戦いは帝国軍が呆気なく感じるほどに一気に終結を迎えた。当然、帝国軍の勝ちだ。帝国軍右翼の攻撃により対峙していた領主軍は崩壊、さらにそれは中央の部隊にも波及し、総崩れとなった。そうなると裏切って、帝国軍本陣と対峙していた領主軍は孤立。抗うことなく、逃げることを選択した。帝国軍がそれを許すはずもないが。
帝国軍は敗走する領主軍を追撃。反乱領主を討ち取り、領主軍にも立て直しを許さないほどのダメージを与えた。それで派遣された帝国軍の戦いはほぼ終わりだ。統治者を失った領地をどうするか、残党をどう扱うかは軍事ではなく政治。文官が主導することになる。現地で残った仕事は戦況の確認。論功行賞の為の情報整理くらい。それも帰還の途中で少しずつ進められることだ。
「警告、ですか?」
第十特務部隊の隊長である鷹我もその席に呼ばれた。本人にとっては驚きの出来事だ。第十特務部隊は戦果をあげていない。元々、そういう位置に追いやられていた上に、本来の任務を無視して、化物との戦いを行っていたのだ。
「中央の部隊に敵の奇襲を伝えに来た者がいたと報告があった。貴様の命令ではないのか?」
「……違います。乱戦の中におりましたので、自分は隊を掌握しきれておりませんでした」
戦場で隊長が部隊を掌握出来ていなかった。これは咎められても仕方がないことだが、鷹我は正直に話した。隠す必要はないのだ。落ちこぼれ部隊の隊長に指揮能力がないのは当然のこと。そう思われるても、まったく問題はない。
「……では勘違いか」
「朱馬。勘違いのはずがない。警告を発した兵士は特務第十部隊だと名乗ったという報告だよ?」
中央部隊の将の勘違いで終わらせようとした朱馬をたしなめる瑛正。朱馬の考えは分かっている。戦いが呆気なく終わったせいで、第一軍の将兵には目立った戦功がない。逃げた反乱領主を討ち取ったというのが一番の戦功だが、それ以外はこれというものがなかった。奇襲を伝えて味方部隊を救ったという事実は、下手すると、と思うのは朱馬の主観だが、それに次ぐ戦功になってしまうかもしれない。第一軍以外の部隊にその栄誉が与えられてしまうのが嫌なのだ。
「……では、その兵士が自分の裁量で行ったこととなります。その兵士に心当たりはないか?」
第十特務部隊ではなく、その中の一兵士の戦功。これで朱馬は妥協することにした。無理を通そうとしても瑛正がそれを許さないことは分かっているのだ。
「せめて容姿の特徴などが分かりませんと」
「若い兵士だったそうだ」
「……では白夜(ハクヤ)だと思います。一目見て、若いと分かるとなると白夜である可能性が高いと思います」
どういう状況だったのかは分からないが、防具で身を固めている状態で、はっきりと若いと分かる兵士となると鷹我の頭には白夜が真っ先に思い浮かぶ。自分の命令がないのに、化物との戦いに専念することなく、勝手な真似をする兵士という点でも白夜しかいないのだ。
「……そうか。分かった。貴様がそう言うなら、その者の手柄としよう」
あっさりと誰だか分かってしまった。朱馬にとっては小さな誤算だ。きちんと調べれば判明することなので、どうでも良いのだが。
「その白夜という兵士は、もしかして新兵の?」
瑛正はまだ話を終わらせようとしなかった。自分と同い年の新兵のことは気になっていたのだ。
「はい。お考えの通りです」
「軍に入ったばかりで大手柄だ。良い兵士を部下に持ったね?」
瑛正のこの言葉を聞いて、わずかに顔をゆがめる朱馬。総指揮官が大手柄だと言葉にしてしまったのだ。その通りに処遇するしかなくなる。
「はっ。ありがとうございます」
瑛正の言葉にどう答えれば良いか分からなかった鷹我。とりあえず、御礼を返しておいた。
「そういえば、敵が待ち構えていたのだったね? こちらの情報不足で危険な目に遭わせてしまってすまなかった」
「謝罪など無用です。瑛正様の責任ではございません。他の将の方々の責任でも。あれは我らの動きを察知して敵が動いた結果ですから」
「分かっていたのか……敵の動きが見えていたのかな?」
これを指摘したのは春青。春青の考えは、すでに分かっているが、正しかった。それを証明できることが瑛正は嬉しかった。
「いえ、敵の存在は攻めかかられる直前に知りました」
「それでどうして、敵は自分たちの動きを知って、先回りしたと思ったのかな?」
「それは……あらかじめ陣取っていたのであれば、下ってくることはないはずだと……」
瑛正の問いを受けている鷹我は迷っている。どこまで真実を話すべきかを。瑛正が興味を惹かれているのは明らか。それに対して求める応えを返すことは、第十特務部隊は落ちこぼれという噂を疑われることにならないか心配なのだ。
「……なるほど。それで敵の準備が整わないうちに反撃に出ることを選んだのだね? その結果、見事に制圧した」
「敵が少数でしたので……」
