イザール侯爵家のアイビスが、成人式の最中に亡くなった事件の影響は、意外なところにも波及した。トゥレイス第二皇子の嘘がバレるきっかけになったのだ。嘘がばれることは想定内のこと。トゥレイス第二皇子は嘘がばれ、自分への無用な期待が消え、兄のフォルナシス皇太子に支持が集まることを期待していたのだ。だが、どうやら狙い通りの結果にはなりそうもない。アイビスの死が、トゥレイス第二皇子の思惑を壊してしまった。
「……はあ……どうすれば良いと思う?」
そのトゥレイス第二皇子は今日も帝国騎士養成学校の食堂に来ている。来て、騎士候補生たちにぼやいている。
「どうすればと言われましても……もともと嘘だと知られることは想定していたことではありませんか」
尋ねられてもローレルは困ってしまう。事はローレルの手に負えることではないのだ。
「失敗の原因はお前の兄……あっ、いや、死者のせいにするのは不謹慎か。ただ……影響はあった」
成人式は命がけの儀式に変った。それは皇帝家も同じ。皇帝家は長男のフォルナシス皇太子もまだ成人式を終えていないのだ。
だが守護神の加護はすでにトゥレイス第二皇子が得ている。そういうことになっていた。その嘘を隠し続けることに、加担した臣下が耐えられなくなって予定より早く白状してしまったのだ。
「恐れながら、自業自得というものです」
「それは分かっている。分かっているが皇帝家の権威が揺らぐ事態までは予想出来なかった」
「皇帝家の権威、ですか? 殿下ご自身のことではなく?」
ローレルはトゥレイス第二皇子が何に悩んでいるのか分かっていなかった。守護神の加護を得ているように装ったトゥレイス第二皇子個人の問題だと考えていたのだ。
「私自身?」
「えっと……恐れながら、殿下のお命も危ういかなと……」
成人式を行えばトゥレイス第二皇子は守護神の怒りを受けるかもしれない。兄のアイビスと同じ目に遭うかもしれない。それを心配しているのだとローレルは思っていた。
「……確かに。それは考えていなかった」
「その件ではないとすると、何を悩んでおられるのですか?」
「……結局、兄上は守護神の加護を得られるのかということが問題になるのだ。成人式の位置づけはこれまでとは変わってしまったからな」
これまでは形式的なものだった成人式が、後継者の資格があるか守護神の審判を受けるという意味を持ってしまった。実際にどうかは関係なく、そう思う臣下が多数になった。
フォルナシス皇太子はまだ成人式を終えていない。終えていない以上、次期皇帝の座は約束されていない。フォルナシス皇太子支持者の中に、それを理由に距離を保とうとする動きがあるのだ。
「さらに皇太子殿下が万が一の場合の殿下は、守護神の加護を得られる可能性は無に近いとなれば、ですか……」
守護神の加護を得ていると騙ったトゥレイス第二皇子には可能性は皆無。これはローレルだけの考えではない。皆がこう思っている。
「それを言うな。だが、そういうことだ」
フォルナシス皇太子が守護神の加護が得られないとなると皇帝家には後継者がいないことになる。その可能性を臣下が考えてしまうことで皇帝家の権威が揺らぐのだ。皇帝家に帝国を治める資格はないのではないかという考えに繋がってしまうのだ。
「……失礼を承知で言葉にしますが、お二人が駄目となると新たな後継者の誕生が求められることになりますね?」
「そうだ。ルイミラの立場がさらに強くなってしまう」
今、皇帝の子を産む可能性がもっとも高いのはルイミラ妃。ルイミラ妃派が、態度を明らかにしない隠れルイミラ支持者が増える可能性もある。これはトゥレイス第二皇子の思惑とは真逆の結果だ。
「事情は分かりました。頑張ってください」
「おい!?」
「いや、私には何も出来ませんから」
ローレルに出来ることは何もない。結局はずっと続いている権力争いの延長。その状況がルイミラ妃有利に変わったかもしれないということだ。
「それでも何か考えろ。リル?」
「ええ……私はローレル様よりももっと何も出来ませんから。それに今の状況をなんとかする方法は単純明快ではないですか?」
「そう思うならそれを教えろ」
「教えなくても殿下も分かっているはずです。皇太子殿下が成人式を執り行うことですから」
この状況を解決するにはフォルナシス皇太子が次期皇帝として守護神に認められれば良いだけ。それ以外にはない。皇太子以外が何をどうしようが意味はないのだ。
「その成人式が行えない。ルイミラが邪魔をしているのだ」
フォルナシス皇太子が成人式を行っていないのは皇帝がそれを許さないから。そうであったので前宰相ヴィシャスは、成人式は皇帝家の当主が守護神の加護を得る為のものであって帝国皇帝の継承とは別、という強引な理屈でフォルナシスを皇太子にしたのだ。その結果、ヴィシャスは追放されることになった。
