白夜は翌日から早速、部屋の改装に取り掛かった。軍の仕事は休み。さぼりではない。任務中の負傷ということで公傷扱い。治るまで休みをもらえるのだ。
改装は思いつきで始めるには大変な作業だった。まず材木屋に行って、大きな板を購入。それを家まで運ぶだけでも一苦労だ。そこから今度は長屋の前の空き地で、その板を天井の高さに合わせて、切っていく。空き地は長屋に住む人たちの共有空間。近所の人たちは何を始めたのか興味を持って、白夜に尋ねてくる。その度に白夜は「偶然、知り合った貧民区の孤児が家まで付いてきてしまったので、仕方なく居候させている」という設定を説明することになる。これについては好都合だ。一日で長屋全体に伝わることになった。
切り揃えた板を家の中に運び、壁にする。二枚を直角に繋げて、立てるだけの簡易的な壁だ。この長屋は借家。大掛かりな改装は出来ないのだ。白夜の大工技術としても出来ない。
「……部屋暗いな」
「ああ……でも仕方がない」
誤算は家の中が暗くなったこと。もともと日当たりが良いとは言えない家の窓が、作った壁で半分塞がれたのだ。暗くなるのは当然だ。
「音子の部屋も入口のほうに作れば? 玄関狭くなるけど」
二人の部屋はそうしている。窓際の半分が音子の部屋。もう半分は三人の部屋。そして白夜と銀子の部屋は入口側だ。
「それだと部屋に窓がなくなる。陽が当たらない部屋じゃあ、音子が可哀そうだ」
窓側に部屋を作ろうとしているのは、作った部屋が暗くならない為。薄暗い部屋を音子に使わせるのは可哀そうだと考えたからだ。二人の部屋は、明るくある必要はないのだ。
「……じゃあ、いっそのこともっと広い家に引っ越すか?」
「死んだ親が残してくれた金でなんとか食いつなぎ、ようやく仕事を得たばかりの兄妹が広い部屋に引っ越す?」
この長屋は設定に合わせて選ばれた。大きな家に引っ越しては、設定とのズレが生まれる。帝国軍兵士の給料もそんなに高くないのだ。
「じゃあ、我慢するしかないか」
「そうだな……普段は部屋の扉を開けるようにしておけば……ああ、壁にも窓を作るか? 穴を空けるだけだけど」
光を遮っている壁に窓を作れば、今よりは明るくなる。白夜はこう考えた。ただきちんとした窓を作る技術も白夜にはない。一部を切り取るだけだ。
「なるほどな。良い案だ」
「その代わり……我慢しろよ」
「我慢? 明るくなるのだろ?」
光が通るようになれば、暗いのを我慢する必要はなくなる。白夜が言っていることはおかしい、と銀子は思った。
「……声。我慢しろよ」
「声……あっ……お、お前、今すごくいやらしいこと考えているだろ?」
声とは何の声か。にやにやしている白夜の顔を見て、銀子はすぐに分かった。部屋を作るのは二人の時間を音子に邪魔されない為。音子を気にすることなく、イチャイチャする為。その時の声のことだ。
銀子の顔が真っ赤に染まる。にやけている白夜が何を考えているのか分かるのだ。「我慢しろ」と言いながら我慢出来ないようにしようとしていることが。
「恥じらう銀子が俺は好きだ」
自分のことを「僕」と言わせるのも同じ。「私」と自分を言う時の銀子は銀子ではない。化物の女として相手を篭絡させることだけを考え、恥じらいなど、男を喜ばせる為に振りをすることはあっても、ない。それでは白夜は嫌なのだ。
「……音子が嫌がるだろ?」
「……あっ、そうか。本来の目的を忘れていた。すっごく恥ずかしい思いをさせてやれると思って、喜んだのに」
「変態野郎が……」
そうでなくてもいつも恥ずかしい思いをさせられている。修行で身につけさせられた技を使って白夜を喜ばせるなんて約束は、実際はまったく守られていない。銀子が一方的に責められているのだ。実はそれが銀子はうれしかったりする。白夜は人としての自分を求めてくれていると思えるからだ。
「奮発してきちんとした窓を作ってもらうか。店で注文するだけなら誰かは分からない」
ガラスは高価だ。それこそ今の設定で購入できる物ではない。だが、前払いで注文すれば、素性は誤魔化せる。壁にはめる作業は自分で行えば良いのだ。
「部屋に入られたら怪しまれるかもしれない」
