帝国騎士養成学校の昼休み。クラスの仲間たちと授業の話や養成学校とは全然関係ない雑談で過ごす時間だったのだが、それが変わってしまった。まさかの事態によって。
トゥレイス第二皇子が同じテーブルに座ってきたのだ。ローレルはまだしも、他の二年ガンマ組の騎士候補生にとっては驚愕の事態。高位の貴族家出身はローレルしかいない。あとは爵位の低い貴族家と平民の騎士候補生たちなのだ。
「悩んでいるのは私設騎士団の協力をどう取り付けるかだ。何か意見はないか?」
トゥレイス第二皇子が昼休みの食堂に来たのは公安部で進めている施策について相談する為。
「それをどうして我々に?」
相談される側は困ってしまう。皆を代表してその気持ちをローレルがトゥレイス第二皇子に伝えた。
「協力すると言っただろ?」
「公安部に配属になってからの話ではなかったのですか?」
「今出来ることを今やる。これを言ったのは誰だ?」
やると決めたらやる。こういった行動力をトゥレイス第二皇子は持っている。進む先を間違わなければ、それなりに有能な皇子なのだ。
「……たしかリルだったかと」
「お前だ。別にリルでも良い。言ったからには協力しろ」
「私は考えておくと……いえ、分かりました。私設騎士団についてですね?」
自分は協力を約束してもいない。これを言おうとしたリルだが、向けられたトゥレイス第二皇子の視線がかなり厳しいものだったので、諦めることにした。今は協力する時間がないわけではないのだ。
「分かりやすく言うと、お抱え騎士団を作りたい。だがどの騎士団を選ぶべきか。引き受けさせるにはどうすれば良いかを悩んでいる。悩んでいるのは私ではなく、公安部の担当者だが」
「お抱え……どう思う?」
「お、俺? そんなこと俺に聞くな」
いきなりリルの問いを振られて驚いているシュライク。平民の自分に話し合いに参加する資格はない。参加したくもないと思っているのだ。
「……代弁しますと、私設騎士団にとっては迷惑な話ということです」
「おい!? 俺はそんなこと言っていない!」
「じゃあ、大歓迎か? シュライクの親父は喜んで引き受けるか?」
「それは……だから俺に答えさせるな」
このシュライクの言葉が答え。私設騎士団にとって迷惑な話というリルの言葉を肯定している。
「迷惑というのは、どうしてだ? 帝国からの仕事の依頼だ。悪い仕事ではない」
トゥレイス第二皇子には私設騎士団の事情が分からない。この話は、トゥレイス第二皇子も言ったように、公安部の担当者から聞いた話。今問題になっていることはないかと尋ねて、返ってきた答えなのだ。
「お怒りにならないで聞いていただけますか?」
「それを言うということはロクな話ではないのだな? でも分かった。話を聞かなければ何も分からないままだ」
嫌な話にも耳を傾ける度量もある。上に立つ人間として、最低限必要な資質は持っているのだ。そうであるように努力している部分もあってのことだ。
「では……帝国は乱れております。状況は混沌としていて、最終的に誰が勝者になるか分かりません」
「帝国が勝つ! その為に私は動いているのだ」
「それは殿下の希望。現実にどうなるか分かりません。それとも誰もが納得する帝国が勝利する理由をお持ちですか?」
あるはずがない。そんなものがあるのであれば、トゥレイス第二皇子は迷走しない。その理由の実現に向かって、まい進すれば良いのだ。
「……分かった。続けろ。しかし……お前、言いにくいことを平気で口にするのだな? 悪い意味で言っているのではない」
「素直にお褒めの言葉として受け取っておきます。この状況で私設騎士団は旗幟を鮮明にしたがるでしょうか? 私設騎士団の気持ちでお考え下さい」
「……そうだな。帝国お抱えの騎士団と見られたくはないか」
帝国としてはそのような状況にしたい。帝国に味方するしかない状況にしたいのだ。だから上手く行かないことに気が付いていない。
「お抱えは諦めてください。その上で協力を求めるのであれば、普通に依頼すれば良いと私は思います。ただし、いくつかの騎士団に均等に、公安部の仕事ばかりにならないように期間を空けて」
「依頼先を多くしなければならない。信頼出来て、且つ仕事を成功させる実力のある騎士団を。選別は進んでいるはずだ。そうなると交渉か。ここは私自ら赴いて」
「それは駄目ですね」
「どうして!?」
やる気をそぐようなリルの言葉。それにトゥレイス第二皇子は納得いかなかった。
「殿下が自ら交渉に赴いて成功したとします。他の騎士団はどう思いますか?」
「……どう思う?」
「その騎士団は殿下お抱えの騎士団になったと思います。依頼先の選定が終わっているのであれば、普通に依頼すれば良いではないですか。どういう手続きなのか私は知りませんけど」
「そうかもしれない……しかし、それだと私の仕事が……」
せっかくやる気になったのに、やれることがない。やはりトゥレイス第二皇子には納得出来ない話だ。
