可能な限り、速やかに用意する。その代わり、公安部程度はそちらで何とかしてもらいたいと」
「承知しました」
ほぼ何も得ることなく帝都に戻ることになった。だが仕方がないことだ。彼にはヴィシャスを従わせる力などないのだから。
「……計画変更ですか?」
ずっと黙って、いつものことだが、話を聞いていたファティアが使者が出て行ったところで口を開いた。フューネラル騎士団の団長であり、ヴィシャスの勢力の軍事を任されている彼だが、交渉事には興味がないのだ。
「……いや、そのつもりはない。帝都での企みがどうなろうが、我々には関係ない。南部を制圧し、帝都に攻め上る」
帝都の反乱勢力は、ただの道具。道具が壊れてしまってもヴィシャスは何とも思わない。
「そうですか……イアールンヴィズ騎士団というのは、災厄の神の落し子たちのこと?」
「……知っているのか?」
「噂くらいは知っています。貴族を殺したガキどもだけでなく、大人たちの噂も。西部も活動範囲といえば活動範囲でしたから」
ファティアのフューネラル騎士団は南部で活動していた。南部と西部に明確な境があるわけではなく、西側で仕事をしたこともある。西部に拠点を持っていたイアールンヴィズ騎士団の噂も耳に届いていたのだ。
「気にする必要はない。敵に回ったのであれば潰す。それだけだ」
「手強い敵であれば面白いのですが」
「私は全ての敵に弱くあって欲しい。勝つ為に戦うのだからな」
戦いを楽しむ気持ちはヴィシャスにはまったくない。勝利という結果を掴むことが全て。敵は弱いほうが良い。強い敵であれば弱体化させてから戦いたい。そして、これから強くなる敵はそうなる前に潰したい。こう思う。
イアールンヴィズ騎士団。まさかこの段階でこの名を聞くことになるとはヴィシャスは思っていなかった。しかも公安部とはいえ、帝国騎士団に関わっているという事実を聞かされることになるとは。因縁。この言葉が彼の頭に浮かんだ。