「ただその場に留まることなく、君たちは何十倍もの敵に戦いを挑んだ。これはどうしてかな? 常識ではあり得ない判断だ」
さらに瑛正は疑問に思っていたことを尋ねることにした。第十特務部隊の動きは、自分の中で納得出来ていなかったのだ。無謀な決断に至った理由を知りたかった。
「……裏切りを知らせる、もっとも早い手段だと考えたからです」
ここで鷹我は嘘をついた。化物の存在に気付き、それと戦う為。これは話せない。自分たちが狩人であるという秘密を守ることを優先した。
「そういうことか……来た道を戻るという……ああ、もしかして、その時はもう領主軍は動いていたのかな?」
「その通りです」
「疑問に思っていたことが解消された。いや、まだ一つ残っているか。白夜という兵士は、どうやって敵の奇襲に気付いたのだろう?」
たまたま敵の進路に居合わせた。この可能性が高いが、はたしてそれで味方に奇襲を伝えようと考えるだろうかと瑛正は思っている。
「……制圧してすぐに戦場全体を把握した様子でしたので、あらかじめ予想していたのかもしれません」
「…………」
鷹我の説明に対して瑛正は無言。じっと鷹我を見つめているだけだ。
「あっ、いや、これは勝手な想像ですが……」
その視線を受けて、鷹我はいらぬことを口にしてしまったことに気が付いた。鷹我自身も疑問に思っていた白夜の思考。そちらに心が向いてしまい言葉を選ぶことを忘れてしまったのだ。
「もしかして……これまでの話はすべて彼が考えたことなのかな?」
「それは……敵と遭遇した時、撤退ではなく、戦いを継続するべきだと進言してきたのは彼です」
問いへの答えには、完全にはなっていない。一部を認め、あとは肯定も否定もしないという答えを鷹我は選んだ。誤魔化そうというより、実際にどうだったのかは白夜だけが知っていることという思いからの答えだ。
「……そう。新兵とは思えない落ち着きだ。やはり、良い兵士を持ったね?」
「……ありがとうございます」
「彼とも少し話したいね。ここでの話はここまでにしよう。ありがとう」
「はっ。失礼いたします!」
ホッとした思いと、まだ先があるのかという不安が鷹我の心の中で混ざりあっている。とにかく、ここでの話は終わりだ。居心地の悪いこの場所から、さっさと去ることにした。
「……面白いね?」
「他軍の一兵士です」
朱馬も内心では少し驚いている。だが、そこまでだ。その兵士が実際にとても優秀であったとしても第三軍の所属。御剣家の役に立つわけではない。そうであることを瑛正にも分かってもらう必要がある。
「それでも……面白いよ」
だが瑛正にはそういう思いは通じない。第何軍であろうと帝国軍であることは同じ。優秀な将や兵士は気になる上に、出来れば活躍の場を与えたいと思う。これは朱馬との立場の違いによるものだ。朱馬の家は御剣家に忠心をもって仕え、その功を認められることで家を保っている。帝国軍全体のことを考えるよりも、自家が自分が戦功をあげて御剣家に認められることを優先しなければならない立場なのだ。瑛正に比べて視野が狭くなるのは仕方がない。将来、三御家のひとつ、御剣家の当主となり、帝国軍の大将軍となる身の瑛正とは見方が違って、当然なのだ。
◆◆◆
帝国軍はひとつにまとまることなく、いくつもの小部隊に分かれて、瑛正たちがいる本陣を囲む形で野営を行っている。反乱を起こした領主軍の、可能性はかなり低いが、奇襲を警戒してのことだ。一か所にまとまっていると奇襲を受けた時の被害が大きくなる。点在することで、仮に奇襲を受けても味方の犠牲を少なく、かつすぐに気付けるようにしているのだ。
第十特務部隊も本陣からはもっとも遠い位置で野営を行っている。もっとも奇襲を受け易い場所でもある。
(……敵の気配はない)
百夜は敵の奇襲を警戒して周囲を見張っている最中。自発的に行っていることではない。命令されたのだ。
(……といってもな、気配を消すことくらい簡単に出来るだろうからな)
警戒すべき相手は化物。相手に気付かれないように接近し、奇襲を仕掛けるなんてことは化物がもっとも得意とするところなのだ。
(結局あれは何だったのだろうな? 化物が正面から帝国に歯向かうって……)
今回の戦いに何故、化物が参戦していたのか。依頼を受けてのことであるのは分かっている。だが帝国軍と正面から戦うことになる依頼を、どうして受ける気になったのかと白夜は不思議に思っているのだ、
かなり強い集団であるとしても帝国軍との全面戦争には勝てないはず。帝国軍の将は、化物に勝るとも劣らない実力の持ち主。魔力の単純比較であれば、世襲武士のほうが上とされているのだ。
(俺が思っている以上に帝国は揺らいでいるということか……地方領主が力を持ったか……)
すでに帝国は、化物から見ても、恐れる存在ではなくなっている可能性。帝国以上に恐れるべき存在が出てきた可能性。そんなことを白夜は考えた。