「あるのではないですか? お金が必要になることです。なんですか……予算? 予算を確保する仕事とかは殿下が適任ではありませんか?」
私設騎士団との交渉は無理でも、帝国との交渉であればトゥレイス第二皇子が適任だとリルは考えた。現場の仕事ではなく、帝国との調整役に徹するべきだと。
「……予算は間違いなく確保できる。これは陛下のご命令で始まったことだ?」
「えっ、そうなのですか?」
「そうなのって……お前ら二人が陛下に吹き込んだのだろ? 良き騎士団は重用し、悪い騎士団は討伐すべきだと」
「……そのようなことありました?」
ローレルに尋ねるリル。なんとなく、そういう話をした記憶はあるが、はっきりと覚えていないのだ。
「あったな。その件で僕は帝国騎士団長に呼び出された」
「えっ?」
「馬鹿、あの時だ。俺たちも一緒に訓練していた時に皇帝陛下が屋敷を訪れたことがあっただろ?」
シュライクもその場にいた。その場にいて話を聞いていたのだ。
「あった……あの時か……」
「その時だ。しかし、お前よく無事でいられるな? 陛下は……まあ、父上は残忍な性格ではないが、それでも怒らせてもおかしくない話だ」
皇帝の怒りを買って地位を失った者は一人二人ではない。処刑台に登らされた者は思い出せなかったが、寛容と評価出来る人物ではないことをトゥレイス第二皇子は知っている。それが本人の資質ではなく、ルイミラ妃の影響だとしても、今の皇帝はそれが全てなのだ。
「……申し訳ございません」
「どういうことだろうな? 正直、お前の態度は無礼と見られてもおかしくない。だが私も不思議と嫌な気分にはならない」
「謝罪するところですか?」
「嫌な気分にはならないと言った。言葉遣いではなく、言葉の中身の問題かもしれない。まあ、良い。ここで話すのにそんなことは気にしていられない。他の者たちも気にするな」
と言われても気にしないわけにはいかない。これが今の他の騎士候補生たちの気持ちだ。だがこれも何度も機会があれば、やがて消えて行く。ローレルに対してそうだったように。
リルの態度は周囲の指針のようなものなのだ。リルが向ける態度に怒らない相手には、周囲も安心する。自分も大丈夫かと思えるようになる。少し試して問題なければ、安心はさらに周囲に広がる。こうして打ち解けていくのだ。
◆◆◆
イザール侯爵屋敷に多くの人が集まっている。今日は長兄のアイビスの成人式。その式に参加する人々だ。アネモイ四家次期当主の成人式ともなると、かつては皇帝も臨席していたものだが、今はそれはない。それでも参加者は錚々たる顔ぶれだ。他のアネモイ四家からは当主と次期当主候補が、帝都近隣に領地を持つ貴族家からも基本は当主が、都合がつかない場合は跡継ぎが参加する。貴族以外では帝国騎士団から帝国騎士団長を筆頭に将軍クラスと上級武官が、アネモイ四家の騎士団からも騎士団長が参加している。アネモイ四家は帝国の盾であり矛である。軍部も揃うのが約束なのだ。
参加者は豪華だが、式そのものは簡素だ。周囲を布に囲まれた守護神が祀られた祭壇の前で、成人を迎える者が祈りを捧げるだけ。参加者は何事もなくそれが終わるのをただ待つのだ。式が終わったあとの宴会を楽しみにしながら。
「アイビス。母はこの日が訪れたことを嬉しく思っていますよ」
「……はい」
「緊張しているのですか? 大丈夫。貴方ならきっと守護神の最大のご加護を得られるわ。集まった皆を驚かせてやりなさい」
母親のマリーゴールドが期待しているのは守護神獣の力を得ること。すでに力を得ているグラキエスへの対抗意識からの言葉だ。
「他所は気にするな。守護神である南風の神ノトスの加護を得る為の儀式。無事に終えられればそれで良いのだ」
イザール候は、マリーゴールドの言葉を否定した。過度な期待にアイビスが押しつぶされないようにという心遣いだ。自身も守護神獣の力を使えない身なので、アイビスの気持ちは良く分かっている。
「ありがとうございます」
夫の言葉にマリーゴールドが不満そうな顔をしているが、アイビスはそれを気にすることなく、素直に御礼を返した。
「兄上が加護を得られなくても私がいる。気楽に臨めばいい」
「ラーク。お前の嫌味が今日は激励に聞こえる。ありがとう」
「はあ? なんだそれ?」
嫌味のつもりが御礼を返された。それに戸惑うラークだが、普段は偉そうなアイビスがこのような態度を向けるほど、成人式のプレッシャーは大きいのだとも思った。なんだかんだで兄のアイビスが加護を受ける。そう思っていたラークにとって成人式の重みはそれほどではなかったのだ。
「ローレル、今日は来てくれてありがとう」
「呼ばれたから」
ローレルも成人式に参加している。イザール家の三男なのだから当たり前だ。
「……プリムは?」
「プリムは帝都に残っている。ここに来ても嫌な思いをするだけだから」
