剣術競技会の会場に応援の声が響き渡っている。シムラクルム騎士団を応援する声だ。対戦相手であるトゥインクルに向けられている声援も当然ある。だが地元であり、騎士養成学校の騎士候補生が大勢いるはずなのに、その声援はシムラクルム騎士団の応援に圧倒されている。すでにグラキエス、ディルビオの二人が負けていて気落ちしている影響もあるが、シムラクルム騎士団を応援する側の勢いに完全に呑まれているのだ。
『シムラクルム!! シムラクルム!!』
『最強、シムラクルム! シムラクルム騎士団、最強!!』
声を揃えて叫ぶシムラクルム騎士団を応援する人たち。その数は軽く二百人を超えている。その全てがシムラクルム騎士団の団員ではない。他の私設騎士団の団員も一緒に声をあげている。騎士養成学校側はそれに驚き、戸惑っているのだ。
「つまり、あの場所にいる私設騎士団は全て、すでにシムラクルム騎士団の傘下にあるということだな」
「まさか、このような手で来るとは……」
観戦者の数には制限を設けていた。あり得ないことだが、シムラクルム騎士団が多くの団員を送り込んできて会場で騒ぎを、騒ぎを起こすくらいであればまだ可愛げがあるが、皇帝の殺害を企てる可能性を考えてのことだ。
だが結果、この処置は無意味だった。ここまで多くの私設騎士団をシムラクルム騎士団が従えていることを想定していなかったのだ。
「……念の為に増員の手配を」
「承知しました」
ワイズマン帝国騎士団長の指示を受けて、ヴォイドが駆け去っていく。シムラクルム騎士団の者たちとは距離がある。襲ってきても十分対応が出来る距離だ。それでも念の為、ワイズマン帝国騎士団長は守りを強化することにした。今、声を上げている者たちで全てではない可能性もあるのだ。
(……ここまでは押される一方だな。シムラクルム騎士団長ヘルクレス。このような小細工も得意なのか)
ヘルクレスは私設騎士団の団長。力でのし上がってきたのだと思っていた。だがどうやら武一辺倒なだけでもない。今、目の前で行われていることは小細工程度だが、武力以外の面でも侮れないかもしれないとワイズマン帝国騎士団長は思った。自分は武一辺倒だと思っているからでもある。
(この流れをひっくり返すことが出来るか……出来たとすれば……面白いな)
ワイズマン帝国騎士団長はこの先の展開について楽観的だ。ここまではシムラクルム騎士団に押されっぱなしであるが、帝国騎士養成学校には切り札がある。その切り札は、この場をどう動かすのか。それを考えると楽しくでならないのだ。
◆◆◆
闘技台にトゥインクルが上っている。その顔には、はっきりと苛立ちが見える。彼女もワイズマン帝国騎士団長と同じようなことを考えた。シムラクルム騎士団は対戦の勝敗だけでなく、応援の数を揃えることで大会を自分たちのものにしようとしている。それがトゥインクルは気に入らない。
シムラクルム騎士団の小細工の前提は必ず勝利するというもの。自分のことなど眼中にない。そう思ってしまうのだ。
「応援など気にしていないで、さっさと準備しろ」
さらに対戦相手の言葉がトゥインクルの苛立ちを強めることになる。
「貴方は気にならないでしょうね? 怯える心をお仲間が支えてくれるのだから」
「なんだと?」
「あら、残念。耳が遠いのであれば、お仲間の応援は聞こえないわね? 教えてあげようか? お仲間がなんて言っているか?」
ただ口喧嘩ではトゥインクルのほうが一枚上手。幼い頃から、何度もローレルを言い負かしてきたのだ。
「……女というのは口ばかり達者だな。その口で代表に選ばれたのか? それとも親の身分か?」
相手も負けていない。嫌味で返してきた。
「親の身分よ。分かっているなら、さっさと跪きなさいよ。侯爵家相手に頭が高いわよ?」
「貴様……お前のような者たちがいるから帝国は腐敗したのだ!」
「それは私のせいじゃない。文句を言う相手を間違えているわ」
これは少し問題発言。では誰のせいだと言うつもりなのか。この会場には皇帝が、ルイミラ妃もいるのだ。
「新しい時代は我らシムラクルム騎士団が作る! 帝国の腐敗を正すのは我々だ!」
この声にシムラクルム騎士団の応援者たちから大きな歓声があがる。皇帝を筆頭に帝国の重鎮たちがいるこの場で、この発言をした者を称える。それが出来るくらいシムラクルム騎士団への忠誠は強いということだ。