この件の裏にはルイミラ妃がいる。トゥレイス第二皇子はそう考えている。
「……ご自身の御子が生まれるまでは、ということですか?」
「そうだ」
「殿下はお怒りになると思いますが……それでも事は単純ではありませんか?」
問題の解決策は、やはり単純明快。リルはそう思った。トゥレイス第二皇子は絶対に納得しない方法だ。
「だからその策を教えろ」
「怒りますよね?」
「怒らないから言え!」
すでに怒っている。周囲が委縮するような怒りではないが。
「……では。ルイミラ妃に早く御子を産んでいただいて、成人式が実施できるようになれば良いではないですか」
「お前……なんということを……」
反ルイミラ妃派がなんとかして阻止したいと思いながら何も手が打てないでいること。リルはその真逆のことが解決策だと言ってきた。怒りはしなかったが、トゥレイス第二皇子はひどく驚いている。
「ですが、お話を聞いていると帝国の皆さまが、殿下ご自身も、帝国の後継者は守護神が決めるものと考えています。そうであれが守護神に任せるしかありません」
「それは……」
リルの言う通りなのだ。結局は守護神の意志が全て。どれだけ多くの臣下がフォルナシス皇太子を支持しても、守護神が認めなければ、後継者にはなれない。集まっていた支持は一気に離れることになる。
「その守護神のご支持を揺るがせたのが殿下の謀だ」
「……グラキエス」
「このようなところで何をなさっておわれるのですか? 責任を感じておられるのであれば、もっと何か為すべきことがおありでしょう?」
グラキエスはトゥレイス第二皇子の謀に怒りを覚えている。得られていない守護神の加護を、得たかのように装うなど許されないことだと考えているのだ。
「……お前のような者がいるから、ここにいるのだ」
「なんですと?」
「力があると知ると慌てて尻尾を振ってきたくせに、嘘だと分かるとこのように文句を言ってくる。そういう人間を炙り出す為の策だったが、いざ目の当たりにすると見苦しくて耐えられない」
「それは……」
力の有無で態度を、支持する相手を変える。そういうフォルナシス皇太子にとって信用ならない臣下を見つけ出すことも、今回の策の目的。グラキエスは、トゥレイス第二皇子にとって、正にそういう臣下だった。
「殿下。それは違います。この中でグラキエスほど帝国の現状を憂いている者はおりません。なんとかしたい、なんとかして欲しいと心から思っている者を、私は他に知りません」
「ローレル?」「…………」
ローレルの言葉にトゥレイス第二皇子は戸惑い、グラキエスは驚きで目を見張っている。どちらにとっても想定外の言葉だったのだ。
「殿下は、皇太子殿下は、このような臣下を大事にすべきです。私はそう思います」
「……そうか……グラキエス。すまなかった。今回の件は私の浅慮が招いたこと。それについては詫びる」
「い、いえ、殿下に頭を下げさせるほどのことではございません」
ローレルの言葉に驚いたグラキエスだが、トゥレイス第二皇子が諫言を素直に受け入れ、自分に頭を下げたことには、もっと驚いた。こういう人物だとは思っていなかったのだ。
これもトゥレイス第二皇子にとっては想定外の結果。自分を貶めてでも兄の評価をあげる。そのつもりだったのが、グラキエスの自分に対する評価をあげることになった。
単純な理由だ。トゥレイス第二皇子はここにいて、フォルナシス皇太子はいない。それだけのことだ。
◆◆◆
帝都第三層にある酒場。今日はミウとの食事会。前回、予想外の邪魔が入ってしまったので、やり直しの食事会だ。今回はプリムローズは連れてきていない。ミウに歓迎されていなかったのが明らかだったので、遠慮したのだ。御礼を伝えたいという同行する口実がないのもある。
リルとハティ、そしてミウという幼馴染三人での集まり。なんの気兼ねもなく話せるはずだったのだが。
「…………」
「…………」
テーブルには沈黙が漂っている。ミウにも同行者がいたのだ。リルを気まずくさせる同行者が。
「お前ら、何を緊張してんだよ? 見合いしてんじゃねえのだぞ?」
「分かっている。ただ、ちょっと……えっと……ユミル、悪かった」
ミウが連れて来たのはユミル。前回の久しぶりの再会は最悪だった。ユミルはリルにまったく取り付く島を与えなかったのだ。
「べ、別に……怒っていないし」
「いや、怒っているだろ?」
かなり怒っている。恨んでいると言っても過剰ではない態度だった。リルとしても恨まれる心当たりはある。裏切者と見られて当然のことをしたと思っているのだ。
