任務を終えて、帝都に帰還した白夜。旅の汚れを落とし、腹ごしらえをし、銀子と音子と三人での談笑の時間を過ごしたあとは、早めの就寝。実際に寝たわけではない。音子を自分の部屋で寝かせ、銀子と二人の時間を楽しんだのだ。今回は二人にとって出会ってから初めて経験した長く別々で過ごした時間。触れ合う肌の温もりは心地よく、いつも以上に行為に没頭することになった。それは良かったのだが。
「……はあ」
「何だよ? さっきからため息ばかり。気分悪いな」
行為の余韻に浸っていたはずが、白夜の口からは何度もため息が漏れだしている。それが銀子は気に障った。
「ああ、ごめん。ぼんやりと任務のことを考えていて、そうしたら、どうしてあんな真似してしまったのかと思ってしまって」
「あんな真似って?」
「戦いに引き込んだまでは良かったのに、その戦いを早く終わらせてしまった。もっと上手くやれば、今回で依頼達成だったかもしれない」
第十特務部隊は、かなりの数の化物を相手に戦うことになった。実力も高い化物の集団だった。戦いが長引けば第十特務部隊は全滅したかもしれなかった。だがそうはならなかった。白夜がそうさせなかった。
「どうして戦いを終わらせようとした?」
「それが……たまたま戦場に知り合いがいて、そいつを死なせたくないと思って……そう思うことがそもそも間違いだ」
全ての情を捨てる。家族であろうと必要であれば殺す。それが化物のあるべき姿だ。他人の為に依頼達成を失敗させるなどあってはならないことなのだ。
「死なせたくない相手か……誰だか知らないけど、白夜がそう思ったのなら、それで良いだろ?」
「いや、でも……」
「化物らしくないかもしれないけど、白夜らしいとは僕は思う。白夜はそれで良いとも思う。そうじゃないと僕はここにいない。音子もそうだ」
化物としてはあり得ない甘さ。そうだとしてもそれは白夜の美点だと銀子は思う。そういう白夜だから自分は、音子も生きていられる。一緒にいたいと強く思うのだ。
「そうか……」
「……ちなみに、その死なせたくない相手って……女か?」
「えっ? どうしてそんなこと……何、これはもしかしてヤキモチってやつ?」
「べ、べつに。ただ性別を聞いただけだ」
あからさまな嘘。そうであっても銀子は聞かないではいられなかった。白夜から知り合いの話を聞いたのは、これが初めてだった。自分と音子以外に、ただの他人とは違う誰かがいることが、少し嫌だった。銀子の、音子もだが、生きてきた世界は狭い。白夜も同じであって欲しいという思いが、無意識にあるのだ。
「男だけど、別に女でも同じだ。なんであんな真似してしまったのかと思うってことは、そういうことだろ?」
「……そういうことにしてやる」
白夜の言葉は自分は特別だという意味なのか。はっきりとは分からないが、そうであって欲しいと銀子は思う。白夜は銀子にとって特別で、唯一無二の存在なのだ。
白夜への想いが心の中で膨らんでいく。その思いに素直に銀子は動いた。上半身を起こし、白夜の上に覆いかぶさっていく。重なる唇。つい先ほど着たばかりの寝巻をゆっくりと。
「……ん?」
白夜の寝巻を脱がそうとした手に、あるはずのない感触があった。
「俺も気持ち的にはもう一回と思っているけど……今晩はもう無理かな?」
「まさか?」
まさかの可能性。それに気が付いた銀子が白夜の布団をはがすと、そこには小さく丸まって寝ている音子がいた。
「……いつの間に? って、いつから? まさか……」
行為中、ずっと音子はここにいた。まさかの可能性を思って、銀子の顔が真っ赤に染まる。狭い家だ。いくら音子を別の部屋に押し込めていたとしても声は聞こえる。それは分かっているが、同じ部屋にいられることは、それとは違う恥ずかしさがあるのだ。
「いや、さすがにない。終わるのを見計らって、もぐりこんできた」
「それって様子を……まあ、それは今更だけど……本当に寝ているのか?」
「さあ? でも本当に寝ていたら起こすことになる」
寝たふりをしている可能性はある。だが、見た感じは気持ちよさそうに寝ている様子の音子を、寝たふりかどうかを確かめる為に起こすのは可哀そうだと白夜は考えた。別に、白夜は、聞かれて困ることはないのだ。
「……懐かれているな?」