「かかってこい! シムラクルム騎士団は帝国最強! それを証明する贄にしてくれる!」
「……言われなくても戦うわよ。審判!」
「始め!」
審判の「始め」の声。これでようやく対戦が始まる。先手を取ったのはトゥインクル。力では劣ることは分かっている。受け手に回るわけにはいかないという判断だ。
「ちっ」
懐に飛び込んできたトゥインクルの想定外の速さに舌打ちする相手。だが、まだそれをする余裕があるということだ。トゥインクルの剣に自らの剣を合わせて、力任せに押し込む。力比べではトゥインクルに勝ち目はない。すぐに間合いを空けた、と見えた瞬間、またトゥインクルは相手の間合いに飛び込んだ。
「ぐっ」
それを遮ったのは相手の伸ばされた足。まともにそれを腹に受けたトゥインクルはその場にうずくまってしまう。
「無効!」
審判の声。剣の攻撃以外は当たっても無効というルールなのだ。
「かまわん」
相手は分かっていての選択。さらにトゥインクルに向かって蹴りを放ってきた。大きく後ろに跳んで、それを避けたトゥインクルだが、相手の攻撃は止まらない。上段から振り下ろされた剣。それを受けたトゥインクルだが。
「んぐ……」
剣の重さに耐えきれず、膝をつきそうになる。そこにまた放たれた蹴り。剣の重さを耐えることに必死だったトゥインクルに、それを避ける余裕はなかった。バランスを崩して床に倒れるトゥインクル。その彼女に向かって、相手の剣が振るわれる。
「くっ……」
腕の力だけで上から振るわれる剣を受け続けることは、トゥインクルにとって、かなり厳しい状況。相手はそれが分かっているのか、ただひたすら真上から剣を振り下ろすことを続けている。
「どうした!? 立ってみろ! 素早いだけの女に俺が倒されると思ったか!?」
「こ、このっ……」
「侯爵家の人間が床に這いつくばってどうする!? 頭が高いと言われた俺はどうすれば良い!?」
すでに決着はついた。その気になれば勝利を得られるはずなのに、相手はそれをしない。反撃出来ないトゥインクルをなぶり続けようとしている。
「トゥインクル! もう良い! 終われ!」
すでに勝機は失われた。ローレルにもそれが分かった。これ以上続けては、トゥインクルは相手の剣を受けきれなくなる。それは次の瞬間かもしれない。負けを認めて試合を終わらせるべきだと考えたのだ。
「うるさい! ローレルは黙って!」
「はっはっはっ! 正しい助言だと思うがな!? それを拒絶して、どうするつもりだ!?」
「勝つに決まっているでしょ!」
「往生際が悪い! だったら、俺が終わらせてやる!」
これを言う相手は、剣を振るう勢いを強めるのではなく、足で踏みつけてきた。何度も何度も、倒れているトゥインクルを踏みつける。
「降参しろ! 参ったと言え! ああっ!? 何とか言えよ! 侯爵家のお嬢さんよぉ!?」
「もう止めろ!」
トゥインクルは「参った」を言わない。もう言えないのかもしれない。相手も彼女をなぶり続けるばかりで決着をつけようとしない。そうなればローレルがやることは一つ。強引に試合を終わらせることだ。
闘技台に上ったローレル。
「審判! トゥインクルの負け! 反則負けだ!」
「……勝者! 白! シムラクルム騎士団、ガルン!」
ローレルの意図をくみ取って、審判は相手の勝利を宣言した。これで試合は終わりだ。
「……トゥインクル! 大丈夫か!?」
倒れているトゥインクルに駆け寄るローレル。ぐったりしているトゥインクルの体を抱き上げて、声をかけた。
「……ロ、ローレル……あ、貴方のせい、で……負けた、じゃない」
「ああ、悪い。トゥインクルが負けたのは僕のせいだ。この償いはいつか必ずするから」
憎まれ口を叩けるなら、まだ大丈夫。ローレルの顔に笑みが浮かんだ。
「……くだらない。貴様、イザール侯爵家のローレルだろ? 戦う勇気のない者が割って入ってくるな」
相手はローレルを知っている。本来、騎士養成学校の代表として剣術競技会に出るはずだったローレルの情報を与えられていたのだ。
「くだらないのはお前の戦いだ。戦いを汚すような者に文句を言われる筋合いはない」
