帝国騎士養成学校の体育祭も、あっという間に、中盤に差し掛かった。これまでの競技は徒競走がメインの個人戦。多くの人たちにとっては、ただ走っているのを見ているだけの退屈な時間だ。
その多くの人たちにはハティたちも含まれる。実際に文句を口にしているのはハティ一人だが。
「……これにどうしてこれだけの人が集まる?」
「それが騎士団の人間の言うことか? 有望な騎士候補生がいないかを確かめる為だ」
ハティの問いに答えたのはスコール。何かと文句が多いハティの相手をするのは、いつもフェンとハティの二人だった。この場にはフェンがいないので、無意識のうちに、相手をしてしまうのだ。
「騎士団以外の奴らも大勢いるだろ?」
会場には明らかに騎士団関係者とは異なる人々も大勢いる。普通に体育祭を観戦に来た帝都住民だ。
「彼らの目的は露店だ。会場の外にいくつも出ている露店は、帝国騎士団が補填することで、かなり安く買えるようになっている」
「補填?」
「……体育祭は、言葉を選ばずに言うと、人気取りが目的のひとつだ」
体育祭を一般公開しているのは、帝国騎士養成学校の印象を良くする為。さらに帝国騎士団と帝都住民の距離を縮める為だ。見に来て良かったと思ってもらう為に、このようなサービスが行われている。
「……騎士団ではなく、帝国そのものの人気取りをやったほうが良いんじゃねえか?」
「言葉を選べ」
「しかし、そんな気遣いも必要なのか……まあ、分からなくもねえが……おい、シムーン」
「えっ? あ、はい」
唐突に呼びかけられて驚くシムーン。この会話の流れで自分に話が振られるとは、まったく思っていなかったのだ。
「何か買ってこい」
「はい?」
「露店が出ているって聞いただろ? しかも安く買えるらしい。買わない手はない」
ハティがシムーンに声を掛けたのは、買い出しに行かせる為。唐突ではあるが、二人にとっては珍しくないことだ。シムーンが使い走りをやらされるのは、いつものことなのだ。
「分かりました。じゃあ」
「……何だ?」
その場にとどまったまま、手を差し出すシムーン。その意味が分からず、ハティは怪訝そうな顔だ。
「買ってきますから、お金ください」
「はあ? お前、ふざけんな!」
「いやいや。ここは怒られるところじゃないですよね? 買い出しを命じたのは兄貴なのですから、お金を出すのも兄貴です」
このシムーンの主張には、関係のないスコールも納得だ。言葉には出さないが、わざとらしく大きく頷くことでシムーンの言い分を支持していることを示している。
「俺が言っているのは、立て替える金も持っていねえのかってことだ。まったく……ほらよ」
「えっ? 金貨?」
ハティが投げて寄越したのは金貨。それにシムーンは驚いている。
「何だよ? 足りるだろ?」
「足りすぎです。露店で金貨なんて使えませんよ? おつりが貰えない」
庶民が金貨を手にすることなど、一生かけても、まずない。金貨一枚分の貨幣価値は、庶民であれば、家族が何年も暮らせるほどだ。街中での買い物に使おうとしても、庶民が利用する店では、お釣りが用意されていない。
「大丈夫だ。貴族が戯れに露店で買い物をすることが稀にある。その時の為に両替が出来るようになっているはずだ」
シムーンの懸念に解決策を示したのはスコール。騎士候補生として三回、体育祭を経験しているというだけでなく、帝国騎士団長の従士として側にいることが多いので、自然と様々な、当然聞いて良いものだけだが、情報が耳に入るのだ。
「そうなのですか……じゃあ、行ってきます」
スコールの説明で心配がなくなったシムーンは、急ぎ足で会場の出口に向かった。
「……どうして帝国騎士団に?」
シムーンがいなくなるのを待っていたかのように、ハティがスコールに問いかけてきた。実際に待っていた、というより、買い物を口実に追い払ったのだ。
