帝国中央部と呼ばれている地域よりは狭い範囲、広義の帝都周辺の治安改善を目的とした帝国騎士団公安部の強化対策は思うように進んでいない。その一番の原因は帝国騎士団全体が人員不足であること。
帝都周辺の治安改善は皇帝の命令で重要施策と位置づけられている。とはいえ、いつ内乱が激化するか分からない状況で公安部に優先的に人員を回すことなど出来ない。ただでさえ少ない入団者は、やはり本隊に優先して配属される。公安部に回されるのは著しく戦闘力に乏しい入団者くらいなのだ。
だからといって公安部が何もしていないわけではない。人員不足を外部人材で補うべく私設騎士団と、まだ本格的なものではないが、交渉を進めている状況だ。だがこれも中々思うようにはいかない。公安部お抱えの私設騎士団とは見られたくない。内乱がどういう結果に終わるか分からない、反帝国勢力が勝利する可能性が十分にあると見られている今、旗幟を鮮明にすることはどの私設騎士団も避けたいのだ。
「……このリストは?」
いきなりワイズマン帝国騎士団長が差し出してきた紙。そこには私設騎士団と思われる名がいくつか記されている。これに何の意味があるのか。説明してもらわなければ、マグノリア公安部副部長には分からない。
「それぞれの騎士団の内情を探ってもらいたい。反帝国勢力との繋がりは勿論、悪事に手を染めていないか。団長や幹部の為人も必要だな」
「……イアールンヴィズ騎士団、レヴェナント騎士団、ルクス騎士団。ここまではなんとなく分かります。エクリプス騎士団というのは?」
最初の三騎士団についてはマグノリア副部長も知っている。つい先日の剣術競技会で耳にした私設騎士団。勝ち残った四人のうち、三人の所属騎士団だ。だが最後のエクリプス騎士団との繋がりが分からない。
「大会に参加していれば、上位八人に残ったかもしれない従士がいる騎士団だ」
エクリプス騎士団のライラプスは得意は弓だということで参加していなかった。だがワイズマン帝国騎士団長は剣も相当に出来ると見ている。ライラプスが自分を評価する対象は勝ち残った四人。大会参加者の中で飛びぬけた実力者と比べれば劣るということだと。
「そういう評価ですか……ですが彼らは従士です。所属騎士団での地位は高くありません」
「分かっている。だが一人も信用できる者がいない私設騎士団を調べるよりはマシだと思わないか?」
「信用しているのですか?」
マグノリア副部長は彼らを信用していない。信用出来ない理由がある。
「窓口になってもらおうと思っている人物は信用しているはずだ。相手からも信頼されている」
「……はっきりと申し上げてよろしいですか?」
「かまわない。意見があるのであれば遠慮なく言うべきだな」
「彼らはイアールンヴィズ騎士団、災厄の神の落し子たちかもしれません。その彼らを公安部で用いるというのですか?」
彼らの繋がりはイアールンヴィズ騎士団。災厄の神の落し子たちと呼ばれた者たちである疑いがある。犯罪者を犯罪を取り締まる公安部で用いて良いのか。良いはずがないとマグノリア副部長は思う。
「それはまだ可能性に過ぎない。それに実力のある者たちを味方に引き込もうというのは間違いではない」
「帝国の現状を考えれば、ですか。それは分かります。分かりますが、もし彼らが実際にそうであることが明らかになった場合、どうされるおつもりですか?」
過去の罪を問うよりも味方を、それも実力のある味方を増やすことを優先するべき。これはマグノリア副部長も理解できる。だが、犯罪者であることが公になっては、それは不可能だ。いくらワイズマン帝国騎士団長でも無理を押し通すことは出来ないはずだ。
「……君だから正直な気持ちを話すが……出来ることなら揉み消したい」
「そこまで高く評価されているのですか……」
ワイズマン帝国騎士団長は不正を嫌う人物だ。その彼が罪を隠蔽したいとまで言ってきた。マグノリア副部長はそこまで彼らを評価していない。
「彼らはまだ若い。そう遠くない時期に起こる戦いにおいて戦力になるかは正直怪しい。だがそれでも彼らには期待させてくれる何かがある。もし私たちの世代が敗れることになっても彼らがなんとかしてくれるのではないかという期待だ」
「縁起でもないことを言わないで下さい。団長が負けることなどあり得ません」
