コープス騎士団の拠点は帝都第三層にある。その中でも帝都の暗部とも呼ばれる酒場や売春宿が立ち並ぶ繁華街の深部だ。元々は多くの騎士団がそうであるように第五層に拠点を構えていたコープス騎士団だが、最近、その場所に拠点を移動したのだ。それは本格的に裏社会に進出する為。他の勢力にそれを宣言する意味もある。
「……うるさいな。何が起きている?」
建物の外が騒がしい。コープス騎士団の団長であるホープはその理由を部下に尋ねた。
「……確認してきます」
同じ部屋にいる部下も何が起きているか分からない。確かめる為に外に出ようと扉を開けたのだが。
「大変です! 殴り込みです!」
それと同時に別の部下が飛び込んできた。問題が起きたことを慌てて伝えに来たのだ。
「殴り込みだと? こんな時に……」
ホープの視線が部屋の奥にある扉に向く。その扉の先、別の部屋には攫ってきたプリムローズがいる。殴り込みの相手をしている場合ではないのだ。
「本当に殴り込みですか? そう思わせているだけでは?」
別の部下が殴り込みは偽装である可能性を伝えてきた。このタイミングでの殴り込み。確かに怪しむべきだとホープも思った。
「イアールンヴィズ騎士団ではないのか?」
「いえ、相手はガラクシアス騎士団を名乗っています。それに団長の息子のシュライクがいました。顔を知っている奴が確認しましたので、間違いありません」
「……殴り込みの理由は?」
ガラクシアス騎士団は知っている。だが揉め事を起こしたとは聞いていない。ホープの疑いはまだ晴れていない。
「うちの誰かがガラクシアス騎士団の者と揉めたそうで。コテンパンにしてやったみたいなのですが、それの仕返しに来たようです」
「こんな時にそんな真似した馬鹿は誰だ?」
実際にどうかはまだ分からないが、ありそうなことではある。酒を飲んで揉め事を起こすなんてことは、コープス騎士団では珍しいことではないのだ。
「分かりません。相手も顔しか分からないと」
「……さっさと追い返せ。おい、お前らは俺と一緒に隣の部屋だ。イアールンヴィズ騎士団である可能性はまだ残っているからな」
事態を告げに来た部下にガラクシアス騎士団を追い返すように伝えて、ホープは元々この部屋にいた部下と共に隣に移ることにした。
仮に騒いでいるのがイアールンヴィズ騎士団だとしても恐れる必要はない。実力はコープス騎士団のほうがずっと上。追い返すことは出来る。それでも念の為、ここまで辿り着く者がいた場合に備えようという考えだ。
「さっさと殺しちまったほうが良いのではないですか?」
偽装の可能性を指摘してきた部下が、今度はプリムローズを殺すことを勧めてきた。依頼は誘拐ではなく殺害なのだ。受けた依頼を終わらせるべきだという当然の考えだ。
「……あんな上玉、殺すなんて勿体ない。あれは高く売れる。上手くすれば依頼料を超えるかもしれない。店を持っていたらそこで働かせたいところだ。間違いなく大金を稼げる」
団長のホープは依頼を守るつもりがない。プリムローズを高く売り、さらに殺したことにして残りの報酬を受け取るつもりだ。欲が膨れ上がっているのだ。
「……万が一、逃げられたら」
「そうなったらお前らを殺す! 死にたくなかった守り切れ!」
「……分かりました」
聞く耳を持たないのは今に始まったことではない。ホープは人の上に立つのに相応しい人物ではない。それでも彼が団長としてやっているだけでなく、騎士団を大きく出来たのはただ強いから。力が全ての騎士団の世界、本来はそうであってはならないのだが、彼は特別な存在なのだ。
◆◆◆
建物入口、門のところの騒ぎはコープス騎士団が人数を繰り出したことによって、収まろうとしている。多くの団員を抱えるコープス騎士団だ。建物の中に少なくない数を残しても、相手を追い払えるだけの力の差はある。騒いでいた者たちは抵抗は続けているが、コープス騎士団に押し込まれ、後退する一方だった。
「あれは、怪我人が出たな」
その様子を隣の建物の屋上から眺めているリル。
