帝国騎士団の週例会議。一週間に起きた出来事や次の一週間に予定されているイベントなどを報告する場だ。数か月前に比べると会議時間はかなり長くなっている。以前は訓練に関するものくらいだった帝国騎士団本隊の報告だが、実戦経験を積ませることを考えて魔獣討伐などの任務を引き受けるようになった結果、それについての報告が増えた。それ以外にも各地の情報、それに対する分析結果もこの週例会議で、公に出来る範囲は、報告されている。それだけ帝国騎士団がやるべきことが増えた。情勢は大きく変わっているということだ。
帝国騎士団所属の公安部も報告を行う。帝都近辺で起きた事件やその調査結果、結末などで、これは、件数を除けば、以前と変わらない。
「イザール侯爵家の令嬢が誘拐されたという件ですが、捜索願いが取り消されました」
「なんだと?」
ただ今回はいつもとは少し異なる報告が公安部長から為された。事件の届け出の取り消しなど、滅多にあることではない。まして事件はイザール侯爵家の令嬢、プリムローズが誘拐されたという重大事件だ。
「ご令嬢は無事見つかったとのことです。アネモイ四家のひとつ、イザール侯爵家が勘違いで公安部の手を煩わせるとは……困ったものです」
「……ノトス騎士団の騎士が殺されたという報告があったはずだが?」
ワイズマン帝国騎士団長は、公安部長の報告をそのまま受け取れなかった。誘拐の報告を受けてすぐに公安部が動いた結果、イザール侯爵家の騎士が殺されているのを発見したという報告を受けているのだ。
「はて? おそらく、それも勘違いだったのでしょう。とにかく事件はなかったとイザール侯爵家が言っているのですから」
事なかれ主義。公安部長はそういう人物だ。帝国の最上位貴族であるイザール侯爵家が勘違いだというのであれば、それが事実。こういう考えなのだ。
「……そういえば公安副部長はどうした?」
公安部長にこれ以上、状況を尋ねても埒が明かない。より詳細を把握しているであろうマグノリア副部長に話を聞こうと思ったワイズマン帝国騎士団長だが、その彼女が会議に出席していなかった。
「なにやら急ぎ対応しなければならないことがあると。だからといって大事な会議に遅刻するなどありえません。上司である私からもお詫びいたします」
「急ぎの用件とはどのようなものだ?」
会議に遅れても対応すべき事柄。それはそれで大事なことなのだろうとワイズマン帝国騎士団長は考えた。
「さあ? 私は聞いておりません」
だが公安部長は把握していなかった。こういうところがワイズマン帝国騎士団長が頼りに出来ないと思う原因なのだが、本人は分かっていない。分かっていて、わざとそうしている可能性もある。彼の後ろ盾はルイミラ妃なのだ。
「……分かった。では」
一旦、会議は閉会。マグノリアには後で話を聞こうと考えたワイズマン帝国騎士団長だったが。
「遅れて申し訳ございません」
マグノリアが会議室に入ってきた。タイミングが良いと言えば良い。
「遅い。何をしていたのだ?」
公安部長はすぐに彼女を叱責した。彼女は部下でありながら、公安部長にとって目の上のたんこぶ。非があった場合は、それを強調して彼女の評価を少しでも下げたいのだ。
「申し訳ございません。イザール侯爵家の件で会議の前に確認すべきことがありましたので」
「イザール侯爵家……どういった内容だ?」
「それは……申し訳ございません。まだ詳細は明らかではなく、さらなる調査について団長のご許可を頂きたいと考えております」
マグノリアは報告を行おうとしなかった。多くがいる場で報告出来る内容ではない。彼女はこう判断しているのだ。
「許可を求める前に現時点で分かっていることだけでも報告するべきだろう?」
「かまわない。では、会議は終わりだ」
「団長!?」
報告させようとする公安部長をワイズマン帝国騎士団長は遮って、会議を終わらせた。当然、公安部長は不満を覚える。
「中途半端な内容を皆に知らせるべきではない。事はイザール侯爵家の問題なのだ。間違った情報が広まることになったらどうする?」
「それは……確かに」
そうなった場合、公安部は責任を問われることになる。公安部長はそう考え、引き下がることを選んだ。公安部の責任はその長である自分の責任になってしまうのだ。
「皆、ご苦労だった。現場に戻ってくれ」
