御剣(ミツルギ)瑛正(エイセイ)率いる第一軍派遣部隊に与えられた任務は領主間の争いを収めるというもの。争いは農業用水の配分を巡ってのものだ、今年は雨が少なく両領国が利用している治水池の水量が十分ではなくなった。双方、自領に必要な水量の確保を主張した結果、折り合えず、一方が武力で用水路の分岐地点を確保。水を独占したのだ。そうなればもう一方も動かないではいられない。結果、領主間の武力衝突という最悪の事態となった。
水を巡っての争いは良くあることだ。だが、今回は帝国が調停に入っても事は収まらなかった。そうなると今度は調停を拒絶された帝国も力を行使することになる。調停の失敗は帝国の威信の揺らぎに繋がる。軍事力を行使してでも、領主を従わせなければならないのだ。それが帝国軍が出動した理由だ。
だが実際に戦いになる可能性は低いと考えられていた。逆らい続ければ、当たり前だが領主の地位は奪われる。それだけでなく、実際に戦闘が起こり、それが反乱とまで認定されれば、命までも失うことになる。そのような選択を両国の領主は行うはずはない。そのはずだった。
「……戦いになったではありませんか?」
白夜も第十特務部隊の先輩兵士たちから、そう聞いていた。だが実際は戦いが始まろうとしている。
「相手に先を越されて、引くに引けなくなったのだろ?」
「そんな単純な話ですか?」
一方の領主は帝国軍が到着する前に調停を受け入れた。すべては帝国の判断に従うという全面的な受け入れだ。だったら最初から受け入れておけば良い、というのは本隊の多くの将たちの想いだが、とにかくそうなった。
だがもう一方は同じ選択をしなかった。戦場となるこの場所に陣取り、戦いの準備を始めたのだ。
「知った風なことを言うな。実際に戦いになろうとしている。まっ、勝ち目のない戦いに挑む気持ちは自分にも分からないけどな」
帝国軍二千、それに恭順した領主軍を加えると三千。対する相手は千五百。当初より五百ほど数は増えているものの、それでも半分の数だ。それで質の面で遥かに上を行くはずの帝国軍と戦おうとしているのだ。どう考えても負けは見えている。
「勝てる可能性があるから戦おうとしているのですよね?」
「そんなこと自分には分からない。別にどうだって良いだろ? 自分たちには関係ない。山登りをして、高みの見物をしていれば、この任務は終わりだ」
第十特務部隊は指示された場所に向かっている途中だ。自軍の最左翼にある小山。高所に陣取ることになるのだが、恐らくは戦いに加わる機会はない。そういう場所に追いやられたのだ。
「それはどうでしょう?」
「何なんだ、お前は? 無駄口を叩いてないで、足を動かせ」
自分の話をことごとく否定する白夜にいら立つ先輩兵士。元々、少し不機嫌だったのだ。第一軍は自分たちを厄介者として見て、何も出来ない場所に追いやった。そうされても当然な噂を作ったのは自分たちであるのだが、それでも下に見られれば気分は悪くなるものだ。
「……それは一番槍は任せるという意味ですか?」
「はあ? だから何を……どういうことだ?」
訳の分からないこと言う白夜、と思ったがすぐにその考えを改めた。戯言と聞き流して良い言葉ではないことに気が付いたのだ。気が付いたのは彼だけではない。白夜の言葉が耳に届いた全員が足を止めている。
「敵が来ます。数は不明……では、行きます!」
「お、おい!? 待てっ、白夜!」
「敵が来ています」
「それは分かった。だがこんなことは想定外だ。隊長! どうする!?」
敵がいるはずのない場所だった。高所であっても戦場の外れ。戦略的な価値はない場所で、だからこそ用無しとして追いやられたと、第十特務部隊の面々は思っていたのだ。
「……敵の数が分からない。一旦引いて、指示を仰ぐべきだな」
「その結果、やっぱり、この地を確保しろと命じられる可能性もあるのですよね? そうなると次は守りを固めた、高所にいる敵と戦うことになります」
部隊長の鷹我の考えを白夜は否定した。
「……攻めるなら今だと?」
「少なくとも、敵がわざわざ、ここまで降りてきた理由があるはずです」