「かすり傷だ。気にするな」
ハティも、シムーンも一緒だ。
「本当に一人で突っ込むつもりですか? いくらなんでも無茶ですよ」
シムーンはこの作戦に対して懐疑的だ。コープス騎士団の団員の多くを建物の外におびき出し、さらに引き離しているところまでは良い作戦だと思っている。だがリルは人数が減った建物に一人で突入しようとしている。それは無理があると考えているのだ。
「別に全員を倒す必要はない。とにかくプリムローズ様のいる場所まで辿り着くこと。それが出来れば、なんとかなる」
「なんとかならないですよ。人質に取られているようなものではないですか?」
たとえリルの潜入が成功したとしても、プリムローズの側に誰もいないなんてことはあり得ない。どれだけリルが強くても、プリムローズを人質にされている状況では、どうにも出来ないとシムーンは思っている。
「……本来、プリムローズ様はあんな奴等に誘拐されるような人ではない。彼女には自分を守る力がある」
「でも実際に捕まっています」
「大丈夫。俺がなんとかする」
とにかくプリムローズの側に行ければなんとかなる。確かにこれだけを聞けば、作戦とは呼べない無謀な行いだと誰もが思うだろう。だが、リルには勝算があるのだ。
「……これは言いたくなかったですけど、もし殺されていたら?」
何を根拠にリルが大丈夫だと思っているか分からないが、プリムローズが殺されていれば、やはりどうにもならない。リルはただ命を捨てに行くだけになるかもしれない。
「生きている」
「でも、これから殺されたら?」
「シムーン! いい加減にしねえか!」
しつこくリルに迫る、それもプリムローズが死ぬ前提で話すシムーンにハティが先にきれた。だが、「きれた」のはリルも同じだった。ハティとは異なる意味で。
「……その時は殺した奴等は皆殺しにする。大切な家族を殺した奴は絶対に許さない。俺はそう誓っている」
「…………」
普段のリルからは感じられない強い殺気に言葉を失うシムーン。実際に殺気なのかは分かっていないが、とにかく静かに話すだけのリルからシムーンは背筋が凍るような恐怖を感じた。
「……俺たちは、だ」
そのリルを宥めるかのように、軽く肩を叩きながらこれを告げるハティ。「大切な家族を殺した奴らは絶対に許さない」は過去に誓ったことだ。リルだけがそれを守り続けていることをハティは知っている。
「そうだな……じゃあ、行ってくる」
「俺の剣も持っていけ」
「いや、大丈夫だ。この剣は……こうなっている」
背中に背負っていた剣を抜いたリル。大剣に見えていたそれは、リルが軽くひねると二つに分かれた。リルは本来、双剣使い。この剣はリルの為に作られた特製の剣なのだ。
「そんなの作ってやがったのか。じゃあ、気を付けて行ってこい」
「ああ」
持ってきていたロープを屋根の上から垂らす。リルはそれをつたって、いるとは思えない速さで地上に降りた。そのまま建物に向かって駆け出すリル。
「……やっぱり無茶ですよ」
「大丈夫だ。あいつは強い」
プリムローズに関係なく、リルは自分の力だけで建物の中に残っているコープス騎士団を倒す。それが出来るだけの力があるとハティは思っている。
「リルさんが強いのは知っています。でも、相手は守護神獣使いですよ?」
「……はっ? 何だと?」
「コープス騎士団の団長は守護神獣使いです。いくらリルさんが強くても勝てるとは思えません。プリムが力を合わせても無理でしょう」
ホープが自分の騎士団を大きく出来た理由だ。守護神獣の力は剣技の力量差など無にしてしまう。常人が一対一で敵う相手ではないのだ。
「お前……なんでそれをもっと早く言わねえ!?」
敵に守護神獣使いがいるとなると話は違ってくる。守護神獣の使い手とどう戦えば良いのかもハティは分からない。
「い、いや、常識! 帝都で騎士団やっていれば誰でも知っていることです!」
それだけ特別な力だ。私設騎士団に関わる者であれば誰でも知っている情報。ホープ本人も自分の力を誇示することはあっても、隠すことはない。知らなかったハティが非常識なのだ。