ワイズマンのこの言葉で参加者が次々と席を立ち、会議室を出て行く。最初はこの場に留まろうとしていた公安部長も、ワイズマンにかるく睨まれて、席を立つことになった。会議室に残ったのはワイズマンとマグノリア、そして側近のヴォイドの三人だけだ。
「話してくれ」
「はい。イザール侯爵家が誘拐は間違いだったと伝えてきたことは?」
「聞いている。どういうことなのだ?」
「事実です。ですが、間違いであるはずがありません。百歩譲って誘拐が間違いであったとしても、イザール侯爵家の騎士が四人も殺されているのです。何もなかったはずがありません」
騎士四人の死をマグノリアは自分で確認している。間違いなく争いがあった。何者かに殺されたのだ。だがイザール侯爵家はそれについて調査を依頼しない。誘拐事件の届けを取り消すだけで終わらせようとしている。
「……会議に来る前に確認していたことというのは?」
「四人が殺害された翌日、第三層で争いが起きています。たまにある私設騎士団同士の揉め事とされていますが、おかしな点があります」
これは別の通報によって知ったことだ。屋敷の外、一般の人もいる場所でコープス騎士団とイアールンヴィズ騎士団は争っていた。その騒ぎを近くに暮らす人が公安部に届け出たのだ。
これは珍しいこと。暮らす人の少ない第五層ではなく、第三層にコープス騎士団が拠点を構え、そこで騒ぎが起きたからだ。
「おかしな点とは?」
「争いはコープス騎士団とガラクシアス騎士団の間で起きたことになっていますが、その日、ガラクシアス騎士団は依頼を受けて、帝都外縁部に出ています」
これは事実。コープス騎士団にイアールンヴィズ騎士団の襲撃だと思わせないことだけが目的であったので、当日、本物のガラクシアス騎士団がどこで何をしてようと、どうでも良かったのだ。大人たちが任務に出ていることで、シュライクも誰にも反対されることなく協力出来た。
「では、どこの騎士団だ?」
「まだ確証はありません。ですが、私はイアールンヴィズ騎士団を疑っています」
「理由は?」
理由を聞く前にワイズマン帝国騎士団長はそうなのだろうと思っている。それ以外に考えられない。
「イザール侯爵家の令嬢、プリムローズ殿の捜索にイアールンヴィズ騎士団も動いていました。ですが、翌日になって連絡が取れなくなっています。拠点はもちろん、エセリアル子爵屋敷にも誰もいませんでした」
公安部は事件を知ってすぐにプリムローズが誘拐された場所、エセリアル子爵屋敷を訪れている。そこでイアールンヴィズ騎士団もプリムローズを探していることを知った。情報共有の為に団長であるグラトニーと話もしていたのだ。
「……ちなみに、ローレルとリルはいたのか?」
「ローレル・イザールはエセリアル子爵屋敷にいたことが確認出来ています。リルについては、二か所を訪れた部員の話を聞いた限り、所在を確認出来ておりません」
「……リルだけが所在不明か」
従士であるリルが主であるローレルの側を離れて、何をしていたのか。思いつくことはひとつしかない。
「ひとつ教えてください。その騎士団同士の争いはどうなったのです?」
ヴォイドが割り込んできた。マグノリアの考える通りだとして、その結果、何が起きたのかを早く知りたいと思ったのだ。
「詳細は不明。ですが、コープス騎士団の拠点はもぬけの空になっています。コープス騎士団は負けたと考えるべきかと」
「つまり、恐らくイザール侯爵家の令嬢はそこに捕らわれていて、救出は成功した。どうしてそれを隠す必要があるのでしょう?」
「それを考える前に、別の疑問があります」
それだけであればマグノリアもこのような扱いをしない。プリムローズは無事で、イザール侯爵家は誘拐の事実を隠そうとしている。イザール侯爵家に睨まれるリスクを犯してまでな調査を続ける必要はないのだ。
「その疑問とは?」
「知らないのですね? コープス騎士団の団長は守護神獣使いです」
「なっ……?」
「さらに規模はイアールンヴィズ騎士団とは比べものにならないくらいに大きい。犯罪に手を染めているという噂があり、公安部もマークしていましたが、容易に手出しできない相手だったのです」
公安部だけでは争える相手ではない。公安部に守護神獣使いに対抗出来る力を持つ騎士などいない。そのような力があれば。本隊で地位を得ている。
