四方を山に囲われた盆地にその里はある。今は「あった」と過去形を使うべきかもしれない。里の建物は、そのほとんどが燃え尽き、あちこちから白い煙があがっている。地面に転がるいくつもの死体。多くが子供で、手を、足を切り取られ、無残な姿を晒している。里は滅びたのだ。何者かの襲撃によって。
「や、止めろ……離せ」
ただまだ生き残りはいる。黒髪に、紫に近い瞳が印象的な女の子。全身が煤と泥で汚れているが、顔の造りは美形と評しても良い女の子だ。今その顔は苦しさで歪んでいるが。
「大人しくすれば手荒な真似はしない」
その彼女に馬乗りになっている男。軽鎧に身を固めた男は、この里を襲った集団の一人だ。この男以外にも彼女の周りには三人の仲間がいる。
「止めろ!」
男の右手は彼女の首を押さえつけ、もう片方の手は着ている服を剥ぎ取ろうとしている。それに必死で抵抗している女の子。だが男の力は強く、跳ね除けることが出来ないでいる。
「静かにしろ! お前、自分の立場を分かっているのか? こうして生かされているだけで、ありがたく思え」
「…………」
他の仲間は皆、男たちに殺された。そういうことだと女の子は理解した。
「清純ぶるな。お前も男を喜ばす術をたっぷりと仕込まれているのだろ? それで俺たちを楽しませてみろ」
はだけた服の隙間から手を差し入れ、女の子の胸を荒々しく掴む男。卑猥な笑みが男の顔に浮かんでいる。その様子を眺めている他の男たちの顔も同じだ。
「……誰がお前らなんか」
「良い加減にしろ! 素直に言うことを聞かないと、本当に殺すぞ!」
女の子の胸をまさぐっていた男の手が振り上げられる。殴られることを予想して、思わず目をつむった女の子。
「……えっ?」
感じたのは拳で殴られた痛みではなく、液体が降りかかった感覚だった。桶の水を頭から被ったよう。何が起きたのかと、ゆっくりと目を開けた女の子。視界は真っ赤に染まっていた。
「何だ、貴様!?」
男たちの叫ぶ声が聞こえる。状況を把握しようと顔にかかった血を手でぬぐった女の子。自分に馬乗りになっていた男がゆっくりと倒れていくのが見えた。首から先がない男の体が。
「……あのさ、銀狐(ギンコ)さんって知ってる?」
「えっ? あっ、知ってるけど……」
声をかけてきたのは男の子。自分とそう年齢は変わらないように見える、そうであるのに髪が真っ白な、黄金色の瞳の男の子だった。誰だか分からないが、里の仲間ではないことは間違いない。初めて見る顔だ。
「どこにいるのかな? 探したのだけど見つからなくて」
「……ぼ、僕も今、どこにいるかは」
「あれ? 男の子だった? ごめん、女の子だと思っていた」
「あっ、違う。僕というのは、その、理由があって……」
女の子の視線は男の子ではなく、その彼を囲むように動いている男たちに向いている。さきほどまでの卑猥な笑みは消え、戦闘態勢の厳しい表情に変わった男たちに。
「この人たちなら知っているかな?」
「……銀狐なら死んだ。俺たちが殺した」
「ええっ? そうなの? なんだよ……無駄足か……」
男の子はこの状況を理解しているのか。理解しているようには女子には見えないが、理解出来ない理由も分からない。空気を読めないにしても度が過ぎている。
「お前もこの里の人間か?」
「違うよ。今さっき、ここに着いた。でも銀狐さんは死んだのか。はあ、こんなところまでわざわざ来たのに」
「……不運だったな。可哀そうだが、恨むなら自分の運を恨め!」
男の子の左右、そして背後から男たちが一斉に襲い掛かる。
「恨む? 何を?」
だがその刃は男の子には届かなかった。その前に首から血を噴き上げて、地面に倒れて行った。一人を除いて。
「……仕留め損ねた。はあ、まだまだ修行が足りないな」
生き残った一人に目を向け、大きくため息をついてぼやく男の子。一瞬で二人の息の根を止めた。それでは満足出来ないのだ。
「やはり、お前も化物(ケモノ)か。若く見えるが、偽装だな?」
「ぎそう? 何のこと?」
「子供の振りをしてこちらを油断させようとしたのだろう? まんまと嵌ったが、ここから先は油断しない。死ね」
化物と呼ばれる存在は、姿形も自由に変えられる。相手を殺す為であれば、何でもあり。そうであることを男は知っている。彼の仕事はそんな化物と戦うことなのだ。
「何を言っているか分からないけど、死ぬのはそっちだ」
