帝国騎士養成学校の定員は、きっちりと定められているわけではないが、一クラス四十人ほどで一学年四クラス。一学年には百六十人くらいの騎士候補生がいる。ただ、そのうちの三割から五割は貴族家の子弟についてきた騎士や従士たち。既に何らかの騎士団に所属している人間で、純粋な騎士候補生とは呼べない。少なければ八十人、多くても百を少し超えるくらいの人数で、さらに帝国騎士団本体を選ぶ騎士候補生となると、かなり数が絞られることになる。
帝国騎士団が人手不足になるのも当然だ。大きな戦いがなく、死傷を理由として数を減らすことが滅多にないのが救いだ。だが近い将来、その救いはなくなる。内乱が本格化すれば、帝国騎士団は仮に勝利を重ねることが出来ても、損耗していくことになる。短期決戦で勝利を得られるか。これは将来、間違いなく起こる内乱における帝国騎士団の課題のひとつだ。
ただ今、騎士候補生である彼らがこのことで頭を悩ますことはない。彼らには、彼らにとって、もっと大事なことがある。
「……どういう意味だ?」
「えっ? 説明が足りませんでしたか? 騎馬戦における騎馬の編成についてですけど」
同じクラスの騎士候補生に問われて、リルは戸惑っている。彼なりに丁寧に説明したつもりだったのだ。
「それは分かった。馬役は三人。前に一人で後ろに二人。三人で組んだ馬に騎士役が乗る」
「はい。その通りです。では、何が分からないのですか?」
今、彼ら、一年ガンマ組の騎士候補生たちが話し合っているのは体育祭について。体育祭で行われる競技に対して、どう取り組むかを話し合っているのだ。
「誰がどの役かは適正で判断するという点だ」
「……そのままの意味ですけど?」
「つまり、私に馬をやれと?」
リルに問いを向けた彼は、自分が馬役となることに納得がいかないのだ。彼は貴族家の人間。当然、自分は騎士を努めるものと考えていた。
「適正があれば、そうなります」
「お前は私に人に踏まれる屈辱を与えるつもりか!?」
彼にとって馬役を与えられるのは屈辱。誰が乗るかは分からないが、とにかく、他人に踏まれる立場だと考えている。そんな立場を受け入れることは出来ない。
「リルではない。僕がそうして欲しいと言っているのだ」
「ローレル様……」
そんな彼の怒りを冷ましたのはローレル。リルに対しては怒鳴ることは出来ても、アネモイ四家の一員であるローレル相手だと、そういう態度は躊躇われる。
「これは戦いに勝利する為だ。優先すべきは勝利。馬になることは敗北よりも屈辱を感じることなのか?」
「それは……」
正直に言えば、馬になるほうが嫌だ。だがローレルにこのような問われ方をしては、そうだとは言いづらい。
「当然、僕も馬をやる。馬となって戦場を駆け巡る」
「「「…………」」」
「分かってくれたか?」
問いを発した貴族だけでなく、クラスのほぼ全員が驚いた顔をしている。アークトゥルス帝国における最上級貴族家出身の自分が馬をやる。その覚悟を知って、皆、驚いたのだとローレルは受け取った。
「……それは無理ではないですか?」
「へっ? どうしてだ? リル、僕だけを特別扱いするのは間違っているぞ」
だが、ローレルにとってはまさかのことに、リルがその覚悟を否定してきた。
「いえ、そうではなく。ローレル様は馬には向かないかと。鍛錬は頑張っていると思いますが、まだまだ……」
「あ……ああ……」
リルはあくまでも「適正」で役割を決めようとしている。ローレルが望んでも彼に馬役は無理だと考えているのだ。真面目に鍛錬に取り組んでいるローレルだが、まだ半年を少し超えた程度の期間だ。他者の持って生まれた能力やそれ以前の努力を、そう簡単に超えられるものではない。
「ただローレル様が仰られた通り、これは勝つための選択です。それに、騎士養成学校には身分などないはずですが?」
帝国騎士養成学校においては校外での身分は意味を為さない。これは学校を設立した十一代皇帝サウラク二世が決めた帝国騎士養成学校の理念のひとつ。「自分は貴族だから馬になるのは嫌だ」なんてことを言うのは、許されないことなのだ。
「……分かった。私も勝利の為に最善を尽くそう」