「……ここは任せた。見つかるなよ」
ここは侵入ルートでもあり、脱出ルートでもある。プリローズを救出したあとは、とにかくこの場所から離れる。今度はロープを使って屋根に登り、そのまま逃げる予定なのだ。
脱出ルートの確保はシムーン一人に任せ、ハティもリルの後を追うことにした。自分が行ってどうにかなるかは分からない。それでもリルを見殺しにするわけにはいかないのだ。
◆◆◆
リルは建物の奥に向かって走っている。密かに潜入、なんてことは初めから考えていない。最初に出会った敵を一太刀で戦闘不能にし、殺すと脅してプリローズが監禁されている場所を聞き出すと、全力でそこに向かった。その動きはすぐにコープス騎士団にも知られるが、作戦を考えた時から想定していたこと。潜入したのがたった一人だと分かれば、すぐに逃げることはしないだろうという考えだ。とにかく相手を油断させたままにしておくこと。この作戦の要点はそこにある。
「なんだ、こいつ!? 強いぞ!」
「たった一人! それもガキに何を手間取っている! さっさと殺っちまえ!」
相手がこんな風に思い続けてくれれば、作戦は成功だ。リルは次々と現れる敵との戦いを避けるようにしながら奥へ進んでいる。圧倒的な強者であると敵に思わせない為だ。
多くの敵を引き連れるような状況になりながら、リルは目的の部屋に辿り着いた。躊躇うことなく部屋に突入するリル。
「一人でここまで来たのか……たいしたものだ、褒めてやろう」
リルが部屋に辿り着いてもホープは余裕を見せている。強がりではない。味方は多数、さらに彼には絶対に負けない力があるのだ。
「大丈夫ですか? 怪我はないですか?」
ホープを無視してリルはプリムローズに話しかけた。返事はない。何かを話そうとしているが口にはめられた猿轡が声になるのを許さない。
「……お前、俺の部下になれ。そうすれば命を助けてやっても良い」
「嫌と言ったら俺は殺されるのか?」
「そう言っている。死にたくなければ、俺に忠誠を誓え」
これは本気で言っている。裏社会でさらに勢力を広げる、最終的には帝都の裏社会を全て牛耳る為には、もっと力が必要なのだ。すべてに自分が出て行くわけにもいかない。有力な部下をホープは求めていた。まだ若いのに、たった一人でここまで辿り着いたリルの力は出来れば自分の物にしたいと考えたのだ。
「断る」
「……そうか。じゃあ、死ね」
だからといって、はっきりと拒絶したリルをさらに説得しようとは思わない。自分の好意を無下にした相手を許すほどホープは心が広くない。
周囲にいたホープの部下がリルとの距離を詰める。リルが抵抗しないようにプリムローズに剣を突きつけることも忘れていない。
「……プリムローズ様。貴女の力を俺を守る為に使ってもらえませんか? 人を傷つける為ではなく、人を守る為に力を」
「何を言っている、お前? 訳の分からないこと……」
窓を閉め切っているはずの部屋に風が吹き抜けた。強い風ではない。髪がなびく程度の強さだ。だがその風は徐々に勢いを増していく。
「なっ!? 何だ!?」
その風の勢いが一気に増し、プリムローズに突きつけていた剣が吹き飛ばされた。それだけでは終わらない。自分の体も強い風に煽られて、ホープは後ずさることになった。
「何だ……? ま、まさか……この力は?」
その風の中心にいるのはプリムローズ。それがホープには分かった。猿轡はいつの間にか外れている。猿轡だけではない。プリムローズの体を縛っていたロープも、ちぎれて床に落ちていた。彼女の柔らかい髪が風に靡いて、ふんわりと浮かんでいる。周囲の風の勢いとはまったく異なる勢いだ。
「しゅ、守護神獣……どうしてこの娘が守護神獣の力を!?」
「決まっている。イザール家の守護神、南風の神ノトスの加護を受けているからだ。強い加護を」
プリムローズが宿していた力。それはイザール侯爵家の守護神の加護、守護神獣の力だ。その力が今、解き放たれたのだ。