だが部屋に入った誰かは、ガラスの窓がある壁を怪しむかもしれない。贅沢品を持てる財力があるのだと知られる可能性がある。
「……ガラスは諦め。扉と同じ、木で作るか」
壁の一部を切り取り、買って来た金具で固定する。最初から作ろうとしていた扉と同じ作り方。それであれば出来る。陽の光を通したい時は開けておく。これも最初の発想だ。
「音子」
「ん」
「壁に立って、そう、そこ」
作った壁の前に音子を立たせた白夜。音子の身長よりも高い位置に記をつけていく。念のため、音子が自分で窓を開けて覗けないようにしようとしているのだ。
「そういえば、どうして里には音子しかいなかった? 最初から黒土竜さんと音子の二人だけだったのか?」
建物はいくつもあった。二人だけで暮らすには無用な建物だ。最初から二人だけだったとは白夜は思っていない。
「……皆、逃げた」
「黒土竜さんから? 違うか。襲われるのが事前に分かっていたのだな」
逃げても行く場所がないはず。銀子はそうだった。里で暮らす弟子たち、鼠と呼ばれる人たちも、物心つく前にどこかから攫ってこられた子供たち。望んで化物の弟子になる子供など、普通はいないのだ。
里を生まれた場所だと思い込まされている子供たちは逃げようと思わない。修行の辛さから、そう思う子供がいても、逃げる場所がない。本当の親のことなど知るはずがないのだ。
「音子はどうして残った?」
「……一人で死ぬのは、寂しい」
「それは黒土竜さんが……そうか。音子は優しいな」
音子の頭をなでる白夜。なでられた音子は気持ちよさそうに目を細めている。その様子は猫のようだ。
「……あれでよかったのかな?」
黒土竜を殺したのは白夜だ。黒土竜が望む通りに行動したつもりだが、正解だったのか自信がない。音子はおそらく様子をずっと見ていた。彼女がどう思っているのか、白夜は気になった。
「……喜んでいた」
「そうか……良かった」
音子の言葉は救いだった、現場ではまったく感情を動かさなかった白夜だが、それはそういうモードに入っていたから。銀子の「僕」と「私」の切り替えと同じだ。通常の白夜に戻ると、一般の人よりは感情の動きが鈍いとはいえ、普通に後悔の思いも生まれる。黒土竜は知り合いだった。出会った化物の中では、特別良い人だった。弟子を盾にすることなく、先に逃がしていたことも化物らしくない優しさだ。
「僕も聞きたいことがある。音子は修行はしていたのか?」
音子の能力が分からない。鼠であれば、化物としては無能なはずだ。だが白夜はそうではないと言っていた。
「……じっとしていた」
「何もしていなかったのか……」
何か能力があれば、それを役立ててもらいたい。銀子は少し期待していたのだが、それは間違いだった、と思った。
「それはどれくらい?」
だが白夜は違った。音子の言葉を違う意味に受け取った。
「ん~、分からない」
「何回くらい夜があった?」
「……たくさん」
それが修行だ。何日も、何日か分からなくなるほど長い期間、音子はじっとしていたのだ。誰にも存在を気付かれないように、一切の気配を消して。
「だって」
「黒土竜さんって、そういう系? どういう系があるのか知らないけど」
化物にはそれぞれ得意な能力がある。銀子の師、銀狐はあえて名付けると幻惑系。銀子が身につけている閨房術も、その系統になる。極めると、快楽で精神を麻痺させて意のままに操ることが出来るようになる。
音子のそれも系統にすると、隠密系という感じ。ただ黒土竜がそういう術が得意だった記憶が銀子にはなかった。
「あえて言うと……操作系? 砂や土を操っていた。風を操っていたのかもしれないけど」
「……同化するの」
「同化? 何と?」
「土と」
音子は黒土竜が得意とする術の修行をしていたのだ。気配を消すことが修行の目的ではない。修行をしていると、結果、気配が消えるだけなのだ。
「なるほど……同化の意味はまったく分からないけど、黒土竜さんの術に繋がるのは分かった」
「……あれは出来ない」
黒土竜が最後に使った術、土竜(ドリュウ)。音子は使えない。教えてもらっていない。その資格を得る予定もなかった。音子は、最初に銀子が思った通り、鼠と呼ばれる存在だった。修行は弟子たちの真似をしていただけなのだ。
