イアールンヴィズ騎士団の訓練は以前よりも、リルやシュライクたち、ガラクシアス騎士団の若手が参加するようになってからよりも更に激しさを増している。プリムローズ救出作戦がその理由だ。
プリムローズの救出には成功したが、参加したイアールンヴィズ騎士団の人たちにとっては自分たちの力不足を痛感する内容だった。囮役としては良い結果を残せたのだ。だが、相手を引き付ける為にわざと後退したわけではない。頑張って、粘って、それでも予定以上に早く押し込まれてしまった。
その事実は、厳しい訓練を続けてきたつもりだったイアールンヴィズ騎士団に衝撃を与えた。頑張っても自分たちはその程度。そう思ってしまった。
ただそのまま落ち込んでいては、本当にその程度で終わってしまう。そう考えて、訓練の負荷をもう一段階上げることになったのだ。
「……お前さ……こんなに鍛えて、何を仕出かすつもりだ?」
その厳しさは元コープス騎士団のベンティスカも呆れるほどだった。
「えっ? 何をって……別に何も。皆がもっと強くなりたいというので、鍛錬を考えてみただけです」
そのリルが考えた鍛錬が、ベンティスカにとっても辛いものなのだ。帝国騎士団でもここまで厳しい鍛錬は行ってはいないだろうと、ベンティスカは勝手に考えている。帝国騎士団の訓練内容など知らないのに。
「しかし……ぶっ倒れるまで鍛えるかね?」
「ですから、皆が求めているからです」
「だが以前はこのような鍛錬は行っていなかった。違うか?」
もう一人の元コープス騎士団、メテオールも会話に加わってきた。多くのイアールンヴィズ騎士団の団員がぶっ倒れている中、こうして会話できる二人、元コープス騎士団の残りの一人であるドリズルも、基礎体力でも一段上にいるということだ。
「以前は一番体力のない人に合わせていましたので」
「何故だ? それでは騎士団として強くなれないと思わなかったのか?」
「ああ……どういえば良いのか……失礼な言い方ですけど、最低レベルを引き上げる? それを目的とした訓練です」
「まだ分からない。どうしてその方法を選んだのだ?」
ドリエルには、まだリルの考えが分からない。一番力のない人間に合わせた訓練では、多くが楽を出来てしまう。そんな訓練方法を選ぶ理由が分からない。
「困ったな……また失礼なこと言いますけど、駄目なところが多すぎて。特に集団での動きは誰も分かっていないようでしたので、まずはそれを」
「……ああ、ようやく分かった。団全体の力を上げるにはそのほうが早いと思ったのか。最初の頃、どうだったのか俺は知らないが、まあ想像はつくな」
個の能力をあげる鍛錬を重点的に行えば、力量差は開く一方になってしまう。それでは部隊行動も最大限の力を発揮できない。リルはまず部隊行動を鍛えることで集団としての力を上げ、個々の能力向上はその後にする方法を選んだ。部隊行動が身についていれば、個々の能力向上に比例して、集団も強くなると考えたのだ。それをドリエルも理解した。
「あの日、屋根の上から見ていましたが、連携は取れているように見えました。誰か一人が下がれば、全体も無理せず下がるという風に」
「……そうだったかもしれない」
「あれ? 相手方にいた……は当たり前か。建物の外にいたのですか?」
ドリエルとメテオールが元コープス騎士団であることは知っていても、救出作戦の時、どこにいたかまではリルも知らない。敵方にいた二人にあの日のことを聞くのは、なんとなく躊躇われたのだ。
「俺はそうだ。確かに手ごたえはないようでいて、それでも最後まで崩壊しなかったな。なるほど、確かに連携は機能していたのか」
「ドリエルさんから見て、足りないところは何だと思います?」
「それはやはり個々の力量の差だ。つまり、今行っている鍛錬が正しいということだ」
「それは良かった」
ドリエルに訓練の正しさを認めてもらって、嬉しそうに笑うリル。リルとしても探り探りという状態なのだ。これが絶対に正しいと思っているわけではなかった。
「……これは聞くべきではないのかもしれないが……俺たちのことを恨んでいないのか?」
