月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

災厄の神の落し子 第102話 加害者と被害者

異世界ファンタジー 災厄の神の落し子

 皇城の後宮にあるルイミラ妃の私室エリアは他の妃とその家族のそれとは離れた場所にある。意図してのことだ。地方の大きくもない街の宿屋の娘であったルイミラが皇帝の妃となるのには、かなりの抵抗があった。皇帝はその反対の声を黙殺し、強引に第三妃としたのだが、無言の抗議として後宮の端のエリアがルイミラに割り当てられることになったのだ。
 結果としてルイミラ妃にとっても望ましい環境になった。暗殺を警戒しなければならないルイミラにとって、他と隔離されているのは良いこと。出入りする者も、平民出身で身の回りの世話をしてくれる者など必要としないルイミラの場合は、ごく少数で済むので監視対象は少ない。
 そこまで大事でなくても密談する場合も都合が良い。

「……嘘よ……そんなはずはないわ」

 ソファから立ち上がり、驚きと怒り、さらに悲しみが入り混じった複雑な表情で問いかけているルイミラ妃。

「ヴァイオレット・メルガがリル、フェンは災厄の神の落し子ではないと証言しているのは事実です」

「そんな……ようやく……ようやく見つかったと思っていたのに……」

 崩れ落ちるようにソファに倒れ込むルイミラ妃。真実が分かるはずだった。だがその真実は彼女が求めるものではなかった。期待が高まっていた分、落ち込みは激しくなった。

「ルイミラ……大丈夫か?」

「陛下……申し訳ございません。私の勘違いのせいで……」

 最初はただの勘だった。初めて会うはずなのに、妙にリルのことが気になった。髪の色と瞳の色が同じというだけでなく、心に訴えかけるものがある気がした。だがそれは錯覚だった。自分のせいで皇帝にも期待を持たせてしまったことをルイミラ妃は申し訳なく思った。

「……それはまだ分からん」

「ですが」

「お主はどう思う?」

 皇帝はヴァイオレットの証言を伝えてきた男に問いかけた。皇帝直属の諜報組織の長。皇帝個人に忠誠を誓う者だ。

「自分と自分の部下が集めた情報に間違いはないと信じております」

「状況証拠はフェンが災厄の神の落し子であることを示しているか……そうなるとメルガ準伯爵は嘘の証言をしていることになるな。何故、嘘をつく必要がある?」

 ヴァイオレットが嘘をつく理由が皇帝には分からない。災厄の神の落し子たちはヴァイオレットにとって父親と家臣の仇。それ以上に自らの体に一生消えない傷を残した憎き相手なのだ。

「嘘は今に始まったことではない可能性もございます」

「どういうことだ?」

「そもそも犯人を見たという話そのものが嘘である可能性。ただ、これはかなり可能性は低いと考えます」

「何故だ?」

 実際には見ていないのであれば、フェンが災厄の神の落し子たちの一人であるかは分からない。これはあり得ることだと皇帝は考えた。

「その嘘をつく理由がございません」

「だが結果として彼女はそのおかげでメルガ家当主の地位を得た」

 ヴァイオレットをメルガ家当主にしたのは彼女を懐柔する為。災厄の神の落し子たちの一人が本当に自分たちの息子であった場合、その事実を隠さなければならない。ヴァイオレットを黙らせる必要があるのだ。

「それは結果です。当時の彼女にそれを予測することは出来なかったはずです。さらに犯人は子供であったという嘘の証言を選ぶには、彼女は多くの事実を知っていなければなりません」

 ただ「犯人を見た」という嘘をつくのであれば、信用されない可能性が高い「子供だった」なんてことは言わないはずだ。それを言うとすれば、ヴァイオレットは犯人がイアールンヴィズ騎士団であることを知っていて、かつ大人の騎士、従士は皆殺されていることを知っていなければならない。それはあり得ないと男は思っている。
 イアールンヴィズ騎士団の団長らを罠に嵌めて暗殺した故メルガ伯爵本人でも、詳しい情報はその時点では得ていないと考えているのだ。

