本来、騎士養成学校は帝国騎士団の騎士候補、従士を養成する為に設立された。だが今の騎士養成学校は私設騎士団の為に存在すると言っても過言ではない。シュライクのように高度な騎士教育を受ける為に騎士養成学校に入学する者もいれば、より良い条件で私設騎士団に入団することを目的として騎士養成学校卒業という肩書を得る為に入団した者もいる。
さらに、私設騎士団には一歩も二歩も遅れてだが、危機感を持った貴族家も自家の騎士団の強化に乗り出し、騎士養成学校の騎士候補生をスカウト対象と見るようになった。特にアネモイ四家の子弟がいる一年生はその動きが激しい。
はたして何人が卒業後の進路に帝国騎士団を選ぶのか。帝国としては、かなり不安に思う状況だ。
「という状況で帝国騎士団に入団すると公言している僕を、陛下が甘やかしたからといって何が問題なのだ?」
また周囲が騒がしい。グラキエスたち三人にまで囲まれて、問い詰められるような状況だ。ローレルは自分が置かれた状況に苛立っていた。
「いや、そういう理由ではないと思いますけど?」
皇帝はローレルを甘やかしているわけではない。まして、ローレルがこじつけた理由で甘やかしているなんてことはあり得ないとリルは思う。
「分かっている。文句を言いたかっただけだ」
「文句って……でも実際どうなのでしょう? ローレル様に危険が迫るような状況とは俺は思えないのですけど」
皇帝がローレルの、実際は自分の意見を取り入れた。それが何なのだとリルも思っている。自分が咄嗟に考えて口にしたことが、ほぼそのまま帝国の重要な会議で話されたと聞いた時は驚いたが、もたらす結果は悪いことではないはず。悪質な私設騎士団を討伐すれば犯罪は減るはずなのだ。
「僕についてどうこう言う前に、まず自分も勇気を出して、言いたいことを言ってみろだよな?」
皇帝に言うべきことを言っても拒否、もしくは無視された経験がローレルにはない。彼にとって皇帝は、イザール家の人々よりも遥かに物分かりが良い人物なのだ。
だが帝国の、それも皇帝とルイミラに迎合するだけではない重臣たちは違う。自分だけでなく他の人が何を言っても無駄。そう思ってしまうような状況を経験しているのだ。それは政治の場にいないローレルには分からないことだ。
「まだ若いから許されているのかもしれません」
皇帝に甘さがあるとすればそれは自分たちが若いから。政治を知らない素人が生意気なことを言っているくらいに考えて、許してくれている可能性をリルは考えた。
「それはあるな。そうだとすれば、ますます文句を言われる筋合いはない。僕が若いのは僕のせいではない」
「そういうことではなくて、周りが問題視する必要はないってことです。騎士養成学校を卒業すれば、相手にされなくなるのでしょうから」
「それはあと二年、こんな状態が続くってことだ」
騎士養成学校卒業まで二年以上ある。その間、ずっと周囲に勝手に騒がれるのは、ローレルとしては我慢ならない。何事もなく平穏な騎士養成学校生活をローレルは送りたいのだ。
「……さすがに二年は長すぎですね。でも要は、陛下とルイミラ妃に接する機会がこの先なければ良いのです。ありますか?」
「それは……分からない」
皇帝は分からないが、ルイミラが興味を持っているのは自分ではなくリル。帝国の宝を持っているという疑いが晴れたかどうかも、ローレルは分かっていない。リルは絶対に持っていないということを改めて証明出来れば良いのだが、その方法も思いつかないのだ。
直接、リルに尋ねることも考えた。だが「持っていない」以外の答えが返ってくるはずがない。万一、持っていたとしても。
「いっそのこと、わざと嫌われるようにするのはどうですか?」
「それで殺されたらどうする?」
「……確かに。なんか、有力者に好まれるって厄介ですね?」
これは権力に興味のない人だからこその台詞。帝国には、帝国に災いをもたらす存在だと分かっていても、ルイミラという有力者に好かれたい人間が大勢いるのだ。
「好まれているとは限らない」
「他に理由が?」
「リル……イアールンヴィズ騎士団とルイミラの間に因縁がある可能性は考えられないか?」