既に陣地構築を終えているのであれば、わざわざ、そこを出て降りてくるはずがない。守り易い陣地の中で戦おうとするはずだ、というのが白夜の考えだ。
「……そう見るか……確かにそうかもしれないが……」
「さらに生意気を言わせてもらいますと、もう考える時間は過ぎました。行きます!」
「戦闘準備! 敵は目の前だ! 討てーーーーー!!」
白夜の言う通り、じっくりと考えることは許されなかった。すでに敵は近くまで迫っている。少なくともその敵とは戦い、勝利しなければならない。鷹我は部隊に戦いの開始を命じた。
戦いは、指揮官の瑛正をはじめとした一軍の将の誰もが予想していない場所で始まることとなった。
◆◆◆
第十特務部隊が戦闘を開始したことは、瑛正のいる本陣にもすぐに伝わった。最初の喊声は「第十特務部隊は何を騒いでいるのか?」と悪意をもって受け取られたが、やがてそれが戦いの声であることが分かると、本陣の将たちに動揺が広がった。自軍の最左翼を敵部隊に押さえられている可能性など、まったく考えていなかったのだ。
本陣は、役立たずの第十特務部隊では奪回は難しいだろうと考えた。そうなるとすぐ隣にいる味方部隊、恭順した領主の部隊が高所、それも真横から攻められることになる。まずはそれを避けなければならないと考えた瑛正は、敵に占拠されている高所から距離をとる為に、領主軍に後退を命じた。さらにその隣の部隊もやや後退。陣全体を右翼を前にした斜陣に変化させる。
ここまでで初期対応は完了。第十特務部隊に増援を送って高所を奪回するか、このまま領主軍に牽制させて様子見かの検討に移る。
「……無視してもよろしいのではないですか?」
左翼の戦いは大勢には影響しない。側近の朱馬はこう考えている。戦術上、価値がないと思われる場所を奪回する為に本隊から人数を割くことは避けたいのだ。
「特務部隊を見殺しにすることになるかもしれない」
瑛正はそうは考えられない。第十特務部隊を予定外の戦いに突入させたのは自分の判断ミス。こう考え、彼らを救う為の援軍を送りたいのだ。
「では撤退をお命じになってはいかがですか? 無理して確保する必要のない場所です。それに敵が陣取っていたとしても数はわずかなはず。脅威にはなりません」
敵軍はおよそ千五百。そのほとんどは前面に展開している様子なので、高所にいる敵の数は少ないはず。味方左翼の領主軍でも余裕で対応できると朱馬は考えた。
「……そうだな。では…………」
朱馬の提案を受け入れることに決めた瑛正、だったのだが、たまたま気が付いた、ある者の視線が命令を発することをとどまらせた。
「どうされました?」
「春青(シュンセイ)をここに」
瑛正は自分に視線を向けていた者を近くに呼ぼうとした。そうしなければ、近くに来られない立場の者なのだ。
「……伝令でしたら私が命じます」
朱馬の顔がわずかに歪む。春青は伝令役の一人。ただ命じられたままに、伝えられた言葉を相手にそのまま届けるだけの役目。朱馬のように瑛正の側近でも、将でもない。瑛正に物を言える立場ではないのだ、というのは周りが考えていることで瑛正の思いは異なるが。
「聞きたいことがある。春青、ここに!」
朱馬に頼んでも時間がかかるだけ。瑛正は自ら春青を呼んだ。朱馬が直接話しをすることを嫌がることは分かっているのだ。その理由も。
「……お呼びでしょうか?」
瑛正の前に跪く春青。その顔にはわずかに怯えが浮かんでいる。瑛正の命令となれば無視は出来ない。だが、命令に従っただけでも周囲の者たちがそれを不快に思うことを彼は分かっているのだ。
「何か伝えたいことがあるのではないかな?」
春青の視線はそういうものだったと瑛正は考えているのだ。
「……私はそのような立場ではございません」
だが春青は瑛正の問いに答えようとしなかった。言っていることは正しい。彼は瑛正への直接の助言が許される立場ではない。
「そのような遠慮は無用だ。思うところがあれば述べて欲しい」
だが瑛正にとって春青は幼馴染。朱馬と同じように幼い頃は共にいる時間が長かった一人だ。今のような立場の壁を作られることは瑛正にとっては寂しいことなのだ。