「恨む? まさか……あっ、ああ……プリムローズ様ですか? 大丈夫だと思いますけど? ドリエルさんたちが悪い人でなければ」
「彼女には恨まれても仕方がない。ただリル、お前は……恨んでいるようには見えない」
これがドリエルは不思議だった。イアールンヴィズ騎士団に入団してすぐにリルは、まったくわだかまりがあるように感じさせずに、自分たちに接してきた。今も自分の意見を素直に聞き、しかも喜んでいる。
「昨日の敵は今日の友。逆もありますけど、騎士団で働くというのはそういうことだと教わりました。だから今どうかだけを考えろとも」
「それは、誰に?」
「死んだ親父に。騎士団の騎士だったので」
私設騎士団は引き受ける依頼次第で敵味方が変る。前回、敵だった騎士団が次の任務では味方になることもある。その逆も。過去の争いに拘って他の騎士団と協力が上手く出来なければ、今の依頼を失敗してしまう。命を落とすことになるかもしれない。これをリルは父親に教わっていたのだ。
「親父さんはどこの騎士団で働いていたのだ?」
さりげなく知りたかったことを尋ねるドリエル。
「さあ? 北の田舎で活動していた小さな騎士団だということくらいしか、子供だった俺は覚えていません」
だが返ってきた答えは期待したものではなかった。リルがあらかじめ用意していた嘘の答えだ。
「母親から聞かなかったのか?」
「母親は俺が物心つく前に死にました」
「それはすまなかった」
「いえ。母親のことを話すと皆、そういう反応なのですけど、まったく覚えていないので悲しみもありませんから」
これは本当。母親がいない寂しさを感じたことはあったが、死そのものに対する特別な想いはない。そうなのだ、という事実として受け止めているだけだ。
「……今行っている鍛錬も父親に教わったのか?」
「いえ、違います。自分の頭の中にあったものです。強くなる為には、それも今は強くなった実感を急ぐだろうから、限界を超える必要があるかなと」
「鉄は熱いうちに打て、か?」
自分たちの力不足を思い知り、強くなりたいという思いが高まっている今だからこそ、これ以上ない厳しい鍛錬を行うつもりなのだとドリエルは理解した。
「一気に強くなれる時期ってありますよね? 問題はその後……次の成長期まで頑張れるか」
今のイアールンヴィズ騎士団の多くは、まだまだ力不足。それは伸びしろが多いということで、成長を実感することは容易だとリルは考えている。問題はその後だ。やがて停滞期が来る。決して成長が止まったわけではなく、力はついているのだが、それを実感出来ない時期だ。それをどう乗り越えるかだと。
「……お前は今どこにいる?」
「はっ? ああ、成長の話ですか。そうですね……少し停滞しているかな? やるべきことは分かっているつもりですので、それをやるだけですけど」
「そうか……」
リルはおそらく何度も停滞と成長を繰り返している。彼の言葉をそれを意味している。今どこにいるのか。どれほど強くなっているのか。ドリエルにはそれが見えない。自分よりも十は年下であろうリルに底知れなさを感じていた。
◆◆◆
リルは珍しく外に遊びに出ている。プリムローズもハティも一緒だ。他にも護衛としてイアールンヴィズ騎士団の団員たちが同行しているが、彼らは護衛役に徹し、遠巻きにしているだけ。その姿は顔見知り以外では認識出来ない。存在を知られないように護衛する術も、長く続けていることでそれなりになってきたのだ。
「……あっ、ここだ」
目的の店は帝都第三層の商業地区にあった。リルは、同行者の誰もが初めて来る店だ。中は酒場、といっても今は昼過ぎ。客の目当ては食事だ。十ほどのテーブルは半分が埋まっていた。
「いた」
そのテーブルの一つに座っている女の子が手を振っている。リルがこの店に来たのは幼馴染のミウに会うため。情報提供をしてもらった時の約束を果たす為だ。
「フェン兄、待ってたよ」
「悪い。少し遅れたな」
「それで? その女、誰?」
同行してきたプリムローズを見るミウの視線は厳しい。デートのつもりだったミウにとっては、邪魔者以外の何者でもないのだ。