グラキエスたちを誤魔化す為に理由にしたこと。だが知らなかった事実を教えられて、まんざら出鱈目でもないのかもしれないとローレルは考えるようになった。
「……因縁、ですか?」
「グラキエスはルイミラ妃がイアールンヴィズ騎士団の事件に関わっている可能性を伝えてきた。騎士団を壊滅させた事件のほうだ」
「……グラキエス様はどうしてその可能性を考えたのでしょう?」
何故、グラキエスがそう思ったのか。ローレルであればまだそう考える可能性はある。だがグラキエスには何の情報もないはず。リルはこう思っている。
「メルガ伯爵家の跡継ぎの件だ。正式な跡継ぎがいたのに、陛下は無理やり、娘に継がせたそうだ。災厄の神の落とし互たちが行ったとされている襲撃事件で生き残った娘だ」
「……ルイミラ妃とメルガ伯爵の繋がりを示す証拠はあるのでしょうか?」
それこそリルが求めているものかもしれない。イアールンヴィズ騎士団襲撃には帝国の実力者が関わっている。それも貴族を動かしながら、その存在を完璧に隠し通せるほどの力を持つ。
ここまではリルも掴んだ。あとはそれが誰か。それを調べる為に帝国の中枢である帝都に来たのだ。もっとも、来たというだけで、調べる方法は思いついていないが。
「それは分からない。少なくともグラキエスはその存在を知らない。確たる証拠があるのであれば、それを話したはずだ」
「そうですか……」
もしその証拠があれば、真実にまた一歩近づけるかもしれない。だが存在しているかどうかも定かではない。それでは今までと同じだ。あるかないか分からない証拠を探し続けることになる。
「リルはどう思う?」
「……動機が分かりません。ルイミラ妃は陛下に次ぐ権力者ということですよね? そんな人がどうして地方の一騎士団を潰そうと思うのでしょう?」
これもリルには分からないことだ。リルの認識では、イアールンヴィズ騎士団は帝国の実力者が危険視するような騎士団ではなかったはず。存在が知られていたということさえ、リルは不思議に思っていた。
「それは僕にも分からないな。でも何かの依頼で恨みを買った可能性はなくはない」
「ああ、そうですね」
イアールンヴィズ騎士団はどのような依頼を受けていたのか。子供であったリルには知らない任務のほうが多い。だが、知っている人はいるかもしれない。依頼内容を家族に話してしまうような軽率な人がいたらだが。
「考えても分からないな。メルガ家を継いだ娘は事情を知っているのだろうか?」
「……それも考えて分かる事ではありません」
跡継ぎになるにあたって事情を伝えられた可能性はある。ルイミラが事件に関わっているのであれば、だが。その可能性に期待して跡を継いだメルガ準伯爵に話を聞くという決断がリルは出来ない。
彼女に会う勇気を今のリルは持たない。仮に会えたとして、恨んでいる相手に情報を与えてくれるはずがない。無理やり聞き出すなんてことは絶対に出来ない。何度も夢に出て来た彼女の苦悶の表情が、恨めしそうな顔が頭に浮かぶ。
「……どうした? 顔が青いぞ?」
「そうですか? 自分では分からないですけど……ああ、でも、少し気分が悪いような」
心の動揺がそのまま表に出ていた。実際にリル自身は気付いていなかった。「気分が悪い」も嘘ではない。彼女のことを思い出すと胸が苦しくなる。吐き気を催してしまうのだ。
「はあ? 人に言われなければ気付けないなんて、却って心配になるだろ?」
「大丈夫です。最近、少し休みが足りなかったのかもしれません。疲れているだけです」
「確かにそうだな。クラスの仲間、イアールンヴィズ騎士団、シュライクのところのガラクシアス騎士団。リルはひっぱりだこだからな。今日はもう休もう」
「はい。ありがとうございます」
リルの嘘をあっさりとローレルは信じた。実際にリルは休みなく鍛錬を行っている。平日の昼は騎士養成学校の授業。帰宅してからはイアールンヴィズ騎士団、それにプリムローズとの鍛錬。さらに週末もイアールンヴィズ騎士団とガラクシアス騎士団の合同訓練に参加といった具合だ。疲れていると言われれば、「それはそうだろう」と思うのも当然なのだ。