一瞬で男の間合いに飛び込んだ男の子。無防備な腹部に拳を、蹴りを叩き込む。攻撃を受けた男は大きく後ろに跳んだ。跳んで、ふわりと着地した。
「ああ、やっぱり……何それ? どういう技?」
最初に接触した時と同じ。攻撃の手ごたえは感じられなかった。確実に相手に届いているはずなのに。それが男の子は不思議だったのだ。
「……魔鎧(まがい)だ。我ら、狩人に貴様らの攻撃は通用しない。というか、我らを知らないのか?」
「狩人……猟師のこと?」
「ああ、そうだ。貴様らのような人でなし、畜生を狩るのが我らの仕事だ!」
男の仕事は狩人。化物と戦う特殊部隊の人間をそう呼ぶのだ。人ならぬ技を持つ化物と戦う為に、狩人は魔鎧と呼ばれる特殊装備を身に着けている。その魔鎧の開発に成功したことが化物の存在を否定する理由になった。狩る理由となったのだ。
「……ああ、思い出した。爺が言っていた努力もしないで力を得た怠け者のことだ」
「人でなしになる為の努力など必要ない。そして貴様らはもうこの国には、いや、この世界には必要ない! 死ね!」
先手を取りに来た男。その動きはさきほどの男の子のそれと遜色ない。魔鎧は装着者の魔力を増幅して身体能力を大幅に向上させる。化物を超える力を得ることが出来るのだ。
だが、それでも男の攻撃は男の子に届かなかった。
「……そ、そんな」
「その、マガイってやつ? 頭は良くしてくれないのだね? それとも頭に着けていないから馬鹿のままなのかな?」
男の子の攻撃は男のこめかみに入っていた。何もつけていない男の頭を狙ったのだ。前のめりに地面に崩れ落ちていく男。そのまま動かなくなった。
「……ひとつ聞いて良い?」
「えっ、ああ。何?」
「銀狐さん、こんな奴に殺されたの?」
「違う。里を襲った狩人はもっと大勢いた。もっと強い奴もいた……多分」
残っていた四人は生き残りにとどめをさす役目。里に戻ってくる者がいないか見張る役目を負って、残っていたのだ。襲撃してきた時は、もっと大勢の狩人がいた。女の子は全員の戦いを見ているわけではないが、まず間違いなくもっと強い狩人もいたと考えている。そうでなければ里の人たちが皆、やられるはずがない。
「……そうだとしても無駄足は無駄足か」
「お前、強いな。その見た目は……」
「ん? ああ、年齢のこと? 何才だろう? 十四か五……忘れたけど、それくらい。それに俺は強くない。ここに来たのは銀狐さんに修行をつけてもらう為だ」
男の子は見た目通りの年齢だ。だが強くないというのは、彼がそう思う原因は別にあるが、自己評価であって、この年齢としては異常な強さだ。
「そうか……」
「これからどうするかな……他の人、教わっていないし……」
この里に来た目的は果たせなかった。そうなると男の子は目的だけでなく、行き場も失ってしまう。彼には帰る家がないのだ。
「かといって、ここにいてもか……」
死体があちこちに転がる焼け落ちた里に残っていても仕方がない。一晩を過ごすには、ここは落ち着かない。山中の木の上でも平気で寝られる彼だが、だからこそ、ここ以外であればどこでも良いと思えるのだ。
「あっ、あれ、貰って行こう」
里を出ようと歩き始めた彼だが、あることに気が付いて、引き返した。目的は殺した男が身に着けている魔鎧。便利そうなので貰って行こうと思ったのだ。
「大きさが合わないけど、なんとかなるだろ。あとは……あっ、やっぱりあった」
男から魔鎧を奪い、周囲を見渡した男の子は少し離れた場所にある物を取りに行く。
「……これ……格好悪いからいらないか」
拾ったのは顔につけるお面。これも魔鎧の一部で、彼に殺された狩人の男が外して置いておいたものだ。
顔を守る防具がないのはおかしい。彼が思った通りだったのだが、お面は何故か翁の顔を模していて、彼の趣味には合わなかった。
「あとは……また聞いて良い?」
「えっ、何?」
いきなり話しかけられて戸惑う女の子。彼女は銀狐と呼ばれる化物の里で育てられた。奇妙な人は何人も見て来たつもりだった。だがこの男の子はこれまで見た人たちとは違っている。変わっているというより普通に子供っぽい。女の子は逆にそれに違和感を覚えていた。
「武器庫ってある?」
「武器庫なら、あっち……あの大きな、燃えて小さくなったけど」
化物の里であれば間違いなくある武器庫。この里にも当然あった。
「ああ、ありがとう」
女の子に武器庫の場所を聞いて、そこに向かって歩き出す男の子。女の子はその彼の後を追った。