「……色々と調べた。これが調査結果」
懐から紙の束を取り出してテーブルに置くユミル。
「おい、それ?」
それに焦ったのはハティだ。紙にはハティがユミルに頼んだことが書かれている。リルには内緒で調べさせたことだ。
「これ……どうして、これを?」
リルも少し読んだだけで何が書かれているか分かった。ただどうしてユミルがこれを調べたのか、調べられたのかが分からない。
「ハティに頼まれた」
「お~い。依頼主の情報は秘密じゃねえのかぁ?」
「金を貰っていない。金を払わない奴は客じゃない」
「情報を貰ったら払うつもりだったのに……」
これは本当。幼馴染の好意に甘えるつもりはなかった。ユミルに自分への好意を期待しても無駄だと分かっているからだが。
「これからどうするつもり? 情報が必要なら調べてやっても良い。もちろん、金は貰う」
不審死と思われる死者の何人かはメルガ伯爵と繋がった。リルが殺す理由があったことが分かった。リルは復讐を続けている。ハティの言葉は事実だと、ユミルは信じることにしたのだ。
「……無理だ」
「僕たちを舐めないで欲しいね。今や情報収集能力は帝都一。こう言えるだけの力がある」
「それは凄いな……でも、無理だ」
「どうして!?」
恨みを忘れ、協力する気になった。そうであるのにリルのほうが拒絶しようとする、ユミルとしては納得がいかなかった。差し出した手を、また払われたような気持ちになった。
「それは……」
「ここは大丈夫。ここで話したことが外に漏れることはないよ」
周囲を気にする様子のリルに、ユミルは、この場所が安全であることを伝えた。そういう場所なのだ。周りにいる者たちも秘密を抱えている。ここは、そういう者たちが人には聞かせられない話をする為の場所だ。
「……情報は城内にある」
「えっ……?」
「実際にそうかも分からない。ただ、その可能性が高いと俺が思っているだけだ」
どこに求める情報があるのかも分からない状況だ。ただ容易に手が届く場所ではないことは間違いない。これまで分かったことから、リルはそう考えている。
「……どうしてそう思うの?」
「良く分からないのだけど、命令は色々なところを経由している。末端に届くまで、何人も関わっていたみたいだ。恐らく、出所を隠す為だと思う」
メルガ伯爵に命令を伝えた者がいる。それを追って、その人間に無理やり白状させて、またその人間を追う。だがその人間も別の人間からの命令を受けていた。そんな状況なのだ。
「最後が城内ってこと?」
「その可能性があるってこと。すでに前宰相までは辿り着いている。証拠はない。そうである可能性を聞いただけだ」
「前宰相……それで城内か。でも、どうしてそんな偉い奴が? 大人たちは何をしたの?」
イアールンヴィズ騎士団襲撃、帝国から見た場合は討伐というべきかもしれないが、は城内で話し合われた可能性がある。前宰相が絡んでいるとなると、その可能性は高い。だが信じられないのは、どうして帝国の官僚の頂点にいた前宰相がイアールンヴィズ騎士団を潰そうと考えたのか。ユミルの感覚では、帝国の脅威になるような騎士団ではなかったのだ。
「ひとつだけヒントになるような言葉は聞き出した。奪われたものを取り返す。奪われたものが何かはまったく分からない」
「ええ、盗み……? 何をやってるんだ」
その結果が皆殺し。代償が大きすぎる。大人たちの愚かさにユミルは呆れた。
「まともに稼げてなかった時期が長かったからな。俺たちを食わせる為に仕方なくじゃねえか?」
ハティは自分たちの親を擁護した。イアールンヴィズ騎士団は力のない騎士団だった。ずっと暮らしは貧しかった。家族の為に父親たちが犯罪に手を染めたとしても、それは責められないと考えている。
「家族の為か……そうだね」
イアールンヴィズ騎士団の大人たちが必死だったのはユミルも知っている。厳しい任務に命がけで臨んでいた。実際に亡くなった人もいた。全てが家族の為、イアールンヴィズ騎士団の家族全員の為だった。ユミルが騎士になりたかったのは、そんなイアールンヴィズ騎士団への憧れもあったのだ。
「ユミル。もし宰相に命令したやつがいるとすれば、それは誰だか分かるだろ? 無闇に手を出さないほうが良い。俺だって、自分なりに慎重にやっているつもりだ」
「……分かった。考えてみる」
宰相に命令出来る者は、ただ一人。宰相が自分の判断で行ったことでなければ、皇帝が仇ということになる。リルの言う通り、安易に手出しすべきではない。
それでもユミルは完全に諦めたわけではない。リルが、フェンが諦めていないのだ。自分だけが諦めるわけにはいかない。それでは自分のほうが裏切者だ。こう考えていた。