「…………」
瑛正にそのつもりはないが、これも命令といえば命令。それに対してどうするべきか春青は悩んでいる。
「……良い、それが重要なことであれば話せ。瑛正様への直答を躊躇うのであれば、私が聞く」
朱馬にとっても春青は幼馴染だ。今はそれぞれの立場があり、それを厳格に守ろうという思いが強く、過去の関係を引きずっている瑛正の態度を苦々しく思っているのだ。だからといって、本当に重要なことを、それを理由に聞き逃すわけにもいかない。自分が聞くという形にすることで、春青の考えを引き出すことにした。
「……敵が、あの場所を確保した理由は何でしょうか?」
「我が軍の戦力を分散させる目的だ」
高所は攻めづらい。落とすにはそれなりの数が必要になる。戦術的にまったく意味のない場所を得る為に。そうさせることが敵の目的だと朱馬は考えていた。無視するべきだと考えた理由だ。
「そうであれば、最初からあの場所に陣取っていたのではありませんか?」
「それは……」
戦力分散が目的であれば、もっと大人数を配置し、守りを固めているはず。だが敵はそうしていなかった。それどころか一人もいなかったはずだった。そうであるから第十特務部隊を送り込んだのだ。
「……我々が確保しようとしたから敵が動いた。春青はこう考えているのか? そんなことがあり得るのか?」
瑛正は春青の話からひとつの可能性に気が付いた。
「……あくまでも可能性のひとつであります。実際にどうかは私には分かりません。では、失礼いたします」
「春青!」
瑛正の呼びかけを無視して、その場を離れていく春青。春青は、春青の家も冷遇されている。だが、それは御剣(ミツルギ)家がそうしているだけではない。家はともかく、春青は瑛正に重用されることを望んでいないのだ。だから瑛正の気持ちよりも周囲の目を気にして行動する。今の態度は周囲の目も無視しているようなものだが。
「……どういうことですか?」
これを聞く朱馬の表情には、また苦々しい思いが浮かんでいる。こういう結果になることも春青を瑛正に近づかせたくない理由だ。春青は瑛正を主として認めていない。そうであることを隠さない。それが朱馬は許せないのだ。
「……裏切り、いや、初めから領主たちは共謀していた可能性がある」
「それは……どうしてそれが分かるのですか?」
「第十特務部隊の目的地を知ってから動いて、先回りが出来る。それが出来る部隊はひとつしかない」
第十特務部隊の移動を知ることが出来、高所にもっとも近い場所にいた部隊。恭順したはずの領主の軍だ。
「左翼からの攻撃に備えます。不意打ちさえ避けられれば、まったく問題ありません」
「そうだね。頼むよ」
戦力的には領主軍千が敵に回っても勝敗には影響しない。数の上では敵が勝ることになったが、質が段違い。最初から両領主軍と戦うことになっても勝てる戦力を率いてきたのだ。、
帝国軍の動きが慌ただしくなる。それに呼応するかのように敵も動き出す。いよいよ全軍の戦いが始まるのだ。
◆◆◆
その様子を高みから見物している者たちがいる。遭遇戦に勝利し、頂上を確保した第十特務部隊だ。
「……なるほどな。そういうことか」
「何がなるほどだ?」
「いえ、どうしてこんな場所を確保しようとしたのか疑問に思っていたのですけど、理由らしきものが分かりました」
白夜は何故、敵が先回りしていたのか疑問に思っていた。ここはこれから始まる戦いには、まったく影響を与えないはずの場所なのだ。
「理由? どんな理由だ?」
部隊長の鷹我はそこまで考えていなかった。考える必要がなかった。彼は命令通りに目的地を確保した。何の為にそれが必要なのかを考えることさえ、実際は考えていたが、彼の立場では無用なこと。それ以上のことを考えようとは思わない。
「戦場が見渡せるから。どの部隊がどう動こうとしているか、全部ではないですけど、見えます」
「なるほど。だが、それが見えたからといって、どう味方に伝えるつもりだったのだろうな? 狼煙でもあげるつもりだったのか」
「違います。こちらに見られたくなかったのです。でも隊長の言う通り、どうやって伝えます?」