◆◆◆
帰宅してからの鍛錬を早めに切り上げたリル。体を休める為に就寝も早めに、とはしなかった。疲れているは内心の動揺が顔に出てしまったのを誤魔化す為の嘘。さらにその動揺をもたらした原因を考えると、逆に眠れそうになかった。
すでにローレルは自室に入って、寝ようとしている時間だが、リルは屋敷の中庭でぼんやりと、しているように見えるだけだが、夜空を眺めていた。夜空には雲がかかっていて月も星も見えない。何もない真っ暗な空をリルは見つめていた。
「……何かあったの?」
声をかけてきたのはプリムローズだ。
「俺、また怖い顔してました? 今晩は満月は見えないから普通だと思うのですけど?」
「…………」
リルの答えにただじっと見つめるだけのプリムローズ。わずかに膨れている頬が彼女が怒っていることを示している。リルが誤魔化そうとしていることを彼女は分かっているのだ。
「……ごめんなさい。少し気持ちが揺らいでいて」
「気持ちが揺らぐ? どうして?」
「頑張って鍛錬して強くなっても、それだけでは勝てない、理不尽なくらい強大な相手もいる。こんなことを考えていました」
どれほど体を鍛えても、剣技を磨いても勝てない相手がいる。もし本当にルイミラが家族の仇であるとしたら、それは皇帝を、帝国を敵に回して戦うということになる。ルイミラを殺してそれで終わり、ということであればまだ機会はある。だがそうでなかったら。リルは家族の仇は一人残らず、討つつもり。ルイミラと相討ちで終わるわけにはいかない。
敵の強大さは帝都に来る前から分かっていたつもりだった。だがリルは実際に帝都に来て、自分が世間知らずであることを知った。滅亡間近とされている帝国だが、その強大さにリルは圧倒された。帝国騎士団長は一対一でも敵う相手ではないと、一目見て分かった。
命を捨ててでも、と誓っていたが、その覚悟を持っても、実際に命を捨てても成し遂げられないのではないかと思ってしまった。
「……私が一緒に戦う」
「えっ?」
「私は理不尽にただ耐えてきた。耐えていても何も変わらなかった。でもリルが私を変えてくれた。リルは私を救ってくれた。だから、次は私の番」
リルの隣で戦う。この決意は変わらない。もうそれ以外の未来はないとまでプリムローズは思っている。
「……俺は何もしていません。もし、今の生活が良いものになったと思うのだとしたら、それはプリムローズ様ご自身が頑張ったからです」
「そうだとしても、私はもっと頑張る。リルの力になれるくらい強くなる」
「頑張る」はプリムローズの口癖のようなもの。出来るも出来ないも言えない。だから「頑張る」を選んできた。だがそれはもう過去のこと。今、プリムローズの口から発せられる「頑張る」は決意の証なのだ。
「……戦う相手がとてつもなく強い……たとえば、帝国でも?」
「誰が相手でも、リルが正しい道を進むのであれば、私も一緒に戦う」
あえて「正しい道を進むのであれば」という言葉をつけたのは、帝国はプリムローズにとって悪ではないから。本来戦う必要のない、人々を守ってくれるはずの存在であるから。
「……では俺が間違っていたら?」
リルはその言葉を少し異なる意味で受け取った。自分がやろうとしていることは正しいことなのか。ずっと前から正しいとは言いきれなかった。やるべきことであって、やりたいことではなかった。
「……その時はリルを止める。私はリルに生きていて欲しいから」
正義を行っているのであればリルが死ぬことはない。プリムローズの甘い考えだ。だが、その甘さを指摘する気は、リルにはない。
「じゃあ、安心ですね? 俺は安心して前に進める」
プリムローズの純真さはリルの心を温めてくれるのだ。胸に湧き上がっていた不快さはいつの間にか消えていた。
「あっ……」
さらにリルは温もりを求めた。プリムローズの体を引き寄せ、抱きしめるリル。自分が何をしでかしているのか分かっていない。今はそれを考えるよりも、プリムローズの温もりの心地良さだけを感じていたかった。
――雲の隙間から差し込む月明りが、重なる二人を照らしていた。