「プリムローズ様。ミウのおかげで助けることが出来た。ありがとう」
「ふうん」
女性がプリムローズだと分かってもミウの態度は大きく変わらない。きつい視線が値踏みするような視線に変わったくらいだ。
「あ、あの、プリムローズです。ミウさん、助けて頂いて、本当にありがとうございました」
その視線に戸惑いながらもプリムローズはミウに御礼を伝えた。ミウの情報提供がなかったら。これを思うとどれほど御礼の言葉を伝えても足りないと思うくらいだ。
「なるほど。フェン兄はこういう女が好みなのか。僕もこの方向を目指そう。いや、僕も駄目だね。私だ」
「ミウ。失礼だろ?」
「いや、さすがはミウだ。鋭いじゃねえか」
「ハティ……」
揶揄われる為にプリムローズを連れて来たわけではない。プリムローズが御礼を伝えたいと言うから。リルも無事に助けられたことをミウに知らせたいからだ。
「でもさ、フェン兄。この人がいると話したいことも話せないね?」
「あまり気にしなくて良い。おおよそのことは知っているから」
「ええ……すでにそこまでの関係。意外に手が早いね?」
プリムローズが同行してきたことで最初は本当に不機嫌だったミウだが、フェンを揶揄うネタはそれほどない。貴重な機会だと考え、それを楽しむことにした。
「違うから。ミウはそういう話をしたいのか?」
「違うけど。だからといって何を話したいというのもない」
「そうか。帝都にはどうして?」
「稼ぐ為。フェン兄も知っての通り、どこも稼ぎ頭がいなくなったから。僕たちが稼がないと家族が食べていけない」
騎士団の稼ぎがなくなるだけでなく、働き盛りの男手も失った。女性たちも頑張っているが、それだけでは暮らしは厳しい。子供だからといって遊んでいられる状況ではないのだ。
「それは分かるけど、どうして帝都?」
「一番仕事が見つけやすいと思ったから。でも実際は帝都も子供には厳しくて。まともな仕事にはありつけなかった」
帝都のほうが地方都市よりも厳しかったりするのだ。子供を働かせなくてはならないほど人手不足ではない。そのような状況で子供を安い賃金で働かせていると、帝国の官僚がうるさい。まともな経営者は帝国に睨まれたくはないので、子供を雇おうとしないのだ。
「そこまで生活が厳しいのか……」
騎士団の仕事が出来ていれば、状況は変わっていたかもしれない。これを思うとリルは心が痛む。
「ああ、気にするな。確かに生活は楽じゃねえが、こいつらが出て来たのは大人たちが鬱陶しいからだ」
「鬱陶しい?」
「いつまでも泣き言ばかりの奴が多くて。過去に文句を言っても今は変わらねえのにな」
ハティはこのような言い方をするが、多くの人が夫を、父親を、仕事を、家を、生まれ故郷を失った。何もかもを失った絶望感から、やり直す気力を持てない人がいても、それは当然のことだ。
「未来を見ている僕たちにはね」
「ミウまで……仕方がないだろ? 失ったものが大きすぎる」
「それは分かるけどさ、あいつらフェン兄のことまで……ちょっと待ってて」
話を途中で止めて、急に席を立つミウ。何かあったのかと、彼女の行方を目で追ったフェンたちだったが。
「……お兄さん、何か用?」
ミウはすぐ近くのテーブルに座っている男性に声をかけた。これだけでは何が起きたのかフェンたちには分からない。
「用などない。食事の邪魔だ。さっさと席に戻れ」
「そう言われてもね……お兄さんに見張られていると楽しく会話が出来ない。お兄さんのほうこそ、さっさとどこかに行ってくれる?」
「何を言っている? 私はそんなことはしていない」
ミウが男に声を掛けたのは、相手が様子を探っていたから。話しかけられた男は否定しているが、ミウはそう感じたのだ。
「困ったな。仕方ない。店を変えるか?」
「その必要はない」
ここで別の男が割り込んできた。この男はフェンが見知った男だ。
「おじさん……おじさん、お兄さん? とにかく、誰?」
「お前の友人の友人。この男の知り合いでもある。この男はもう帰るから、ゆっくりと話せば良い。その前に少し私にも話をさせてもらいたいが」
「……好きにすれば」