相手もリルの言葉でそれに気が付いた。馬になることに納得したわけではないが、文句を言うことは許されない。帝国の、皇帝の意志に背くような言動は控えなければならないと思った。
「一応、私なりに、誰がどの役目が合うかを考えてきました。ただ間違っている考えもあると思いますので、相談させてください」
こう言ってリルはテーブルの上に持ってきていた紙を広げた。誰がどの役目かが記された紙だ。それを知って、そのテーブルに群がる一年ガンマ組の騎士候補生たち。黙って聞いているだけだった騎士候補生も、自分がどの役割かは、かなり気にしているのだ。
「まず前提として、騎士役は体重の軽い人を選びました。ただ、軽ければ良いというものでもないと思います。騎馬戦は頭に巻いた鉢巻の取り合いですので、背が高いほうが有利とも考えられます」
「……背が高い人は重い」
「そうなのです。大きな人を騎士にするには、その人を乗せて走れる力のある馬役の人たちが必要になります」
「組み合わせもひとつひとつ考えることになるのか」
騎士役、馬役、さらに馬役を前、左右と分けてそれで終わりではない。四十人のクラスで十騎。誰と誰が組んでひとつの騎馬とするか。その組み合わせを一騎一騎、考えて決めなければならない。
「相手を全滅させられれば勝ちですが、それは簡単とは思えません。戦闘時間が経過した時に、一騎でも多く生き残る。こういう勝ち方で考えようと思いますけど、よろしいでしょうか?」
「何が違うのですか?」
「生き残る為に戦いを避け、逃げ続けることも戦術のひとつということです」
最後に相手よりも一騎でも多い方が勝利。このルールだと戦わない騎馬があっても良いとリルは考えた。
「それ……卑怯じゃないか?」
逃げ続けることなど卑怯。こう考える騎士候補生もいる。おかしなことではない。美化された騎士の誇りを優先すれば、こういう考えになる。
「勝利を何よりも優先するのであれば、です。ただ皆さんが玉砕覚悟で正面から戦いたいというのであれば、方針は変更します。これはクラス全員の戦いですから」
「正面から戦っては勝てないか?」
「正直分かりません。対戦相手の情報が今はありませんから。ただ上級生はきっと個々の力でも、集団戦でも我々より強いと思っています」
体育祭の対戦は学年に関係なく行われる。普通に考えれば、もっとも長く騎士養成学校で鍛えてきた三年生が有利なはずだ。あと半年少しで帝国騎士団の従士になれる人たちなのだ。そうでなくては問題だ。
「確かに……弱者である我々は手段を選んではいられないか」
騎士の誇り、よりも勝つことを優先して考える騎士候補生もいる。私設騎士団関係者などはその代表だ。任務を達成するだけでなく、生き残って初めて金を得られるのだ。誇りでは金は稼げないというのが私設騎士団の騎士の普通の考えだ。
「絶対に勝利出来るという約束は出来ません。大恥をかく可能性もあります。ですが私は、他人からどう思われようと、勝つために全力を尽くした結果に恥じる点は一切ないと思います」
「……そうだな」
「では、他の皆さんも良いですか? 我々は勝利だけを考えて突き進みます!」
「「「おおっ!」」」
一年ガンマ組の騎士候補生たちの声が周囲に響き渡る。皆それなりに、体育祭に向けて気持ちが盛り上がったようだ。
「……あれは何をしているのだ?」
ただそれは、他のクラスのグラキエスには分からないことだ。
「作戦会議」
夏休みの合同訓練を経て、ローレルだけでなく、リルやシュライクとの距離も縮まったトゥインクルは少し事情を知っていた。
「作戦会議?」
「体育祭の。ローレルがはりきっているみたいで、リルが何か考えていたわ」
「何かというのは?」
「知らないわ。私も敵だから秘密だって」
トゥインクルの性格だ。リルが何を考えているのか、かなりしつこく問い質した。だがこの件に関してはリルは頑なだった。自分だけでなく、クラス全員に関わることなどで、口を割ることはなかったのだ。
「体育祭にそこまで熱を入れているのか?」
グラキエスには理解出来ない。騎士養成学校の、帝国騎士団からの評価を気にする必要のないグラキエスにとって、体育祭はそのまま、ただのお祭りイベントなのだ。
「ローレルは帝国騎士団公安部志望だから」
