月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

黒と白の動乱記 プロローグ

異世界ファンタジー 黒と白の動乱記

 夜空をゆっくりと流れる雲が月を隠し、辺りは闇に包まれている。耳に届くのは虫の音。だが今の彼に風流を楽しむ余裕などない。闇の中を動く人の影は見えない。足音も聞こえない。それでも人はいる。同じように闇に潜む彼を探す者たちが。
 突然の襲撃だった。初撃で息の根を止められなかったのは、ただの運。まったく予想していなかった事態に、子供ながら人並以上に鍛えていたつもりの彼だったが、思うような動きは出来なかった。咄嗟に躱すのが精一杯。それも完全に躱しきることは出来ず、腕に傷を負った。
 すぐに反撃は無理と諦め、逃げることを選んだ。だが襲撃者の数は多く、逃げるのも容易ではない。しかも近くに人が住む場所はない。ここは山の中なのだ。
 無我夢中で、飛んでくる矢から、振り下ろされる剣から逃れ続けた。咄嗟の反応はともかく、体力に関しては鍛えてきた甲斐があったようだ。傷を増やしながらも致命傷を受けることなく、雲が月を隠した瞬間を利用して繁みに飛び込み、そのまま敵から距離を取ることが出来た。あくまでも一時的に。今潜んでいる藪の中から出れば、すぐに見つかるはずだ。ずっと潜み続けていても、いずれは。
 何故自分は殺されなければならないのか。しかも身内に。最初に襲ってきたのは同行してきた家臣なのだ。

(災いをもたらす存在か……)

 心当たりがないわけではない。彼は双子。双子は災いをもたらす存在。忌み嫌われる存在なのだ。家中でも彼を蔑みの目で見る者は多い。同じ双子の兄は、誰もが可愛がっているというのに。双子だからではなく、彼が双子の弟であることが問題なのだ。

(僕だって生まれたくて、生まれたわけじゃない)

 双子に生まれたのは彼の責任ではない。だが周囲は双子であることの責任を全て彼に押し付けてくる。双子で生まれた彼が悪い。兄だけであれば良かったのにと。理不尽だ。だがこの世界では、その理不尽は常識として許されている。
 腕の傷は思っていたよりも深そうだ。流れる血が止まらない。腕以外にも痛みは体中にある。このまま潜んでいても、やがて死んでしまうかもしれないと彼は思った。

(……別に良いか)

 乱れた前髪の隙間から見える金色の瞳に自嘲の笑いが浮かぶ。双子の兄と彼は瓜二つ、髪の色も同じ黒なのだが、何故か瞳の色だけが違っていた。
 死を覚悟するには彼は若すぎる。まだ十歳なのだ。それでも彼は覚悟を決めた。覚悟を決めたというより、生を諦めた。これは今に始まったことではない。将来に希望など感じたことはなかった。

「惜しいな」

「くっ」

 背後から聞こえてきた声。何者か確かめることなく、彼は大きくその場から跳んだ。周りには敵しかいないことは分かっているのだ。

「今のも良い反応だ。気配の消し方も悪くはなかった。素人だけであれば逃げ切れたかもしれないが、我がいたのは不運だったな」

「…………」

 褒められても嬉しくはない。実際は、彼はまた傷を増やした。相手の攻撃を完全によけきったわけではないのだ。これで終わり。彼はそう思った。

「八歳……九歳くらいか? 良い資質を持っているのに殺すとは。勿体ないことをする」

 だが、相手は意外にもすぐに襲い掛かってこなかった。隙があるわけではない。その逆だ。下手に動けば、一撃でやられる。幼い彼でも感じられる、危険な雰囲気をまとっている。これまで彼を襲ってきた者たちとは別格だった。

「……そう思うなら逃がしてくれれば良い」

「殺すのが俺の仕事だ」

 相手が無駄口を叩くのはいつでも殺せると思っているから。人を殺す技に長けた者。どれだけ鍛えていても十歳の子供が勝てる相手ではない。

「誰の命令だ?」

「それが本当の依頼主のことなら知らん。上から命じられて俺はここにいるだけ。お前のような子供であることも今、初めて知った」

「……確か……影者か?」

 諜者、間者とも言う。影者という呼び方を選んだのは、男が殺しを主な仕事にしているだろうから。暗殺を請け負う者たちは、特に影者と呼ぶのだ。そうであることを彼は知っている。

「いや、ケモノだ。化ける者でケモノと読む。バケモノ、獣、そんなものからの呼び名だ」

「化物……影者とは違うのか?」

 無駄だと分かっていても会話を続けて、時間を稼ごうとする彼。時が経過しても味方が現れるわけではない。逆に敵が増えるだけだ。分かっているが、少し足掻きたくなったのだ。

「我らのような存在は少なくなった。平和になると我らのような存在は厄介者に変わる。平和など一時だけのものであることは歴史が証明しているというのに」

「厄介者か……僕と同じだな」

「そうなのだろうな。殺させようとしているのだから」

「それでも生きたいと思うのは、悪いことなのか?」

 生きることを諦めていたはずだった。だが、いざ死ぬとなると口惜しさが心に湧いてくる。どうして自分だけが死ななければならないのかと思ってしまう。男が作った会話の時間が、彼にそういう感情を取り戻させたのだ。