「……大きさも形も違う……ないよりはマシか」
焼け落ちた武器庫には、燃え残った武器があった。男の子が使うものとは形も大きさも違っている。同じ化物でも個人によって武器は異なる。自分にあった、自分が教える技にあった武器となっているのだ。
それでもないよりはマシと考え、使えそうな武器を選んで自分の荷物袋に詰めていく。
「重い……いや、これも修行だ」
何倍も重くなった荷物袋を背負う男の子。かなりの重さだが、これも体を鍛える役に立つと考えて、持っていく物を減らすことはしなかった。
これで用事は終わり、とはならない。
「あの辺かな?」
また別の目的地を見つけて歩き出す男の子。向かった先は広場のような場所。もともとそうだったわけではないことを彼は分かっている。
何もない空き地に死体がひとつ、正確には体と、斬り落とされた頭があった。
「この人が銀狐さん?」
「お、お前……やっぱり、化物だな」
男の子は地面に転がっていた頭の髪を掴んで持ち上げ、女の子に向けている。死体に対する敬意などない。物のように扱うやり方は、人でなしと言われる化物らしいと女の子は思った。
「……それで?」
「そうだ。銀狐様だ」
「そう……女性だったのか。知らなかった。無駄足の上にさらに時間も無駄にしたかな?」
何故、時間の無駄なのか。女の子にとって師である銀狐の死体の扱いといい、男の子は心を苛立たせる。だが男の子は心を苛立たせるだけでは終わらなかった。
「おい!? お前、何をしている!? 止めろ!」
男の子は銀狐の死体、体のほうに剣を突き立てたのだ。女の子が怒りの声をあげても、その行為は止まらない。ならば実力行使でと女の子が動き出した、丁度、そのタイミングで。
「あった。体内に隠すことが多いと聞いていたけど、本当にそうだった。痛くないのかな?」
「……それ、何?」
男の子は銀狐の死体から何かを取り出した。人の体の中にはあるはずがないと思われるもの。血に汚れて、はっきりとは分からないが、小さな巻物のように女の子には見える。
「伝書。銀狐さんだから、狐の巻とでも言うのかな?」
「……それって、奥義の?」
化物はそれぞれ奥義とされる特別な技を持っている。それは代々受け継がれていくものだ。この女の子も、もしかすると受け継ぐ相手に選ばれていたかもしれない。
「多分、そう。俺には使えなさそうだけど」
技には相性がある。何との相性というと人が持つ魔力との相性だ。人は誰でも魔力を宿している。誰でもだ。ただ普通の人の魔力はあまりに弱く、特別な効果として現れない。その真逆が貴族や士族。全ての貴族、士族ではないが、魔力が強く常人よりも身体能力に優れている。
化物はその中間。普通の人よりは魔力は強いが、貴族士族ほどではない。その差を化物は修行とそれによって身につけた技で埋めているのだ。
「……じゃあ、僕にくれ」
「良いよ。いくら?」
「へっ?」
「いくらで買う?」
元々自分の物ではないのに、男の子は女の子に売ろうとしている。女の子のほうが本来の持ち主であった銀狐と近い関係であることなど、彼にとっては、まったく関係ないことなのだ。
「……それは銀狐様のものだ」
「もう死んでいる」
「……僕は銀狐様の弟子だ」
「……そうか。継ぐ資格は持っているわけだ。そうだな。師匠の物を勝手に貰うことに関しては、俺も文句言えないか」
こう言って男の子は奥義が記されているだろう巻物を女の子に向かって放り投げた。彼女の言う通り、彼女には師匠の物を受け継ぐ権利がある。彼は自分もそうだったので、それを無視する気にはなれなかった。
「師匠の物を勝手に?」
巻物を貰えた女の子だが、男の子の言葉には納得できない。そんなことは許されるはずがない。
「許しを得ようにも死んでいる」
「なんだよ。それなら遺品を受け継いだと言え」
「何が違う? 別に良いけど……さて、今度こそ行こう」
これでもう本当にこの里でやることはなくなった。男の子は来た道を戻るのではなく、逆の方向に足を向けた。戻っても行く場所はない。そうであれば前に進もうと考えたのだ。どこに向かうにしても目的がないのは同じなのだ。
だがその足はすぐに止まることになった。
「……どうして付いてくる?」
「どうしてって……僕を一人で置いていくつもりか?」
女の子が付いてきたのだ。
「そのつもり。じゃあ」
「僕も連れて行け!」