そのコープス騎士団にイアールンヴィズ騎士団は勝った。状況はそれを示しているが、それだけでは信じられないことなのだ。
「発覚を恐れて別の拠点に移動、もしくは帝都を離れた可能性はないのか?」
「その可能性は考えています。ですが今はまだ、調査が進んでおりません。ただ令嬢が無事でいるのは事実。エセリアル子爵屋敷にいるのを確認出来ています」
「少なくとも救出は成功した。コープス騎士団が犯人であれば、だが」
まだ証拠は揃っていない。この段階でコープス騎士団が犯人であると決めつけることを、ワイズマン帝国騎士団長は避けた。決めつけられる話の内容ではないのだ。ワイズマンもどうやってイアールンヴィズ騎士団は救出に成功したのか分からない。
「ご許可を頂きたいのは調査の継続です。捜索願いの取り下げで事件はないものになりました。公安部として調査を行う名目を失ってしまったので」
公安部長は調査の終了を命じるはずだ。だからその前に帝国騎士団長の許可をマグノリアは必要としたのだ。
「事実を知ることの意味は?」
個人的にはすぐに調査継続を命じたいところだが、帝国騎士団長という立場でそれは出来ない。マグノリアを信頼しているという理由だけでは公安部長はもちろん、他の部下も不満を覚えることになる。人は、他人が依怙贔屓されていると思えば、誰でも不満を持つものだ。
「公安部も手を出すのを躊躇ったコープス騎士団を倒す力がイアールンヴィズ騎士団にあることが分かります。それは帝都の治安改善計画の役に立つと思われます」
治安改善対策のひとつは優良な私設騎士団を取り込むこと。その力を借りて悪質な私設騎士団を討つというものだ。今回の一件は、ほぼその形。イアールンヴィズ騎士団は公安部が討つべき悪質な騎士団を討伐してくれたことになる。マグノリアが考える通りであれば、だが。
「……なるほど、良い口実だ」
治安改善計画の策定は皇帝が直々に命じたこと。それに役立つ調査を止められる者はいない。皇帝以外には。ワイズマン帝国騎士団長としても躊躇うことなく、調査継続を命じられる。
「ただし、ひとつ懸念があります」
「それは?」
「イザール侯爵家が捜索願いを取り下げたことです。何故それが必要だったのか? そもそもどうして誘拐されたのか? この答えによってはイザール侯爵家が調査を妨害してくる可能性があります」
取り下げたのは事実を明らかにされたくないから。女性が誘拐された場合、誘拐の事実をなかったことにしょうとする貴族家は少なくない。偏見の目で見られることを避ける為だ。
では今回もそうなのか。違うとマグノリアは思っている。この件は帝国騎士団だけでなく、救出に動いたイアールンヴィズ騎士団がすでに知っている。エセリアル子爵家もそうだ。捜索願いを取り下げたからといって誘拐の事実はなかったことにはならないのだ。
「……まさか……自作自演だと?」
「自作自演というより、身内に犯人がいる可能性を考えています。誘拐された令嬢、プリムローズは兄と共にエセリアル子爵家に居候しています。そうしなければならない理由があったということではないでしょうか?」
プリムローズが実家を離れて暮らしていることも、私設騎士団が護衛についていることも説明がつく。
「確か、正式にはイザール侯の娘として届けられていないのだったな?」
「はい。すでに陛下に存在を知られているにも関わらず、未だ正式の届け出はないようです」
公式にはプリムローズはイザール侯の娘として認知されていない。皇帝と面識があるにも関わらずだ。イザール侯爵家には届け出を躊躇う理由がある。それを許さない存在がいる。
「これは憶測にすぎませんが、イザール侯爵家の騎士の殺害現場はそのままになっていました。痕跡を消さなかったのは、他者が行った犯行だと思わせようとした可能性があります」
今回の事件もその存在が引き起こしたこと。届け出を取り下げたのは誘拐の事実をなかったことにする為ではなく、犯人を知られない為。マグノリアはこう考えている。
「……調査は継続だ」
「承知しました」
犯人を突き止めても逮捕することは、おそらく、叶わない。それでも良いとワイズマン帝国騎士団長は割り切った。彼の興味は誘拐犯よりもイアールンヴィズ騎士団、そしてリルにある。勝てるはずのない相手とどう戦い、救出を成功させたのかを知りたいのだ。
この思いが実現するのは、ずっと先のことになってしまうが。