「……いや、やっぱり、分からない。公安部志望でどうして体育祭に力を入れる必要がある?」
「それ、ローレルが怒るわよ? 才能のある人にない人の気持ちは分からないとか言って」
実際にグラキエスの言葉を聞けばローレルは不機嫌になるだろう。グラキエスにとっては公安部など、かなり志の低い志望先。自分の不安など理解出来るわけがないと思って。
「そのような考えはない」
「どうかしら? 才能があっても、ない人の気持ちが分かる人もいる。私から見ても貴方はその人とは違うわ」
「その人?」
「……そういう人。言い間違えよ」
具体的に誰かをイメージしたわけではない。トゥインクルはこう言い直したが、これは嘘だ。トゥインクルの心の中には具体的な人物が浮かんでいる。本人は常に脇に控える立場に徹していながらも、気が付けば、人々の中心にいる人物のことが。
◆◆◆
帝国騎士養成学校の騎士候補生たちが、それぞれの考えで、体育祭の準備を進めているのと同じように、帝国にもそれぞれの立場で体育祭に向けた準備を行おうとしている人たちがいる。例年とは異なる準備だ。
「兄上は本当に体育祭に出席しないのか?」
トゥレイス第二皇子もその一人。彼の場合は、「準備をさせようとしている」だが。
「ああ、出席しないつもりだ」
「どうしてだ? ルイミラに好き勝手を許すつもりか?」
ルイミラが皇帝と共に体育祭に出席するという話は、すぐに広まった。皇帝が臨席するとなれば、当日の警護態勢など、多くの準備が必要になる。様々な部署がその日に向けて動き出すのだ。政治に少しでも関わる者であれば、すぐに知ることになる。
「好き勝手を許すといっても、所詮は学校行事。出来ることなど限られている」
「将来、帝国騎士団を支える人材だ」
ルイミラの悪行から騎士候補生を守る為には、兄であるフォルナシス皇太子も体育祭に出席するべきだとトゥレイス第二皇子は考え、それを進言した。
「一部は、だ。もちろん、私も彼らに、どのようなことであれば、災いが降りかかるようなことは避けたい」
「だったら、出席すべきだ」
だがトゥレイス第二皇子のこの考えは、フォルナシス皇太子に届かない。それがトゥレイスはもどかしかった。
「トゥレイス。私が出席したとてどうなる? 彼女が挑発だと受け取って、事態が悪化する可能性もあるのだ」
フォルナシスはルイミラとの対立を避けようとしている。彼一人の考えではない。彼の側近たちも同じ考えだ。ルイミラと今、対立しても勝てる可能性は高くない。勝機が見えるまでは決定的な対立は避けるべきだという考えなのだ。
「兄上……時を待つのは本当に最善の方法なのだろうか?」
皇太子派は時が来るのを待っている。いずれフォルナシスは皇帝に即位する。その時を待つべきだと考えているのだ。
トゥレイスも、それも一案だと考えていた。だが近頃は「本当にそうなのか?」と疑問を感じるようになった。時が過ぎれば、手遅れになるのではないかと思い始めたのだ。
「負ける戦いは出来ない」
フォルナシスと皇太子派の考えも間違いではない。勝てない勝負を挑んで、フォルナシスが失脚することになれば、ルイミラの思う壺。皇太子の座はその先に生まれるだろうルイミラの子の物になるだろうと考えられている。
「……兄上はそうか」
トゥレイスも否定出来ない考えだ。フォルナシスが皇太子の地位を奪われた後は、自分の物になる。こんな風には考えられない。ルイミラに男子が生まれるまで、ずっと空位にされるのは間違いない。
「トゥレイス……問題は彼女だけにあるわけではない」
「……分かっている」
ルイミラ一人が問題なのではない。彼女のいいなりになっているとされている皇帝が、より大きな問題なのだ。
もし仮にルイミラを、手段を選ばず、排除することが出来たとしても、それで問題が解決するとは思えない。皇帝はルイミラを殺された恨みで暴走し、何をしでかすか分からない。フォルナシスもトゥレイスも、他に跡継ぎはいなくても、後継者から外されるかもしれない。それほど皇帝のルイミラへの執着は異常なのだ。それをフォルナシスもトゥレイスも知っている。
帝国混乱の元凶が全て、第三妃ルイミラのせいとされているのは、皇帝に向けられる臣民の恨みをわずかでも逸らす為。そうであることを二人は知っている。