(……いけね。俺には関係ないことだ)
白夜は、ただ化物として戦いの中で生きるだけ。帝国の行く末など、どうでも良いことのはずだった。軽く頭を振って、無用な考えを振り払う。
「おい、白夜! 交代だ!」
そこに丁度、先輩兵士が現れた。見張りを交代する時間、にはまだ早いはずなのに。
「もう時間ですか?」
そんなはずはない。経過した時間は感覚でおおよそ分かっている。体内時計の感覚を磨くこと。これは化物に共通する修行のひとつなのだ。
「いや、違う。隊長が話したいことがあるそうだ。だから戻れ」
「話……分かりました。じゃあ、後はお願いします」
見張りを切り上げさせてでも話したいこと。白夜には心当たりがなかった。あくまでも、このタイミングで話したいと思われることであって、隠していることはいくらでもあるが。
警戒心を胸に抱きながら野営地に戻る白夜。
「戻ったか……白夜、お前、恩賞を与えられるかもな」
「恩賞……えっ!? 本当ですか!?」
鷹我の話は、まったく予想外の内容。白夜の反応は一拍、遅れることになった。
「味方部隊に敵の奇襲を伝えたのは、お前で間違いないな?」
「ああ……えっ? あれだけで?」
さらにその理由も白夜には想定外のものだった。
「あれだけでって……結果として多くの味方の命を救ったかもしれない。十分に功として認められることだと思うぞ。というか、お前、そういうことをするのだな? 意外だった」
「別に……やるべきことをやっただけです」
自分でも意外だった。どうしてああいうことを行ったのか。やろうと思ったのか。今考えても良く分からない。死なせたくない人がいたのは事実。だがそれだけで、あそこまでやる必要はなかった。
「恰好をつけて。なにが『自分はやるべきことをやっただけですから』だ?」
「そんな言い方はしてません」
「いや、した」
「してま……」
「瑠闇(ルアン)!」
鷹我の言葉に反論しようとした白夜の邪魔をしたのは、名を呼ぶ声と後ろから肩を掴んだ手。相手は肩を掴むだけでなく、肩を掴んだまま手を引いて、無理やり白夜を振り向かせようとする。
「……お前、誰? 痛っ!」
「誰じゃない! 御剣瑛正様だ! 総指揮官の顔くらい覚えていろ!」
その声と手は瑛正のもの。白夜の無礼な口の利き方に焦った鷹我が怒鳴りつけてきた。
「総指揮官……隊長、それは無理。一度も会ったことないのだから」
「出陣式で会っている」
「……遠くのほうにいた人でしょ? 顔なんて分かりませんから」
白夜が瑛正と顔を会わせるのは、これが初めてだ。あくまでも白夜としては、だが。
「君は……白夜?」
「はい。自分の名は白夜です」
「そう……今回は良くやってくれた。おかげで味方が救われたよ」
自分の勘違いに戸惑い、驚いている瑛正。なんとかこの場を誤魔化そうとしている。
「ありがとうございます」
「とにかく、直接御礼を伝えたかった。また機会があれば、ゆっくり話そう」
これがその機会のはずだった。ほぼ同い年の、優秀であろう兵士。興味があったのは勿論、側近たちとはまた違った話が出来るのではないかと期待もしていた。武家の名門の生まれである自分と平民出身の兵士。立場が違いすぎるからこそ、出来る話もあるかもしれないと思っていたのだ。
「……機会がありましたら」
「では、その時に。改めて言う。良くやってくれた。他の者たちも良い働きだった。ありがとう」
だが今は動揺が激しく、自分の勘違いが恥ずかしくもあり、この場に長く留まる気になれない。この場にいる全員に向けての礼を口にして、瑛正は本陣に足を向けた。
頭の中に浮かんできたのは、過去の記憶。
「瑠闇は凄いね。辛い鍛錬を平気で続けられる。僕なんか……」
「……別に。やるべきことをやっているだけだ」
素っ気ない、それでいて照れが含まれている言葉。大切な弟の言葉だ。記憶にある弟の言葉と、白夜の言葉が重なった。その瞬間、頭が真っ白になり、気が付いた時には弟の名を呼び、その肩を掴んでいた。実際は別人の肩だったが。
「……瑛正様」
朱馬も瑛正の弟、瑠闇を知っている。今も瑛正が忘れられないでいる幼き頃に亡くなった双子の弟もまた、朱馬が共に時間を過ごした幼馴染と言える相手なのだ。
「……馬鹿だね、私は。弟と彼を間違えるなんて……」
「瑠闇様はお亡くなりになりました。悲しい事実ですが、もう受け入れるべきです」
「分かっている。死を受け入れてもいる……今日は、今日の私は少しどうかしているだけだ」
死を乗り越えたつもりだった。亡くなった弟の分も強くならなければならないと誓った。それまでの弱い自分は捨てた。そして今がある。先ほどの出来事は瑛正にとっても思いがけないことだったのだ。自分はまだ完全に弟の死を受け入れられていない。今日はじめてそれを思い知ることになった。