「では、嘘とはどのようなものだ?」

「分かりません。嘘ではなく大事なことを隠しているだけかもしれません」

「……メルガ準伯爵に白状させるしかないと?」

 口を割らせる方法はある。ヴァイオレットには耐えられるはずのない過酷な方法。気は進まないが、それを実行するしかないのかと皇帝は考えた。

「お決めになるのは陛下ですが……私はしばらく様子を見でも良いのではないかと考えております」

「様子見だと? それに何の意味があるというのだ?」

 ヴァイオレットの証言で事実は明らかになる。それを先延ばしにする理由は、皇帝にはまったく思いつかない。フェンはずっと探し求めてきた息子なのかどうか。一秒でも早く知りたいと皇帝は考えているのだ。ルイミラ妃も同じ想いのはずだと。

「ヴァイオレット・メルガが、彼が災厄の神の落し子たちであることを否定したという情報はすぐに広まるはずです。それは彼を暗殺の危険から遠ざける結果になるかもしれません」

「……それはあるかもしれないが」

「真実を明らかにするのは、彼がもう少し力をつけてからでも良いのではないでしょうか? 今は彼が自ら身を守れる力を得る時を稼ぐことも必要かと」

「お主はそんな日が来ると考えているのか?」

 皇帝は守れなかった。二度も息子を害しようとする企みを止めることが出来なかった。帝国の頂点に立つ自分が出来なかったことを出来るようになる日。そんな日は来るのかと、皇帝は疑問に思った。

「そうなれなければ、恐れながら陛下もルイミラ様も御子も、真実が明らかになった後もずっと暗殺に怯え続けることになります」

 皇帝は企みを止められなかった。それでは御子が認知され、第三皇子という地位を得ても状況は変わらない。常に暗殺の恐怖に怯え、いつか実際に殺されてしまうかもしれない。その可能性のほうが高い。
 そうなるのであれば、真実は明らかにならないほうが良い。男はこう考えている。

「……そうだな」

 悔しいが皇帝も認めるしかない。自分にはルイミラ妃との子を守る力がない。力を得ようと足掻いてきたが、それは結果として帝国の力を弱め、帝国皇帝である自分自身の影響力も弱める結果になってしまった。この先、さらに力を失うかもしれない。それでは駄目なのだ。
 ルイミラ妃の子に跡を継がせたいなどという想いはない。ルイミラ妃も望んでいない。叶わないと分かっているが、三人で帝都を離れ、皇帝という地位も捨てて、穏やかに暮らしたい。これが望みなのだ。

「……貴方は災厄の神の落し子たちと呼ばれる彼が、陛下と私の子であることを疑わないのですね?」

 フェンが災厄の神の落し子たちと呼ばれるイアールンヴィズ騎士団関係者であることは、状況証拠から間違いないとしても、行方不明になった子供であるという証拠は、状況証拠さえ乏しい。そうであるのに男は同一人物として話している。
 そうあって欲しいという強い想いはルイミラ妃にもある。だからこそ、男が疑わない理由を知りたかった。

「……私の立場では、正しくないあり方なのですが、勘です」

「勘って……」

 男は諜報組織の長。情報を集め、分析し、正しい結論を得ることが仕事。生まれた時からそれを生業とすることを義務付けられた身だ。その彼が「勘」を信じている。それもルイミラ妃と皇帝にとって、とても大切な事柄に対して。
 それがルイミラ妃には、横で聞いている皇帝にも驚きで、戸惑っている。

「ルイミラ様もご自身の勘をもっと信じられたらいかがですか? 母としての勘は、私の勘よりも、遥かに信用できるものだと私は考えます」

「……ありがとう」

「私はこうも思っております。お二人の御子である証として、もっとも重要なのは魔書。その魔書が表に現れないというのは、今はその時ではないという意味ではないかと」

 アルカス一世から受け継がれてきた帝国の宝。魔書と呼ばれていても、それが何かは分かっていない。皇帝も見たことはあっても中に何が書かれているのか知らない。頁を開けなかったのだ。
 その魔書は何故かまだ赤子だったルイミラの子の物となった。皇帝が与えたのではない。いつの間にか赤子が抱えていたのだ。帝都から遠く離れた地方の街にいた赤子の手に。これを知っているのはルイミラだけ。子供が生まれた時は帝都にいた皇帝は彼女から聞いて知った。
 魔書には意思がある。その意思はフェンが皇帝の子であることを明らかにしようとしていない。その時ではないと考えている。男は、こう思っているのだ。