女の子としてはここで一人にされたくない。師匠だけでなく、仲間も皆、死んだ。頼れる相手がいなくなった心細さで、とても一人ではいられなかった。
「……連れて行って、俺にどんな利がある?」
「利って……じゃあ、分かった。気持ち良くしてやれる」
「えっ? 気持ち良くって……あの、気持ち良く?」
女の子が示したのは、まったく想定外の利。自分が思っている通りの意味であれば、男の子としては十分に検討の余地がある。彼は、男の子なのだ。
「そうだ。僕は色々と技を知っているからな。すごく気持ち良くなれる」
彼女を襲っていた男たちが考えていた通りだ。彼女は化物になる為、女性であることを最大限に利用する技を教わっていたのだ。
「……分かった。女の子の姿をしているけど、本当は男だろ? だから僕なんて自分を言うんだ」
そんな美味しい、と男の子には思える、話は転がっていない。女の子に見える相手は、自分を騙しているのだと考えた。狩人の男が彼の外見を偽装だと疑ったように、実際の年令、性別は違うのだと考えた。
「違う。僕が僕と言うのは、その……切り替える為だ」
「切り替える?」
「……僕は、嫌なんだ。好きでもない男にそういうことをするのが。だからそういうことをする時は、自分のことは私と言う。自分とは違う女になる」
「えっと……お前、落ちこぼれだろ?」
師匠からは、そういう感情を捨てることを最初に叩き込まれるはずなのだ。人を殺すことへの罪悪感などもそうだ。近親者への親愛も同じ。親しい間柄であっても必要となれば躊躇うことなく殺す。化物として生きるにはそういう人間に、人でなしにならなければならないのだ。
「失礼な。戦うのは得意なほうだ」
「やられてたけど?」
「あれは……相手を油断させていただけだ。これから油断させた相手を殺そうと思っていたのにお前が先にやるから」
これは嘘。戦闘力がないわけではないが、狩人四人、たとえ内三人は魔鎧を身に着けていなかったとしても、を相手に勝てる実力は彼女にはない。
「……じゃあ、こうしよう。僕のまま抱かせろ。それなら良い」
女の子は嘘をついている。それはどうでも良い。ただ、技を駆使されて、それも本来の彼女ではない彼女からそれをされるのは、何か違うと思った。自分でも分からない拘りだ。
「ば、馬鹿を言うな。だ、抱かせろって……しかも僕のままって……」
男の子の要求を聞いて顔を真っ赤にする女の子。顔だけではない。全身が赤く染まっている。まだ彼女は化物の、見習いだが、仮面を被っていない。切り替えていないので素の純情が表に出てしまうのだ。
「僕だと本当に恥ずかしいのか……ふうん……やっぱり、僕のままが良いな。僕のお前を抱くことにする」
「変態か!?」
「変態って……まあ、良いや。これについては徐々に。どうせ宛のない旅は退屈だからな」
とにかく機会は出来た。大人の男になる機会が。それがどういう形になるかを今、急ぐ必要はないと男の子は考えた。
「そうなると、何と呼べば良い?」
「十三」
周りからはこう呼ばれていた。名前ではない。彼女に、一緒にいた仲間たちにも名はない。何者でもないことを求められていたのだ。
「それただの番号。じゃあ……そうだ。銀子(ギンコ)は? まだ獣になれていない見習いだから狐ではなく子で銀子」
「銀子……分かった。お前は?」
彼女、銀子の顔に笑みが浮かぶ。師匠の名から付けられた名。というのは関係なく。とにかく名前を持てたことが彼女は嬉しかった。
「……何でも良い」
彼も同じだ。名はない。彼の場合は、元々はあった名を自ら捨てたのだが。
「じゃあ……シロ」
彼の髪は真っ白。それがあまりに印象的過ぎて、他の名が思いつかなかった。
「犬じゃないから」
「ええ、何でも良いと言ったくせに……じゃあ……白夜。白い夜でハクヤ」
白からの連想で思いついたのは白夜。どうしてそれが思い浮かんだのか彼女には分からない。かなり前に一度だけ聞いた言葉が何故か頭に残っていた。それが今、浮かんできた。
「なんで、白夜?」
「なんとなく」
「ふうん……悪くないか。それで良い」
彼の頭に浮かんだ夜は白夜とは真逆。月明りもない真っ黒な闇夜だった。最悪の想い出の夜。その日とは真逆な夜をイメージさせる白夜という名は悪くない、というより、「良いな」と彼は思った。
人生が、ある意味、一変した夜。そして今、また彼は新しい人生を始めようとしている。その時に名乗るには上出来だと。