「何が戦いを汚すだ!? 強い者が勝つ! そして俺は勝った! シムラクルム騎士団は最強なのだ!」
この男の叫びに観客席のシムラクルム騎士団が呼応する。「シムラクルム騎士団は最強」の声がこだまする。一方、騎士養成学校と帝都住民は沈黙だ。また代表が負けてしまった。それも屈辱的な敗北。それにより意気消沈しているのだ。
「……最強の意味を知っていますか?」
「何だと?」
「まだ三回戦ですよ? 最強を宣言するのはまだまだ早いと思います」
「貴様、何者だ?」
ローレルのことは知っていてもリルのことは知らなかった。勝ち進めば対戦する相手だというのに。この点で、シムラクルム騎士団の情報収集応力はそれほどでもないことが分かる。帝都の情報を細かく集める能力など、地方の私設騎士団になくて当たり前だが。
「名乗る必要はありません」
すぐに分かることになる。この言葉をリルは飲み込んだ。次の対戦、準々決勝で顔を合わせることになるのだ。
「……平気ですか? 一人で?」
「トゥインクルくらい、一人で抱えられる」
ローレルはトゥインクルを抱えて運ぼうとしていた。憎まれ口をたたく元気はあるようだが、それと蹴られた痛みは別。自分の足で歩くのは辛いだろうと考えたのだ。実際にトゥインクルは辛そうだ。いつもであればローレルに文句を言う状況なのに、黙ってされるがままにしている。
「では、お任せします」
「ああ、リルには別のことを頼む」
「……はい。お任せください」
何を、は聞く必要がない。トゥインクルの敵をとってくれに決まっている。ローレルに言われなくても、リルはそれを行うつもりだった。わざと魔けてやる義理などないのだ。
「すげえ。これで騎士養成学校はあと一人だけ。シムラクルム騎士団は全員勝ち残りだ」
ただ現時点ではシムラクルム騎士団の圧勝。シムラクルム騎士団側の人たちは、特に傘下に入った私設騎士団の人たちは興奮気味だ。狙いは聞いていたが、実際にここまでやれるかについては半信半疑だった。だがシムラクルム騎士団は結果を出した。
「……まだ全てが終わったわけじゃない」
「そうだけど……本当にシムラクルム騎士団が、ヘルクレス様が次の皇帝かもしれない。俺たち、運が良いよな?」
自分の選択は正しかった、といってもこの彼に所属する騎士団の方針を決める権限などなく、上の人たちが勝手に決めたことだが。
「それもまだ決まったわけじゃない」
「お、おい? そんなこと言うなよ」
周囲はシムラクルム騎士団とその傘下に入った私設騎士団の人たちに囲まれている。シムラクルム騎士団の団長が皇帝になることに懐疑的な発言は周囲の人たちを怒らせてしまうかもしれない。
実際、すでに睨むような視線を向けている人のいる。
「帝国の将来はともかく、この大会の決着はこれから。これは事実だ」
「それはそうだけど……どうした? 機嫌が悪いのか?」
話し相手がシムラクルム騎士団に対して否定的なことを言うのはこれが初めて。少なくとも彼はこれまで聞いたことがなかった。それがどうして、それもよりにもよって今日、この場でこのようなことを言い始めたのか。訳が分からない。
「機嫌は良くないな」
「そうなのか? 何が……いや、別に理由はどうでも良いけど、機嫌直せよ。これが終わったら帝都見物だ」
少なくとも応援要員として選ばれたことについては幸運であるのは間違いない。費用は騎士団持ちで帝都旅行が出来たのだから。もっとも観光は大会が終わった後。応援も依頼ととらえれば、仕事が終わった後だ。
「ああ、それは楽しみだな、でも、帝都に何がある?」
「さあ? 何かあるだろ? 俺たちが暮らす街にはない何か。なんたって帝都だ」
「……何もなくても帝都に来た意味はあったけどな」
「そうだよな? なんたって帝都だ。来る機会なんてないと思っていたからな」
西方生まれで、その地で育った彼は帝都とは縁のない人生を送るはずだった。地方の民のほとんどはそういうものだ。よほど事情がなければ、生まれた土地を離れることはない。縁遠い帝都、そこに住まう皇帝よりも地方領主のほうが偉く思える。その地方領主よりも偉くなったシムラクルム騎士団の団長は皇帝と比較しても上に思えてしまうのだ。この意識がシムラクルム騎士団長ヘルクレスの助けとなっている。急激に勢力を伸ばせた理由の中でも、大きな要因の一つなのだ。