「……今その説明が必要か?」
シムーンはいなくなったが、まだプリムローズがいる。スコールはすぐに問いに答えを返さなかった。
「嬢ちゃんはフェンの婚約者だ」
「……はっ? 嘘だろ?」
「正しくは婚約者候補? いや、婚約希望者? とにかく、ずっとフェンの側にいると心に誓っている。いずれは知ることだ」
「良く分からない。結局、どういう関係なのだ?」
今のハティの説明では、フェンとプリムローズの関係性はまったく分からない。
「嬢ちゃんはフェンに危害が及ぶような真似は絶対にしない。たとえ、実家を裏切ることになっても……だよな?」
「はい」
最後のハティの問い掛けに、しっかりと頷いて、同意を返すプリムローズ。戸惑いは一切ない。プリムローズにとってイザール侯爵家は守るべき対象ではない。唯一、ローレルを除いてだが。
「あいつは……昔からモテるやつだった。村の娘たちも皆、フェンだけを見ていたな」
これを口にするスコールは、すでにハティとフェンと以前からの知り合いであることを教えている。この言葉を聞くまでもなく。プリムローズには分かっていたことだが。
「お前にもいただろ? あの彼女とは、もう結婚したのか?」
「ば、馬鹿。まだだ」
「まだ、ね?」
「…………」
いずれは結婚する。「まだだ」はそういう意味だ。
「なるほど。家族の為か……それは分かるが、それでも帝国騎士団?」
家族の為に生活費を稼がなければならない。それは理解出来る。ハティも夢を追い続けているだけではない。今のイアールンヴィズ騎士団で得た稼ぎは、移住先で新たな暮らしを始めている家族に渡している。
「なんだかんだで、一番安定している」
私設騎士団は一時の稼ぎは帝国騎士団よりも良いかもしれないが、収入が安定しているとは言えない。大きな失敗があれば依頼は来なくなり、まったく稼げなくなることもある。
「そうか? フェンの奴が言うには、地方はかなりヤバいことになっている。帝国騎士団もかなり厳しいことになるんじゃねえか?」
「……知っている。だがそれは私設騎士団も同じだ。雇われる相手を間違えれば終わりだ」
この先、私設騎士団も選択を迫られる。帝国に味方するのか、敵に回るのか。敵に回るにしてもどこに従うのか。その選択を間違えれば、敗者となる。また多くの私設騎士団の地位は低い。勝敗が確定する前に、もっとも危険な役割を与えられて大きな被害を受けることもある。
「それはそうだな。何が正解で何が間違いかは良く分からねえ。だから俺は間違っても後悔しない道を選びたい」
「……その選択肢は残っているのか?」
フェンと一緒に戦う。ハティが何を望んでいるのかスコールには分かっている。だが、その望みが叶うとは思えない。フェンはそれを望んでいない。スコールはこう思っている。
「これはただの勘だが……あいつはまだ続けている」
「続けているというのは?」
「……たった一人で親父たちの敵討ちを行っている」
プリムローズに一度、視線を向けてからハティはスコールの問いに答えた。さすがにここまでプリムローズに教えて良いのかと躊躇いを覚えたのだ。
だが結果、ハティは言葉にした。自分が考えている通りであれば、騎士養成学校を卒業した後、フェンはまた敵討ちの為の旅に出る。プリムローズはそれを知っておくべきだと思ったのだ。それでもフェンに付いて行くのかを彼女は考えるべきだと考えたのだ。
「…………どうして一人で?」
あり得る話だとスコールは思った。だがフェンが一人でそれを行うと決めたことには納得できない。自分たちの父親の仇でもあるのだ。
「それは分からねえ。何かあるのだと思うが聞けてねえ」
「……そうか」
「そういえば、他の奴らはどうしているか知っているか? 騎士団の名に釣られる奴がいると思っていたのだけど、まったく引っかかってこねえ」