「ここで生き延びてもお前に生きる場所はない」

 彼の命を奪おうとしているのはそういう相手。子供の彼では抗うことなど出来ない強大な相手なのだ。

「……場所は自分で作るものだ」

「ほう……どのような育ち方をすれば、その年でそのようなことが言えるようになるのだ?」

 男が知らなかったのは彼の年齢だけではない。彼が何者であるか少しも分かっていない。命じられて殺すだけ。相手の素性を知ることに意味はないのだ。

「もしそれが僕は大人だと言っているのであれば、そうならなければならなかったからだ」

 年相応でいるには彼の周りは彼に厳しすぎた。救いはわずか。大多数の悪意に対して、時に抗い、別の時には従順な振りをしてやり過ごす。そうしてこなければならなかった。

「大人とはもっと薄汚れたものだ。自分の生きる場所を自分で作るなどとは思えない。少なくとも我らはそうだ」

 男たちのような存在は、今の時代には無用なものとされている。今回、男は殺す側にいるが、いつ自分が殺される側になってもおかしくない。そんな時代になってしまったことを、男は知っている。

「……それで良いのか? そうなのだとしたら、確かに大人になんてなりたくない」

「ふむ……では、お前に機会をやろう」

「機会?」

「生きる場所を作る機会を与えてやる。我らには出来ないことを自分は出来ると証明してみせろ」

 自分が何故このようなことを言い出したのか。男は分かっていない。こんなことは初めてだった。命じられれば、なんら疑問を抱くことなく、ただ殺す。そうしてきた。数えきれないほど、それを繰り返してきたのだ。

「……どうすれば良い?」

 男の言葉を鵜呑みには出来ない。だが、ここで騙されたからといって何か変わるわけではない。自分が死ぬことに変りはないのだ。そうであれば、限りなく無に近いとしても、可能性に賭ける以外の選択はない。

「簡単だ。すぐそこにある崖から飛び降りろ。下は川が流れている。最近の雨で水かさが増しているので、よほど運が悪くなければ岩にぶつかって死ぬことはない」

 だが運良く生きて川に飛び込めたとして、今度はその水かさが命取りになる。川の流れは速く、川岸に辿り着くことは容易ではない。まして彼は全身傷だらけで、思うように体を動かせない。助かるはずがないのだ。

「……そうか」

 だが彼はわずかに間を空けただけで、動き出した。動き出し、躊躇うことなく崖に向かって走り、そのまま下に飛び込んでいった。

(躊躇なし……ただの愚か者か、それとも)

 飛び降りなければ死ぬ。彼に選択肢はなかった。そうだとしても自死を選ぶに等しい決断を躊躇うことなく出来るものなのか。自分の言葉を鵜呑みにするだけの馬鹿なのかもしれない。だが、そうでなければ何なのか。

「……のんびりしているのだな?」

 それを深く考えている時間を男は与えられなかった。分かっていたことだ。

「貴様こそ、こんなところでなにを怠けている?」

 彼を追っていた者たちが近づいてきていたのだ。崖から飛び降りることを悩んでいれば、この者たちに彼は見つかることになった。それを男は気配で分かっていた。

「怠けてはいない。仕事ならもう終わった」

「何だと? それはどういうことだ?」

「対象なら死んだ」

 男は嘘をついた。今の時点では、であって、これが実際に嘘になる可能性は低い。崖から飛び降りた彼が生きている可能性はかなり低いのだ。

「……死体がない」

「埋めるのも面倒なので、そこの崖の下に捨てた」

「なんだと? それでは本当に殺したか分からないではないか?」

「首を取れとは命じられていない。それに、俺が死んだと言っているのだから死んだ。それでも証拠が欲しければ、そこに落ちている物を持っていけ」

 彼が潜んでいた繁み。そのすぐ近くに剣が落ちていた。子供用の小さな剣だ。彼は崖から飛び降りる前に、邪魔となる重いものは全て捨てていっていた。男も気が付かないうちに。

「確かに、この剣はそうだが……これで納得してもらえるとは思えん」

「自分の過ちでこうなったのに責任をこちらに押し付けるな。首実検が必要だったのであれば、最初にそう教えておけば良かったのだ」

「それは……しかし……」

 彼も命令された身。しかも結果を命令者に伝える立場だ。直接、叱責される身としては、今の状況は納得出来なかった。

「はあ……雨で川の流れは速い。見つかるとは思えないが、努力はしてやろう」

「努力?」

「探しに行くと言っているのだ。感謝しろ」

「探すと……お、おい!? 貴様!?」

 探すと言ってもどう探すつもりなのか。それを問い質そうとした彼の目の前で、男は崖から落ちて行った。自ら、ゆっくりと後ろ向きで倒れて行ったのだ。

「……暗くて良く見えませんが……生きているとは思えません」

 別の人間が恐る恐る崖の下をのぞき込んで、これを伝えてきた。夜の闇で下までは見えない。だが、川の流れる音は聞こえて来た。崖の上からでも聞こえる、かなり流れは激しいと思える音だ。

「それでも生きているのが化者だ……しかし、我々は」

 後を追うことは出来ない。化者と呼ばれる者たちであれば生きているかもしれないが、そうではない自分たちではただの自殺で終わってしまうことは分かりきっている。

「ここから落としたのであれば、生きていることはあり得ません。化者が死体を見つけられるのであれば、それで良し。死んだとしても畜生の命など、どうでも良いことではありませんか?」

「……そうだな。引き上げるぞ」

 彼らにはこれ以上、ここで為せることはない。証拠の品を持って、引き上げるだけだ。後を追った男が死体を持ち帰ればそれで良し。それが叶わないとしても、それはそうなった時に考えるしかないのだ。
 雲に隠れていた月が姿を現し、動き出した男たちの影を地面に映しだす――これが終わりの始まりの時だった。

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