白夜の寝巻の裾を握りしめて、丸まって寝ている音子。白夜の存在を感じていたい、そうすると安心するのだろうと銀子は思った。自分にもそういう時があるのだ。
「久しぶりだからだろ?」
「それを懐かれているというのだろ?」
「そうか……悪いことではない、よな?」
「当たり前だろ……僕ももう寝よう」
音子のように丸まって、ではないが、銀子も白夜に体を寄せて、横になる。足と足を絡ませて、肌の温もりを感じるようにして。
「……ち、ちょっと……銀子さん……これは……あれだ……」
だが白夜は、温もり以上のものを感じてしまう。
「お前もさっさと寝ろ」
「いや……ええ……」
音子のいる右側は理性。銀子がいる左側は欲情。二つの感情に揺れ動く白夜をほったらかしにして、夜は更けていった。
◆◆◆
帝都に帰還した翌日。瑛正は帝城を訪れた。皇帝に任務j完了の報告を行う為だ。後継者とはいえまだ大将軍の地位にいない瑛正が、皇帝に直に報告を行うなど特別なこと。皇帝の命で第一軍が第十特務部隊を預かって、最初に行われた任務だから、という理由だが、これはこじつけ。瑛正が帝城を訪れる理由を作りたかっただけ。それも皇帝が会って話をしたいからではない。天音姫と会わせる為だ。これを図る皇帝は、瑛正と天音姫の結婚を認めているのだ。
「少し話を聞いたわ。想定外の事態が起きたそうね?」
「戦場のことまで天音姫の耳に入るのかい?」
皇帝家の一員とはいえ、天音姫は国政に関わる立場ではない。自分の任務に関する情報を知っているのは、瑛正には驚きだった。
「何もしなければ入らないわ。聞き出したの」
「そういうことか……」
瑛正の顔に苦笑いが浮かんだ。聞かれた臣下が困惑している様子が目に浮かぶ。自分たちが帰還したのは昨日だ。まだ正式な報告書も出来上がっていないのに、情報を手に入れるのは大変だったはずだ。
「それでも任務達成。たいしたものだわ」
「想定外の出来事なんて当たり前にあることだよ。私が特別優れているわけではない。それに、助けてくれた人たちがいる」
「謙遜が過ぎるわね。優秀な側近の存在も上に立つ者の資質。これくらいに思っておかないと瑛正の望みは叶わないわ」
瑛正が大将軍の一人となることは確定している。だが、それだけでは瑛正が満足しないことを天音姫は知っている。御剣家の継子として生まれたというだけで手に入れたもので、瑛正は満足するわけにはいかないのだ。
「そうだとしても……今回はね」
「何かあった?」
瑛正の顔に浮かぶ笑みには自嘲の思いが含まれている。自分を卑下しがちな瑛正が良く見せる笑みで、天音姫も数えきれないほど見ている。
「敵の裏切りを気付かせてくれたのは春青(シュンセイ)だ」
「シュンセイ?」
「知らないか。八幡(ヤハタ)家の人間で、私の幼馴染。私と、瑠闇(ルアン)の」
「……そう」
瑠闇の名を瑛正が口にするのは珍しい。彼の話題であっても名を口にするのは避けることが多かった。それは自分の為でもあると天音姫は思っていた。
「春青は能力が高いのに役目は伝令。彼だけではなく、八幡家そのものが御剣軍では冷遇されている」
「それは…………瑠闇の死が関係しているの?」
瑠闇の名を口にすると胸が苦しくなる。今も彼のことを忘れていないことを思い知らされる。ただ実際にはどういう想いなのか、天音姫自身は分かっていない。理性的な自分は子供の頃の初恋をここまで引きずるはずがないと考えているのだ。
「私はそう思っている。春青は瑠闇と仲が良かったから。私よりもずっと」
「……瑛正。お父上ときちんと話をしたほうが良いと思うわ」
「話をしてどうなるのかな? 私だって父上が瑠闇を殺したとまでは思っていないよ。でも……御剣家が殺したのは間違いない」
双子の弟は、公式には事故死になっているが、実際は殺されたのだと瑛正は思っている。忌まわしい存在とされる双子。弟が御剣家で疎ましく思われていたことを、それどころか存在そのものを否定されていたことを瑛正は知っている。将来の当主として家臣たちから優遇されていた自分とは真逆の扱いをされていたことを知っているのだ。
父親は命令を発していないかもしれない。そうであって欲しい。だがそれでも弟を殺したのは御剣家。家臣の独断だとしても、御剣家の為にやったことだとすれば、それは当主である父親の責任だ。瑛正はこう考えているのだ。