これ以上、フェンの考えについて話をしても、すべて憶測。意味のある会話にはならないと考えて、ハティは話題を変えた。
かつての仲間の行方をハティは知りたい。イアールンヴィズ騎士団を名乗る騎士団にいれば、勝手に近づいてくると考えていたが、思っていたようにはなっていないのだ。
「皆、お前みたいに軽率ではない」
「なんだと?」
「全員について知っているわけではないが、何人かの居場所は知っている」
スコールも仲間たちの行方は気にしていた。所在を突き止めた相手もいる。スコールの家族が帝都に移住したことを知った者たちが、自ら訪ねて来たのだ。
「どこにいる?」
「数人は、ここに」
「はっ?」
「多くが私設騎士団で働いている。お前と同じところを選ばなかったのは危険を避ける為だ」
働く場としてイアールンヴィズ騎士団を名乗る騎士団を選ぶのはハティくらい。他の仲間はイアールンヴィズ騎士団との関りを知られないように他の騎士団を選び、ハティとも距離を置いている。
スコールも親しくしているわけではないのだが、今日、帝国騎士団の仕事をしている中で見知った顔を見かけたのだ。
「今日、彼らはフェンが帝都にいることを知った。驚いているだろうが、それですぐに事が動くとは思わないことだ」
「それぞれ皆、今の暮らしが大切か……」
「全員がどう考えているのかは知らない。だがそれぞれが悩んだ結果、今がある。そうなのだと俺は思う」
中にはフェンを恨んでいる者もいるだろう。仲間たちを捨てて姿を消したフェンは裏切者なのだ。それでもイアールンヴィズ騎士団再興を諦めるまでには、それなりに悩み、時間を必要としたはず。それを乗り越えての今だ。フェンが見つかったから騎士団再興を、というわけにはいかないとスコールは思う。
「……分かっているよ」
ハティも同じだ。フェンと近い関係にあった分、裏切られたという想いは強かった。皆の気持ちは分かる。ただそれでも彼は諦められなかった。イアールンヴィズ騎士団の再興を、家族の敵討ちを。
フェンはまだ敵討ちを続けている。スコールには「ただの勘」だと言ったが、彼自身には確信がある。まだ望む未来は失われたわけではない。彼はそう信じているのだ。
◆◆◆
体育祭は終わりに近づている。残る種目は二つ。棒倒しと騎馬戦だ。観覧席には前半よりもかなり人が増えていた。棒倒しと騎馬戦は体育祭の目玉競技。そうであるから最後に残されているのだ。
まずは棒倒し。棒倒しは全学年全クラス参加のトーナメント戦。三年生のクラスはシード扱いとなっているので、一回戦は一年生と二年生の対戦となる。
「……力の差がありすぎますわね?」
一回戦もすでに三戦目。これまでの対戦は全て二年生のクラスが一年生を圧倒している。そのことにルイミラは不満そうだ。
「仕方がありません。一年生はまだ部隊行動を学んでおりませんので」
ワイズマン帝国騎士団長が、二年生が圧勝している理由を説明した。
棒倒しは相手の陣地にある棒を倒したほうの勝ち。ただそれだけでは帝国騎士団の体育祭の競技らしくならないので、部隊行動の要素を入れている。一クラス四十人をいくつかの小隊に分けて、相手の陣地に攻め込む、もしくは敵の前進を阻むのだ。ただこれは事前に教わっていないこと。二年生がそれなりに組織的に動いているのに対し、一年生はバラバラ。個々に動いている。
「それは不公平というものではありませんか?」
「そうですが、体育祭の競技の為に授業内容を変えるわけにもまいりません。かといって直前に慌てて備えても、結果は同じでしょう」
「一年生同士の対戦にするという手もあります」
「それでは強いクラスが潰し合う可能性が生まれます。実力のあるクラスが勝ち上がるように考えての組み合わせです」
一年生が圧倒的に不利であることは騎士養成学校も分かっている。この競技は三年生が優勝を競い合うもの。こう割りきっての組み合わせだ。
