帝国騎士養成学校の授業は日々、帝国騎士団との合同訓練のようになった。と言っても、まったく同じ訓練を行っているわけではない。帝国騎士団の団員たちは、従士を除けば、基本、教える側。一人の教師役が教える騎士候補生の数を大きく減らすことが目的だ。これによってこれまで目が届かったところまで把握出来、一人一人に最適な指導が出来る。グラキエスやディルビオが懸念していた落ちこぼれが生まれるような授業内容にはならない為の方策だ。
「……いつまでそうやって手を抜いている?」
こんなことも指摘されるようになった。これは教師役が増えたからではなく、リルを知るスコールが授業に参加するようになったからだが。
「手を抜いているつもりはありません」
「周りに聞こえるようには話していない」
リルの答えは周囲を気にしてのこと。二人が昔からの知り合いであることを隠すためだとスコールは考えた。
「いえ、そうではなく、本当に手は抜いていません。これは鍛錬です」
「鍛錬なのは分かって……どういう考えだ?」
授業なのだから鍛錬しているに決まっている。こう思ったスコールだが、途中で自分の思い違いであることに気が付いた。今の戦い方そのものが鍛錬だとリルは言っているのだと。
「今の状態で全て反応しきれるようになれば、元に戻した時には前以上に強くなれると考えました」
「……本当にそうなのか? 双剣は動きが違うのではないか?」
リルは本来、双剣使い。だが授業中はずっと片手だけで戦っている。それを実力を隠そうとしているのだとスコールは考えていたのだが、リルには別の考えがあった。正しいとはスコールには思えないが。
「変わらないと思いますけど?」
リルの感覚はスコールとは違っている。剣が一本であろうと二本であろうと動きに変わりはないと思っているのだ。
「そう思えるのはお前だけだ。それと、その敬語もいらない」
実際にどうなのかは双剣を使わないスコールには分からない。リルがそう感じるであれば、それで良いと納得したが、言葉遣いについては違和感があった。
「そういうわけにはいきません。今、私はハティ殿に教えを受ける立場ですから」
「なんか、馬鹿にされている気がする」
「えっ? どうして? 公式の場では公式の立場を守るべきだと思いますけど?」
言葉遣いは関係性を隠す為だけが理由ではない。礼儀作法としてきちんとするべきだと考えているのだ。スコールは帝国騎士団の正式団員でリルはその候補生。立場はスコールが上なのだ。
「……まあ、良い。俺も慣れないと……お前、帝国騎士団に入団するのか?」
「ああ、まだ決定ではないですが、その予定です。帝国騎士団公安部志望です」
公安部に進む意志が、かなり固まってきている。ただ帝都で暮らしているだけでは必要な情報は得られない。さらにイザール侯爵家の家臣という立場まで失ってしまえば、完全にお手上げだ。リルにはそれが分かってしまった。
「無理」
「えっ? どうして?」
「お前な、あれだけ目立っていて公安部はないだろ? 団長にまで目をつけられているのだぞ?」
帝国騎士団入団はワイズマン帝国騎士団長も大歓迎だろう。だが、公安部配属は無理だとスコールは思う。ワイズマン帝国騎士団長がリルに本隊での活躍を求めているのは明らかなのだ。
「そう言われても……公安部以外に興味はないから」
「それはローレル殿が……のはずはないな。私情だけでお前が帝国騎士団に入団しようとするはずがない」
「なんか、それは俺が馬鹿に、馬鹿にされてじゃないか……とても悪い人みたいじゃないか」
「良い悪いじゃない。お前は私情よりも義務を優先するはずだ」
ローレルとの関係性はとても良いものだとスコールも見ている。だがだからといってローレルの為に目的を諦めるようなリルではない。スコールはそれを知っている。
「それは……どうだろう? 俺は一度、その義務を放棄している」
「別の義務があったからだろ? 今はそれが分かる」
団長としてイアールンヴィズ騎士団を再興させる。リルはそれを放棄した。スコールもそれについては怒りを覚え、恨みも沸いたが、今はそういった悪感情は薄れた。リルが何をしようとしているのか、なんとなく分かったのだ。
「警告しておく。公安部を甘く見ないほうが良い。すくなくとも副部長のマグノリア殿には団長も一目置いている。つまり、優秀だということだ」
リルは、警告するスコールも、メルガ屋敷襲撃事件の重要参考人だ。犯人と断定はされていないが素性を知られれば、拘束される可能性がある。公安部はリルにとって虎の住処のようなもの。虎穴に入らずんば虎子を得ずということわざはあるが、そんな危険を犯すことをスコールは心配している。