「修行中だから。それに奥義だ。難しくて当然。音子もいつか使えるようになると良いな」
「……うん」
「使えるようになれ」ではなく「使えると良いな」。この違いが音子は不思議だった。白夜も化物。それも黒土竜よりも強い、手負いの黒土竜にとどめを刺しただけだが、音子は強いと思っている。そんな白夜が、自分には何も強制しない。音子は白夜を新しい主だと思っていた。付いてきたのは新しい居場所だと思っていたから。でも、白夜は自分を鼠ではなく、女の子として見ているのだ。どこまでも優しいのだ。それが不思議だった。
◆◆◆
神在寺(カンザイジ)は帝都にいくつかある寺院の一つ。特別権威があるわけではない。何を本尊にしているのかも多くの人は知らない。参拝者の姿を見ることも滅多にない寂れた寺院だ。
それもまた珍しいことではない。鳳凰国の人々の信仰心は薄い。寺社には常識的な敬意を抱いているが、深くのめり込む人は滅多にいない。かつてはいたのだ。信仰心が皇帝への忠誠心を上回ってしまうような人々が。結果、弾圧を受けることになり、それ以降、寺社は保身の為に狂信者と呼ばれる、弾圧する側の呼び方だが、ような信者を生まないように、自ら律するようになった。
その神在寺に第十特務部隊長、鷹我(オウガ)が訪れている。
「……ここに来るのは控えるように伝えていたはずですが?」
来訪を受けた住職は迷惑そうだ。
「申し訳ございません。どうしても聞きたいことがありまして」
鷹我がここに来たのは参拝の為ではない。ここは普通の寺ではないのだ。
「二人、殉死者が出たことは聞いています」
神在寺は第十特務部隊、それも狩人としての部隊と関わりがある。命令は神在寺から発せられるのだ。だからといって、狩人の総元締めとかいう存在ではない。寺に帝国軍を動かす力などあるはずがない。鳳凰国の上層部にいる本当の命令者を隠すための迂回先であることは鷹我も分かっている。
「いえ、新兵のことです」
「……彼については、あまり知りません」
「ご存じのことだけで結構です。彼は何者ですか? 何故、新兵でありながら我らが部隊に配属されたのですか?」
とぼけているわけではない。実際にすべてを知っているわけではないのだと鷹我も思っている。それでもこの住職は彼が知る、もっとも上に近い立場の者。この住職に聞くしかないのだ。それも直接。そうでなければ無視されるのは分かっている。
「……配属された理由は少し知っています。新兵の最後の試験を知っていますか?」
「罪人を殺す」
「そうです。人殺しを経験させる為に、死刑相当の罪を犯した者を殺させます。その彼はその試験で他とは違い、まったく躊躇がなかったそうです。それを試験管が尋ねたら、命令だから、と答えたそうです」
「つまり……死に役ではなく狩人として育てろと?」
命令に忠実。人殺しを躊躇わない非情さもある。これは狩人に必要な資質。さらに化物に恨みを持つとなれば、狩人に選ばれてもおかしくない。鷹我も化物を憎んでいる。家族を殺されているのだ。多くの隊員が似たような境遇だ。
「それは私には分かりません。何の指示もないのであれば、現場で判断しろということではありませんか?」
「そうですか……」
そんなはずはない。現場には自分たちで考える権限など与えられていない。何かあるのだ。白夜には上が判断を保留する何かが。そう思って鷹我はここに来た。関係を疑われないように滅多なことでは近づくなという命令があるにも関わらず。
「狩人が増えることは良いことです。人の世を守る為に化物は滅ぼさなければなりません。貴方たちの奮戦が多くの人を救うのです」
世の人々を救う。これはこの住職の本音だ。化物は人でなし。人間ではなく妖の類だと本気で信じているのだ。人間の世界に害を与える妖は滅ぼさなければならないと。
結果、この住職とどれだけ話をしても、本当の命令者の意図は分からない。住職と同じ考えだとは鷹我は思わない。何故なら鳳凰国は民衆を救っていないから。鳳凰国の施政者は民衆を苦しめている。世の人々を救いたければ、化物だけではなく、施政者も殺すべきなのだ。
決して口には出来ない本音が、また鷹我の心に湧き上がった。