「しかし……ここまで差があるものなのか?」
これ以上、ルイミラの言いがかり、とは勝手に思っているだけだが、を許すわけにはいかないとトゥレイス第二皇子が会話に割り込んできた。
ただ内容は実際に尋ねたいことだ。二年生の防御を一年生はまったく突破出来ない。じわじわと押し込まれ、最後は押し切られて棒を倒される。この二戦同じ決着で、第三戦も似た状況なのだ。
「それに関しては、競技エリアが少し狭すぎたようです。隙のない防御陣形が可能になってしまいました」
二年生は番狂わせを起こさせない為に守りを固めている。その守りが例年よりも固くなっていることをワイズマン帝国騎士団長は認めた。皇帝臨席のせいで例年とは異なる会場造りとなった。そのせいで狭くなり、陣形は密集。隙間を突いての突破が難しくなっているのだ。
「三年生との対戦でどうなるかか……」
「申し訳ございません。一回戦については……何だ?」
一際大きな歓声が観覧席からあがった。何が起きたのかと競技場に視線を戻したワイズマン帝国騎士団長。その視線の先では二年生のクラスが、わずかに混乱している様子が見える。
『リル、待っていてくれ! 僕もすぐにそこに行くからな!』
大声で叫んでいるのはローレル。彼の言葉の意味は動き出した二年生の後衛部隊の動きを追うことで分かった。
「突破したのか?」
「はい。ただ、一人だけです」
ワイズマン帝国騎士団長の問いに答えたのは側近のヴォイド。彼は競技場から視線を外すことなく、ずっと状況を見ていた。
「たった一人で突破……」
二年生の前衛を一人の一年生が突破した。たった一人だが、たった一人で陣形を突破出来たことがワイズマン帝国騎士団長にとっては驚きだ。
「二年生の反応が速いです。運良くすり抜けることが出来ましたが……」
「……ただの運とは思えないな」
すばやく動いた二年生の小隊五人がリルを囲もうと動いていた。周囲を囲まれ、すぐに動けなくなる。ヴォイドだけでなく見ているほとんどがそう思ったのだが、リルは易々とその包囲を突破してみせた。自分を囲もうとする二年生の一人を、なんらかの方法で、吹っ飛ばすことによって。
『前衛! 動揺するな! 構わず、進め!』
二年生の指揮官役がクラスの仲間に指示を出す。たった一人の為に陣形を乱し、さらなる突破を許すわけにはいかない。冷静で、的確な判断だ。普通であれば。
「……あれで止められるのかしら? 二年生もだらしないわね?」
嘲笑の意味が込められた、と帝国騎士団の人たちが受け取るような、ルイミラの呟き。だが反論は出来ない。ルイミラが恐ろしいからではなく、彼らもそう思ってしまっているからだ。
リルを囲もうとする二年生の数が増えた。だがそれでも動きを止めることが出来ない。必ず倒される騎士候補生が出て、その隙間から逃げられしまうのだ。
「……何故、彼は前に出ない?」
あの様子であれば二年生の本陣まで、棒まで、単独で到達できるのではないか。だがリルはそれを行おうとしない。それがワイズマン帝国騎士団長は不思議だった。
『ええっ? 待っているって、ローレル様をですか!? そんな馬鹿正直な!?』
その答えは、前のほうに座っているシムーンの驚きの声が教えてくれた。リルが前に出ないのはローレルの「待っていてくれ」という命令を守っているから。彼もまたプリムローズに教わったのだが。
「……主の命令か……笑わせてくれるな」
これを言うワイズマン帝国騎士団長の顔は、まったく笑っていない。リルの実力が普段の授業で見せている以上のものであることは分かっているつもりだった。だが競技とはいえ、上級生、それも五、六人を余裕で相手に出来るほどというのは、さすがに想定外だ。
会場のざわめきが大きくなる。そんな中で審判が告げた二年生勝利は、どこか虚しく感じられた。