「そんなことは命じ……いや、違うな。白夜、もっとはっきりと言え。お前は何が言いたいのだ?」
白夜が話していることは自分がそうだと思っていることとは違っている。白夜がそういう面倒な話j方を時折することを、すでに鷹我は理解しているのだ。
「すぐ下に見える部隊。味方のはずなのに本陣に攻めかかろうとしています」
「なんだと!? そういうことは早く言え!」
視線をすぐ近くの部隊に向ける鷹我。本陣に攻めかかろうとしているかははっきりしないが、確かに動きがおかしい。後方に兵が移動しているのは確かだ。
「……裏切りか」
「ですが、本陣も気が付いているのではないですか? 陣形を変えているように見えます」
ここからは味方の本陣も見える。その様子を隊員の一人が伝えてきた。味方本陣でも将兵が慌ただしく移動している。自分たちから見て手前側に移動する数が多く見えるのは、左翼への備えだと考えられる。
「本陣だけで受けきれるのだろうか?」
「本陣にいるのは派遣部隊の中でも精鋭のはずです。地方領主の軍相手であれば、問題ないと思いますが」
「地方領主の軍相手……」
「白夜、言うべきことは、はっきりと言え」
白夜の小さな呟きを鷹我は聞き逃さなかった。
「えっ? ヤバそうな奴がいることは隊長たちも気付ていると思っていました」
「やばそうな……ま、まさか、化物(ケモノ)か?」
「あれ? 気付いていなかった? これだけ離れていても寒気がするくらいのヤバい奴だと思うのですけど……」
「魔凱の封印解除を許可する! 対化物戦の戦闘態勢に入れ!」
化物との闘いとなると知った鷹我は狩人としての戦闘態勢を命じた。魔凱は対化物戦のみで使用を許可されている。通常任務ではその能力を解放出来ないのだ。使用の判断は隊長である鷹我に任されているので、こうした事態にも対応出来るが、乱用すれば罪を問われることになる。
「高みの見物では?」
「化物がいるとなれば話は別だ。お前も覚悟を決めろ!」
だからといって白夜が覚悟を決めるのを待つことはなく、すぐにものすごい勢いで坂を下っていく第十特務部隊の面々。化物がいるとなれば彼らに戦わないという選択肢はない。化物を倒す為に彼らは生きているのだ。
「……ヤバいのがいる、の意味、分かってるのかな?」
白夜の感覚では第十特務部隊の人たちの行動は自殺行為。そう思うくらいの強者がこの戦場にはいる。そこまでたどり着けるかも怪しいものだが。
「あっ、そうか。ここで見ているだけで、死んで欲しい奴らが死んでくれるのか」
白夜の視線が第一軍の本陣に向く。だが、それはわずかな時間だった。
「そうもいかないかな?」
何者かが近づいてきている。第十特務部隊の隊員が呼びに来たはずがない。そうであればその者はどこの誰で、目的は何なのか。それはすぐに分かることにある。激しい息遣いで現れた一人の男。
「……あ、貴方、ひ、一人、ですか?」
「…………」
「……あの?」
じっと自分を見つめている白夜に戸惑う春青。白夜一人しかいないことが、そもそも予想外の事態なのだ。
「先輩たちは降りていきました。何か用ですか?」
「指揮官から撤退命令が出ております。それを伝えに来ました」
春青がここに来たのは撤退命令を伝える為。正式に命じられたかは微妙なところだが、瑛正が命令を発しようとしていたのは間違いないと春青は考え、行動に移したのだ。
「ああ……少し遅かったようです。でも分かりました。自分が間違いなく、皆に伝えます」
「お願いします。では私はこれで」
「本陣に戻るのですか?」
「はい。では、時がありませんので」
来た時の勢いのまま引き返していく春青。すでに戦闘が始まろうとしている。彼はその中を突破し、本陣に戻ることになる。それを白夜は分かっている。
「……伝令役……無駄遣いが過ぎるな。さてと……約束したからな」
最初はゆっくりと、徐々に勢いをつけて坂を駆け下りていく白夜。心はまだ定まっていない。ただこの戦場に死なせたくない人間がいることだけは分かっている。そんな思いが自分に残っていることに戸惑っていた。