 

 

◆◆◆

 エセリアル子爵屋敷の応接を借りて、ローレルは来客と向かい合っている。まさかの来客。本当は予測しておくべきだったのかもしれない。ヴァイオレット・メルガが会いに来ることくらいは。彼女は「改めて御礼をしたい」と予告していたのだ。
 その「御礼」は、「御礼」と表現するべきではないかもしれないが、ローレルのまったく想定外の内容。それを聞かされて、ローレルは呆然としている。

「何を馬鹿なことを言っているのだとローレル殿は思われているでしょうが、私は真剣なのです」

「え、えっと……真剣に僕と結婚を?」

 ヴァイオレットは結婚を、正確には婚約を申し込んできた。こんな申し出を予測できるはずがない。

「はい。冗談でこのようなことはお願い出来ません。ローレル殿が望まれるのであれば、結婚することも受け入れます」

「……あれ? 受け入れる?」

 プロポーズしてきたのはヴァイオレットのほう。それで「受け入れる」という言い方は少しおかしいのではないかとローレルは思った。

「私のようなもので構わなければ喜んで。メルガ家当主の座もローレル殿にお渡しします」

「……当主の座など求めていませんが……どういうことですか? 何か普通とは違うような」

 何かが食い違っている。それは間違いない。当然ではある。ローレルとヴァイオレットは先日会ったばかり。その時もほとんど話をしていない。それでヴァイオレットの側からプロポーズなのだ。普通のはずがない。

「……今、お話したつもりですが?」

「えっ……? あっ……すみません。あまりの衝撃で聞こえていませんでした」

 呆然としていた間、ヴァイオレットの声は聞こえていたが、頭に入ってこなかった。突然の美女からの結婚の申し込みに驚き、少し、いやかなり舞い上がっていたのだ。

「ああ、そうでしたか。では、もう一度お話します。私は人に愛されるような身ではありません」

 聞いていなかったの言葉に少し驚いた様子のヴァイオレット。わずかに笑みを浮かべて、また説明を始めた。

「そのようなことは」

「いえ、私自身良く分かっています。そんな私にも縁談の話が来ますが、それは当主の座を求めてか、私を当主の座から引きずり降ろそうという企みがあってのことです」

「当主の座から引きずり降ろすというのは?」

 当主の座を求めてというのは分かる。女性当主は他にもいるが、多くは一時的なものとされている。男性後継者がいないという理由で女性が当主になった家は息子が生まれれば、幼いうちに跡を継ぐ。それ以前も夫が実質的な当主を務めることになるケースが多いのだ。
 だが「引きずり下ろす」という表現はそれとは違う。悪意が含まれている。

「私が他家に嫁ぎ、家を離れれば、兄が後を継ぐことになります。母と兄はそれを求め、縁談の話を作っているのです。ですが私は兄に当主の座を渡すつもりはありません。それを許さない為には私にとって望ましい人と結婚するのが一番です」

「……なるほど。でも、どうして僕なのですか?」

 家族間で確執がある、これについてはローレルも同じ。ヴァイオレットの気持ちは分かる。だがどうして自分を選んだのかが分からない。

「少し失礼なことを申し上げますが、お許しください。一つはローレル殿がイザール侯爵家の人間であること。母も兄も妨害出来ません」

「ああ、それか……」

 選ばれたのはイザール侯爵家の人間だから。これはローレルとしては気分が良くない。

「もう一つは見ず知らずの私に手を差し伸べてくださったことです。そんな善意に期待してです。愛されることは期待しません。ですが……悪意を感じる人と暮らしを共にするのは辛いです」