帝国最強の称号は間違いなくワイズマン帝国騎士団長のもの。その彼が戦いで負けるはずがない。マグノリア副部長はこう思っている。負ける可能性など、一瞬でも頭に浮かべたくないのだ。
「……リルが代表に選ばれる経緯を私はすぐ近くで聞いていた」
「団長が推薦したのではないのですか?」
「私は彼らの選択を尊重しただけだ。代表は二年ガンマ組の彼らが自ら選んだ。その時にローレルがこのようなことを言った。帝国騎士養成学校は帝国最強でなければならない。帝国騎士養成学校の候補生であることを自分たちの誇りにしたいと」
ワイズマン帝国騎士団長の期待はリルたち、イアールンヴィズ騎士団関係者だけに向けられたものではない。ローレルも対象だ。二年ガンマ組の他の騎士候補生たちもそうだ。
「イザール侯爵家の落ちこぼれという評判です」
「そうだ。だがその彼は他のアネモイ四家の誰よりもクラスを一つにまとめている。結果をだしている。私は、自分が平民出身であることも関係しているのかもしれないが、そんな彼を学長として誇らしいと思えた」
イザール侯爵家の落ちこぼれ。守護神の加護を受ける資格を持たないと言われてきたローレル。その彼の成長は、イザール侯爵家によってもたらされたものではない。ローレル自身の力だとワイズマン帝国騎士団長は考えている。血筋ではなく、個人の努力の結果だと。
「もしかしてローレルとリルに私設騎士団のとりまとめを任せようなんて考えているのですか?」
ここまで話を聞いて、マグノリア副部長はようやくワイズマン帝国騎士団長の意図を理解した。それはそれで常識外れのことだと思っている。
「その通りだ」
「……それは入団してすぐ?」
そうでなければ意味はない。公安部に入団した彼らが出世するのを待つ、なんて時間など許されていないのだ。
「そのつもりだ。少なくともイアールンヴィズ騎士団、それとそこには書いていないが、同級生の父親が団長であるガラクシアス騎士団とは上手くやれるはずだ。さらに三つの私設騎士団が協力してくれれば、それで体制は出来上がる」
「すでに実績もある」
「ああ」
イアールンヴィズ騎士団は裏社会の組織に堕ちた私設騎士団を壊滅させている。それにリルが関わっていたのは間違いない。公安部に配属されたばかりの新人にそんなことは任せられないなんて言い分は通用しない。
「それでも私は反対です。いくら我々が隠そうとしても無理があります。ヴァイオレットが、ヴァイオレット・メルガが黙っていません」
マグノリア副部長もリルの実力は認めている。即戦力として公安部で働いてもらいたいと考えてもいた。だがそれを許さない存在がいるのだ。
「……説得は難しいか?」
「災厄の神の落し子たちは彼女にとって父親を殺害した仇です! 彼女自身も酷い火傷を負わされています! 一生跡が残る火傷です!」
メルガ伯爵の娘、ヴァイオレット・メルガ。メルガ伯爵屋敷襲撃事件の雄一の生き証人。彼女がいる限り、ワイズマン帝国騎士団長の構想は実現しない。するはずがない。マグノリア副部長はこう考えている。
「……帝国の為であってもか?」
「団長……どれだけ自分が酷いことを言っているか分かっておられますか?」
「分かっているつもりだ。それでも私は帝国騎士団長として最善を選ばなくてはならない」
親を殺された恨みを、一生消えない火傷を負わされた恨みを忘れて欲しい。残酷なことを考えているのは分かっている。分かっているがワイズマンは帝国騎士団長としての立場を優先させなければならないと思っているのだ。
「私には分かりません。そこまでする何が彼らにあるのですか? 確かに実力があるのは認めます。ですが強い者は他にもいるではありませんか?」
「……笑わないで聞いてくれるか?」
「笑ってしまうような話なのですか?」
そんなことでヴァイオレット・メルガに辛い思いをさせようと考えているのか。マグノリア副部長は初めてワイズマン帝国騎士団長に軽蔑の思いを抱くことになった。
「自分で言うのは恥ずかしいのだが、私は殺気、闘気、どういうかは別にして、そういったもので大抵の者たちを委縮させることが出来る」
「知っています。笑う話ではないですね」