「真実がどうであろうと、はっきりさせるべきよ。貴方の為にも」:
そして瑛正は自分のせいだとも思っている。同じ双子である自分が、兄だというだけでこうして生きている。生きて多くの人に仕えられている。それに罪悪感を覚えている。だから弟の死について父親と正面から向き合おうとしない。天音姫はこう思っている。
「……もっと私が力をつけたら」
真実を知ったとして、自分に何が出来るのか。瑛正はこうも思っている。父親の罪を問えるのか、弟の死に関わった家臣を罰することが出来るのか。今は出来ない。これは明らかだ。有力家臣を罰する権限など、瑛正は持たない。
「そう……今日は多く話すのね?」
出来るだけ避けていた話題だ。会話に出てきても二言、三言で終わらせていたこと。それが今日の瑛正は躊躇うことなく話し続けている。それが天音姫は不思議だった。
「……ああ……今回の任務で、気になる兵士を知って……それでだと思う」
「兵士? どうして兵士が出てくるの?」
何故、気になる兵士から瑠闇に繋がるのか。天音姫にはまったく理解出来ない。
「それが恥ずかしい話で……偶然その兵士が瑠闇が良く口にしていた言葉とまったく同じことを話していてね。声も似ていたせいか、私は頭の中が真っ白になって、瑠闇と呼んでしまった」
「……それで?」
「だから、まったくの別人。慌てて誤魔化す羽目になった。でも年も近い。一つ下だ。それもあってか気になって、また話をしたいと思っている」
「そう。でも相手が困ってしまうのではなくて?」
瑛正は御剣家の後継者。将来は大将軍になる身だ。その瑛正と話すことを、普通の兵士が喜ぶか。かなり微妙だと天音姫は思っている。軍閥貴族の一員であれば取り立てられる絶好の機会だと思うだろうが、普通の兵士にそれはない。どれだけ瑛正に気に入られても兵士は兵士。天音姫の考えではそうなのだ。
「少なくとも畏まる感じはなかったね。あんな感じで気安く話が出来ると良いのだけど、それはさすがに無理か」
「良く分からないのだけど、そうしたければそうすれば良いのではないかしら?」
瑛正の思いは天音姫には良く分からない。自分が同世代の庶民の娘と話をしたいと思うか。こう考えると「別に」という答えになる。あまりに立場が違いすぎる。価値観の違いも明らか。会話が盛り上がるとは思えないのだ。
「そうだね。ただの兵士とは思えないほど優秀だから、色々と聞きたいこともある。やっぱり話をする機会を作ることにするよ」
「ええ。そうね」
「天音姫も……いや、さすがに無理か。今回の任務で彼は功を挙げて賞されることになるのだけど、身分としては一兵士だからね。城には呼ばれないか」
これが将に対して恩賞を与えるということであれば、多くの人がいる場で、スケジュールが合えば皇帝も臨席する場で、恩賞授与が行われることになる。皇帝臨席となれば天音姫の同席もあり得ると瑛正は考えたのだが、さすがに一兵士ではそのような場に出られない。天音姫が会う機会はない。
「呼べたとしても私は軍事の話なんて出来ないから」
話をしたいとも思わない。絶対に話が合わないことが分かりきっている。
「それもそうか。じゃあ、私だけで話すことにするよ」
「……その兵士の何が気に入ったの?」
だが瑛正はそうではない。自ら強く望んで、その兵士と話そうとしている。天音姫にはまったく理解出来ない思いだ。
「えっ……何がと言われても……」
「別に悪いことだとは思わないわ。その兵士が、瑛正が色々と気を回さないで話せる相手になるのであれば、良いことだと思うわ」
「そうだね。そうなれると良いな」
瑛正がここまで興味を持つ相手。理由は分からないが、そういう存在について話をするのはいつ以来か。天音姫の記憶に残っていないくらい前であるのは間違いない。弟の瑠闇の死以降、他人に対して、特に御剣家の関係者に対して不信感を抱くようになっている瑛正にとって、生まれも育ちも立場も、何もかも違う人間と関わりを持つことは良いことなのではないか。こんな風に天音姫は思った。
二人はまったく考えていない。その兵士、白夜は瑛正と話をする機会など、まったく求めていない可能性を。求めれば大抵のことは叶う。そういう環境で育ってきた二人なのだ。