「……い、いや、別に愛されないと決めつけなくても……」

 伏し目がちで語るヴァイオレットの顔は美しい。普通に縁談の話が来たのであれば、喜んで受ける。こんな風にローレルが思ってしまうくらいに。

「結論は今でなくてかまいません。もし問題なければ、正式にイザール侯爵家に申し入れをさせて頂きたいと思っています。ご実家とも話されて、お決めください」

「ああ、はい」

 結論は今でなくて良いと言われると、断ることも出来ない。断らないのは、ローレルの心が揺れているからでもある。

「……では今日のところはこれで失礼いたします」

「あっ、そうですか」

「その……リル殿は今日は? もしよろしければ玄関まで送っていただきたのですが。その間で御礼を伝えたくて」

「リルは……廊下にいるかな?」

 ここでローレルは彼女が何者かを思い出した。メルガ伯爵屋敷襲撃事件の唯一の生き証人。リルの犯罪を証明できる人物としての彼女を。

「では、外で直接お願いします」

「えっ? あっ……」

 とっとと席を立って部屋を出てしまうヴァイオレット。それを見て、どうして上手く嘘をつけなかったのかとローレルは後悔している。今更だ。

「……リル殿」

「お帰りですか?」

 リルは実際に廊下にいた。何か問題が起きた時にすぐに逃げられるように、逆に近くにいて、ローレルからの合図を受け取れるようにしていたのだ。ここまでの会話に危険な兆候はなかった。求婚はリルも驚いたが、それは身の危険を感じるものではなかった。

「はい。玄関まで送ってもらえますか?」

「かまいません。では、こちらです」

 前を歩いて、ヴァイオレットを玄関まで案内しようとするリル。

「すぐにここを訪れて良かったわ。貴方はまだここにいた」

 すぐにヴァイオレットは話しかけてきた。御礼とは違う話だ。

「……気付いていましたか」

 ヴァイオレットの言葉の意味をリルは正しく受け取った。「まだここにいた」は「逃げていなかった」の意味。自分に逃げなくてはならない理由があることを知っているという意味だ。

「ええ。フェン、貴方のことは一日たりとも忘れたことはなかったわ」

「……謝罪しても許されることではないことは分かっているつもりです」

「謝罪の言葉はいらない。貴方には一生をかけて償ってもらう。私の物になってもらうわ」

「えっ……?」

 意味深な言葉に驚き、足を止めて後ろを振り返ったリル。すぐ後ろに、じっと自分を見つめているヴァイオレットがいた。その瞳に宿る感情をリルは読み切れなかった。

「断ることは許さない。断れば貴方が何者かを明らかにする。そうなればローレル殿も罪を問われることになる」

 読めたのは彼女がこの言葉を発した後。強い意思は感じ取れた。

「……ローレル様は関係ない」

 完全な脅し。実際にどうなるのかは、この時点ではリルには分からない。犯罪者を匿った。これがどの程度の罪かも知らないのだ。

「ええ、関係ない。貴方が逃げなければローレル殿に危害が加わることはないわ。それどころか、メルガ家当主の地位と財産を得られる」

「ローレル様はそのようなものは求めない」

「分かっているわ。これは私の償い。ローレル殿を利用してしまうことに対する償いのつもりなの」

「……俺にはまだやることがあります。それが終わったら、貴方が望む通り、一生をかけて償います」

 犯した罪から逃げるつもりはない。ヴィクトリアが償いを求めているのであれば、それに応える気持ちはある。だが、それは今すぐではない。リルにはやらなければならないことがある。

「……駄目よ。逃がさないわ」

「必ず戻ります。約束します」

「……やることって何?」

「それは……」

 ヴァイオレットには言いづらいこと。家族の敵討ち。それはヴァイオレットの父親に対して行ったことだ。

「……もし、それが真実を知ることであれば協力してあげても良いわ。どうして貴方の家族は殺されなくてはならなかったのか。私の父は何故それに加担したのか。私も情報を集めている」

「……どうして?」

 ヴァイオレットはリルから見れば、加害者の側。真実を求める理由が分からない。

「それくらいしか生きる理由がなかったから。でも、フェン。こうして貴方に会えた。終わっていた私の人生はまた動き出すかもしれない」

「…………」

「貴方に選択肢はない。貴方は私の人生を壊した。だからせめて壊れた私の人生の一部を貴方が埋めてみせて」

 ここまでの話を聞いてもヴァイオレットが何を求めているのかリルには分からない。彼女が求める償いはどういうものなのか。彼女が言う壊れた人生の一部を埋めるとは何を意味するのか。それが分からない。
 分かるのは彼女の執着心。彼女の自分に対する強い想い。出会う前からリルはそれを知っていた。悪夢の中で何度も聞いた彼女の恨みの声。自分にまとわりついて離れない悪夢の中の彼女。リルの中でその彼女と目の前にいるヴァイオレットが重なった。

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