帝国騎士団のそれなりに経験を積んだ騎士であってもそうだ。ワイズマン帝国騎士団長が放つ気を前にして、平静ではいられない。マグノリア副団長も良く知っている。
「だが彼らは軽く受け流した。初めて会った時からだ」
「……気付けなかったのではなく?」
「その可能性も考えたが、それはないだろう。彼らが帝国騎士団の従士に劣るはずがない。つまり、彼らにとって私は怯えるほどの相手ではないということだ」
剣術競技会で彼らの実力を見て、確信した。帝国騎士団の従士が感じ取れる気を彼らが気付かないはずがない。彼らは気付く力があるのに、それを気にしなかったのだ。
「さすがにそれは……」
「身近にそういう存在がいたのだ。少なくとも私と同程度の力を持つ存在が」
それが誰かとなれば、リルしか考えられない。これはあくまでも彼らが災厄の神の落し子たちであった場合のことだが、ワイズマン帝国騎士団長はもう確信しているのだ。
「……お話は分かりました。ですが、私にはヴァイオレットを説得する自信はありません。そのような真似をすれば、彼女は私を裏切り者だと思うかもしれません」
「そうか……では、私が直接話すことにする。恨まれても私は問題ない。それを恐れて為すべきことを為さないわけにはいかない」
「団長……ですが……あの方の耳に入ったら」
帝国騎士団内で事が終わるのであれば良い。だがそうならない可能性は高い。メルガ準伯爵はルイミラ妃と繋がっているという噂がある。本来継承者ではない彼女が。爵位をひとつ落とされたとはいえ、メルガ家の当主となったのはルイミラ妃という後ろ盾がいるから。これは有名な話なのだ。
「……慎重に事は運ぶ。だが……いや、忠告は心にとめておく。ありがとう」
帝国を今の状況に追い込んだのは、そのルイミラ妃。そしてその彼女を溺愛する皇帝だ。二人を恐れて為すべきことを為すことなく、帝国を滅ぼしてしまうというのは、どうなのか。リルとその仲間たちを味方に取り込めれば、それで帝国は救われるわけではないことは分かっているが、それでも釈然としない。
後悔を残して死にたくない。死に損ねるのはもっと嫌だ。ワイズマン帝国騎士団長はこのような思いを抱くようになっている。ローレルたち若者たちの一途な思いを知って、これまでの自分を恥じるようになったのだ。
「彼らは本当に帝国の救いとなるのでしょうか?」
ワイズマン帝国騎士団長の想いは分かった。だがマグノリア副部長にとってはワイズマン帝国騎士団長が今の地位のまま、帝国騎士団を率いてくれるほうが大事。それこそが帝国の救いになると考えているのだ。
「……私が期待しているのはそういうことではない」
「では、何ですか?」
「彼らに未来を託したいのだ。彼らのように未来に期待を抱かせてくれる若者たちに、帝国ではなく、この地に生きる人々の未来を守ってもらいたいのだ」
「団長……それは私たちがやるべきことです。下の人たちに押し付けるものではありません」
ワイズマン帝国騎士団長の弱気にマグノリア副部長は戸惑っている。このような彼を見たのは初めてだった。ワイズマン帝国騎士団長がいれば帝国は大丈夫。こう思わせてくれる存在だった。
「分かっている……これはこの場限りの話として聞いてくれ」
「……分かりました」
「私は自分が守ろうとしている未来が正しいものであるのか、少し分からなくなっている。一時の気の迷いであって欲しいとは思っている。だが、今の……」
今の帝国は守るに値するものなのか。部下たちの命を犠牲にしてまだ守らなければならないのか。帝国臣民は本当にそれを望んでいるのか。帝国騎士団長の立場では決して考えてはならないことがワイズマンの頭に浮かんでいる。
騎士候補生たちの真っすぐな意思を知ると、帝国高官の姑息さが情けなくなる。そういう者たちが権力を握る帝国の未来は、内乱などなくても、明るいとは思えない。自分は何を守ろうとしているのか。守るべきなのか。ワイズマンの心は揺れているのだ。
「…………」
今この時期に帝国騎士団長であることの辛さ。マグノリア副部長は今初めてそれを目の当たりにした。この人しかいないと絶対の信頼を寄せているワイズマンであっても、このように悩むことになる。そんな彼を自分は支えられていない。それが情けなく、寂しかった。涙がこぼれそうになった。