プリムローズは呼ばれていない。未だ届け出られていないので、イザール家の一員としての立場を与えられていないのだ。公式には、であって参加出来ないわけではないのだが、プリムローズがそれを望まなかったのだ。
「そうか」
「……アイビス。もう始めよう」
「はい」
イザール候に促されて祭壇に向かうアイビス。彼が祭壇の前に立ったところで幕が降ろされ、中の様子は見えなくなる。成人の儀式は、一応は秘儀。イザール家、それも継承者以外は知るべきではないとされているのだ。
あとは祈りを捧げ終わって、アイビスが自ら出てくるのを待つだけ。それもそれほど長い時間ではないはずだ。
「……風が」
二分ほど経ったところで、ローレルが呟きを漏らした。
「ん? 風がどうした?」
その呟きの意味がイザール候は分からない。今日はほとんど風がない。こうして立っていても何も感じない。
「祭壇の幕が……」
「何?」
続くローレルの言葉で祭壇に目を向けたイザール候。確かにローレルが言う通り、祭壇を覆っている幕が風に揺れている。揺れているという表現は正しくないかもしれない。それほど大きく幕は揺れているのだ。つい先ほどまで何もなかったはずなのに。
「あ、貴方、これは……おお、アイビス! さすがは私の息子!」
幕が大きく揺れているのは守護神の加護、守護神獣の力によるもの。そう考えてマリーゴールドの顔に喜びが広がった。息子は自分の期待に応えてくれたと思った。
そう考えたのはマリーゴールドだけではない。参加者の多くもアイビスが守護神獣の力を得たものと考え、どよめきが起きた。
「……アイビス」
イザール候も信じられない思いだ。自分が与えられなかった力。それを息子が手に入れた。それ自体は嬉しいことだ。だが父としての感情、帝国の重臣としての立場を脇に置いて考えると、不吉な思いが湧いてくる。時代はアネモイ四家に力を求めている。それは平和な時代ではない。
「……あれは、大丈夫なのですか?」
ラークはまた別のことを考えていた。幕の動きはあまりに激しすぎる。中にいるアイビスは大丈夫なのかと思ったのだ。
「何を心配しているのです? 守護神獣は使い手を傷つけることはありません」
「それは……そうですけど……」
「ほら、もう落ち着いてきました。おそらく儀式は終わったのだわ」
幕の動きが静かになった。それは成人の儀式の終わりを意味する。そうマリーゴールドは考えた。あとはアイビスが出てくるのを待つだけ。そのはずだった。
「……父上。見に行ったほうが良い」
だが待っていてもアイビスは出てこなかった。幕が静かになってから、ずいぶんと時間が経ったというのに。ローレルはイザール候に様子を見に行くように伝えた。
「しかし、儀式がまだ続いているのであれば」
「……それでも近くに行くべきです。あれは……あれは、血ではないですか?」
「なんだって……?」
目を凝らして良く見れば、幕が汚れているのが分かる。外からでは何の汚れかまでは分からないが、最初はなかったはずの汚れだ。
それに気づいたイザール候は、ローレルの言う通り、祭壇に近づいた。
「そ、そんな……アイビス! アイビス、無事か!?」
すぐ近くまで来て分かった。異常は幕が汚れているだけではない。幕の内側から外に流れ出ている液体もあった。雨など降っていないのに地面が濡れていたのだ。
「アイビス!?」
イザール候の叫び声に周囲が騒然となる。異常が、それも喜ばしくない異常が起きたことが他の人にも分かったのだ。
「アイビス!? 無事なのですか、アイビス!? 返事をして!」
マリーゴールドも祭壇のすぐ側まで来て、アイビスに声をかける。だが、中からは何の応えもない。ここでイザール候は決断した。儀式がどうなろうと構わないと。
幕を、引きちぎるような勢いで、払うイザール候。
「あ……あ、いやぁあああああっ!!」
マリーゴールドの絶叫が響き渡った。そうなると他の参加者も躊躇っていられない。何が起きたのか確かめる為に祭壇に近づいていく。
その人々が見たのは地面に横たわるアイビスであろう人物の死体。全身が切り刻まれていて、誰かはすぐに分からない惨たらし死体だった。
「……そうか……そういうことか……」
呟きを漏らすローレル。彼は知ったのだ。
「……何がそういうことか、だ? お前、何か知っているのか!?」
その呟きをラークが聞いていた。アイビスを邪魔に思っていた彼だが、この状況を喜ぶ気持ちはない。冷静に見えるローレルが異常に思えた。
「何も……次はラーク兄上の番ですね?」
「えっ……?」
「成人式です。行うのですよね? 当然」
「…………」
当然、行う。アイビスが失敗したからには、次期当主としてラークは成人式を行うことになる。だが、もし守護神に認められなかったら、アイビスのように自分も死ぬ。それを思ってラークは言葉を失った。彼にとって成人式は命がけの儀式に変ってしまったのだ。
そしてそれはラークだけではない。イザール家で起きたことが、他家では起こらないという保証はないのだ。