フェンに視線を向けると、頷きで応えてきた。得体のしれない男だが、フェンの知り合いであることは間違いなさそう。ミウは男の申し出を受け入れることにした。
男と二人で席に戻るミウ。その間に声を掛けた男は店を出て行った。
「邪魔をした」
「ここで何を? なんて聞く必要はないですか?」
男は皇帝の側近。皇帝に会いに行った時に部屋まで案内してくれた男だ。その男が何故、この店にいるのか。ミウが声をかけた男と同じ目的である可能性が一番高い。
「プリムローズ殿の件は大変だったな。無事でなによりだ」
「それはどうも」
「だが、完全に解決したわけではない。違うか?」
男がこれを尋ねたのは、本当の目的を誤魔化す為。会話を盗み聞きしようとしていたことを気付かれてしまったからには、目的を隠すしかない。その為には姿を見せ、別のことを聞き出すことが有効だと考えたのだ。
「……根本的な解決は俺の仕事ではありません」
プリムローズに一瞬、視線を向けてからリルは答えを返した。コープス騎士団が依頼を受けて誘拐したことはプリムローズも当然、分かっている。隠す必要はないと考えての答えだ。
「それで良いのか?」
「俺は俺の役目を果たすだけです。イザール侯爵家が全力で解決の為に動いているはずですから」
「……なるほど。それはそうだな」
イザール侯爵家は事件をもみ消そうとしている。それはリルも分かっているはず。そうであるのにこの答え。嘘をついている可能性を最初に考えたが、すぐに思い直した。リルは真実を告げている。本当の意味はぼやかして。男はこう考えた。
「しかし……この娘は素晴らしいな。出来れば私の養女にしたい」
「はっ?」「ええっ?」
いきなり男は話を変えた。しかも突拍子もない内容に。
「本来はもっと幼い頃から鍛えなければならないのだが、彼女にはその時間を補って余りある素質があるようだ」
部下が見張っていることをミウは見抜いた。部下が未熟だから、ということなのだが、ミウのような子供に見破られるほど拙い技量のはずがない。ミウが特別なのだと考えるべきなのだ。
「将来は貴方のように皇帝陛下に仕える?」
「ええっ!?」「嘘だろ!?」
ミウとハティが驚きの声をあげた。プリムローズも驚いているのだが、驚きすぎて声が出せなかったのだ。
「その通りだ。年齢から次の皇帝になるだろうが」
「その仕事って儲かるの?」
ミウの興味は皇帝に仕えることよりも得られる報酬。良い仕事であれば、その道もありかと考えている。
「儲かる……それは分からない」
「給料もらってないの?」
「里に支払われているのだと思うが、使う機会もないので、いくらか気にしたことはない」
「金も使えないほど忙しいのか……それじゃあ、働く意味なくない?」
お金を使うから働いて稼ぐ必要がある。美味しい物を食べる、はミウの楽しみだが、その楽しみを得る為に働くのだとミウは思っている。生活が苦しいことには慣れっこなので、金がないことへの悲壮感がないのだ。
「働く意味……陛下にお仕えすることがそれなのだが?」
「ん~。その陛下ってフェン兄みたいな人?」
フェンの為に働くのであれば賃金の高低はミウも気にしない。男にとって皇帝はそういう人なのだとミウは考えた。
「どうだろう? もしかすると似ているかもしれないな」
「そう。でも僕はフェン兄のほうが良いからな。養女の話はなしで」
「そうか……そうであっても技量は高めたほうが良い。そのほうが役に立てる」
「確かに……じゃあ、考えておく」
時の皇帝に仕える諜者。その世界において最高の技量を持つ一人。その人の養女になる、弟子になることの意味をミウは分かっていない。分かっていても答えは変わらないだろう。
この男の組織の人間は物心ついた時から皇帝に対する絶対の忠誠を叩き込まれる。刷り込まれるという言い方のほうが正しいだろう。皇帝の命に比べれば、自分の命など塵ほどの価値もない。こう思い込まされて育ってきたのだ。
ミウにはそんな存在はいない。いないが、関係性はまったく異なる、似た存在はいる。幼馴染のフェンたち、そしてイアールンヴィズ騎士団がそれだ。皇帝は代わりにはなれない。これは絶対なのだ。