「長くいるつもりはない。調べられるだけ調べたあとは退団する」
「それが正解だと思うが……許されると思うか?」
他に行かれるよりは良いと考えられて公安部への配属が許されたとしても、辞めることは難しいはずだ。
「許されなければ逃げる。帝都から離れてしまえば、手は届かない」
「甘い考えではないか?」
帝国の統治能力が低下していることは従士に過ぎないスコールにも分かっている。だが、帝都を離れればもう公安部の手も届かないというのは、さすがに考えが甘すぎると思った。
「そうかな? 地方はもう帝国じゃない。こう言っても言い過ぎではないと思うけど?」
「お前……その言葉が言い過ぎだ」
「ああ、表現は過激か。でもな、私設騎士団は私利私欲で動いている。貴族も、全てが欲だけで動いているわけじゃなくて、生き残るのに必死だ。中央のほうなんて気にしていられない」
公安部から手配書が回ってきたとしても、その為に人手を回す余裕などない。人手だけでなく、心の余裕もない。地方は力が全ての無法地帯と化そうとしている。リルが旅している時にすでにその兆候は見られていたのだ。
「……私設騎士団が元凶か」
力が全ての地方において勢力を広げたのが私設騎士団。武力を私設騎士団に頼っていた貴族は、それに対抗する術がなかった。その結果、従来の秩序は崩壊しつつある。これがスコールの認識だ。
「いや、帝国だ」
「おい?」
「地方の貴族の気持ちを考えてみろ。問題が起きても帝国は何もしてくれない。自分たちは見捨てられたと思っている。帝国に頼れないなら自分たちでなんとかするしかない。それが出来なければ、別の誰からに頼るしかない」
そうして地方はいくつかの集団に統合されていく。もっとも大きな集団が元宰相のヴィシャスの勢力、シムラクルム騎士団、そしてスノーグース騎士団だ。この三つの勢力が帝国にとっての強敵と見られているのだ。
「ずいぶんと地方の状況に詳しいのだね?」
「えっ?」「あっ! し、失礼しました!」
割り込んできた声に驚くリルと、すかさず姿勢を正して謝罪を告げたスコール。声はヴォイドのもの。スコールにとって上官なのだ。仮に直属でなくても地位が上であることに変りはなく、同じ反応だっただろう。
「授業には真面目に取り組むように」
「「はい。申し訳ございません」」
「それと話が戻るけど、地方の状況について良く知っているね?」
雑談を続けていた二人を注意したヴォイドだが、彼自身は雑談に話を戻そうとする。リルが語っていたことに興味があるのだ。
「それほどでもありません」
「いや、一般人が知ることではないと思うけどね」
「……あの、その認識は誤りだと思います。今私が話していたことは誰でも知っています。食堂で、職場で、道端でも普通に話されていることですから」
帝国の状況について、リルはそれほど興味はない。意図して集めた情報ではないのだ。旅をしていれば、旅先で旅費稼ぎに私設騎士団で働いていれば、自然に耳に入ること。それを話しただけだ。
「……食堂、それに道端?」
「はい。あっ、訂正が必要ですか。見捨てられたと思っているのは貴族だけではなく、平民もです」
欲にも色々ある。帝国に、帝国とまではいかなくても貴族になり変ろうと思う集団もあるが、ただその日の欲を満たせればそれで満足と考える者たちもいる。野党と同じ。野党よりも戦闘力がある分、より質が悪い集団。そういう悪党の標的にされるのは一般の人々。抵抗する力を持たない弱い人たちなのだ。
「……いずれ帝国は動く。元の平和な帝国に戻す」
「戻りますか? 多くを失った人たちは、恨みを忘れるでしょうか?」
「おい、言い過ぎだ」
スコールがリルを窘める。そうしなければ、さらにリルは過激な言葉を口にする。彼にはそれが分かっている。表情は変わっていないが、リルがかなり怒っていることに気付いているのだ。
「……君はどうするべきだと?」
「それは私が考えることではありません」
「仮定で良い。もし君が……君が、帝国騎士団長であったらどうする?」
ヴォイドの言葉に周囲がざわめきだした。すでに三人の様子は、周りも鍛錬の手を止めて、注目していた。最初はひどく叱られるのだろうと思ってのことだが、聞こえてきた話の中身が普通ではなかった。教える側の騎士まで耳を傾けていたのだ。
「その仮定は意味がありません」
「興味本位で聞いてみたいだけだ。君ならどうする?」
「……何も考えずに軍を動かします」
「闇雲に部隊を動かしても事態は収拾できない。反抗勢力に隙を見せることにもなってしまう」
リルの答えはヴォイドには意外に思える内容だった。もっと、何か特別な考えが語られると期待していたのだ。
「考えて勝算が生まれるのであれば、そうすれば良いと思います。ですが、その考えている間も苦しんでいる人々がいることを分かっておられますか?」
「…………」
「失礼いたしました。授業に戻ります」
ヴォイドに背を向けて歩き出すリル。授業に戻ると言いながら、彼の足は訓練場の外に向いている。心の苛立ちが、何故か止まらない。ヴォイドに対する苛立ちではない。帝国騎士団に向けられたものでも、帝国に対するものでもない。自分自身に苛立っているのだ。
偉そうなことを言う自分は何をしているのか。何もしていない。私情だけで行動している。それが分かっていても、止められない。そんな自分にリルは苛立っていた。
◆◆◆
夜空に浮かぶ月を眺めていると気持ちが落ち着く。ざわつくこともあるのだが、それはそれで心が日中の出来事から解放される感覚となり、良い気持ちになれるのだ。
どういったきっかけで習慣になったかは覚えていない。夜遅くまで起きていられる年齢になった時には、いつも夜空を眺めていた記憶がある。
「……何かあった?」
ただプリムローズと一緒に夜空を眺めるようになったのは最近のことだ。彼女がそれを求めたのだ。
「えっ……? あ、ああ……何かあったわけではないです。ただ、自分は何をしているのだろうと思って」
「強くなる為の努力を続けているでは駄目なの?」
「いえ、正しいです。でも、自分には何も出来ないと分かっていても、何かしたいと思うことってあるじゃないですか。それです」
家族の仇を討つ。黒幕は勿論、関わった全ての者たちを殺す。こう決めている。復讐を止めるつもりはない。だが、旅をしている中で、何度も苦しんでいる人を見てきた。自分の復讐はその人たちを救うわけではない。
目の前の出来ることはやった。でもそれでその人たちが本当の意味で救われるわけではない。何も出来ないこともあった。自分の無力さを思い知った。
「……それはきっと、出来ないことじゃないよ。出来るからそう思うの」
「えっ……い、いや、無理なものは無理です」
帝国の混乱を収める。それは自分の役目ではない。そんなことが出来るはずがないとリルは思っている。
「本当に無理なものは。私はそういうことは考えることも出来ない。考えられなくても悔しくならない」
手を伸ばせば届くかもしれない。そうであるのに手を伸ばさない自分がいる。それを悔しく思うのだとプリムローズは思った。
「……ひとつ聞いて良いですか?」
「何?」
「ずっと気になっていて、でも聞きづらかったのですけど……」
「だから、何?」
まるで焦らされているよう。そう思ったプリムローズの頬が膨れた。
「……どうして力を使わなかったのですか? 俺と出会った時、力を使っていれば」
一緒にいた人たちは殺されることはなかった。プリムローズには彼らを守る力があった。だが彼女はそれをしなかった。人々を死なせてしまった。リルがずっと気になっていたこと。気になっていたが、聞くことを躊躇ってきたことだ。
「……私……私、人を殺したことがあるの」
「そうですか」
「驚かないね? リルはそうか……嫌な人だったけど、殺すほどじゃなかった。でもその日は我慢出来なくなって」
いつもの虐めだった。だがその日は特に酷かった。自分のことを悪く言うだけであればまだ我慢出来たかもしれないが、母親を酷く侮辱され、心が怒りに染まった。
「……心が真っ白に染まって」
気が付いた時には切り刻まれた死体が目の前に転がっていた。初めて守護神獣の力が顕現した日だ。
「イザール候はどうしたのですか?」
家臣が一人死んだのだ。イザール候が何らの対処をしたのだろうとリルは考えた。それだけではない。イザール候はプリムローズが守護神獣の力を仕えることを知っていたことになる。そうであるのに今の状況にあることがリルは不満だった。
だがこれは勘違いだ。
「父上は知らないの。たまたま通りかかったアイビス兄上が助けてくれて……全て忘れたほうが良いって……力も二度と使っては駄目だって」
アイビスの言いつけを守った、というのは少し違う。人を殺してしまった。それも死体は酷い状態だった。それはプリムローズのトラウマになっていたのだ。
「そうでしたか……でも、もう大丈夫です。この間、あの状況でプリムローズ様は一人も死なさなかった。人を殺すのでなく、人を守る力を手に入れました」
「リルのおかげ……それに私はもう大丈夫。大丈夫だから」
人を傷つけることを恐れる気持ちは薄れた。そうでなければリルの側にはいられない。隣で戦うことは出来ない。それをプリムローズは知ったのだ。
守るべきはリル。その為に敵を殺すことを躊躇ってはいられない。そういう自分にならなければいけないと、彼女は覚悟を決めていた。